第43回 =50年前はひと昔= 1974年に登場したヤマハのニューモデル
1974年にヤマハが販売したニューモデルを中心に、当時のカタログ(1973年も含みます)を交えて紹介させていただきます。※カタログは個人所有につき、汚れなどはご了承ください
1973年に開催された東京モーターショーのヤマハブースには、革新的なモノクロスサスペンションを搭載した市販モトクロッサー、YZ250、YZ125が来春発売として登場。多くの来場者に注目されました。そして発売間近のトライアルマシンTY250Jも華々しく紹介されました。
トレールモデルはDTシリーズに統一され、オフロードに強いヤマハのイメージを強くPRしました。
ロードスポーツは、4ストロークのTXシリーズの750、650、500を、2ストロークはRDシリーズの125、90、50を一堂に展示して1974年への意気込みを表しました。
【YZ250】
1974年、革新的なモノクロスサスペンションを搭載したモトクロッサーYZ250とYZ125を発売しました。前年のモトクロス世界選手権250ccクラスと、全日本選手権250cc、125ccクラスでチャンピオンを獲得したワークスマシンには、”空飛ぶサスペンション”と呼ばれたモノクロスサスが搭載されていました。ライバルメーカーはもとより、バイクファンに衝撃を与えた革新的なサスペンションでした。
ヤマハが先鞭をつけたモノショックは、その後ホンダではプロリンク、スズキはフルフローター、カワサキはユニトラックという先進的なリアサスペンションを開発し、モトクロス以外のロードレースやトライアル、そして一般市販車にも急速に採用されていきました。
【TY250J】
トライアルは、1973年にミック・アンドリュース氏を招聘して、開発中のトライアルマシンでのデモンストレーションや、トライアルスポーツの紹介活動を各地で行いました。11月に開催されたMFJ第1回全日本選手権トライアルに、発売前のTY250で出場した木村治男氏が初代チャンピオンを獲得。そして12月に待望のTY250Jを発売しました。
1974年は、TY250Jによる本格的なトライアル普及の年になりました。
【DTシリーズ】
“トレールバイクはヤマハ”という定評は、1968年に発売されたDT1の成功によるものでした。その後、50ccのFT50から360ccのRT1までシリーズ化を完成させました。
そして、1973年にDTの名称に変更するとともにモデルチェンジし、90、125、250、360の4車種によるDTシリーズが完成しました。
ヤマハのトレールバイクを代表するDT250は、国内では1979年発売モデルが最後になりました。オイルショックの影響もあり、燃費と環境性能に優れた4ストロークエンジンへの移行が進んでいきました。そして、2ストロークエンジンのDT250は、1983年登場の4ストロークマシンXT250Tに引き継がれる事になりました。
【RDシリーズ】
1973年から1974年にかけて、ロードスポーツモデルは2ストロークと4ストロークでシリーズ化が図られました。2ストロークエンジンのFX50、HX90、AX125、DX250、RX350は、それぞれモデルチェンジし、“RD”シリーズに統一されました。
【TXシリーズ】
4ストロークエンジンのロードスポーツモデルは、1973年にDOHC・4バルブ2気筒のTX500を発売。そしてXS650はモデルチェンジしTX650に名称を変更。TX750も熟成を図りました。
ここに、4ストローク2気筒の大型ロードスポーツ”TX”シリーズが完成しました。
当時のナナハンクラスは、ホンダとカワサキは4ストローク4気筒。スズキは2ストローク3気筒のマルチシリンダーとなっていました。対してヤマハは、大排気量ながら扱いやすく乗りやすい2気筒がベストという考えで、3社とは別路線を選択しました。
ヤマハのナナハンは、1976年に4ストロークDOHC・3気筒のGX750 が登場しました。1977年、スズキは4ストローク・DOHC・4気筒のGS750を発売。国内のナナハン市場の流れは4気筒に向かっていました。ヤマハが4ストロークDOHC・4気筒のXJ750Eを発売したのは1981年の事でした。
ヤマハは、1973年後半から1974年前半にかけてスポーツモデルのシリーズ化を完成させました。
オンロードのRD、TX、そしてオフロードのDT共に、単なる名称の変更だけではなく、スタイリングや装備面での充実も図りました。それは、開発から販売に至るまで大変な準備と苦労があったものと想像できます。さらに、モノクロスサスペンションを市販車に投入するなど、1974年に賭けた意気込みが伝わってきます。
50年後の現在の二輪環境を見ますと、モノショックタイプのサスペンションは現役バリバリです。そして、大型のツインエンジンが見直されて、さまざまなカテゴリーのモデルに搭載されています。当時ヤマハが選択した技術や思想は、現代にも息づいていると思います。