2024年となりました。で、新春記念企画、スタートです。
題して「オレ、コレ乗ってます」。略してオレコレです。
Webミスター・バイクやミスター・バイクBG周辺の執筆陣や写真家の愛車を
思い入れたっぷりに語ってもらう企画です。
初回は、この企画の言い出しっぺ、ジャーナリストの中村浩史さん。
彼の愛車は、購入20年を超えたGSX1100Sカタナなのであります。
15の夜。22歳の別れ。
僕がカタナを知ったのは、人気漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のひとコマ。
トビラって呼ばれる、タイトルとか「〇〇の巻」とかが入っている漫画の始まりのページですね、ここにカタナが描かれてたんです。作者の秋本治先生がお描きになったのはケルンショー発表時の姿のカタナで、スクリーンがない、bimota製と言われた集合マフラーが装着されている状態。秋本先生はクルマ、バイク好きな人で、ちょいちょい(というかたくさん)漫画の中にバイクやクルマを登場させていたんですよ。あとになって、実はカタナを何台もお持ちだ、ってことも知りました。
後に調べてみたところ、1982年発売の単行本22巻「心のこり…」って回のトビラ絵でした。82年といえばカタナ市販の翌年、ヒロフミ少年が15歳の時ですね。
「うはぁ……ナニコレ」
それが正直な印象でした。後にはどんどん「カッコいい」って気持ちに傾いては行くんですが、初見の感想は「ナニコレ」ってかんじ(笑)。それからカタナはバイク雑誌に頻繁に登場したり、TVドラマ「西部警察」で舘ひろしさんが走り回ったり、漫画「バリバリ伝説」でヒデヨシが乗ったりと、どんどん目にする機会が増えていきました。
この頃ですね、私がバイクに本気で目覚めたのは。それまでは「バイク乗りたいなぁ。かぁちゃんのパッソルじゃだせぇし、マサルのかぁちゃんのシャリイ、ギアつきでいいなぁ」なんて考えてた中坊で、広場でスーパーカブに乗せてもらえるってんで新聞配達のアルバイト始めたり。今でもよく覚えてるのは、その頃の「人生の夢」がRZ50を買いたい、ってこと。RZ50の新車価格・17万6000円って数字、今も忘れませんもの。17万かぁ、そげん大金むりばい……って月のバイト代12000円を2年くらい貯めてたおカネはカメラ買っちゃったんだよな。
そんなこんなで高校生の頃にやってきたのは、レーサーレプリカブーム。この頃もRG250ΓよりGSX-R750よりカタナが好きだった。NSRやTZRよりもカタナ――もちろん買えるわけない憧れだけの対象として、ですね。
それからクルマの免許より先に中免(今でいう普通二輪免許)を取って、府中の試験場に通いまくって手にした「限定解除」のライセンス。よーし、これでカタナ買う資格できたぞ!って鼻の穴をふくらませていた頃には、カタナはデビュー時の人気も落ち着き、たしか90万円そこそこで新車の赤銀1100SEが売っていたんです。
そして、ついに初めてカタナに乗ったのは22歳の頃、縁あってこの仕事を始めて、撮影の仕事で乗ることになった1100カタナ。しかもそれは、ミスター・バイクBGで「キリン」の連載を始めたばかりの頃、その作者、東本昌平先生がお持ちのカタナだったのです。たしかBGの88年8月号じゃなかったっけなぁ。
「中村くん、大丈夫? 乗りにくいぞコレ」ってニヤニヤしてカタナを貸してくれた東本先生。
――大丈夫っす、ちょっとお借りします。
そう言ってはみたものの、心臓バクバクでした。そりゃそうです、中坊の頃に初めて会った憧れのバイク、それも「キリン」の作者の東本先生のバイクなんだもの、舞い上がっちゃってましたね、きっと。重たいカタナを引き起こして、重たいクラッチをきっと4本指でワシ掴みして、よろよろと走り出した後のこと、なんも覚えてませんもの。
初めてのカタナは、予想以上にシンドいものでした(笑)。東本先生のカタナはCRキャブのヨシムラサイクロンだっけな、それくらいの仕様でしたが、まず重い、エンジンは低回転でがうがう鳴って、中回転からドカン、もちろん高回転なんか回せないし、ブレーキレバーをワシ掴みしたって止まらないし、ポジションきついし。
デカい重い長い──うわぁ、オレが憧れてたバイクってこんなだったかぁ、って。中学生のころ好きだったコに大人になって出会ったら……ってかんじ。がっかりです。夢破れました、幻滅しました、オレの方から勝手にね。
すっかりカタナ熱が冷めてから幾星霜。その頃の愛車は油冷ナナハンGSX-R750。油冷のナナハンを3台乗り継いだのかな、少しはバイクに乗れるようになってきて、いろんなバイクを試乗しましたが、それでもカタナにはほとんど乗りませんでしたね。
カタナは国内発売が始まったり、ファイナルエディションが発売されたり、って区切りで少しは乗ったけれど、生産終了のニュースとともに、私のカタナ愛も終了――となるはずだったんですが、あの初恋のコがとびきりの姿で現れたんです。
これもお仕事でインタビューに出向いたのは、カタナの開発にも大きくかかわっていた、スズキの名物エンジニア、今は亡くなってしまった横内悦夫さん。横内さんも、ご自分でカタナをお持ちで、しばらく乗らずに保管していた車両を、カタナの専門ショップ「神戸ユニコーン」(当時名称。今はユニコーンジャパン)でレストアしてもらった頃でした。
「アンタ、カタナ乗ってみなさいよ。いいよぉ、このカタナは。池田さん(ユニコーン代表)が触ってくれて、新車の時よりも乗りやすいんだから」。横内さんは、私のことをいつも「アンタ」って呼んでくれました。
そして乗せてもらった横内さんのカタナは、びっくりするほど軽くて乗りやすいカタナでした。ユニコーンが施したのは、チューニングじゃなくて「完全整備」。もちろん車重は変わらないんだけれど、押し引きが軽く、よく転がる。乗り始めても、低回転から力が出て、スロットルにきちんとついてくる。ブレーキだってよく効くし、カタナがデカい重い長いなんて誰が言った!ってオレが勝手に思っただけなんですけど、このカタナはそうじゃなかった! すっごい乗りやすいカタナ、嘘みたい!
「これから横内さんのカタナで作ったようなコンプリート車を作るんです。レストアして、完全整備して、10年10万km保証だってつけようかな」とユニコーンの池田さん。イチも二もなく言いましたね「オレ買います」って。今まで数100台にだって試乗した経験はあるけれど、乗ってすぐ「買う!」って叫んだのは、あのカタナが初めてでした。
ユニコーンのカタナは、当時もう新車が売っていなかったこともあって、中古車をベースにエンジンはシリンダーヘッドをオーバーホールするくらいで、車体を全バラ&全組み直しをして、可能な限り新品パーツを組み込んだ、後に「ヘリテイジ」と呼ばれたコンプリートパッケージ。確か、そのシリーズの第1号車だったはずです。僕の車両は1990年式の通称「アニバーサリー」車で、エンジンとフレームがアニバーサリー、それにいろいろパーツを組み合わせています。
当時横浜戸塚にあったユニコーンに何度も通って、組んでいる経緯も見ていたことから、すんごい思い入れのある車両として買いました。2001年かな、価格はその仕様で130万円くらいと、今考えると夢みたいな価格ですね。当時だって「安すぎるよ、もっと値段つけられますよコレ」ってユニコーンに進言していたほどだったもの。
僕のものになったカタナは、本当に夢のようなカタナでした。カタナに乗ったことがある人ならば、カタナ=デカい重い長いというイメージをわかってくれると思うんですが、僕のカタナはノーマルにヨシムラサイクロンを組んだくらいで、あとはユニコーン製ヘリテイジの標準仕様。フロントフォークは標準装備のアンチノーズダイブ機構を取り外して、リアはオーリンズ製の調整機構なしの安い方(笑)、だってコレって、カスタムバイクではなく、完全整備車ですから、新品のノーマルショックを組むよりずっといい、という意味でのチョイス。ブレーキはサンスターのΦ320mmローターとブレンボ対向4ポッド、それくらい。現在にも続く「ノーマルルックの完全整備車」のハシリだったんじゃないかな。
けれど、そのカタナは軽く動き、ちゃんと停まり、きれいにフケる、すばらしい空冷4気筒でした。油冷ナナハンに乗っていたから、速さはぜんぜん感じなかったんですが、低回転からズオオオオオ、ってトルクがあふれるエンジン特性で、そこは今でも大好きなところ。買ってからほとんどスピードなんか出してないし、いつも3000rpmとかそんな回転域でとんとんとシフトして、低回転ばっかり使って走っています。
あれから22年、カスタムなんかぜんぜん進んでいないし、メンテだってサボることばっかり。時には1年も乗らない時期もあったけれど、買ってから20年の節目で、そろそろポジションがシンドくなってきたこともあって、オオノスピードのアップハンキットを組んで、リアサスをオーリンズからアラゴスタに変更するのをはじめとして、また全バラで組み直してもらって、ハーネスを新品にしたり、キャリパーをまたブレンボの新品を組み直したり、20年経ってヤレてきたところを完全整備してもらいました。いやぁ、また調子よくなって帰ってきました。
アップハンドルを組んでから、出動回数、走行距離も伸びました。ライダーの年齢とともに仕様変更していくのも、長く乗っていられる秘訣かもしれませんね。
(文:中村浩史、撮影:島村英二)