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バイク承前啓後






 

高山さんのバイク承前啓後 第50回 Hondaの至宝 125cc5気筒のRC149に魅せられて

 
 1998年10月4日、栃木県のツインリンクもてぎ(現モビリティリゾートもてぎ)のレーシングコースでは、本田技研工業の創立50周年を記念した「ありがとうフェスタinもてぎ」が5万人のお客さまを迎えて盛大に開催されました。
 私は、広報担当として報道関係者の取材対応に追われながら、歴代レーシングマシンのデモランをコースサイドで間近に見られるという幸運に恵まれました。
 その中でも、異様と思えるほどの高回転サウンドで、魂が揺さぶられる感覚になったのが、1966年にWGP125ccクラスで世界チャンピオンに輝いたRC149です。
 多気筒高回転型エンジンの極みともいえる、125ccで5気筒という世界初のエンジンを搭載したワークスマシンです。ライダーは、チャンピオンのルイジ・タベリ氏で、30年以上のブランクを感じさせないライディングを披露してくれました。
 1966年は、HondaがWGP全5クラス(50、125、250、350、500)でメーカーチャンピオンを獲得した記念すべきシーズンで、タベリ選手とRC149は重要な役割を果たしました。

RC149
ありがとうフェスタinもてぎの様子を伝える「語り継ぎたいこと チャレンジの50年」より抜粋。 ゼッケン177のRC149を駆るタベリ氏。

 
 それ以来、仕事やレジャーでHondaコレクションホールを訪問する度に、RC149に会うのが楽しみでした。そして、このRC149がHondaウエルカムプラザ青山にやってきました。これまで撮影できなかったアングルでの撮影ができるという幸運です。さまざまな角度から、RC149の魅力を紹介したいと思います。 ※2024年10月撮影(現在は展示されていません)

RC149
1966年 RC149 東ドイツGP優勝車 ライダーはルイジ・タベリ選手。マフラーは、左右に2本ずつ配置し、アップタイプの1本を合わせ合計5本。

RC149
RC149
フロントビュー。カウルの右側にはオイルクーラーが配置されています。

RC149
RC149
リアビュー。とてもスリムに仕上げられています。

RC149
ブレーキペダル部。
RC149
ギアチェンジ部。

RC149
右側のシリンダーヘッド部 。
RC149
レッドゾーンは2万回転付近。

RC149
フロントブレーキ左側。
RC149
リアブレーキ左側。

RC149
フレームナンバーは、RC148-101。1965年のWGP最終戦日本GPで初めて投入した5気筒マシンRC148をベースに、1966年シーズン用に製作したマシンです。
RC149
空冷4ストローク5気筒・DOHC・4バルブ・ギア駆動 124.42cc
最高出力 34PS以上/20,500rpm
最高速度 210km/h以上   車重 85kg

 
 Hondaは、1959年のWGP第4戦マン島TTレースに、125cc4ストローク2気筒のRC142で初出場しました。そして、参戦3年目となる1961年、トム・フィリス選手が2気筒2RC143を駆り、125ccクラスで初めて世界チャンピオンを獲得したのです。この年に、ルイジ・タベリ選手がHondaと契約して125ccでランキング3位を獲得しました。

RC149
1961年 マン島TTレース #12 トム・フィリス選手 3位、#5 ルイジ・タベリ選手 2位、#7 マイク・ヘイルウッド選手 1位。マシンはともに2RC143。

 
 1962年、タベリ選手は2気筒のRC145で見事チャンピオンを獲得。ランキング4位までをHondaライダーが占める圧倒的な強さを発揮したシーズンでした。

RC145
1962年 RC145 。
RC145
マン島TTレースで優勝したタベリ選手とRC145。

 
 ところが、1963年はスズキの2ストローク2気筒のRT63を駆るヒュー・アンダーソン選手にチャンピオンを奪われてしまいます。タベリ選手は2位を確保するにとどまりました。125ccの排気量では、エンジンが軽量な2ストロークに有利な状況に変わりつつありました。
 1964年、2ストローク勢に対抗するために、4ストローク4気筒の2RC146を投入。スズキとヤマハは、水冷2ストローク2気筒のマシンを開発して挑みました。タベリ選手が5勝を挙げてチャンピオンを獲得。Hondaの多気筒・高回転型のエンジンが優ったシーズンでした。

RC149
1964年 2RC146 新開発の4気筒マシン。

 
 1965年は、再びスズキのアンダーソン選手がチャンピオンを獲得。Hondaは、前年の改良型4RC146をタベリ選手に託しますが、マシントラブルなどで一度の優勝も無く、ランキング5位と低迷。躍進目覚ましい2ストロークのスズキ、MZ、ヤマハに対抗するためには、さらに高回転まで回る5気筒という多気筒マシンの開発が求められたのです。
 この年の最終戦となる日本GP(鈴鹿サーキット)に、5気筒のRC148を初投入。このエンジンは、50ccの4ストローク2気筒のRC115と同じボア・ストロークを有していました。タベリ選手は、2位でゴールし、戦える手ごたえを感じたのです。

RC115
1965年 50cc 2気筒 RC115。
RC148
1965年 125cc 5気筒 RC148。

RC149
1965年 日本GP 125ccクラススタート、#8 RC148とタベリ選手。

 
 1966年、RC148を改良したRC149は、タベリ選手のライディングにより、5勝を挙げて見事チャンピオンを獲得したのです。進化が目覚ましい2ストロークエンジンに対抗するために、究極の多気筒エンジンを開発せざるを得なかった背景がありました。
 1967年、HondaはWGPのワークス活動を250、350、500の3クラスに絞り、125と50の2クラスから撤退したのです。それに伴い、125ccクラスを得意としてきたタベリ選手も惜しまれながら引退。RC149もタベリ選手とともに、1966年を最後にWGPを走ることはありませんでした。
 Hondaの至宝RC149は、1年限りのシーズンでしたが、ライダー&メーカーチャンピオンに輝き、永く語り継がれる名車となりました。

RC149
1966年 RC149 (カウルを外した広報写真) 。

Honda 公式YOUTUBEでRC149の走行映像を見ることができます。
125cc 5気筒エンジンのエキゾーストノートを堪能ください。
2015年8月 動態確認テストより
https://www.youtube.com/watch?v=94UHHmV3yD0


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2024/11/20掲載