虚構ではけっしてなしえない、事実であるがゆえに人の心を強く揺さぶるドラマがある。だからこそ人々はスポーツに魅力を感じ、贅言を要しない現実のできごとに強く惹きこまれるのだろう。
2020年開幕戦カタールGPは、各種各様の事実の積み重ねが決勝レースのチェッカーフラッグという焦点に向けて集約されていく、そんなレースウィークだった。
全体の大きな後景になったのは、世界じゅうに広がる新型コロナウィルスに対する漠とした不安の蔓延と、検疫体制の流動的な変化だ。
各方面で既報のとおり、ウィーク直前にカタール当局がイタリアからの入国者に対して14日以上の隔離措置をとり、検疫水準のハードルを上げたため、MotoGPクラスのレースはキャンセル。プレシーズンテストから国内に滞在していたMoto2とMoto3の2クラスで、レースが開催されることになった。
この段階では、ふだんはサポートレース的な位置づけのこれら両クラスのみの開催に対し、イベントの矮小感を抱いた人々も少なからずいたにちがいない。もちろん、二輪ロードレース世界最高峰に君臨するのがMotoGPであるのはまちがいない。Moto2はそこへの昇格を狙う選手たちが鎬を削る登竜門、そしてMoto3は世界選手権を走り始めて間もない若者たちが互いに切磋琢磨し技術と心身を磨いていくジュニアクラス、というカテゴリーだ。
だが、これら両クラスにも、もちろんそれぞれの醍醐味はあり、Moto3の大集団バトルやMoto2の緊張感に充ちた戦いを、この機会にさらに多くの人々に周知されるようになれば重畳、というのがおそらくレース主宰者やチーム関係者たちの思いではあっただろう。そしてじっさいに、日曜の決勝ではMoto3クラスの熾烈なバトル、そしてとくにMoto2クラスの劇的な展開に、レースを観戦していた人たちはまちがいなく魅了されたことだろう。
とはいえ、Moto2クラスの選手たちはMotoGPのトップライダーたちほど世の中にそのキャラクターが広く周知されているわけではなく、各チームの特徴なども熱狂的なファンを除けばおそらくそれほど認知されてはいない。
Moto2クラスがスタートしたのは2010年。この年以降、中排気量クラスのマシンは2ストロークエンジン250ccから、ホンダ製600ccのワンメークエンジン(2019年以降はトライアンフ製765cc)とダンロップのワンメークタイヤという仕様で争われることになった。
この年の開幕戦カタールGPで優勝したのが、当時19歳だった富沢祥也だ。世界選手権250ccクラスにフル参戦を開始した初年度の結果は、10位が2回、というベストリザルトで、けっして目立つ成績ではなかった。しかし、スマートな学習能力とセンスのよい走りは評価が高く、目利きたちの間では高い注目を集めていたのも事実だ。そしてなにより、人好きのする愛嬌に富んだ性格は、パドック関係者の多くに愛されていた。
だから、彼のその高い資質を考えれば、中排気量クラスの技術仕様が変更になった2010年開幕戦に、圧倒的なペースで後続を引き離してMoto2史上初の優勝選手として歴史に名を残したのは、しごく順当な結果だったといっていい(じっさいに、次のレースではポールポジションを獲得し、トップ争いの末、2位で終えている)。
そして、レース後の優勝記者会見では、欧州のジャーナリストたちや現地カタールの記者大勢に囲まれて質問攻めに遭い、汗が残る上気した表情のまま笑顔を絶やさずに質疑に応じることになったのも、彼のキャラクターをじつによく反映する出来事だった。
そのMoto2初レースから10年を経た節目の年に(そしてそれは富沢の夭逝から10年後ということでもある)、少年時代から富沢とともに走り、その背中を追い続けてきた二歳年下の長島哲太(Red Bull KTM Ajo)が、あのときの富沢と同じように、ダークーホースのような位置からスタートし、誰よりも力強いペースでレースをコントロールして優勝を飾った。事実だけが演出しうる偶然だからこそ、このできごとは人々の気持ちを強く揺り動かしたのだろう。
長島も、優勝後の記者会見では多くのジャーナリストたちから祝福され、いくつもの質問を投げかけられた。そして、「トップに立ったあとのことは記憶が飛んであまり憶えていない」といって周囲を笑わせた。サインボードも見ず、残り周回数だけを考えてひたすら走り続けたと話すが、その状態でも、「びっくりするほど冷静で、転ぶ気もまったくしなかった」という。
「前のライダーを抜いていったときでも、バイクの走らせかたやラインが彼らと全然違っていたし、自分のほうにマージンがあったので、ムリせずに順位を上げていくことができました。『ここでブレーキしてこのスピードで曲がって、このタイミングで開ければこのタイムが出る』というすべての感覚がラップタイムとリンクしていて、限界まで攻めてもまるで転ぶ気がしなかった」
次のレースは予定どおりにアメリカズGPで開催されるのか、あるいは数戦キャンセルになって欧州ラウンドから始まることになるのか、世の中全体が流動的な現状では、先行きはまったく不透明だが、この優勝により、ライダーとしてさらにひと皮むけた、と長島は自覚している。
「この優勝は自信になったし、サーキットが違えばまた違う仕事をしなければいけないけど、データもしっかりと見返しながら、この感覚を自分のモノにできればさらにまだまだ行けると思います」
そしてMoto3クラスの決勝は、例によって例のごとく大混戦の展開になった。
ポールポジションスタートで優勝を期待された鈴木竜生(SIC58 Squadra Corse)は、終始トップグループを争いながら惜しくも表彰台には届かず、5位で終えた。敗因はブレーキレバーのアジャストミスと、最終ラップの位置取りだったようだ。
「ペースが悪くないのはわかっていたので、序盤から後ろのライダーとの差を見て、トップグループのライダーを減らそうと思ったんですけど、走りながらフロントブレーキのアジャスターを変えようとしたら、ホントはブレーキを離して奥で効くようにしたかったけど、アジャスターを逆に操作してしまい逆にどんどん近くなってしまって手前で効くようになってしまいました。でも、最後の3周まではうまく前に出ることができていたので、『よし、これで……』と思ったら、2コーナーでアウトから前のライダーを抜きにかかって、次の3コーナーではイン側になってしまい、外から被される格好でアクセルを閉じざるを得なくなって皆に抜かれ……、という惜しいレースでした。総合的には悲観する結果ではないものの、くやしい結果なので、次のレースもでもいい感じで走れるようにがんばります」
小椋藍(Honda Team Asia)は、チェッカーフラッグを受けたときは4番手だったが、ひとつ前の選手がトラックリミットを越えていたためにペナルティを受けることになり、3番手に繰り上がって表彰台を獲得した。
しかし、小椋自身にとってはどうにもスッキリした結末ではなく、表彰式後も釈然としない表情。
「4位で終わったレースで『はい、キミは3位ね』と言われてもよけいに悔しいし、超イヤですよ」
と、憮然とした口調で正直な気持ちを述べた。
「ラップタイムも遅かったし、回りの選手にまだタイヤがあるときに自分はバトルで苦しくて、皆のタイヤが終わってきたときにやっと自由に動けるようになってきたけど、それまで苦労したので、レース序盤でタイヤをうまく使えるように改善できれば、レース後半の自分の強さをもっと活かせると思います」
そして、
「まあでも、初戦は表彰台で終われると思っていなかったので、うれしいです」
と、まさにとってつけたような社交辞令的を付けくわえるところがいかにも小椋らしい。逆説的ないいかたになってしまうが、これが小椋の強さであり魅力でもあるだろう。
鳥羽海渡(Red Bull KTM Ajo)は14位。
「ストレートでは並ぶことさえできなくて、ブレーキングでも抜けなかったし、皆がミスをしないと順位を上げられない状況で、全然抜けなかった……」
と予選までの快調さから一転し、まったく思いどおりに走ることができなかった様子。同じくホンダからKTM陣営にスイッチした佐々木歩夢(Red Bull KTM Tech3)も、苦戦傾向で19位。
「ホンダからKTMの乗り換えにまだ苦労していることもあって、なかなか攻めきることができなかった。レース中に新たな問題も出てきたけど、これはレースをしてみないとわからないことだったので、ものすごく悔しい結果だけど、次のレースに向けていろいろ学ぶことはできました」
ルーキーの國井勇輝(Honda Team Asia)は18位。ハツラツとした気分で開幕戦のウィークを迎えたが、世界選手権の決勝レースを事実上初めて走る洗礼を受けた格好になった。
「皆の勢いが最初からすごくて、そこに焦りを感じてミスが多くなって順位を落とすレースでした。途中からバイクのことがわかってきて少しずつペースを上げて行くことができたんですが、そのときにはすでに遅くてトップグループから離れてしまい、厳しい、悔しいレースでした。特に序盤、タイヤがあるときにどこまで行けるかが重要だということを今日のレースで学びました」
もうひとりのフル参戦ルーキー山中琉聖(Estrella Galicia 0,0) も、低位の27番手スタートで苦しいレースになったが、ポジションを上げて20位フィニッシュ。
「スタート27番手というのが難しくて、前になかなかあがることができませんでした。序盤のスパートでうまくグループについていけなかったし、中盤もバトルをしてしまって攻められなかったのが敗因でした。ポイントを獲れなかったのは悔しいけど、スタート位置の重要さとタイヤマネージメントも学ぶことができました」
というわけで、悲喜こもごもの2020年開幕戦はひとまずこれにて以上。
世の中のこの状況では、第2戦が果たしていつ、どこにになるのか現状ではまったく未定だけれども、機会があればまたどこかでお会いいたしましょう。
【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」受賞。先日、書き下ろしノンフィクション『再起せよースズキMotoGPの一七五二日』https://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=11280」 が刊行された。