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MoToGPはいらんかね


新型コロナウイルスの影響により、世界中のレース再開時期が伸び伸びとなっている昨今、「MotoGPはいらんかね?」でも現地情報をお届けすることができません。MotoGPネタに飢えている読者の方もいらっしゃることでしょう。そこで、MotoGPを元年(2002年)から取材しているジャーナリスト・西村さんに各国のGPを総集編的に振り返っていただきました。今回の舞台はアメリカです。
●文・写真:西村 章

 本来なら……などと、レースの開催延期が次々に発表されるこの状況下でいまさら繰り言を述べてみても詮ない話なのだが、当初のレースカレンダーならばご存じのとおり、4月5日に第3戦アメリカズGPの決勝レースが予定されていた。いまは世界全体がスポーツイベント開催どころの話ではなく、どの分野の競技や選手権も再開の見通しがまったく立たない状態が続いている。とはいっても、先の見えない状態をただ嘆いたり鬱々とばかりしていてもしかたないので、そんな状況下で少しでも人々のお役に立てることはないか、なにか気散じになる話題を提供できそうなことはないものかと考え、ちょっとした雑文企画をスタートしてみることにした。

「そういえばこの会場ではあの年にこんなレースがあったよなあ」「そうそうこのサーキットはこういう場所にあるんだよ」といったよしなしごとを、会場や開催グランプリという切り口から振り返ってみる、題して〈MotoGPはいらんかね revisited〉を当初のレースカレンダーどおりに進行してみようか、というわけである。レースがまったく開催されないなか、少しでも皆様のひまつぶしの一助になれば幸いである。

 とはいいながら、過去のできごとをさいげんなく振り返りはじめるとそれはそれできりがないので、言及するのはひとまず4ストロークMotoGP化以降の時代、との縛りを作っておくことにする。

 というわけで、世の中がこんな状態でなければ開催されていたであろう第3戦アメリカズGPの開催地は、テキサス州オースティン郊外のサーキット・オブ・ジ・アメリカズ、各単語の頭文字を取ってCOTAと通称されている。コースデザイナーはセパンやアラゴン同様、ヘルマン・ティルケで、2012年に竣工し、MotoGPは2013年から開催されている。

 2013年といえば、MotoGPの排気量が1000cc化されて2年目のシーズンで、前年度のチャンピオンは、当時ヤマハのホルヘ・ロレンソ。開幕戦カタールではそのロレンソが優勝し、2位はチームメイトのバレンティーノ・ロッシ。そして3位表彰台を獲得したのが、この年に最高峰クラスへ昇格してきた当時20歳のマルク・マルケスである。

サーキット・オブ・ジ・アメリカズ(COTA)名物の展望台(左/上)。1コーナーイン側から見たメインストレート(右/下)。強烈な上り坂であることがよくわかる。

 余談になるが、このシーズンはアメリカ合衆国で3戦が開催されている。まずはこのアメリカズGP。そして7月に、カリフォルニア州のラグナセカサーキットで開催するU.S.GP。3戦目が8月のインディアナポリスGP。その名のとおり、開催地はインディアナポリス・モータースピードウェイである。

 この三会場のうち、ラグナセカは2ストローク時代(1988~94)を経て、2005年にMotoGPクラスのみの実施という形で再開された。中小排気量クラスは行われず、レースイベントはAMA(現在のモトアメリカ)と併催するかたちで2013年まで行われた。ラグナセカサーキットは、サンフランシスコから車で2時間ほど南下した渓谷地帯のような場所にあり、ジャズフェスティバルで有名な海際の街モントレーとやや内陸にあるサリナスを結んだ線のちょうど中間あたりに位置している。毎年7月の開催で、日本でいえば鈴鹿8耐のような“お祭り”感もあり、レースウィークは独特の雰囲気で盛り上がる会場だった。

 ラグナセカといえば、初年度の2005年にはこのサーキットを知り尽くしたニッキー・ヘイデンが圧倒的な速さを見せて独走優勝を飾ったのも懐かしい思い出である。左から右へ切り返しながら急激に下ってゆく名物コーナー・コークスクリューでは、ロッシとストーナーが2008年に後々まで語り継がれる熾烈なバトルを繰り広げた。そしてそのお株を奪うような形で、マルケスが2013年に同じ場所でロッシに対してまったく同じオーバーテイクを見せている。

 突き抜けるような青空、7月の強い日射しが差すわりに日夕の寒暖差が激しい気候、コースサイドに停めた観戦客のキャンパーの上にへんぽんと翻る星条旗、そして巨大なテントの仮設プレスルーム等々……、すでに7年も前に開催されなくなった会場だが、いまでも様々な風景の細部が鮮明に脳裏に浮かぶほど、印象の強い会場である。

 一方、インディアナポリスは1909年(日本でいえば日露戦争の5年後)に開設された由緒あるコースで、通称〈ブリックヤード〉の名でも知られている、いわばアメリカの歴史遺産のような会場である。インディアナポリス中心市街からはやや外れた場所にあるとはいえ、それでも充分に街なかの住宅地域に位置している。クルマで道を走っていると、市民総合病院を少し過ぎたあたりに突如この重厚長大な施設がいきなり姿を現すさまは圧巻で、やはり独特の偉容がある。そんな伝統と由緒のあるモータースポーツの聖地でありながら、なんとははしに大味で鷹揚な雰囲気もそこはかとなく漂っているところもまた、アメリカならではといっていいのだろう。

 MotoGPは、2008年から2015年まで計8回のレースが行われている。使用コースは、インディ500用のオーバルを一部使用しつつインフィールドを走行するコースレイアウトになっていたのだが、これがおそろしくフラットで、おそらく当時開催されていた全会場のうちもっとも起伏差のないコースだったのではないだろうか。

 開催初年度の2008年は、決勝日がものすごい強風に見舞われて、屋外の物販テントの屋根が吹き飛ぶような有様だった。28周で争われるMotoGPクラスの決勝レースも途中で赤旗中断になり、協議のすえ20周でレースが成立した。ロッシが優勝となりヘイデンが2位、ロレンソが3位、という結果になった。

 以降、この会場ではさまざまな選手たちが優勝を分け合ってきたが、マルケスが2013年に最高峰へ昇格してきてからは、インディアナポリスGPが終了する2015年まで、すべてのレースでポールトゥフィニッシュを続けた。とにかくマルケスは毎年やたら強かった、という印象ばかりが残っている。それはべつにこのインディアナポリスに限った話ではないのだが。

野営地のようなラグナセカのメディアセンター。

インディのコントロールタワーはプレスルームが最上階にあり、その下階は食事などが供与されるカフェテリアになっていた(左/上)。そのプレスルームをふらりと覗きに来た2009年の青山博一(右/下)。チャンピオン獲得が現実味を増してきた時期だった。

 さて、COTAに話を戻そう(ぺこぱ風に)。

 COTAはテキサス州の州都オースティン郊外に建設され、上記のとおり2012年秋に竣工した。オースティン空港は街の中心から見て南東部に位置するが、COTAはそこからさらに南東方向へクルマで15分程度走った野っ原のなかにある。

 テキサスとひとくちにいってもヒューストンやダラスなど大きな都市は数多く、Tボーン・ステーキやスタン・ハンセン、NASA、ケイジャン料理等々、いろんな名物や人気スポットがあるけれども、ここオースティンといえば、やはり音楽である。SXSWという巨大イベントも有名だが、空港で荷物をピックアップするバゲッジクレームには、ギターをかたどった張りぼての像がいくつも並んでいる。それくらい、オースティンの街そのものが〈音楽推し〉であるというわけだ。

 たとえばMotoGPの場合でも、レース前に流れるご当地紹介映像のアメリカズGP版ではかならずいつも、川のほとりにギターを携えた人物の銅像が映っているのだが、あれがテキサス出身のブルースギタリスト、SRVことスティーヴィー・レイ・ヴォーンである。2017年には、MotoGPのレースウィークと偶然にも重なる期間に、州立歴史博物館でSRVの特別展示が開催されていた。どういうきっかけでこの展示のことを知ったのか、細かな経緯はすでに忘れてしまったが、学生時代からのSRVファンとしては絶対に見逃せない希有な機会だったので、わざわざレース翌日にオースティンの街中までクルマを走らせて観に行った。それだけの甲斐が充分あった本当によい展示企画で、この催しを観ることができたのは、いまもちょっとした自慢である。閑話休題。

 レースに話を戻そう(ぺこぱ風に)。

 COTA初開催となった2013年は、最高峰クラス2戦目となったマルク・マルケスがポールポジションからスタートして優勝を決め、最年少優勝記録を更新した。そして、以後のレースでも数々の最年少記録を更新しながらシーズン終盤には史上最年少王者の座に就く。

 マルケスが図抜けた才能の持ち主であることはシーズン前から多くの人々がすでに予感していたとはいえ、「とんでもない才能が現れた」ことを広く世の中に知らしめたのは、このCOTAの勝利劇だったように思う。

 じっさい、この2013年第2戦は、ケーシー・ストーナー、ダニ・ペドロサ、ホルヘ・ロレンソ以外の選手が30戦ぶりに勝ったはじめてのレースになったのだから。

最高峰クラスデビュー2戦目のマルケス(左/上)。さすがに若い。そしてこちら(右/下)はMoto2クラス参戦2年目の中上貴晶。お隣は本田重樹氏。そしてこの年は、高橋裕紀もIDEMITSU Honda Team Asiaからフル参戦していた。

 ちなみに、このときのMoto3クラスで優勝したのはアレックス・リンス(さらに余談ながら、最後までリンスとバトルを続けて僅差の2位で終わったのが、マーヴェリック・ヴィニャーレスである)。最高峰クラスに昇格した2017年には土曜のFP3で転倒し、左腕を骨折して以後の数戦を欠場するというアクシデントにも見舞われた。しかし、昨年のレースでは、ロッシを相手に真っ向勝負のバトルを繰り広げて最後はキッチリと抑えきり、劇的なMotoGP初優勝を飾ったことは記憶に新しい。あれはいまからちょうど一年前の2019年4月14日。まさに禍福はあざなえる縄のごとし、である。

最高峰クラスデビューほやほや3戦目のりんちゃん(左/上)。そして談笑する鈴木竜生と長島哲太(右/下)。逆光でスイマセン。いずれも2017年の写真。

 記憶に残るそんな数々の過去のレースをさらに強烈な印象で上書きしてくれるような、そんなレースをふたたび目にできる日を一刻も早く取り戻せることを願いながら、いまはとにかく巣ごもりに徹し、ひたすらソーシャルディスタンシングの日々である。では、また次回。

【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」は絶賛発売中。


[2020年 開幕戦|第1回 アメリカ|第2回アルゼンチン]

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2020/04/13掲載