いやあ面白かった……、というとまるで呑気に見物をしていたかのような言い草であるが(いやけっしてそれを否定はしませんが)、2020年のセパンプレシーズンテストは、いろんな面で波乱含みのシーズンとなりそうな気配を濃厚に漂わせる三日間だった。
チャンピオン争いを巡るライダー間の戦力分布、各陣営のマシン開発状況と戦闘力、いずれの面でも、この数年はホンダとマルク・マルケスが圧倒的に優位な状態にあった。バランスという意味ではかなり彼らの側に偏ったままの静的平衡状態にあったわけだが、今回のテストではその均衡を崩しそうな要素がセパンサーキットのあちらこちらに芽吹いていた。
その筆頭に挙げられるのは、ファビオ・クアルタラロ(Petronas Yamaha SRT)の存在だろう。セパンサーキットの公式最速タイムはクアルタラロが昨年のマレーシアGP予選Q2で記録した1分58秒303なのだが、今回の初日に彼がトップタイムを記録した後に、ツイッターで「このテストで1分58秒の壁は破られると思いますか?」というアンケートを実施してみた。
「1-不可能、2-マルケス、3-クアルタラロ、4-その他」という選択肢の設定で訊ねたところ、1が9.2パーセント、2が8.3パーセント、3が62.4パーセント、4が20.2パーセント、という結果になった。有効投票数はわずか109なのでサンプル数が小さいとはいえ、「クアルタラロは一発タイムで誰よりも速いラップを記録する」と多くの人が考えているのだろう、というある種の傾向は見て取ることができる。このアンケート設問に対する現実からの回答はというと、三日間を通して最速を記録し続けたクアルタラロのベストは1分58秒349で、『ライトスタッフ』のチャック・イェーガーのように〈壁〉を破ってみせる、というわけにはいかなかった。それでも全日トップタイム、という内容は充分に驚異的だ。
そしてさらに指摘しておきたいのが、クアルタラロから1秒圏内に18名の選手が収まっている、というところ。10番手のジョアン・ミル(Team SUZUKI ECSTAR)でも、トップからわずか0.387秒差にすぎない。
ちなみに2019年は、最速タイム(ダニロ・ペトルッチ:1分58秒239)から1秒以内に入っていたのは12名。2018年はトップタイムがホルヘ・ロレンソ(1分58秒830)で、1秒以内は13名。今年のラップタイムが緊密に接近していることは、過去2年との比較でも明らかだ。
トップから0.5秒まで絞り込んでみよう。2018年と2019年はホンダ・ヤマハ・ドゥカティの3陣営のみがこの圏内に入っていた。ところが今年は、0.5秒に入った13台は、
という内訳で、6メーカーすべてがここまで接近したタイムのなかにひしめきあうことは過去に例がなかった。
もちろん、テストとレースはあくまでも別モノで、テストで好タイムを記録したからといっても、それはけっしてレースディスタンスを最後まで安定して高い水準のラップタイムを刻み続けることを保証するわけではない。だが、KTMとアプリリアの新興両陣営が少なくともタイムアタックに関する限り、上位コンストラクターと互角に近い水準に達している、ということは銘記しておいてもいいだろう。
とくにKTMは、テストライダーのダニ・ペドロサが二日目の走行でクアルタラロから0.090秒差の3番手、という驚くべきタイムを記録している。2020年型のRC16がエンジン・車体の両面で昨年から大きな進歩を遂げていることは、この事実からも明確に見てとれる。フレーム素材は従来同様にスチール製のようだが、形状は昨年までのようなチューブ構造ではなく、長型角材のようなデザインになっている。このモデルは昨年末のテストでもすでに投入されていたが、今回のセパンテストではさらにその改良型を数種類試していたようだ。また、昨年の車体では、カーボンスイングアームとのマッチングがいまひとつだったようだが、ニューフレームにしたことでその部分の相性も良くなっている。
「タイヤが落ちてきてもグリップがあってバイクが安定しているので、フィーリングはとてもよい」
とは、トップから0.261秒差の総合7番手で締めくくったポル・エスパルガロ(Red Bull KTM Factory Racing)の弁。エスパルガロによると、エンジンも全面的に性能が改善している様子で「パワーも向上しているし、制御もスムーズになっている。だからコーナーでも早く開けていくことができる」のだとか。ポルのベストタイムは1分58秒610。レースシミュレーションでも安定して59秒台前半を記録した。
「今日は14~5周走った中古タイヤで走って、59秒3から4で走れたので、正直なところ驚いている。ここまで仕上がりの良かったテストはいままでになかった。でも、レースとテストは違うから――たとえば去年のテストだと、ペトルッチがトップでバニャイアが4番だったけど、ふたりともベストのシーズンではなかったからね――、慎重に見極めながら次のカタールでもいいテストをできるようにしたい」
一方、アプリリアはというと、こちらもマシンを大幅に変更してきた。2020年型RS-GPのスペックは詳細が明かされていないものの、75度だったV4エンジンの挟角が90度へ変更されているようだ。エンジンが変われば、それに伴い車体面でも大きな変更が加えられているのであろうことは容易に想像がつく。エースライダーのアレイシ・エスパルガロ(Aprilia Racing Team Gresini)によると、「セパンテストに向けて搬出するギリギリまでノアーレで開発作業を続けていた」ということだが、その影響もあったためか、信頼性の面ではやや留保がつく、というところが正直な現状のようだ。レースを想定したロングランの最中に課題が生じたためにピットへ戻らなければならなかった、と走行終了後に明かした。
「レースシミュレーションは13周目までうまくいったんだ。残り7周になったところで、パワーが一気に落ちてきた。排気系に問題があったので停まらないといけなかったけど、これを発見できたのはいいことだと思う。59秒台で20周を走りきりたかったんだけど、まだ新しいバイクだからね」
そう話すとおり、ロングランを途中終了するまでは1分59秒6~7のタイムを安定して刻んだ。タイムアタックでは1分58秒694を記録し、クアルタラロまで0.345秒の9番手タイムにつけた。
「もしも明日がレースなら、表彰台を争えると思うよ。でも、ここでレースするまであと10ヶ月あるんだよね」
と、この人らしいポジティブな手応えを強調する一方で、今後の課題に向けては冷静で落ち着いた見方も示した。
「他のコースでどこまで走れるのかを、しっかりと検証したい。今までは10周ほど負荷をかけると必ずなにかが起こっていたし、完走もできなかった。だから、現在のプライオリティはとにかく信頼性。でも、できあがってまだすぐのバイクで58秒6を出して、レースシミュレーションもできたんだから、戦闘力はかなり上がっていると思うよ」
これらKTMとアプリリアの2陣営が、開幕後に果たしてどこまで上位陣へ食い込めるのか、ということに関しては、未知の要素が多い。とはいうものの、昨年以上に高パフォーマンスを発揮しそうな気配は濃厚で、優勝争いはともかくとしても、注目しておくと面白い攪乱項になることは間違いなさそうだ。
この新興2勢力以上に上位争いの脅威になるであろうことがほぼ確実な陣営が、昨年も高パフォーマンスを発揮したスズキだ。
2019年は2勝を挙げてランキング4位で終えたアレックス・リンス(Team SUZUKI ECSTAR)は、今回のテストを3番手タイムで締めくくった。トップとのタイム差は0.082秒。チームメイトのジョアン・ミルも0.387秒差で10番手。
両選手ともに、新旧車体の比較や数種類のエアロフェアリング等多くの項目を精力的にテストし、密度の濃いフィードバックを行えた模様。ホンダやヤマハ、ドゥカティ陣営のライダーたちは、ライバル候補について話す際に当然のようにリンスの名前を挙げており、そんなところにも、今のスズキの勢いが反映されているといえそうだ。スズキが前回にチャンピオンを獲得したのは2000年。それから20年後の今年は、スズキ株式会社の設立100周年で、グランプリ参戦開始から60年目という記念の年にあたる。その節目のシーズンにどこまで高いパフォーマンスを発揮するか、おおいに注目をしてみたいところである。
昨シーズン後半から復調傾向を見せつつあったヤマハは、今回のセパンテストが始まる前に、大型発表を行って話題を集めた。まずはマーヴェリック・ヴィニャーレス(Monster Energy Yamaha MotoGP)が2021年以降の契約を更改したこと、同年からクアルタラロがファクトリーチームへ加入すること。それに伴い、バレンティーノ・ロッシ(Monster Energy Yamaha MotoGP)がついにファクトリーチームから外れ、今後の去就についてはシーズン半ばごろまでじっくりと検討すること。そして昨年末に引退したホルヘ・ロレンソがテストライダーに就任したこと……と、まるで絨毯爆撃のような広報発表である。
今回のテストでは、冒頭でも述べたようにクアルタラロが連日トップタイムを記録。ロッシも最終日には0.192秒差の5番手で、現役継続に賭ける執念のようなものを感じさせる走りを披露した。一方、ヴィニャーレスは総合順位こそ18番手だったが、これは3日目にタイムアタックを行わず、マシンを仕上げることに専念した結果にすぎない。この日は誰よりも多い83周を走りこんで、レースシミュレーションでは決勝レースと同じ周回数の20周を実施。非常に高水準のラップタイムを連発した。昨年ランキング2位のアンドレア・ドヴィツィオーゾ(Duacti Team)やチャンピオンのマルク・マルケス(Repsol Honda Team)が揃って〈今シーズン警戒すべきライダー〉の筆頭として名を挙げている。ヴィニャーレスが、開幕に向けてもっとも順調に準備を進めている選手のひとりであることはまちがいない。
ところで、上位陣の選手たちがこれほどに接近した状況を生んでいる理由のひとつに、ミシュランの供給した新構造のリアタイヤがある。これは昨年のレース事後テスト等でもすでに選手たちによる実走検証が行われていたもので、このセパンとカタールテストを経て、今シーズン用タイヤとしてアロケーションに投入される。
このタイヤ評価について、哲人ドヴィツィオーゾは以下のように話している。
「変化に合わせなければならなくて、それはけっして簡単なことではない、というのがまず第一。第二に、最大リーンアングルでは(エッジ)グリップがあまりないけれども、トラクション(加速)エリアではグリップがかなりいい。コーナー進入の際に、リアが前を押す感じが去年とは違っている。それがある種の限界や問題を作り出すので、マネージが難しい。リアが前を押すとグリップがよくなる面もあるけれども、進入がちょっと難しくなる。でもまあ、うまく合わせこんでいけると思うけどね」
一方、フランコ・モルビデッリ(Petronas Yamaha SRT)は少し違う評価で、
「新しいタイヤはエッジグリップとドライブ(加速)グリップが両方ともすこしずつよくなっている」
と述べている。この新構造のタイヤは、旋回性を武器とするヤマハやスズキのマシン特性をさらに引き出しやすくする傾向があるようにも今のところ見えるが、次のテスト地カタールのロサイルサーキットで果たしてどのようなパフォーマンスを発揮するのか、ということも注視しておく必要があるだろう。
最後に、ディフェンディングチャンピオンのマルケスは、今回のテストでは12番手で終えた。といっても、トップのクアルタラロから0.423秒の差である。マルケスは昨年最終戦終了後の11月末に右肩の手術を実施。回復に向けて250時間のリハビリを行い、今回のテストに備えたが、期待していたほどには肩の調子が戻っていなかったようだ。2019年シーズンは、開幕前に脱臼グセのあった左肩を手術して、懸命なリハビリを行ったうえでセパンテストに臨んだが、そのときは三日間のスケジュールを終えてトップから0.931秒差だった。それでも開幕戦ではドヴィツィオーゾと最終ラップの最終コーナーまで僅差のバトルを続け、シーズンが終わってみると19戦中12勝、2位が6回、という圧倒的な内容でシーズンを終えた。今季も、昨年同様かそれ以上に厳しいリハビリを続け、開幕に合わせてきっちりと体調を仕上げてくることは間違いないだろう。ニコニコした表情の下で、常人には到底不可能な血のにじむような努力を平然とできてしまうのが、この人たちなのだから。
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」受賞。2月下旬に書き下ろしノンフィクション『再起せよースズキMotoGPの一七五二日』を刊行予定。
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