むかしむかし、20世紀の時代には「BB」といえばたいそうキレイな女優さんのことを指したそうである。いや少年サンデー連載の人気漫画だろ、という人もいるかもしれない。いずれにせよ、それも今は昔。いまどきのBBは、MotoGPに歴史を刻んだ髭面の好青年のことを指すのである。
ブラッド・ビンダー。2020年シーズンにRed Bull KTM Factory RacingからMotoGPクラスへステップアップしてきたばかりの24歳。おそらくこのコラムが更新されるであろう8月11日に、25歳の誕生日を迎える。彼が成し遂げた優勝劇の詳細については別のところに詳述したので、興味のある方はそちらをご参照いただきたい。
そこにも記したとおり、今回のビンダー優勝を明確に予測できた人はおそらくいなかったのではないかと思うが、彼が高い資質を備えたライダーであることはすでに衆目の一致するところであった。Moto3とMoto2時代にもその片鱗は十分以上に見せており、最高峰クラスに昇格した際も、日々の取材では多くのジャーナリストが彼を取り囲んだ。そんなところからも、彼に対する注目の高さは十分に窺えた。
とにかく、穏やかで謙虚、聡明な、いかにも長男長男した若者である。余談になるが彼の弟はMoto3クラスに参戦するダリン・ビンダー。こちらもまた、次男丸出しといった性格で、元気がいいのはいいけれどもレースではときどきバトルを引っかき回して自滅していくのが玉に瑕、という展開がちょくちょく見受けられる。
さて、南アフリカといえば誰しもすぐに想起するのはカワサキで活躍したコーク・バリントンだが、彼の場合は250ccクラス(1978、1979)と350ccクラス(1978、1979)でタイトルを獲得したものの、最高峰クラスのレースでは3位入賞2回(1981:NEL-FIN)が最高。また、ジョン・エクロルドが1980年に350cc王座に就いているが、彼の場合も最高峰では6位入賞がベストリザルト。つまり、ビンダーは彼の母国にとって39年ぶりの表彰台を、初優勝という最高の形でもたらしたわけだ。
そしてこの勝利はいうまでもなく、2017年シーズンから最高峰クラスへの挑戦を開始したKTMにとって、ついに達成した記念すべき初優勝でもある。ファクトリーチームのマネージャー、マイク・ライトナーは長年Repsol Honda Teamに在籍した人物で、そのRepsol Hondaで長年活躍したダニ・ペドロサが引退後の2019年からここでテストライダーを務めていることは、ご存じの方も多いだろう。
KTMのマシンRC16といえば鋼管トラリスフレームを採用してきたことでも知られているが、今年型の仕様からは、そのパイプ構造がいわゆる丸形鋼管から平打ち長型のような形状に変わっている。他にも様々な目に見えない変更が加えられているのだろうが、マシンポテンシャルは昨年型から今年型で長足の進歩を遂げているようだ。ビンダーは今回の優勝を遂げた後に
「昨年末のテストで最初に(RC16に)乗ったとき、『これは大変だぞ、すごく乗りにくい。たくさん乗り込んでかなりがんばらなきゃ』と思ったけど、セパンテストで新しいバイクに乗ったときはすごく乗りやすくて、別世界だった」
と述べている。
じっさいにKTM陣営は前戦アンダルシアGPでも、予選、決勝をつうじてまずまずの内容と成績だったが、今回のチェコGPではさらに高いパフォーマンスを発揮していた。ビンダーも予選Q1からQ2へ進んで勢いの良さを見せたが、それ以上に高い期待を持たせたのがエースライダー、ポル・エスパルガロの走りだった。
土曜の予選ではフロントロー2番グリッドに相当するタイムを刻んだものの、黄旗無視により2列目6番グリッドからのスタート。決勝レースでも序盤からトップグループにつけ、快調に周回を重ねていた。
「レースのペースが遅く、皆が1分59秒台で周回していたけれども自分は58秒台で走れたので、最後まで落ち着いて(トップを追い上げるチャンスを)待とうと思いながら走っていた」
ところが、10周目の1コーナーでヨハン・ザルコ(Esponsorama Racing/Ducati)と接触し、転倒を喫してしまう。
このときの状況は、エスパルガロがラインをはずしてワイド気味になり、復帰してきたところに、その隙をついてインに入り前に出ようとしたザルコと接触した、というのが大まかな経緯だ。
いわゆるレーシングインシデントの典型的な状況だが、レースディレクションはザルコに過失有りとしてロングラップペナルティを科した。
そのザルコがペナルティを消化しながらも3位表彰台を獲得した事実がさらに神経を逆撫でするのか、エスパルガロはレース後も納得できない様子を隠そうともしなかった。ザルコとの接触について振り返る際には、自制しながらも憤懣やるかたないといった口調で、
「あまり話したくないんだ。今は頭がカッカしている状態だから、あまりこのことについては触れないほうがいいと思う」
と述べた。
「自分のポテンシャルを示せなかったし、KTMの初優勝を自分の手で達成できなかったけれども、ブラッドがやってくれたので、心から祝福したい。彼はそれだけの技倆の持ち主だし、彼の優勝は(自分がKTMで積み重ねてきた)4年間の努力が報われたということでもある。でも、残念だよ。自分の手で達成できたかもしれないだけにね……」
2位はフランコ・モルビデッリ(Petronas Yamaha SRT)。前回のアンダルシアGPでは、表彰台圏内を確実に狙えそうなスピードと安定感を発揮しながら、エンジントラブルでリタイア。誰かに当たり散らしても不思議ではないほどの不運だったにもかかわらず、レース後には悔しそうな素振りをいっさい見せず、「トラブルはたしかに残念だけど、自分の力は発揮できたし、表彰台を狙える走りをできたのは良かったと思う」と、落ち着いた口調で話した。
このことからもわかるとおり、この選手、どんな場合でも言葉を荒げることなく、非常に紳士的な態度で人と接する性格なのである。その意味では、良くも悪くも喜怒哀楽をいつもハッキリ表に出すイタリア人らしからぬ人物、といってもいいかもしれない。とはいえ、けっして地味なわけではない。陽気だけれども穏やかで人当たりのよい性格、とでもいえばいいだろうか。
今回のレースウィークは走り出しから好調で、前戦で表彰台を逃した雪辱を今回こそ晴らしそうな勢いを見せた。土曜の予選は3番手。
「決勝用タイヤでは誰もフルディスタンスを走っていないので、レースではどこかのポイントで未知の領域に入ることになる。面白い展開になるだろうね」
そう予測していたとおり、決勝レースは多くの選手がタイヤマネージメントに苦しむ結果になった。モルビデッリはレース序盤に独走モードで後続を引き離したが、やがてビンダーが猛烈に追い上げてきてトップを奪われ、最後は2位でゴール。
「表彰台を獲れてとてもうれしい。ブラッドの素晴らしいレースを祝福したい。レース前半は自分のリズムでタイヤをマネージしようとしたけれども、10周経過したあたりからタイヤが厳しくなり、あとはひたすら全力で走った」
とレースを振り返った。
モルビデッリはこれがMotoGP初表彰台。チームにとっては、3連続表彰台である。
で、少し余談になるが、モルビデッリは今季の飛躍を目指して努力してきたことについて、自分の性格と絡めてこんなふうに話している。
「まあ、ぼくは真面目人間に見えるのかも知れないし、じっさいにそういう面もあるんだけど、家にいるときは(母方の)ブラジルの地が出るんだよね。その部分を抑えなきゃいけなくて、この冬はそこをコントロールしてパーティを控え、ひたすらトレーニングに励んできたんだ」
ザルコは昨年、KTMファクトリーをシーズン途中に離れるというゴタゴタがあって、レース以外のところでいろいろと話題になった人物だが、終盤戦には中上貴晶の代役としてLCR Honda IDEMITSUから3レースの代役参戦を果たし、ポン乗りでもそれなりに走ってしまうという高い資質を発揮してきたことは記憶に新しい。今年は2019年型のデスモセディチGP19での参戦だが、2020年型の最新スペックを操るファクトリー勢が苦戦するのを尻目に、しかもロングラップペナルティを受けるという不利な状況下にもかかわらず、3位表彰台を獲得した。
ポル・エスパルガロとの出来事の一部始終について、彼の側から見た説明は以下のとおり。
「ポルが後ろから自分を抜いていって、追い抜き返すチャンスを狙いながら走っていたら彼がワイド気味になってラインをはずしたので、インを狙って攻めていった。彼が転んだのかどうかは、わからなかった。ポルはブレーキが強いので抜くのは簡単じゃないんだけど、彼がワイドになってスペースがあったから入っていった。彼の側からは僕が見えなくて、結果的に(ラインが交錯して)接触することになったのだと思う」
そしてレース終盤のラスト2周には、アレックス・リンス(Team SUZUKI ECSTAR)が猛烈な勢いで追い上げできて、あわや逆転されるかとも思えたが、
「最終セクターでインを閉めて、なんとかうまく抑えきることができた」
という。
一方の猛チャージを見せたリンちゃんも、右肩に負傷を抱えているとは思えない走りで
「最後の2周は速いペースで行けたので(ザルコを)抜こうとしたけど届かなかった。表彰台で終われればうれしかったけれども、4位で今日はOK」
と振り返った。
土曜の予選を終えた段階で、今回のウィークは鎮痛剤を使用しているのかどうか訊ねたところ、
「金曜と土曜の走行では使用しなかったけど、明日の決勝では使うと思う。序盤は何も使わなくても大丈夫だろうけど、10周目以降くらいから先はきっと厳しくなるので、痛み止めがあればコンスタントに走れると思う」
と話していたのだが、今回の結果は期待以上の大健闘、といっても差し支えないだろう。
痛み、といえば、中上貴晶(LCR Honda IDEMITSU)についても触れておきたい。
4位に入った前戦アンダルシアGPの決勝レース終了後、右足裏にできた大きな水ぶくれをSNSで公開していたが、その足裏の状態は今回もけっして芳しくはなかったようだ。
前回のハイパフォーマンスで大きな注目を集め、今回もウィークを通じて高い水準の走りを披露していた中上だが、決勝は17番手スタートという後方グリッド。しかし、スタートをうまく決めてポジションアップに成功し、そこから先もオーバーテイクを続け、最後は8位でチェッカー。
数字だけ見ればやや地味にも見えるが、内容は上々と言っていいだろう。今までの中上なら、低グリッドスタートになればそのまま後方で揉みくちゃにされて終わってしまう展開が多かったが、今回はこれまで以上に貪欲に前を狙い続けたことがレース結果からも見てとれる。おそらく、前回から取り組んでいる、特にブレーキング面でマルク・マルケスのライディングスタイルを取り入れる試みがうまく噛み合ってきたことの証だろう。
ただ、その代償が右足裏の水ぶくれという形で表れているのは、それだけ大きな変化を自分に課していることの表れなのかもしれない。
バイクやブーツに緩衝材や断熱材などを使用する等、なんらかの工夫を凝らしていたのかどうかをレース後の中上に訊ねてみた。
「セッションごとに、ブーツの中にスポンジを入れてみて、その厚みを変えたりして調整したのですが、あまり効果はありませんでした。FP等では連続周回が数周程度だからともかく、20周を超えるレースではかなり厳しかったですね。レース中はアドレナリンが出ているのでなんとでもなるんですが、(レースを終えた直後の)今はとても痛いです」
苦笑交じりに言い、こう付け加えた。 「バイクは確実に良くなっています。いまの課題は自分の足なのですが、次のレースまで時間がないので、チームと対策をしっかり考えて臨みます」
中小排気量クラスに目を向けると、Moto3で小椋藍(Honda Team Asia)が3位を獲得した。開幕からここまでの4戦で3回表彰台に上り、ランキング2番手につけている。次戦以降もさらなる活躍を期待したい。
というわけで、今回はここまで。次戦は今週末のオーストリアGP。レッドブルリンクを舞台に、果たしてどんなドラマが繰り広げられるのか。社会的距離を保ちながら見守ることといたしましょう。ではまた来週。
【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」は絶賛発売中。
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