熱狂の二週間が終わった。子供時代からの夢だったというダカールラリーに初参戦したダニロ・ペトルッチ(TECH 3 KTM FACTORY RACING)は、このレースで良くも悪くも多くのことを学んだようだ。今回のダカールで最も人気と注目を集めたひとりが彼であることは間違いないだろう。ペトルッチのレース内容や日々の走りは、インスタグラムへの彼自身の投稿などを通じて多くのファンが詳細を把握していた。あんなふうにラリーレイドの魅力を伝えた選手は、ひょっとしたら過去にはいなかったかもしれない。
それにしても、波瀾万丈の展開だった。スタート前にジェッダで行われたPCRテストでは新型コロナウイルス陽性と判定(後に偽陽性と判明)され、ステージ2では電気系トラブルにより未完走(「ぼくは燃料より電気を食うんだよね」と本人は笑うが)で大きく順位を落とした。その後、ステージ4では3番手で終えたもののタイムペナルティ加算。だが、ステージ5で初めてのステージ優勝を達成した。後半戦でも数々のトラブル等に見舞われた。ゴール手前数キロの地点でリアサスペンションのリンケージが故障。転倒して岩に左手を打ち付ける事態も発生した。だが、最終日まで走りきってフィニッシュラインを通過。山あり谷ありの2週間を経て、最後は総合90位という結果で初めてのダカールを終了した。
「本当にくたびれた。今後数日は、ダカールのことは何も聞きたくないくらいだね。左手首の怪我は、2014年にイオダで走っていたときに怪我をしたのと同じ場所で、レース人生が終わるかと思った。幸い骨折には至らず挫傷程度で、手術もしなくてすみそうだ。体じゅうがどこもかしこもボロボロだよ。12月のテストで右足首を骨折して、左の膝、右肩、左手首と肘……全身怪我だらけだ。でも、本当に不思議だけど、ぼくのバイクには次々と問題が起こるのに、他のKTMの選手たちには何も起こらなかったんだ」
―あなたがダカールでここまでの走りを見せるとは、KTMのトップをはじめ誰も思っていなかったようですね。有名ライダーが最初の数日に顔見せ程度に少し砂漠を走って後は帰ってしまう、という程度に捉えていたようです。でも、実際はそれどころか多くの人を驚かせて注目を一気に集める存在になりました。
「子供の頃からダカールを走るのは夢だったんだ。サンタクロースに、MotoGPとダカールのビデオをください、とお願いしたこともあったよ。両親は、自分の子供がサンタに何をお願いしたのか知っていたみたいだけどね」
―MotoGPでもダカールでも、優勝を達成しましたね。
「トビー・プライスにペナルティが科された(註:これによりペトルッチが繰り上がりのステージ優勝となった)と聞いたときには、思わず涙が出てきたよ。最初に頭に浮かんだのは、献身的に支えてくれた両親のことだ。子供の頃から、このスポーツで夢をかなえるんだという目標があった。MotoGPのチャンピオンになりたい、と思っていたけど、容易なことではないよね。でも一所懸命に努力して、ドゥカティで2回の優勝を達成した。そして今、ダカールでも勝つことができた。両方で勝利を達成したのは、今のところぼくだけだ。でもあの優勝は順風満帆な結果だったわけじゃなくて、ステージ中にラクダにぶつかりそうになってクラッシュしていたんだ。大事故になるかとも思ったけれども幸い立ち上がることができた。すると、ラクダが数メートル向こうに立っていて、こっちを見てるんだ。殴りつけてやろうかと思ったよ」
―MotoGPとダカールの両方を走った印象は?
「走行ペースが最大の違いだね。MotoGPでは、人間の限界を超えて45分間ずっと攻めまくる。自分の限界を超えなければ、とてもあのレベルで勝つことはできない。でも、その水準の走りをできるのはレースだけで、トレーニングのときにはとてもあんなペースでは走れない。一方、ダカールでは80パーセントの力で4時間ずっと走り続けなければならない。でも、2時間を過ぎた頃にはもう充分にヘトヘトになってる。これは本当にキツい。こんなにキツいなんて思ってもいなかった。想像もできないスピードで走りながらそれをやってのけるライダーたちは、本当の英雄だと思うね」
―怪我や数々のトラブルにも見舞われましたが、走っている最中はどんなことを考えていたんですか?
「自由、かな。バイクに乗ること、ぼくが望むのはただそれだけなんだ。燃料もタイヤの摩耗もエンジンも作戦も、何も考えない。この2年は、いつもそういったことに泣かされてきた。なにしろ体がデカいからね。でも、もう懲り懲りなんだ。自分は速く走れるいいライダーであることを示せたと思う。だから、ハッピーだよ」
―ファンの人々もきっと感動したと思います。
「そうだね。ぼくが参戦したことで多くの人たちがダカールラリーに興味を示してくれたようで、それがうれしい。皆で盛り上がれるいろんなことがあった。ありすぎたかもしれないね。なかでもうれしいのは、MotoGP時代のチームメイトや仲間たちがこの2週間ずっと応援してくれて、メッセージもたくさん送ってくれたこと。この2週間、ぼくはずっと思っていたことがあるんだ」
―何ですか?
「自分がダカールを走ろうと考えるようなバカでよかった、ってことさ」
―レースそのものは別として、今回のダカールで最も忘れがたい瞬間は何ですか?
「ステージ1の前夜。最初のリエゾンを終えて、夜はステージ1のスタート地点から数キロ手前の砂漠でキャンプしたんだ。その日は大晦日で、テントの中で寝たのはじつはこれが初めてだった。空がとても美しかった。寝っ転がったままテントから頭を出して、頭上の星空をずっと眺めていたんだ。すごく幸せな気分だった」
―ダカールは終わりましたが、次に踏み出す一歩に向けて準備は進んでいますか。
「MotoGPを終えたとき、次のプロジェクトのことを考えていた。今年は、ドゥカティのパニガーレでMotoAmericaに参戦することになった。パニガーレは、ぼくを成長させてくれたバイクだから、そのバイクで参戦するという意味でもとてもうれしく思っている。ぼくは、バイクが好きだからラリーに挑戦した。MotoAmericaも同じ。新大陸を発見しに行く気分だよ。チーム(Warhorse HSBK Racing Ducati New York Team)の本拠があるフィラデルフィアに引っ越す予定なんだ。31歳にして新たな挑戦だ。あと最後にひとつ言っておくと、ダカールは今後も挑戦するつもりだからね」
【パオロ・イアニエリ(Paolo Ianieri)】
国際アイスホッケー連盟(IIHF)やイタリア公共放送局RAI勤務を経て、2000年から同国の日刊スポーツ新聞La Gazzetta dello Sportのモータースポーツ担当記者。MotoGPをはじめ、ダカールラリーやF1にも造詣が深い。
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