第14回 カタログに見る「スクランブラーモデル」の誕生と変遷 -カワサキ編-
【難しいカワサキブランドの歴史】
カワサキの二輪車の歴史を調べますと、川崎重工業のホームページでは1953年に二輪車用エンジンを生産したのがルーツと紹介されています。
その後1961年にカワサキブランド第1号車「B7」が誕生。製造会社は、川崎航空機工業でした。
1989年に川崎重工業が、川崎航空機工業と川崎車輛を吸収合併。ここから川崎重工業製のカワサキブランドが始まります。そして、2021年10月に川崎重工業のモーターサイクル&エンジン事業は、新会社「カワサキモータース」が継承していくことになりました。カワサキブランドの二輪車が誕生してから60年。ホンダ、ヤマハ、スズキに比べると「若いカワサキ」であることが分かります。
では、本題のスクランブラーの歴史を紐解いてみたいと思います。
カワサキブランドの二輪車が誕生した2年後の1963年、兵庫県青野ヶ原で開催されたモトクロス大会に出場した「B8モトクロスマシン」が、1位から6位まで独占という圧倒的な強さを発揮しました。新しいブランド「カワサキ」を強くアピールしたのです。モトクロスブームとともに、赤く塗られたカワサキのモトクロスマシンは広く知られるようになっていきました。現代のモトクロスマシンのカラーは、カワサキがグリーン、ホンダがレッドですが、当時はレッドがカワサキのカラーでした。
1965年には、早くも市販モトクロスマシン「B8M(124cc)」、「J1M(82cc)」を発売し、ファン拡大を図っています。
「A1SSはオフロードも楽しめます」のコピーから想像すると、A1SSはオフロードで楽しめるイメージが弱かったのかもしれません。1970年には、早くもモデルチェンジされ、タンク形状が変わっています。豪快なアップマフラーは引き続き採用。250-A1SSは、これが最終モデルになりました。
【ストリートスクランブラーからトレールへ】
1969年、90ccクラスに「90-SSS」が新たに仲間入りしました。ロードスポーツの90SSをベースに、アップマフラーやブリッジ付ハンドルを採用したモデルです。
1970年には、本格的なオフロードモデルとして「90-TR トレールボス」が新登場し、時代はトレールに移り変わっていきます。
250ccクラスでは、「250-TR バイソン」が新登場します。ヤマハDT1、スズキハスラー250と同じく2ストローク単気筒エンジンを搭載したトレールモデルです。
カワサキトレールシリーズは、125-TR ボブキャット、350-TR ビッグホーンを加えて、1970年前半のオフロードシーンで存在感を高めていきました。カワサキのスクランブラーモデルは少なかったものの、個性的なモデルがその後のトレールシリーズにつながる役目を果たしたのだと思います。
【番外編】
国内販売モデルではありませんが、1968年に「W2TT」が輸出モデルとして登場しました。4ストローク2気筒 624ccエンジン搭載のカワサキ最大排気量モデルです。圧倒される迫力を持ったストリートスクランブラーです。国内で販売されていたら、どのような評価を受けていたのでしょう? そんな事を考えるのも楽しみの一つです。
1955年山形県庄内地方生まれ。1974年本田技研工業入社。狭山工場で四輪車組立に従事した後、本社のモーターレクリエーション推進本部ではトライアルの普及活動などに携わる。1994年から2020年の退職まで二輪車広報活動に従事。中でもスーパーカブやモータースポーツの歴史をPRする業務は25年間に及ぶ。二輪業界でお世話になった人は数知れず。現在は趣味の高山農園で汗を流し、文筆活動もいそしむ晴耕雨読の日々。愛車はホーネット250とスーパーカブ110、リードのホンダ党。