第13回 カタログに見る「スクランブラーモデル」の誕生と変遷 -スズキ編-
スクランブラーからモトクロスタイプに進化したスズキのオフロードモデル
1967年、スズキにとって初のスクランブラーモデル「TC200」と「TC250」が誕生しました。ともに、ロードスポーツモデルをベースとしたストリートスクランブラーでした。当時の250ccクラスは、カワサキがA1-SSを発売。ホンダはCL72を生産中止し、次期後継モデル「CL250」がスタンバイしていました。
スクランブラーの基本ともいえる、アップマフラーにブリッジ付アップハンドル、ブロックパターンのタイヤに可倒式のステップを備えていました。カタログには、「荒地を噛んでダイナミックに突っ走る超タフガイ車」の記述も見られますが、スタイリングはおとなしいイメージです。
1968年、スクランブラーシリーズとして、「AC50」「AC90」を発売。想定されるライバル車は、ホンダのCL50、CL90でした。
※カタログは個人所有のため、汚れなどはご容赦ください。
【ロードレース世界選手権への挑戦と成功による飛躍】
少し時代が前後してしまいますが、1960年代に国内メーカーが歩んだモータースポーツへの挑戦について触れたいと思います。
ホンダ、スズキ、ヤマハは相次いでロードレース世界選手権(WGP)に挑みました。挑戦によって培った技術でマシン性能を高めていき、量産車にもその技術を投入して飛躍的に発展しました。
スズキは、1960年にWGP 125ccに挑戦を開始しました。そして1962年、WGPに新たに組み入れられた50ccクラスにも挑戦し、見事初代世界チャンピオンを獲得。翌1963年には念願の125ccクラスのチャンピオンと50ccクラスの連覇を果たし、スズキ2ストロークエンジンの優秀性を世界に示したのです。
1967年にWGP活動から撤退した後には、今後の成長が見込まれるモトクロスレースに挑みます。日本国内では、カワサキとヤマハが優位に立っていましたが、スズキはいち早くモトクロス世界選手権(WMX)に挑戦しました。
1968年、250ccクラスにRH68で本格参戦を開始。翌1969年には、ペテルソン選手がランキング3位、メーカーランキングは2位を獲得。そして1970年、250ccクラスに於いて、ロベール選手が世界チャンピオンを獲得し、同時にスズキにメーカーチャンピオンをもたらしました。もちろん、WMXでは、日本メーカー初の快挙です。さらに1971年には、250ccクラスで連覇するとともに、新たに500ccクラスにも挑戦。ロジャー・デコスタ選手によってデビューイヤーで世界チャンピオンを獲得し、スズキの黄金時代が到来します。このような華々しいモトクロスでの活躍は、量産オフロードマシンにも大きな影響を与えました。
【スズキの自信作 ハスラー250が誕生】
1969年、モトクロスレースで得たノウハウを注ぎ込んだ「ハスラー250」を発売。同時に、モトクロスレースに出場できるように、豊富なキットパーツも用意されていました。そして、全国各地に「スズキオートランド」を設置して、オフロード走行を楽しめる環境を整える活動にも取り組んでいきました。
1969年は、スズキにとってハスラー250が一番の話題であったと思います。その陰に隠れるような存在になりましたが、同年発売の「TC120」は忘れてはならない意欲的なモデルでした。
もう一台、隠れた存在としてT250アップマフラーが1970年に発売されました。このモデルは、スズキ初のスクランブラーTC250の後継モデルの位置づけでした。
ロードスポーツのT250をベースとしたモデル。 “ラフ・ロード・マシン”のキャッチコピーですが、タイヤはオン・ロードタイプそのままですから、ラフロード走行は結構きつかったと思われます。250ccクラスのオフロードモデルは、ハスラー250の登場により、T250アップマフラータイプは短命に終わってしまいました。
【ハスラーシリーズのラインアップ強化】
1970年、ヤングライダー向けの「ハスラー90」が発売されました。ホンダSL90、ヤマハHT1、カワサキ90TRと、4メーカーが最新のオフロードモデルを投入して90ccクラスは活況を呈します。翌1971年には、「ハスラー50」「ハスラー125」をラインアップに加え充実化を図ります。
【製品総合カタログにみるカテゴリー分類】
1969年の総合カタログでは、オンロードもオフロードも「スポーツタイプ」として紹介されています。まだカテゴリーの区分けはされていませんでした。1971年の総合カタログでは、スポーツと「スクランブラー」のカテゴリーに分類されました。
GT750が近日発売となっていますから、1971年の9月以前に発行されたものです。スクランブラーには、ハスラーシリーズと市販モトクロスマシンTM400も仲間入りしています。このようにスクランブラーをカテゴリーとして明確に打ち出したのは、1年に満たない短期間と思われます。1972年の製品総合カタログでは、新たなカテゴリーに分類されました。
1975年当時の総合カタログでは、スポーツタイプは「GTシリーズ」に。モトクロスタイプは「ハスラーシリーズ」と市販モトクロスマシン「RM/RHシリーズ」に2分化されています。
ハスラーシリーズのカタログには、まだスクランブラーの記述がみられます。モトクロスのイメージは大切にしつつ、オンからオフロードまで自由に駆け巡るスクランブラーのイメージを大切にしたのだと思います。
1955年山形県庄内地方生まれ。1974年本田技研工業入社。狭山工場で四輪車組立に従事した後、本社のモーターレクリエーション推進本部ではトライアルの普及活動などに携わる。1994年から2020年の退職まで二輪車広報活動に従事。中でもスーパーカブやモータースポーツの歴史をPRする業務は25年間に及ぶ。二輪業界でお世話になった人は数知れず。現在は趣味の高山農園で汗を流し、文筆活動もいそしむ晴耕雨読の日々。愛車はホーネット250とスーパーカブ110、リードのホンダ党。