第12回 カタログに見る「スクランブラーモデル」の誕生と変遷 -ヤマハ編-
【トレール】から始まったヤマハのオフロードモデル
1962年、日本初のスクランブラーモデル「ホンダ ドリーム CL72」が誕生しました。当時の国内市場は、オフロード走行を楽しむことができるスクランブラーへの注目度がそれほど高いものではなかったようです。先鞭をつけたホンダでさえ、スクランブラー第2弾の「ベンリイ CL125」の発売は、CL72の発売から4年後の1966年でした。
1960年代の中頃になると、スクランブルレース(現在のモトクロス)が徐々に注目を集めるようになりました。ヤマハが国内市場に初めて投入したオフロード用モデル(公道走行車)は、「ヤマハトレール 100 L2-C」と名付けられ1967年に発売されました。ヤマハは「スクランブラー」という名称ではなく「トレール」という名称で日本の市場に新しい風を吹き込もうとしたのだと思います。
翌年1968年3月に「ヤマハトレール 250 DT1」が衝撃的デビューを果たします。モトクロスレースで活躍したマシンをベースに新規開発した自信作でした。迫力と流麗さを兼ね備えたスタイリングや、悪路走破性に優れた車体と2ストローク単気筒エンジンなどで、たちまちヒットモデルになりました。
そして1968年に、ヤマハ初のスクランブラー「ヤマハスクランブラー 125 AS1-C」を投入します。ヤマハにとっては、他社から発売中の「ストリートスクランブラー」に対抗する必要があったのだと思います。では、ヤマハのスクランブラーシリーズを中心にカタログで紹介いたします。
※個人所有のカタログのため、汚れなどがありますがご了承ください。
【1969年 ヤマハスクランブラーシリーズのカタログから】
【2年の短命に終わったスクランブラーシリーズ】
カタログで見るヤマハスクランブラーシリーズの歴史は、1968年に登場した125 AS1-Cから始まりますが、1969年までの2年間というとても短い期間で終了しました。 250 DS6-Cと350R3-Cは1年弱でカタログから消えてしまいましたので、とても希少価値の高いモデルになってしまいました。
その背景には、トレール 250 DT1の大ヒットが考えられます。市場の声は、ストリートスクランブラーよりも、オフロード走行を本格的に楽しめる高性能なモデルを待ち望んでいたものと思われます。
ヤマハもその声に応えて、全国に「ヤマハ トレールランド」を設置してオフロード走行の魅力を大いに高めていく活動を展開していきます。1970年代は、各社から本格的なオフロードマシンが続々と登場してファンの期待に応えていくのでした。
1955年山形県庄内地方生まれ。1974年本田技研工業入社。狭山工場で四輪車組立に従事した後、本社のモーターレクリエーション推進本部ではトライアルの普及活動などに携わる。1994年から2020年の退職まで二輪車広報活動に従事。中でもスーパーカブやモータースポーツの歴史をPRする業務は25年間に及ぶ。二輪業界でお世話になった人は数知れず。現在は趣味の高山農園で汗を流し、文筆活動もいそしむ晴耕雨読の日々。愛車はホーネット250とスーパーカブ110、リードのホンダ党。