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名車図鑑

バイクと出会って半世紀。子供の頃、バイクのカタログ集めに夢中になった山形の少年は、学校を卒業すると念願だったホンダに入社。1994年からは二輪広報を担当し、2020年定年退職するまで四半世紀、一貫して広報活動に従事した。バイクブームのあの時代からの裏も表も知り尽くした高山さんの視点でふりかえる、バイク温故知新の四方山話。それが「バイク・承前啓後(しょうぜんけいご)」。

第11回 カタログに見る「スクランブラーモデル」の誕生と変遷 -ホンダ編-

 公道走行用オフロードバイクのカテゴリーは、メーカー各社によって呼び方に違いがあります。
 ホンダの例では、スクランブラーに始まり、「モトスポーツ」「トレール」「ランドスポーツ」「デュアルパーパス」など、時代によって変化しています。
 しかしながら、各社に共通しているのは、1960年代に誕生したオフロード用バイクには、一時期ではありますが「スクランブラー」の名称をPRに使っていました。
 ホンダにとって初めての”スクランブラー”は、1962年に発売した「ドリーム CL72」でした。日本発売に先駆けて、アウトドアレジャーが盛んなアメリカに輸出していました。当時の社報には、ロードレーサーの技術とアメリカで数々のテストを行い完成した「ドリーム・スクランブラー CL72」という輸出車名が出てきます。

CB72
CL72
1960年に登場した250ccのスーパースポーツモデル「ドリーム CB72 スーパースポーツ」(左または上)。このCB72をベースにCL72(右または下)が開発されました。

 1962年に国内発売された「ドリーム CL72」。カタログを見る限りでは車名にスクランブラーは採用されていません。CL72専用のクレードルフレームに250cc2気筒エンジンを搭載。オフロード走行に適したサスペンションやブロックパターンのタイヤ、精悍なアップマフラーに加え、195mmの最低地上高を確保していました。そして、幅広いバー付アップハンドルやオフロードライディングしやすいタンクとシートなど、本格的なスクランブラー仕様としていました。
 また、レースに出場するためのスプロケットなど各種パーツも用意しレースファンの要望にも対応していました。305ccの「ドリーム CL300」も同時に発売されました。

1962年総合カタログ
1962年発行 ベンリイ、ドリームの総合カタログより。CL72は、山奥の工事現場でも活躍できるという新たな需要創造にもチャレンジしています。コピーに「本格的スクランブラー」が見られます。

 では、CL72が誕生した時代背景を少し紹介させていただきます。
 日本におけるスクランブルレースは、1950年代末頃に各地にある駐留軍基地内で米国軍人たちによって盛んに行われていたようです。1959年には、MCFAJの主催によって、スクランブルレースの発展形と言われるモトクロスレースが日本で初めて開催されました。当時の日本メーカーには専用マシンがありませんので、オフロードを走れるようにスポーツバイクを改造した車両で出場していました。
 ホンダは、1958年に発売したスーパーカブC100が大ヒット。1959年にはアメリカホンダを設立し、アメリカでの二輪製品販売に着手します。設立当初は全く売れない日々が続きましたが、バイクを使ったアウトドアレジャーの情報をいち早くキャッチしていました。
 1961年は、大きな動きがありました。

2月 (株)モータースポーツランドを設立。日本にモータースポーツを健全なスポーツとして定着させ普及を目指すために、多摩テック(東京都)や生駒テック(奈良県)の開業に向けた準備や、鈴鹿サーキットの建設といった大事業に取り組みます。現在の(株)モビリティランドのルーツです。

3月 米軍横田基地(東京・福生)で、モータースポーツ協会主催による第一回スクランブルレースが開催される。ホンダの社員ライダーも多数出場。

10月 多摩テックが開業。科学的な青少年向けの安全かつ健康的な娯楽施設として、モンキーバイクなどの遊戯物から、スクランブルコースも備えていたレジャーランドでした。
 
11月 スーパーカブをベースに55ccエンジン搭載のC105Hハンターカブを発売。レジャーにバイクを有効に使っていただくことを提唱したのです。

多摩テック
多摩テックの会場レイアウト図。全長1.5kmのスクランブルコースと2.8kmのトライアルコースが設けられています。

 このように、スクランブルレース(モトクロスレース)を主催する協会の活動やレジャー施設の開業など、オフロード走行をレジャーとして楽しむ機運が高まっていきます。
 当時は、舗装率がまだまだ低いレベルですから、日本の道路事情を考えるとスクランブラータイプのバイクの方が扱いやすいとも言えます。
 CL72の発売日はプレスリリースが発行されていないため正確には把握できていません。
 PR誌「フライング」の1962年4月発行号に、CL72の特徴が詳しく紹介されていることから、3月には発売されていたと想像できます。「CL」のネーミングの由来は正式に残っているものはありません。「C」は、Motorcycleを表す「C」なのですが、想像するとSCRAMBLERから「C」と「L」を取って「CL」と名付けた可能性もあります(私の勝手な想像ですが)。
 ドリーム CL72は、日本初の本格スクランブラーとして評価されますが、18万9千円という高価格では購入できる人は限られました。もっと手軽にスクランブラーを楽しんでいただくために、小排気量モデルにも力を入れていきます。
 ドリームCL72の発売から4年が経過しましたが、1966年6月には、ベンリイ CL125を、同年9月には、ベンリイ CL90を発売。1967年にはCL50を発売するなどラインアップの拡充に取り組んでいきます。
 では、小さい排気量から歴代CLシリーズをカタログで紹介いたします。

CB72
1968年CL50とCL65カタログ
1968年発行 ベンリイ CL50とCL65のカタログ。ロードスポーツのSS50をベースに、タンクやシート、ハンドル、タイヤをCL専用としていました。CL65は、二人乗りにも対応。

CB72
1970年CL50とCL70カタログ
1970年発行 ベンリイ CL50とCL70のカタログ。50は、タンクとシートを一新して精悍さをアップ。70は、排気量をアップして最高出力、最大トルクとも高めました。

1966年発行ベンリイ CL90カタログ
1966年CL90カタログ
1966年発行 ベンリイ CL90のカタログ。CS90をベースに、専用のタンク、シート、アップマフラーやタイヤなど、スクランブラー仕様にしたモデル。

1970年発行ベンリイ CL90カタログ
1970年発行ベンリイ CL90カタログ
1970年発行 ベンリイ CL90のカタログ。直立型エンジンを採用した、ベンリイ CL90の最終モデル。CB90をベースにCL専用部品で固めたストリートスクランブラー。

 当時の90ccスポーツは、オンロード、スクランブラーともにメーカー各社の性能競争が激しくなってきました。90ccは、維持費も安く高校生など10代の若者が注目する排気量帯でした。スクランブラーのカテゴリーでも、オフロードの走破性を競う時代になりつつあり、CL90のコンセプトでは優位性が確保できなくなっていました。
 そして「SL」ブランドの登場につながっていくのです。SLについては後述いたします。

CB72
1966年CL125カタログ
1966年発行 ベンリイ CL125のカタログ。CL72に続く第二弾のCLとして登場。CB125をベースとしたストリートスクランブラー。

CB72
1970年CL135カタログ
1970年発行 ベンリイ CL135のカタログ。CL125をベースに排気量アップで高速道路走行にも対応。ロードスポーツのCB135もラインアップされていました。

CB72
1970年CL175カタログ
1970年発行 CL175のカタログ。125ccクラスの軽快さに力強いエンジンを組み合わせた中間排気量帯。扱いやすさには定評がありましたが、当時は250ccの弟分のようなイメージがあり人気を得るまでには至りませんでした。

【スクランブラーの総合カタログから】

1970年スクランブラーシリーズカタログ
1970年スクランブラーシリーズカタログ

1970年スクランブラーシリーズカタログ
1968年発行 スクランブラーシリーズのカタログ。CL72は、1967年に生産が終了し、250ccクラスのスクランブラーは、ドリーム CL250に引き継がれました。この時点では、50から350まで6車種のバリエーションとなっています。ドリーム CL250とCL350は、それぞれロードスポーツのドリームCB250、CB350をベースに、CL専用装備を施したストリートスクランブラーモデルです。

1970年スクランブラー総合カタログ
1970年スクランブラー総合カタログ

350SS
1970年 スクランブラー総合カタログ。各車のモデルチェンジに加え、CLシリーズのフラッグシップモデル「ドリーム CL450」が誕生して、ホンダのスクランブラーシリーズは完成されました。オフロード志向の高いユーザーは、ストリートスクランブラーを超えるオフロード走破性を求める傾向が強くなっていきました。

【オフロード性能を高めたSLシリーズの誕生】

1970年スクランブラーシリーズカタログ
1969年8月発行 ベンリイ SL90のカタログ
1969年8月発行 ベンリイ SL90のカタログ。「SL」という新しいブランドで登場したこのモデルは、エンジンはCL90の流用でしたが、車体は専用設計のダブルクレードルフレームを採用。タイヤサイズは、新たにフロント19インチ、リア17インチ(CL90は、フロント18インチ、リア18インチ)を採用。サスペンションストロークも高め、最低地上高はCL90に比べて55mmもアップした215mmを確保しています。アップ型のフェンダーやマッドガードも装備するなど、これまでのスクランブラーとは一線を画したオフロードタイプに仕上げられていました。同時期に発売されたベンリイ CL90と比較すると、その違いが分かります。

1969年8月発行 ベンリイ SL90のカタログ
1969年9月発行 ベンリイ CL90のカタログ。水平型エンジンとプレスバックボーンフレームの最終モデル。

1970年発行 ホンダ総合カタログ
1970年発行 ホンダ総合カタログ

1970年発行 ホンダ総合カタログ
1970年発行 ホンダ総合カタログ。「CL」のスクランブラータイプと「SL」のモトスポーツタイプに区分けされました。SL90は、直立型エンジンを採用したニューモデルにバトンタッチされています。初代SL90は、1年という短命に終わりましたが、それほど時代の変化は激しいことを物語っています。

 1968に登場したヤマハ トレール250 DT1は、日本はもとより世界にも衝撃を与えました。このマシンの登場で、本格的なオフロードマシンは、軽量でコンパクトな2ストロークエンジンでなければ成立しないとまで言われました。4ストロークメーカーとして躍進してきたホンダですが、オフロードマシン専用の2ストロークエンジンの開発をせざるを得ない状況となってきました。
 1970年代は、各社から意欲的なオフロードマシンが続々と登場するとともに、トライアルという新しいジャンルも誕生しました。
 スクランブラーは、日本の市場では1970年代にカタチも名前も変わり進化しました。
 時代は繰り返すと言われますが、ストリートスクランブラーのスタイリングとテイストは今の時代で再び脚光を浴びるようになりました。スクランブラーは、”承前啓後”にふさわしいテーマなのかもしれません。


高山正之
高山正之(たかやま まさゆき)
1955年山形県庄内地方生まれ。1974年本田技研工業入社。狭山工場で四輪車組立に従事した後、本社のモーターレクリエーション推進本部ではトライアルの普及活動などに携わる。1994年から2020年の退職まで二輪車広報活動に従事。中でもスーパーカブやモータースポーツの歴史をPRする業務は25年間に及ぶ。二輪業界でお世話になった人は数知れず。現在は趣味の高山農園で汗を流し、文筆活動もいそしむ晴耕雨読の日々。愛車はホーネット250とスーパーカブ110、リードのホンダ党。


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2021/08/18掲載