2025年全日本ロードレース選手権最高峰クラスは前年度チャンピオン岡本裕生(YAMAHA)が海外参戦し、ゼッケン1が不在の中、絶対王者と呼ばれた中須賀克行のチャンピオン返り咲きが期待された。だが、迎え撃つHondaの野左根航汰、Ducatiを駆る水野 涼、BMWの浦本修充ら強力なライバルは最新マシンで参戦。中須賀の駆るヤマハファクトリーマシンは10年目を迎えていた。ウイングレットを装着、ポテンシャルアップを図った。中須賀に今シーズンを振り返って貰った。
- ■文・佐藤洋美 ■写真:赤松 孝
開幕戦となった4月もてぎは水野が圧勝し、浦本との2番手争いを中須賀が制して2位。2戦目の5月SUGOは天候不順の難しい路面となるが、中須賀が強さを発揮し野左根、浦本を押しやりダブルウィンを飾った。3戦目、酷暑となった8月のもてぎは浦本がダブルウィンを飾り、中須賀は両レースで2位となる。9月オートポリスは、JSB1000以外は濃霧のために中止となり、そこで、地元の声援を受けた中須賀がダブルウィンを飾りタイトルを引き寄せる。
10月の岡山国際がタイトル決定戦となった。中須賀は1ポイントを獲得すればチャンピオンが決まる。予選は雨となり水野の速さが際立った。だが決勝は雨が上がり、2周目にトップに立つと後方に13秒以上のギャップを作って独走し今季5勝目。通算94勝目のチェッカーを受け、自身の記録を更新し全日本ロードレース選手権史上最高となる13回目のチャンピオンに輝いた。
鈴鹿8時間耐久には6年ぶりにファクトリーチームが復活、中須賀はMotoGPジャック・ミラー、WSBKアンドレア・ロカテッリと挑み、HRCと優勝を争い2位となった。
──2024年はチームメイトの岡本裕生選手とのタイトル争いとなりましたが、ケガの影響もあり、万全な戦いが出来ずにタイトルを逃したと考えているファンもいますが。
「何よりも準備が大事だと思っていて、レースは転倒もするし、その結果でケガもする。それも含めて準備です。昨年はそれが出来ていなかったということ。裕生は、そういったことも含めてトータルで力を発揮し、成長してチャンピオンになった。自分としては完敗した、負けたと受け止めています。だから今年は、そこに気を付けて、しっかり準備をしようと挑んだシーズンでした」
──Honda野左根選手、Ducati水野選手、BMW浦本選手との戦いになりました。新型マシンに対して、ファクトリーとはいえ10年目のマシンでの戦いでした。
「10年目とはいえ力のあるマシンだと思っていますが、ライバルに対抗出来たのはチーム力だと思います。今まで培ってきたデータを、いかに精査して、毎回変わるコンディションに合わせて行く。そこにしっかり合わせられたものが上に来るので、自分は総合力で勝っているのだと思います」
■シーズン前半戦
──開幕戦は、今季から装着したウイングレットの調整もあり、転倒もありの大変なレースでしたが、水野選手の速さが際立つ戦いでした。
「もてぎは寒い時期と暑い時期にあり、厳しい戦いになると予想していました。それと最終戦鈴鹿もキツいだろうと覚悟していました。開幕戦のもてぎは、去年と同じではダメだと、エンジンの特性を変えて挑んだのですが、それが上手く行かずに2位でした。水野選手が勝ちましたが、ここで浦本選手を押さえられたのは良かった。今年の戦い方としては、自分たちのパッケージで苦手とするサーキットでの失点を、いかに最小限で抑えられるかでした。確かに開幕戦は苦労しましたが、あれが精一杯でした」
──続く2戦目のSUGOは、不安定な天候で、路面コンディションが難しいものとなりましたが、きっちりとダブルウィンを飾り、中須賀選手の強さを印象つけました。
「水野選手がケガで欠場ということもありましたが、SUGOは勝ちに行くと決めたレースでした。確かに、コンディションは走ってみなければわからない状況でした。路面温度も下がって、レース1は前半にペースを上げ過ぎて後半に厳しくなりましたが、その中で野左根選手と良いバトルが出来ました。レース2は、レース1の教訓を生かして、しっかりレースを支配出来たと思います。勝つと決めて、それを実行できたことが、今季のタイトル獲得のキーポイントになりました」
──中須賀選手にとってSUGOは、これまでのレースではあまり良い印象がありませんでしたが。
「そうですね。今年は路面を張り替えたことで、ちょっとフィーリングが変わりました。皆もタイムを上げていましたが、その中でも自分は良いタイムを記録出来ていたので良い流れを掴めたと思います」
■鈴鹿8時間耐久
──鈴鹿8耐は、6年ぶりにファクトリー復活でした。
「全日本と鈴鹿8耐のマシンベースは変わりません。全日本マシンに、8耐マシンではライトが付いたりバッテリーが付いたりします。なのでベースがしっかりすることが大事、今年はウイングも付いたので、戦いながら鈴鹿8耐へ向けての準備をしていました」
──MotoGPのジャック・ミラー、スーパーバイク世界選手権のアンドレア・ロカテッリと組み、優勝候補として大きな注目を集めましたが、鈴鹿8耐のヤマハのプライベートテストで転倒してケガをしてしまう。
「あばら骨にひびが入って、背骨の11番を圧迫してしまい痛みがありました。これも自分の準備不足なので、表には出さず走ろうと決めました。ジャックやロカテッリと比べたら見劣りしたかなと思いますが、その状況で100%を出し切れたとは思っています」
──ケガをした時点で欠場は考えなかったのですか?
「走れたので、考えませんでした。ふたりとなったら、彼らもパフォーマンスを発揮できなかったと思います。やはり3人で戦う強みがあり、それをしっかり出せたと思います。彼らも自分のパートをしっかり走り、力を出し切る素晴らしい走りをしてくれました」
──会見ではふたりは、中須賀さんの助けがあったから、鈴鹿攻略が出来たと。
「あのマシンで鈴鹿を走るのはふたりとも初めてだったので、引っ張ったりいろいろやりましたが、すぐに超えて行きました。ライダーとしてのものすごいレベルの高さを感じました。自分が作って来たバイクを、同じセッティングでこんな走らせ方があるんだって、発見があり、自分にとってもプラスになり、意味のある8耐でした」
──体調が万全だったら、タイムアップを狙ったと思うと悔しさがあったのでは?
「もちろん、狙いたかった。でも逆に、彼らが伸び伸びできる状況になり、自分は自分の役割を、と割り切れたことで良いバランスになったと思います」
──ふたりは、中須賀選手のことを褒めちぎっていて、世界で活躍するふたりに尊敬されている中須賀選手のすごさを教えてもらったように思います。
「これまでも、歴代の8耐ライダーは自分の作ったマシンに文句を言わずに乗って、それに合わせてくれています。彼らも、そうでした。でも今回はテストでケガをしてしまい、ごめんと伝えたら、彼らは“お前はお前の仕事をしっかりしてくれればいい、俺らがその分を稼いでくるから”と言ってくれた。それがとても心強かった。その支えがあったから2回目も3回目も踏ん張ることが出来た。彼らを信用して、自分のやるべきことに集中できました。また機会があれば組みたいと思わせてくれたふたりです」
──HRCは7回ピットで、ヤマハは8回ピット、HRCは二人で参戦というハンデはありましたが、互角の戦いを見せた。
「6年前に比べて暑さも厳しくなり、タイムも上がる戦いの中で燃費の問題もあり、出来るだけ抑えて、計画通りに周回数をこなした。復活が決まって、6年前のチームはバラバラになっている状態から、急遽人を集めて以前とは違うポジションとなったスタッフがいても、本当によくやってくれたと思います。だから、最大限の結果としての2位だと誇りに思っています」
■全日本後半戦
──鈴鹿8耐よりも暑いと言われる第4戦もてぎ戦から全日本は後半戦に入りました。浦本選手が2勝を決め、連続2位となりました。
「BMWの速さはすでに開幕戦もてぎの立ち上がりからの加速の良さを感じていて、厳しい戦いになるとは覚悟していました。ですが、ここで両レースで2位に入れたのは、シーズンの流れとしては悪くない結果でした」
──オートポリスは濃霧で、JSB1000以外は全て中止、奇跡のように2レースが開催されて、ダブルウィンを飾りました。
「自分の戦いのために雨が上がり、神がかったように霧が晴れた。ここで行けと示されているようでした。レース後に、また霧がぶわぁーと濃くなった。ドライで走れたことも幸運で、ウェットは水野選手の速さが際立っていたし、中止となれば大きく流れが変わったと思います」
──岡山国際は1ポイントを獲得でタイトル決定となります。
「全部勝たなければと思っていたことで、無理をして転んでタイトルを逃した経験もあり、だんだん年齢を重ねたことで、トータルにシーズンを考えられるようになった。それは今年の鈴鹿8耐でもそうだし、しっかりポイントを考えてチャンピオンを決めようと挑んだレースでした。1周目からガツガツ行って、思い通りの展開でいい走りが出来たことで、今季、一番印象に残るレースでした」
──2位以下を完全に引き離す圧勝で、13回目のチャンピオンとなりました。
「安堵感が大きかったですね。自分の年齢のひと回り以上も下の若手と戦うために、どれだけ準備を重ねて乗り込んで来ているのかは見せることはないし、誰にもわからないことです。44歳で、これだけ長くトップを走り続けていることは、決して楽なことではないので、役目を果たすことが出来たと思えました」
──勝つことが当然と期待され、それに応えなければならない重圧はとても大きい?
「昔は勝てたことが嬉しかったが、今は皆が喜んでくれる。それが嬉しくて、皆の笑顔が見たくて頑張る気持ちが、ここ2~3年はより強くなっています」
──中須賀選手を支えているものは?
「自分を支えてくれる人がいることです。ヤマハにお世話になって、ここ20年、スタッフはほぼ変わらない。その人達の期待を裏切りたくない。お前がやるなら、俺らもついて行くって言ってくれるメンバーなので、そこが自分の核です」
──そこに、中須賀選手の強さがある。
「ヤマハ入りしたのが25歳と、決して若くはなかったが、いい意味でも悪い意味でも染まっていないと言われました。アドバイスを素直に受け入れて成長して来られたと思う。今も、若いライダーにガンガン聞いて、取り入れる姿勢は変わらない。時代のトレンドがあり、マシンも変わり、タイヤも変わる、その中で柔軟に対応すること、変わることを恐れずに挑戦して来ました。それをスタッフが支えてくれたと思います。ライダーは1年契約なので、評価してもらわないと来年はない。1年1年を大事に挑んで来たことの積み重ねが、強さと言えば強さなのかもしれない」
──中須賀さんの追っかけのファンも多いですね。
「自分がヤマハ入りした2006年から応援してくれるファンの方がいて、先日、定年したので一言書いてほしいと言われて、お仕事お疲れ様でしたと書いてサインしたら、応援することが自分の支えだったと号泣してくれて、そんな風に自分が走る事が、誰かのためになり、人に影響を与えることが出来るんだと思いました。そんな仕事をさせてもらえているのだと……。ヤマハで契約してもらえて、走らせてもらえていることに感謝しました」
──表彰台では、必ず天を仰いで天国のお父様に報告されている。
「父がいなければ、今の自分はない。子供の頃から、すごいライダーだと励まして支えてくれた大好きな父でした」
──来年は?
「ヤマハが契約してくれたら、これまで以上に進化した中須賀を見せられるように、準備したいと思っています。与えられた環境でしっかりやると言うのが自分のスタイルなので、一生懸命突っ走ります」
2026年の発表はまだ先だが、中須賀が懸命に挑むことには変わりはない。前人未到の13回もの最高峰王者に輝き、その勝利数も100に迫ろうとしている。レース界に名を遺す稀有なライダーの挑戦は、まだ終わらない。
(文:佐藤洋美、写真:赤松 孝)
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