Facebookページ
Twitter
Youtube

レース・イベント






2010年の鈴鹿8耐を勝利で飾りBSB(ブリティッシュスーパーバイク選手権)に戻るが、状況は変わらなかった。そんな清成が、WSBK第10戦イギリスにワイルドカード参戦する。結果は21位&16位で、チームは事の重大さに気が付く。優勝する力を持つ清成がポイント圏内にも届かないことで、チームはやっとバイクを見直す。そこから結果がついてくるようになる。
■文・佐藤洋美 ■写真:赤松 孝
■写真協力:清成龍一、チーム高武

■2010 BSB Three Time Champion

「いつもの癖で勝つかコケるかみたいなレースをしていて、中盤あたりから上がってきた。タイトル争いに残れていましたが、それもかろうじてという感じだったので、プレッシャーで眠れないんです。寝ると負ける夢しか見なくて……。お世話になっている大家さんにもイライラして当たるようになって険悪になり、部屋に閉じこもるようになっていた。頑張れよって励ましも聞きたくなくて嫌だった。イギリスの雨が降ったり止んだりするどんよりする天気でさえもうんざりで、気持ちが沈んだ。負けたくなかった、勝ちたくて、勝ちたくて、それしかなかった」
 最終戦にはランキングトップと15ポイント差の3位で挑んだ。上位6名のポイントを全員統一の500ポイントにリセットし、選手により厳しい状況でチャンピオン争いをさせるザ・ショーダウンというシステムのもと、清成は果敢な走りを見せる。
 極度の緊張感の中で行われた予選で、まさかのメカミス。ホイールを逆に組み、センサーがオフになり、走れる状態ではなくなる。
 さすがの清成も「ものにあたりたくなかった」が、バイクを蹴飛ばしてしまった。翌日には、メカが赤ワインを持って、清成に謝罪する。清成もバイクを蹴ったことを、謝り決勝を迎えた。
 このアクシデントをきっかけにチームはいい意味で絆が強まった。清成は「全部勝たなければチャンピオンはなかった。だから、めちゃくちゃ集中した」と3つのレースを制して大逆転でBSB3度目のチャンピオンに輝くのだ。

#清成龍一
#清成龍一
ちぐはぐなレースが続きフラストレーションも溜まっていた。だが、チームの絆は強まっていった。

 清成は3度目のチャンピオンに輝き、キングとしての名を取り戻す。
 大きな重圧から解放された清成のチャンピオン獲得パーティが盛大に行われた。支えてくれた仲間と飲んで、店を追い出されるくらいに騒いだ。ホテルのロビーに移動しても祝宴は続き、清成は素っ裸になり、ターミネーターの登場のシーンを演じる。素っ裸でしゃがむ姿に沸いた。この時から、清成のあだ名にターミネーターが加わった。

 BSBを走るライダーたちは清成を敬い、その栄光を称えた。チームメイトだったジョニー(ジョナサン・レイ)は、清成を兄のように慕った。鈴鹿8耐を訪れるBSBライダーは、清成への挨拶を欠かさない。「King Kiyo」の人気は絶大で、年間最低15回から20回のイベント参加は必須、それ以外にもレースウィークに行われるディーラーでのサイン会やトークショーがあった。レースとレースの合間には、泊まり込みのイベントにも呼ばれた。レースに集中したい清成にとって、イベント参加は楽しいものではなかった。今は「反省している」と言うが「とても不愛想でした。そういったファンの方やディーラーの存在が、自分を走らせてくれていると理解したのは、だいぶ後でした」と振り返る。
 柳本眞吾(チーム高武のメカニック)は「イギリスに行ったら、有名ライダーでしょう。立派な大人になり時代を作った」と清成を讃えた。TV解説者としても活躍するレジェンドライダーの辻本 聡も賞賛する。
「俺が認めるライダーは、青木拓磨、加藤大治郎、そして清成龍一だ。BSBには、多くの日本人ライダーが挑戦しているが、そこで成功したのは清成だけ。イギリスのコースの過酷さは知られており、天候不順なことでも有名。その時々で刻々と変化する路面で速さを見せつけてきた清成は、頭のネジが1~2本、外れていないとできない走りをしていた。先輩の伊藤真一や岡田忠之よりもすごいライダーだと思う」

#清成龍一
#清成龍一
最後の3レースを制した清成は、大逆転でチャンピオンを獲得した。

■2011 BSB

 清成は2011年もBSBに継続参戦する。この年家族とイギリスで暮らし始める。週末は家族と過ごしたいと願う清成にとって、イベントスケジュールは過密だった。現場スタッフとは良好だったが、オーナーとの関係がギクシャクし始めた。それでもタイトル争いを繰り広げるが、モトクロストレーニング中のケガで最終戦を欠場してランキング6位となる。4度目のタイトル獲得とはならなかったが、その存在感は変らなかった。

 この年の鈴鹿8時間耐久は伊藤真一・秋吉耕佑と組み、F.C.C.TSR Honda(CBR1000RRW)から参戦した。3月に発生した東日本大震災への配慮から、節電のため例年より1時間早いスタートとなり、酷暑のため消耗の激しい日中の走行時間が増えたこともあり、3名体制が主流となった。
 スタートライダーの清成はトップ争いを見せ、序盤に転倒はあったもののそれを挽回しトップに戻る。ヨシムラから参戦していた加賀山はこの時のことをよく覚えている。
「この年の清成は速くて、序盤で抜かれて5秒くらい差をつけて独走するんだけど転んで……それで俺がトップに立ち、その差は4から5秒に広がったのに、再スタートしたキヨにまた抜かれた。1スティントで、同じライダーに2度抜かれたのは初めての経験。この時の清成は危なかっしいくらい速かった。あいつが乗れている時は、次元の違う速さを見せる。そんな能力があるライダーなんだ」
 トラブルのピットインが2度あり、後退。それでもそのハンデを克服する清成は主導権を握り猛攻を見せ、4勝目の8耐勝利を飾った。

#清成龍一
#清成龍一
加賀山就臣をも唸らせた走りを見せ鈴鹿8時間耐久優勝。清成自身としては4度目の勝利を手にした。

 オフにはBSBの数チームからオフォーが入る。だが、清成の願う条件と合致するところではなく、引退を考えていた。そして、暴飲暴食がたたり吐血する。大事には至らなかったが、血を吐いてしまった衝撃は当然あった。清成はこれからのことを考えるために、沖縄に初めての一人旅に出た。
 この旅で、レースへの情熱がまだ自分の中に残っていることを知り、「初心を忘れちゃいけない」と思い直す。
 モトクロスの草レースに出た時に当たり前のように「勝負事って楽しい」と感じたこと、そして、バイクに乘る重要性を認識した清成は「チームオン」を作った。ライダーたちが自由に参加しオフロードトレーニングを実施、フィジカルを鍛えるチームだ。
 清成の自宅にはトレーニングルームがあり、ガレージにはオフロードバイクが並ぶ。バイクのメンテナンスは清成が担当して、いつでも乗れるようにスタンバイしてあり、徐々に台数も増やした。このチームオンには高橋 巧、浦本修充、大久保 光、山田誓己、水野 涼、岩戸亮介、作本輝介らが参加し、後に長島哲太も加わる。
「皆が休んでいる正月にやろうと、1月1日に集合して2日から走り始める。皆やりたくないだろうけど、勝ちたいならとことんやろうと1週間くらいの合宿から始まりました。共同生活の大切さを含めて、皆と切磋琢磨する時間は、すごく勉強になるんです。喧嘩したり、飲みすぎたりもありますが、自分と他のライダーの違いを知り、一緒にトレーニングをするとスキルも上がります。若い子のためでもありましたが、自分自身も学ぶことが多かった」

#清成龍一
自宅にはトレーニング用に揃えたオフロードバイクが並ぶ。「かなりの台数を処分した」と少し寂しそうに笑った。

 山田、浦本、作本は、清成家で暮らすようになる。常にトレーニングできる環境や、清成から学ぶことができることは、成長期のライダーにとって大きなメリットがあった。暮らすことはなくても、ライダーたちは時間が出来ると清成宅を訪れた。
 チームオンの活動は、清成がTOHORacingに移籍するまで、参加ライダーや日程を変化しながら継続された。
 浦本は「まだ小学生だった8歳か9歳でポケバイに乗っていた頃にチーム高武に行ったことがあり、その時に清成さんにサインをもらっています。それからハルクプロに入り、Hondaのトレーニングに参加した時の印象がめちゃくちゃ体力のある人。強靭で、絶対敵わないと思ったことを覚えています。自分を変えたくて清成さん宅で暮すようになりました。勝利への貪欲さ、気持ちの強さがあり、いつも真剣、負けるなんて絶対、考えない。その思いの強さを学びました。清成さんがいたから、今の自分があると思っています」と言う。
 チーム高武の後輩でもある作本は、チームを移籍すると清成宅に住み始めた。「チームオンに参加できることになった時は緊張しましたが、朝は6時起床、ランニングを終えてモトクロスバイクトレーニングやフィジカルの強化など、ローテーションを組んでくれました。いつも率先して皆を引っ張ってくれていました。アステモでのJSB1000のチャンスもTOHORacingへの移籍も清成さんのおかげです。一緒に鈴鹿8耐を走る事が夢でした。もう叶わないと思うと寂しいですが、結果を出して良い報告がしたい」と決意している。
 大久保は「イギリスに行った時には、清成さんが紹介してくれた方の家にお世話になるなど、清成さんからたくさんのサポートをしてもらいました。相談をすると、いつも自分のことのように考えてくれ、感謝しかないです」と語っている。
 多くのライダーがチームオンで走り、清成の影響を受け旅立った。

 2012年もBSB継続を考えていた清成に、Moto2参戦の誘いが来る。2003年は代役でMotoGP参戦したが、その時は突然だった。通常は国内レースでキャリアを積み、Moto3からMoto2、MotoGPへとステップアップする。清成は、もう一度そのステップを踏んで、MotoGP参戦を目指そうとした。
 その条件がアジアロードレース選手権(ARRC)に参戦しタイトルを獲得することだった。
 岡田忠之が監督となりロードレース世界選手権(WGP)に翌2013年から参戦する「Honda Team Asia」構想があり、ARRCでチャンピオンとなれば、ホンダスカラシップを獲得してMoto2参戦の約束が交わされた。岡田が清成をライダーとして信頼していること、玉田の助言もありホンダの上層部の人間とも会い、確約があった。

#清成龍一

■2012-ARRCチャンピオン

 ARRCは1996年に設立された。若手ライダー育成と、ここからMotoGPやWSBKへのステップアップを目指すことを目的としていた。清成はMuSASHi Boon Siew Honda Racing(CBR600RR)から参戦した。
 この密約は公表されておらず、清成のARRC参戦は関係者が驚く選択だった。
 ARRCのイメージは、前年度に藤原克昭(カワサキ)が参戦してタイトルを得ていたが、まだ地方選に近いレベルの大会だった。医療体制を含めトップライダーが参戦する環境が整っているとは言い難かった。だがバイクの売り上げは、アジア市場が活気づいていた。メーカーが注目する土壌だった。
 清成は、減量して大排気量を操る身体から600ccを操るために絞り挑んだ。開幕戦マレーシア大会で、藤原とのトップ争いを展開、両レースで2位となり存在感を示す。第2戦インドネシアでダブルウィンを飾り、ランキングトップに浮上する。

#清成龍一
清成と、2011年チャンピオン・藤原克昭の戦いだった。

 鈴鹿8時間耐久は、高橋 巧・青山博一とMuSASHiRT HARC-PRO(CBR1000RR)から挑んだ。チームからは清成に「優勝」の至上命令が下されていた。
「自分はアジア選手権を走っていて、WSBKのジョニーが来るのが分かっていた。ARRCが格下だと言うわけではないが、ジョニーの前を走る事で、自分を示したいと思った。そうしなければ、次はないと思っていた。ジョニーはBSBの可愛い後輩ですが、彼の才能を認めていた。だからこそ、勝ちたいと思った」
 路面温度が57℃を超える酷暑の中での戦いは、序盤にジョナサン・レイ/秋吉耕佑/岡田忠之組(CBR1000RR)と、清成龍一/青山博一/高橋 巧組(CBR1000RR)が息詰まる攻防を展開する。レイも秋吉も好調だったのに対し、高橋と青山はタイムが上がらす、清成の走行でトップに追いつく展開となる。だがら必然的に清成への負担が増えていた。清成は自分の走行の時に、首位の座を取り戻したかった。
 トップを行く秋吉が目に入った。追いつこうとした午後4時30分過ぎにデグナーカーブで清成が転倒し、マシンが大きく回転しパチンと音がして炎上したバイクが清成の上に落ちた。観客のざわつきと悲鳴が響いた。
 清成は起き上がり、やけどし煤で汚れた顔のまま、すごい形相で燃えたマシンに駆け寄り起こしてピットに戻ろうとした。この時、肋骨が折れ内出血が広がっていたことには気が付かなかった。

#清成龍一
#清成龍一
高橋 巧・青山博一と組んだ8耐で、どうしても勝ちたかったのだが……。

「ディスクも曲がっているし、パンクしているし、重たいバイクは思うようには動いてくれない。人生であんなに疲れたことはない。オフィシャルの人は、マシンに触ってはいけないのか手伝ってくれないし、もう息苦しく酸欠状態でした。南コースまで降りたら、オフィシャルが、ここにサインをと言って来た。何かなと思ったら、リタイヤ届だった。でも鈴鹿8耐は、自分でリタイヤを決められるほど、軽いものではない」
 清成はヘアピンを超え逆に戻り、ダンロップの内側を通りトンネル区間を通過しピットを目指した。鬼気迫る清成を報道陣が取り囲み、その間を縫うように清成はピットへと辿りついた。
 スタッフはマシンを修復しコース復帰したが、結果は41位だった。優勝はレイ/秋吉/岡田となる。
「トップの秋吉さんが見えて、一発抜いておかないと思った。ここで行かなければ優勝はないと思った」
 レース後にHRCがデータを解析すると、この時の清成の速さは異常で、マシンのポテンシャルを超える激走だった。勝てなかったが勝利へ渇望を示し、傷つきながらもマシンをピットまで押した黒焦げの清成の雄姿が多くの人の心を捉えた。
 後に清成にラブコールを送るTOHORacingの福間勇二監督は夢を見たという。
「この時の清成が一番印象に残っている。清成と鈴鹿8耐に参戦することが出来たら最高だ」(続く)

#清成龍一


[第4回|第5回]

2026/02/20掲載