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バイク承前啓後





高山さんのバイク承前啓後 第63回 「50年続くモトクロスのホンダレッド物語 =ワークスマシンから市販のエルシノアへ=」

 Hondaが製品に初めて鮮やかなレッドを採用したのは、1952年のカブ号F型までさかのぼります。赤いエンジンに白いタンクのデザインが好評を博しました。
 そして、本格的に車体色に採用されたのは、1960年のロードレース世界選手権(WGP)に参戦した125ccのRC143と250ccのRC161でした。ともに、ワークスマシンです。

#1952年 カブ号F型
1952年 カブ号F型。
#1960年 RC143
1960年 RC143。

 1960年代のWGPに出場したHondaワークスマシンは、レッドのタンクにシルバーのカウルで統一されていました。このカラーリングが、勝利に向けた熱い情熱やあくなき挑戦を表すものだったと思います。WGPでは、1966年に5クラスすべてでメーカーチャンピオンを獲得。翌1967年がワークス参戦の最後の年になりました。

 長くWGPから離れていたHondaですが、1969年のCB750 Fourの誕生により、ロードレースへの情熱が社内で高まってきました。1969年、CB750 Four発売直後に鈴鹿サーキットで開催された10時間耐久ロードレースで見事に優勝したCB750レーサーには、鮮やかなレッドが採用されました。
 1976年、Hondaは、ヨーロッパ耐久選手権に挑戦し、デビュー年でチャンピオンに輝きます。チャンピオンマシンRCB1000の車体色には、トリコロールが採用されました。1970年代以降のHondaのロードレースマシンには、トリコロールが多く採用されていきました。

#CB750 Four
1969年 本田技術研究所社員の隅谷守男選手と菱木哲哉選手組により、CB750 Fourを優勝に導いた。写真は、菱木哲哉選手。
#1976年  RCB1000
1976年 RCB1000。

【モトクロスへの挑戦】

 1960年代後半になると、ヤマハとスズキから高性能な2ストロークモトクロスマシンが発売され、海外はもとより日本でも人気を博すようになりました。
 4ストロークエンジンを得意としてきたHondaですが、モトクロスレースにおいては軽量でコンパクトな2ストロークエンジンが絶対的に有利と判断し、ゼロからの挑戦をスタートしました。
 1971年、メーカー名を明かさずに全日本モトクロス選手権にスポット参戦し、研究開発を進めました。翌1972年、Hondaの2ストロークのワークスマシン、RC250M(RC335C)は、吉村太一選手の手で優勝を勝ち取ります。このマシンに施されていたのがレッドでした。

#RC250Mを駆る吉村太一氏
#RC250Mを駆る吉村太一氏
2014年 本田技術研究所によって復元されたRC250Mを駆る吉村太一氏。全日本モトクロス選手権の会場でデモンストレーション走行をした時のものです。

 1971年当時のモトクロスマシンのカラーリングを見ますと、スズキは世界GPのチャンピオンマシンカラーのイエローを採用した市販車を販売し、イエローはスズキというイメージを確立していました。他のメーカーのモトクロスマシンのイメージカラーはまだ確立していない模様でした。
 ヤマハは、市販車のMX250にはシルバー基調のカラーを採用していました。カワサキは、1960年代は「赤タンクのカワサキ」と呼ばれていましたが、1970年代になるとライムグリーンを採用したトレールモデルが登場するなど、レッドのイメージは薄れていました。

#EICMA2024
1971年 スズキTM400。
#EICMA2024
1971年 ヤマハMX250。
#EICMA2024
1963年 カワサキ125 B8M MFJ主催の第1回兵庫県モトクロス大会125ccクラスで1位から6位を独占したマシン。この当時はレッドカラーがカワサキモトクロスマシンに採用されていました

【1973年 各社のイメージカラーが固まる】

 1973年には、ヤマハからホワイトのYZ125が発売されました。カワサキは、ライムグリーンの250MXを発売し、3社のモトクロスマシンのイメージカラーがそろいました。

#浅間ミーティング
1973年 ヤマハYZ125。
#浅間ミーティング
1973年 カワサキ250MX(型式KX250)。

【Honda初の市販モトクロッサーはシルバー】

 一方のHondaですが、全日本モトクロス選手権で初優勝した1972年には、早くも市販モトクロスマシンエルシノアCR250Mを発売しました。車体色にはシルバーが採用されました。スティーブ・マックイーンをCMに起用するなど、モトクロスファン以外にも大きな影響を与えました。
 1974年に発売したエルシノアCR125Mのサイドカバーとタンク上部にはレッドがあしらわれました。このマシンから、一部分ではありますが、レッドを採用したのです。

#1972年 ホンダ エルシノアCR250M
1972年 ホンダ エルシノアCR250M。
#1974年 エルシノアCR125M
1974年 エルシノアCR125M。

【全身をレッドに染めたCRが誕生】

 1976年1月、全身をレッドに染めたエルシノアCR125M-Ⅱが発売されました。

#浅間ミーティング
#浅間ミーティング
エルシノアCR125M-Ⅱは、タンクやフェンダーはもとより、フレームもレッドで統一しています。カタログには「強力なマシンは、精悍なレッド」のコピーが見られます。アメリカの資料では、タヒチアンレッドのカラー名称が確認できます。

 同年1月17日、このマシンのPRイベントが埼玉県のモトクロス場セーフティパーク埼玉で行われました。ゲストライダーは、1974年、1975年にアメリカのナショナルモトクロス選手権125ccクラスでチャンピオンを獲得したマーティ・スミス選手でした。
 スミス選手は、RSC契約の藤秀信、的場平、市川哲也、佐藤和夫各選手とともに、エルシノアCR125M-Ⅱでデモンストレーションレースに参加し、華麗なテクニックでトップフィニッシュしました。集まったモトクロスファンと報道関係者に、「強いレッドホンダ」の印象を強烈に与えました。

 1976年から本格的にスタートした、レッドカラーのモトクロスマシンは、数々の栄光を獲得し多くのモトクロスファンに愛用されました。
 次回は、ホンダモトクロスの祭典「レッドホンダミーティング」などを紹介しながら、赤いモトクロスマシンの
変遷を辿りたいと思います。

※スズキ、ヤマハ、カワサキ各社の写真は、ホームページのデジタルライブラリーにある写真を使用させていただきました。 


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2025/12/23掲載