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バイク承前啓後





第47回 カタログで見るスクランブラーから本格的なオフロードマシンへ=ヤマハ編 日本にトレールという名を浸透させた=

 
 1968年3月、日本でトレール250 DT1が発売されると、たちまち人気者になり「トレール」という名称が一気に浸透しました。DT1の登場で、日本におけるオフロードも走行できるスポーツバイクの主流は、スクランブラーからトレールへと移っていきました。
 ヤマハにおけるスクランブラーとトレールの関係を、カタログを交えて紐解いていきたいと思います。スクランブラーについては、承前啓後の第12回で紹介させていただきました。

 ホームページのヤマハヒストリー製品編を検索すると、ヤマハ初のスクランブラーモデルは、1966年に主にアメリカ向けに輸出したYDS-3Cでした。ロードスポーツモデルをベースに、アップマフラー、エンジンガード、アップハンドルやユニバーサルパターンのタイヤを装着したストリートスクランブラーでした。

YDS-3C
1966年 YDS-3C 輸出専用車 2ストローク2気筒 250cc 写真はヤマハヒストリーより。

 日本では、1967年に発売したトレール100L2-Cが、ヤマハにとって初のトレールモデルになりました。ホンダとは異なり、スクランブラーよりもトレールと名付けられたモデルを最初に発売したのです。

トレール100L2-C
1967年10月発行のカタログ トレール100L2-C。

 1968年3月発行のヤマハニュースでは、第2弾のトレール125 AS1-Cを紹介しています。この125 AS1-Cは、翌1969年にはスクランブラーシリーズにカテゴリーが変更されました。この経緯は、少し後で紹介いたします。
 そして、3月に待望のトレール250 DT1が発売されました。これまでのスクランブラーとは全く異なるスリムでシンプルなスタイリングと、格段に進化したオフロード走行の高さで、一躍ヒット商品になったのです。

トレール250 DT1
トレール250 DT1
1968年5月発行 ヤマハニュースの表紙は新登場のトレール250 DT1。

トレールシリーズ3車種
1968年5月発行 ヤマハニュースでは、トレールシリーズ3車種を紹介している。トレール100 L2-C トレール125 AS1-C トレール250 DT1。

 そして、5月にはトレール50 F5-Cを発売。続いてトレール90 H3-Cも発売されました。

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トレール50 F5-C
1968年5月発行のカタログ トレール50 F5-C。右はトレール90 H3-C。

 ヤマハは、DT1発売を機にヤマハトレール教室を全国で展開。トレールライディングの基本テクニックを身に着けてもらい、安全で楽しいトレールライフを送って欲しいとの願いでした。そして、モトクロスレースも開催できるヤマハトレールランドの建設にも着手し、健全なモータースポーツを提唱していきます。
 DT1は、モトクロスのベースマシンとしても活躍しました。1968年8月に開催されたMFJ全日本モトクロス選手権日本グランプリ大会のセニア250ccクラスにおいて、DT1を駆る鈴木忠男選手が優勝を飾りました。
 ヤマハは、トレールシリーズの充実を図るため1969年にはトレール125 AT1を発売します。
 一方、スクランブラーもシリーズ化を図ります。1969年2月発行のヤマハニュースでは興味深い記述が見られます。
 新製品のスクランブラーDS6-C(250cc)、スクランブラーR3-C(350cc)の発売に合わせて、トレール125AS1-Cをスクランブラー125 AS1-Cとして仲間入りに。125ccのトレールはAT1にバトンタッチしたと紹介されています。この時点で、ヤマハはトレールシリーズと新たなスクランブラーシリーズを明確に区分けしていくのです。

1969年 スクランブラーシリーズのカタログ
1969年 スクランブラーシリーズのカタログ
1969年3月発行のスクランブラーシリーズのカタログ 125 AS1-Cが仲間入りしている。

1969年3月発行のトレールシリーズのカタログ
1969年3月発行のトレールシリーズのカタログでは、125AT1を含め4車種に。100L2-Cはカタログに掲載されていない。
1969年6月発行の総合カタログ
1969年6月発行の総合カタログでは、スクランブラーとトレールが明確に区分けされている。

 1969年には、トレール175CT1を、1970年にトレール90HT1をラインナップに加え、シリーズを強化していきます。 当時の二輪ファンの志向は、ストリートスクランブラーではなく、本格的なオフロード走行も出来るトレールに移っていたと思われます。そのためか、1970年1月発行の総合カタログでは、スクランブラーシリーズが無くなっています。ヤマハのスクランブラーシリーズは、日本においては1年という短命に終わってしまいました。

 1970年、シリーズ最大排気量のトレール360RT1を投入して、50ccから360ccまで6車種のシリーズ化が完成したのです。

1970年1月発行の総合カタログ。
1970年1月発行の総合カタログ。
トレール360RT1
1970年3月発行のカタログ トレール360RT1。

 1970年、DT1は早くもモデルチェンジし車名をDT250に変更しました。パワーアップした5ポートエンジンは21PSを発揮しました。

トレールDT250
トレールDT250
1970年10月発行のカタログ トレールDT250。

 一方、50ccのトレールF5-Cの後継モデルとして、MINI FT50が誕生します。スタイリングは、DTシリーズの流れをくむ本格的なものでしたが、前後15インチの小さなタイヤサイズでコンパクトな車体にしました。気軽なレジャーバイクとして、そしてトレールランの入門バイクとしてたちまち人気者になりました。
 FT50と追加されたFJ60は、トレールシリーズではなく、ミニシリーズとしてレジャーバイクのカテゴリーに分類されました。そして❝ミニトレ❞の愛称でロングセラーモデルになりました。このバイクでオフロードの楽しさを知った人は大勢いると思います。

1971年5月発行のカタログ
1971年5月発行のカタログ トレールシリーズは、車名が変わりました。90ccのみHT1とニューモデルHT90の2車種がラインナップされています。

 トレールシリーズの拡販とモータースポーツの普及活動を目的に、ヤマハトレール教室の運営と各地にヤマハトレールランドを開設していきました。
 ヤマハトレールランドは、1970年10月時点で全国に40か所がオープンしていました。これらの活動を見るだけでも、ヤマハがいかにトレールシリーズとオフロードスポーツの普及に対して精力的に取組んでいたのかが分かります。

1971年5月発行のカタログ
1971年5月発行のカタログ 

 トレールDT250は、何回かのモデルチェンジを経た後、1977年に革新的なモノクロスサスペンションを採用して発売されました。モノショックサスペンションは、ヤマハがモトクロスマシンに採用して大成功を収めた技術で、ロードレースマシンにも採用されました。モノショックサスペンションでなければ、先進性をPRできないという時代になりつつありました。

トレールDT250
トレールDT250

トレールDT250
トレールDT250
1977年1月発行のカタログ トレールDT250 モノクロスサスペンションの解説が誇らしい。

 1968年に日本市場に投入されたトレール250 DT1は、1977年に大きく変革したDT250が最後のモデルになりました。
 1970年代は、2度のオイルショックによって、公道走行モデルは燃費の良い4ストロークに切り替えていく流れとなりました。そのような背景もあり、1980年には4ストロークエンジンを搭載したトレールXT250がDT250の後継モデルとして発売されました。コンパクトな設計で取り回しやすいトレールとして高い人気を誇り、このコンセプトは1985年発売のマウンテントレール セロー225に反映されました。セローは、排気量を250に拡大しながら35年もの間に多くのトレールファンを獲得しました。
 1968年から始まった250DT1のトレールファン拡大ストーリーは、2020年までの53年にも及ぶ壮大なストーリーであったと思います。

トレールXT250
トレールXT250
1980年 トレールXT250 ヤマハ初の4ストロークエンジンを搭載したトレールモデル 写真はヤマハヒストリーより。


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2024/05/14掲載