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エンタメ

第39回 =WGP 250ccクラス通算200勝の企画に携わる= 
初優勝は高橋国光氏、200勝目は高橋裕紀選手

 
 1979年からモータースポーツの普及とPRに携わるようになりました。
 当時の所属長は、プロ野球とオートバイレースを比較して、データ量の少なさについて問題提起していました。『野球には、毎試合何らかのデータ(話題)があるから、報道も書きやすいしファンにも喜ばれる。シーズン後半になると、首位打者とか打点王の話題が出てくるが、シーズン途中でも”高卒ルーキー投手で最速の5勝目”などデータの引き出しがとにかく沢山ある。オートバイレースもそれに倣って、話題になるデータを蓄えて発信しないとメジャーなスポーツとは見られない。そのことを常に考えて仕事をしなさい』 と、何度も聞かされました。
 当時担当していたトライアルは、まだ10年にも満たない歴史ですから、データの蓄積はほとんどありません。せいぜい”開幕3連勝”程度のニュースでした。一方、世界選手権ロードレースは歴史も長いし、1980年代、90年代の快進撃によって勝利数のデータも豊富になってきました。
 そして、2001年の日本GP(鈴鹿サーキット)でWGP通算500勝目を獲得することができました。500勝目に備えて、1年前からあれこれ企画を仕込んでいました。この時点で豊富なデータを分かりやすく整理して、カウントダウン体制に入っていたのです。
 私はほんの少しですが、データ作成のサポートに関わることができました。

開幕戦日本GP
2001年 開幕戦日本GP 500勝達成のロッシ選手とNSR500。

 
 2005年、WGPのPRに携わることになりました。最高峰クラスのMotoGPは苦戦が続いていました。このシーズンは、明るいニュースになりそうなデータを見出すことができなかったのです。2006年シーズンに入る前に、データを整理してみました。
『高山さん、今シーズンは250ccクラスで3勝すると200勝達成だよ。MotoGPクラスと比べると話題性は低いけど、企画する価値はあるね』と、メイン担当の芝田さんがつぶやきました。彼は、海外のGP会場を転々としていましたので、連携を取りながら進めることにしました。
 このシーズンのホンダは、250ccにRS250RWを投入。ライダー陣容は、セバスチャン・ポルト、青山周平、アンドレア・ドヴィツィオーゾ、高橋裕紀の4選手が体制発表で紹介されました。250ccクラスは、アブリリアに乗るホルヘ・ロレンソ選手が強く、ホンダ勢はようやく第5戦フランスGPで高橋選手がシーズン初優勝を獲得しました。
 第7戦カタルニアGPでは、ドヴィツィオーゾ選手が優勝。あと1勝で200勝です。第8戦のオランダGPでは、MotoGPクラスでニッキー・ヘイデン選手が優勝。ホンダは、最高峰クラス(500ccとMotoGPクラス)で通算200勝を達成したのです。

オランダGP表彰式
オランダGP表彰式 ヘイデン選手は200勝記念Tシャツで登壇。左は3位のダニ・ペドロサ選手。

 
 ホンダの200勝は、MotoGPに先行された形になり、話題性も低下すると予想されました。
 第10戦ドイツGPの決勝は、7月16日にザクセンリンクに9万人を超える大観衆を集め開催されました。ここで見事に優勝を飾ったのは高橋裕紀選手でした。

ドイツGP 髙橋選手
ドイツGP 髙橋選手
ドイツGP 高橋選手とRS250RW。

 
 WGPの250ccクラスでの初優勝は、1961年5月の西ドイツGPで高橋国光氏によるものです。そして200勝を達成したのは同姓の高橋裕紀選手で、ドイツGPです。これは、偶然のめぐりあわせなのでしょうか。早速、日本側で報道取材会を企画する事になりました。
 どちらの高橋さんも多忙なため、スケジュールが調整できたのは、1か月後の8月8日でした。青山本社で行った報道取材会では、高橋国光氏と高橋裕紀選手のインタビューと撮影を行い、1961年から45年をかけて達成した喜びを聞くことで、1勝の重さを再確認することができました。歴史的な空間に身を置くことができた幸運に感謝しました。

1961年 西ドイツGP
1961年 西ドイツGP
1961年 西ドイツGP #100 高橋国光氏、#107 ジム・レッドマン選手(右)。表彰式の高橋氏(左)。

WGP250ccクラス200勝達成報道取材会
2006年8月ホンダウエルカムプラザ青山にて開催されたWGP250ccクラス200勝達成報道取材会。初優勝のRC162とともに。
サイン入り色紙
ふたりの高橋氏のサイン入り色紙と記念ステッカー。

 
 WGPの250ccクラスは、2009年が最後のシーズンになり、ここで記録は止まりました。2010年からは新設されたMoto2クラスに移行となりました。しかしながら、WGPとホンダの歴史には、この200勝が刻まれたのです。
 こちらは、ホンダのホームページに残されている通算200勝の記念サイトです。国光氏と裕紀選手の対談があります。ぜひご覧ください。

高橋裕紀選手とのエピソード・2003年 鈴鹿8耐に仮面ライダー555(ファイズ) Hondaで出場し10位を獲得

 
 ホンダモーターサイクルジャパンの広報担当として、鈴鹿8耐に出場する仮面ライダーチームのPRに携わりました。ライダーに起用されたのは、若手で実績のある山口辰也選手と高橋裕紀選手でした。そして監督は宮城光氏という豪華メンバーによるチーム構成でした。
 ホンダウエルカムプラザ青山で報道発表会を実施した後は、レースウィーク中は帯同して取材対応をしていました。決勝では痛恨の転倒で完走が危ぶまれたのですが、メカニック達の懸命な修復とライダーの激走により10位を獲得することができました。
 この時、高橋選手は19歳になったばかりでした。レース経験は豊富でしたが、仮面ライダーという注目されるチームではそれなりに重圧を感じていたと思います。逆境の中でも懸命に追い上げる姿勢は見習う点が多かったライダーでした。

仮面ライダー555 Honda
2003年 鈴鹿8耐 仮面ライダー555 Honda 高橋裕紀選手とCBR954RR。

 
 高橋選手は、世界選手権250ccからMotoGPにステップアップ、そしてMoto2も経験しました。2023年シーズンは、全日本ロードレース選手権のST1000クラスで戦っています。すでに39歳という超ベテランの域に達していますが、常にアグレッシブな走りでファンを魅了しています。ずっと応援したいと思えるライダーです。

日本郵便 Honda Dream TP
2023年 全日本ロードレース ST1000クラス 高橋裕紀選手とCBR1000RR-R 日本郵便 Honda Dream TP。

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2023/10/10掲載