1970年代後半からナンバーワンメーカーの座を争ったHY戦争の真っ最中に登場した、スーパーウエポンRZに対抗すべく、ホンダは4ストロークメーカーの威信をかけて開発したVT250Fを1982年に投入した。作戦は見事に当たり大ヒット作となったのだが、さらに追い打ちを掛けるべく第2の矢も用意された。WGPにおいても4ストロークのNRから2ストロークのNSへとスイッチが成功したこともあり、ホンダ初の250cc2ストロークスポーツとなるMVX250Fが開発された。だが、MVXは急ぎすぎた開発による不評、発表時期の間の悪さ、悪い噂の先行などの不遇に見舞われ、営業的には失敗作となってしまった。その反省を生かし、本腰を入れて開発されたNS250R/Fが、ホンダ2ストロークスポーツの未来を開いた。
NR500に代わって活躍を始めたWGPレーサーNS500と同じ水冷V3エンジン(補機類スペース配置の関係でNS500とは逆の前2、後1気筒のレイアウト)は、RZを上回る40馬力を発揮した。しかし開発期間が短く、外装はVT系が流用されたこともあり、見た目のインパクトの新鮮みは欠けていた。さらにRZ-R、RG-Γと強力なライバルが間髪入れずに登場したこともあり、記念すべきホンダ初の2ストローク250スポーツモデルは、一瞬にして影が薄くなってしまった。
MVXの後継機として開発されたホンダ初の本格的な2ストロークレーサーレプリカモデル。1983年WGP500クラスチャンピオンをフレディ・スペンサーが獲得したワークスレーサーNS500のテクノロジーをフィードバックし開発された新設計90度V型2気筒エンジンは、シリンダー内壁をニッケル素地にシリコン・カーバイト粒子を分散した皮膜でコーティング処理したNSシリンダーを採用し、軽量化と耐久性向上を両立した。自動調整トルク増幅排気機構のATAC、トルク応答型アンチノーズダイブ機構のTRACやNSコムスター、フレームはアルミ材の角型断面パイプを使用したダブルクレードル。ノンカウルバージョンのFも設定されたのだが、わざわざブーメラン型コムスターやフレームをスチールとするなど差別化を徹底した。
1985年にフレディ・スペンサーがWGPの250と500のダブルタイトルを獲得した記念に、ワークスカラーのロスマンズカラー限定車が4000台限定で発売された。主要諸元に変更はない。価格はスタンダードモデルよりも1万円高い549000円。
[青春のQ2カタログ その7 YAMAHA 水冷編-1| その8 HONDA 水冷編-1 |その9 SUZUKI 水冷編-1]