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レース・イベント

●文:西村 章 ●写真:MotoGP.com

 テルマス・リオ・オンドでは、なぜかいつも予想外のことが起こる。過去にはライダー同士の諍いや、ひとりを除く全選手が大きく離れた後列スタートという珍事もあった。また、昨年2月には、幸いにも負傷者こそいなかったものの、ピットビルディングが火災で全焼する事態も発生した。

 今回は貨物未着という前代未聞の状況に始まって、一時はどうなることかとも思われたが、ベテランライダー、アレイシ・エスパルガロ(Aprilia Racing)が最高峰200戦目の節目で初優勝を達成。自らの偉業でアプリリアに最高峰クラス初勝利をプレゼントするという、このうえなくドラマチックな締めくくりで幕を閉じた。そんな波瀾に満ちた第3戦アルゼンチンGPの週末を、整理しながら振り返っていくことにいたしましょう。

 第3戦に向けて梱包と発送を済ませた各チームの貨物の一部が予定どおりに到着しないかもしれない、と囁かれ出したのは、たしか週の初めごろだっただろうか。前回の第2戦インドネシアGPを終えてロンボク島のパドックから順次送り出された荷物のいくつかは結局、金曜に走行を開始する刻限に間に合わず、週末の予定が大幅に変更されることになった。

#アルゼンチンGP
※以下、写真をクリックすると大きく、または違う写真を見ることができます。

 過去にも、さまざまな理由でセッションがなくなって予定が組み直されたことは何度もあった。たとえば、2006年のマレーシアGPでは、土曜午後がとんでもない豪雨になって、MotoGPクラスの予選がキャンセルになり、FP3までのベストタイムでグリッド順を決定した。翌2007年には、サンマリノGPとしてミザノワールドサーキットのレースが十数年ぶりに再開したが、その金曜正午頃にゲリラ豪雨に見舞われてピットボックスが水浸しになり、コースも文字通り川のようになって午後の走行が全クラスともキャンセルになった。雨といえば、2009年の開幕戦カタールGPでは、決勝日の夜に時ならぬ砂漠の豪雨でMotoGPクラスの決勝レースが翌日に順延になった、なんていうこともあった。

 2010年は、第2戦に予定されていた日本GPがアイスランドの火山噴火で開催が秋へ繰り延べ。もてぎでは、2013年の日本GPでも雨と濃霧で、緊急搬送の必要が生じた際のヘリコプターが飛べないという事態が発生し、金曜全日と土曜午前の走行がキャンセルになる、という出来事もあった。さらに、2011年のモーターランドアラゴンでは、配電盤設備がショートして停電したために金曜午後のセッションが中止になった。比較的最近の例だと、2018年のイギリスGPで、コースの水はけ不良で日曜の決勝レースが中止になったことをご記憶の方も多いだろう。

 とはいえ、これらはいずれも天災が原因だ(停電を除く)。荷物の未着で走行できないというのは、おそらく史上初の珍事だ。このような事態を招来してしまった理由は、新型コロナウイルス感染症が世界中に蔓延している影響で航空便の本数が全体的に減少している、ということがひとつ。そして、もうひとつの理由が、2月末から続くロシアのウクライナ侵略だ。

 木曜午後に急遽記者会見を行ったDORNA CEOカルメロ・エスペレータ氏によると、経済制裁などと関連してロシアの運行する国際貨物便が総じて20パーセントほど減っていることも影響したかもしれない、という話だった。ロシアによる理不尽な他国侵略は、巡り巡ってこんなところにも影を落としている、というわけだ。

 遅れていた貨物は土曜未明にサーキットへ到着。週末のスケジュールに大幅な変更を生じたものの、MotoGP、Moto2、Moto3の全クラスとも2回のフリープラクティスと予選をすべて土曜に行い、各セッション時間を延長することで対応を図った。

#カルメロ・エスペレータ氏

 この予選でポールポジションを獲得したのがアレイシ・エスパルガロ。

 冒頭にも記したとおり、兄エスパルガロは今回が最高峰クラス200戦目という節目のレースである。トップグリッド獲得は、2014年アッセン(Forward Yamaha)、2015年カタルーニャ(スズキ)に続き、これが3回目。予選を終えた兄エスパルガロは、チーム一丸となって少しずつ実力を伸ばしてきた成果を喜びながらも、「でも、これはまだ土曜日の結果にすぎないから」と謙虚な姿勢を崩さなかった。その一方では、日曜の決勝レースに向けて力強いレースペースを刻めている、と自信も覗かせていた。フロントロー2番手を獲得したホルヘ・マルティン(Pramac Racing/Ducati)も、兄エスパルガロのアプリリア初PPに祝意を表しつつ、相手の仕上がりの良さに警戒感も見せていた。

 日曜の決勝レースは、このふたりの一騎打ちになった。

#アルゼンチンGP

#41
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 マルティンがホールショットを奪って序盤から快調なペースで走行を続け、その背後に兄エスパルガロがピタリと張り付くという序盤から、ふたりが何度かポジションを入れ替えるトップ争いを経て、終盤には前に出た兄がホルヘを引き離しにかかり、1秒近い差を開いてトップでチェッカーフラッグを受けた。

 最高峰クラス200戦目という節目のレースでアプリリアのMotoGP初PPを獲得し、自身と陣営の初優勝を達成する、という歴史に残る極上の締めくくりだ。

 厳密なことを言えば、アプリリアが最高峰クラスでポールポジションを獲得するのは実はこれが3回目になる。最初は500cc時代の1999年、イタリアGP(原田哲也)で、2回目は翌2000年のオーストラリアGP(J・マクウィリアムス)。2002年にレギュレーションが一新されて現行のMotoGP時代になった以降では、今回が初めて、ということになる。

 そんなアプリリアの、MotoGPクラスの歩みを少し振り返っておこう。

 4ストローク990ccのMotoGP化に伴い、各メーカーがそれぞれ最新技術を盛り込んだマシンを投入するなか、アプリリアも初年度にRS Cubeという3気筒マシンを投入した。ライダーはレジス・ラコーニのひとり態勢で、翌年はコーリン・エドワーズと芳賀紀行、という陣容になった。古いファンなら、この年のドイツGPでバイクが炎上してエドワーズのレザースーツに着火した「テキサスバーベキュー」事件(?)を覚えている人もいるかもしれない。RS Cubeは野心的なプロジェクトではあったものの、前年度SBK王者のエドワーズと実力者の芳賀をもってしても苦戦が続き、結局、中小排気量クラスに注力するとして、この年限りで最高峰の参戦を見合わせることになった。

 そんな彼らが再びMotoGPへ戻ってきたのは2012年。2000年代後半に世界を覆った深刻な不況の対応として、MotoGPクラスには「CRT(Claiming Rule Team)」という市販車エンジンとオリジナルフレームで参戦する制度が導入されたが、アプリリアはその枠組みで参戦。当時のSBKで圧倒的な強さを見せていたRSV4をベース車両とする、ART、という名称で事実上の復活を果たした。

 CRTはオープンカテゴリーという規格にマイナーチェンジした後、2015年限りで終了。最高峰クラスはふたたび、純粋なプロトタイプマシンのみで争うカテゴリーに戻った。

 アプリリアはARTマシンの供給とともに、2015年からファクトリーマシンRS-GPで参戦を開始した。チーム運営は、ホンダを離れたグレシーニ・レーシングが担当し、そこにアプリリアレーシングのマネージャー、ロマノ・アルベッシアーノが帯同する、という形を取ることになった。

 このシーズンのアプリリアはシーズン中にライダーがころころ入れ替わる不安定な態勢だったが、そこに兄エスパルガロが加入したのは2017年。2015年と2016年に所属していたスズキからの移籍だった。

「あの頃はアプリリアに行こうとするライダーなんていなかったし、誰もこのプロジェクトを信じていなかった」

 と兄エスパルガロは、日曜の優勝後にこの当時を振り返っている。じっさいに、この時代のアプリリア陣営は結果を残せない厳しいレースが続いた。2017年の兄エスパルガロはランキング15位。獲得ポイントは一年を戦って62、という状態だった。翌18年はランキング17位で獲得ポイントは44。かなりの苦戦を強いられていたことは、これらの数字によく現れている。

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 その陣営に、2019年からはフェラーリのスポーツディレクター等を歴任してきたマッシモ・リヴォラが加入。アプリリア・レーシングのCEOに就任した。この当時、何かの折にアルベッシアーノに話を聞いた際、「それまではチーム運営と開発双方の面倒を見ていたので、会社で言えば人事部長と開発担当の両方を兼任していたようなものだったけれども、これでようやく開発に専念できる」と話していたことが印象的だった。兄エスパルガロも「3年前にマッシモが陣営に来てくれたことが大きな転機になった」と日曜のレース後に述べている。

 そしてここからアプリリアは地道に実力を蓄え、それがレース内容にも着実に反映されるようになってゆく。

 2020年の兄エスパルガロの成績はランキング17位だったが、21年はシーズンを終えて総合8位。トップとのタイム差も、20年まではいつも優勝選手に10数秒から30数秒という大差をつけられてゴールしていたが、21年には5秒や8秒程度のギャップに縮まってきた。そしてついに、第12戦イギリスGPでアプリリア初の表彰台、3位を獲得するに至る。

 と、このように、今回の優勝に至る彼らのひたむきな努力の道程を振り返ってくると、優勝のチェッカーフラッグを受けた直後の兄エスパルガロが、バイクを止めてそこにまたがったまま突っ伏し、しばらく動けないでいたことに、あらためて気持ちが揺さぶられる人もたくさんいるのではないかと思う。ウィニングラップを終えたパルクフェルメでは、駆け寄ってきた弟のポルと抱擁を交わし、かつて所属していたスズキ陣営の佐原伸一氏たちと健闘をたたえ合っていた姿も微笑ましい。


#エスパルガロ

 2位に入ったホルヘ・マルティンが、

「(家庭が裕福ではなかった自分に)様々な援助を施してくれた。彼のおかげでライダーとして成長し、成功することができた。今日の彼の勝利は本当にうれしい」

 と述べているところにも、アレイシ・エスパルガロの人柄がよく現れているように思う。

 あいつにこんなことをしてやった、こいつに力を貸してやったと声高に吹聴する俗物は世に多いけれども、兄エスパルガロの場合は、善行は黙って積むべし、ということを率先して自然に行うことができる人物なのだろう。喜怒哀楽をいつもハッキリと面に出す激情型の性格の持ち主ではあるけれども、その落差というか対比がいかにも彼らしい、という印象もある。

 そして、昨年の3位と今回の優勝により、アプリリアは計4点のコンセッションポイントを獲得した。ポイントの有効期限は2年なので、今シーズンのうちにあと2点、つまり2位を1回獲得するか3位に2回入れば、アプリリアはコンセッションを脱し、他の5メーカーと肩を並べて互角に争う陣営になる、ということだ。
 

#エスパルガロ師

#エスパルガロ
#エスパルガロ

 兄エスパルガロの優勝とマルティンの2位に続き、3位にはりんちゃんことアレックス・リンス(Team SUZUKI ECSTAR)が入った。これで2022年シーズンは開幕3戦の9表彰台をそれぞれ異なる9名のライダーが占めたことになる。さらに、現状のランキング首位は兄、2番手はブラッド・ビンダー(Red Bull KTM Factory Racing)。コンストラクターズランキングは、ドゥカティ、KTM、アプリリアが上位3位を占め、チームランキングではTeam SUZUKI ECSTAR、Red Bull KTM Factory Racing、Aprilia Racingという順になっている。シーズンはまだ序盤3戦を終えたにすぎないとはいえ、これらの順位は今後も続くであろう波瀾の戦いを示唆しているようで、なにやら興味深い。

 Moto2クラスでは、前戦インドネシアGPで初優勝を飾ったソムキアット・チャントラが2位に入り、小椋藍が3位。IDEMITSU Honda Team Asiaがチーム創設以来初のダブルポディウム、という快挙を達成した。昨年も活躍の萌芽を見せていた小椋は、日本のファンに限らず世界から集まる多くの期待にしっかりと応えつつあるが、チャントラにも同様もしくはそれ以上の注目をしたい。

 チーム監督の青山博一氏は天才型と評している。「遅いときにはなぜ自分が遅いのか理解できなくて、速いときにもなぜ速く走れているのかよくわかっていないタイプ」とやや苦笑気味に語るが、これはつまり、往時の阿部典史氏に近い、いわゆる感覚派のライダー、ということになるだろうか。前戦の優勝が大きな自信になって今回のトップ争いへつながったことは間違いないだろうし、前回と今回の連続表彰台がさらに追い風になって、今後もどんどん速さと強さに磨きをかけいくことだろう。そして近い将来には、是非ともタイ人初の最高峰クラスへと登り詰めていただきたい。

#IDEMITSU Honda Team Asia
#IDEMITSU Honda Team Asia

 Moto3クラスでは、佐々木歩夢(Sterilgarda Husqvarna Max Racing)が3位に入った。

 予選2番手でフロントロースタートの佐々木は、前戦インドネシアGPで他車を巻き込んで転倒したペナルティとして、今回はロングラップペナルティを科されていた。決勝レースでスタートを決めた後、2周目にLLPを消化。以後の19周で着実にポジションを上げてゆき、最終ラップ最終コーナーの攻防を制して3位に食い込んだ。クレバーな戦略を確実に実行できた結果の表彰台、といっていいだろう。

 開幕戦ではトップを独走していたにもかかわらず、カウルがはずれる不運なアクシデントでリタイア。第2戦目は上位グループで激しい争いを続けていたさなかの転倒。と、フラストレーションのたまる序盤2戦だっただけに、今回の3位で弾みをつけて、次戦以降は安定した好成績で逆襲に転じていただきたいものであります。

 さて、次戦は2週連続開催で大陸を北上し、アメリカ合衆国テキサス州オースティンの第4戦アメリカズGP。昨年は路面のバンプが選手たちを悩ませて、「これが補修されなければもうここでレースをしない」と皆がが口をそろえたほどでしたが、それが果たしてどうなっているかにも注目が集まるところですね。ともあれ次回は無事に機材が届くことを祈りつつ、今回はひとまずここまで。では。

#表彰台

【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と最新刊「MotoGP 最速ライダーの肖像」は絶賛発売中!


[MotoGPはいらんかね? 2022 第2戦 インドネシアGP|第3戦 アルゼンチンGP|第4戦アメリカズGP]

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2022/04/05掲載