第4戦スペインGPの展開は、大方の予想どおりだったであろう序盤の戦況から、中盤にはおそらく誰も想像できなかった意外な流れになり、そして最後は皆の胸に沁みる劇的でドラマチックな結末を迎える、という〈序・破・急〉を絵に描いたようなレースになった。波瀾万丈の激情というよりもむしろ心地良さが支配するこのハッピーエンド感は、おそらく、ジャック・ミラー(Ducati Lenovo Team)という選手の人柄によるものなのだろう。
そう、みんなのジャックが、ついにドライコンディションのレースで初勝利を達成したのである。
「ことばでは言い表せないくらい、ここまで本当に長かった……」
とレース直後に述べたとおり、彼は常々、ドライレースで勝ちたいと話していた。ミラーが初勝利を達成した2016年のアッセンは、今も鮮明に記憶している人も多いだろう。
あのレースは確かに印象的で、2015年にMoto3から飛び級で最高峰に昇格したことに対する口さがない批判を黙らせるには充分なレース内容だった。それ以降、2018年アルゼンチンでのポールポジションをはじめ、何度もフロントローからスタートし、優勝が目前まで見えていたレースもあったが、いつも惜しいところで勝利を逃して2位や3位で終えたり、あるいは転倒に終わることも少なからずあった。そんなときでも、レース後の彼はいつも前向きな態度を崩さなかった。
とはいえ、内心は心穏やかでない日もあったであろうことは想像に難くない。
ドゥカティファクトリーで戦う今シーズンも、ここまでの3戦は予選までトップクラスの速さを見せていたものの、決勝になると9位、9位、転倒、という結果に終わっていた。第4戦の今回はフロントロー3番グリッドからのスタート。予選までの段階で、一発タイム・レースペースともに他を圧する図抜けた速さを見せていたのは、前回と前々回に2連勝を達成したファビオ・クアルタラロ(Monster Energy Yamaha MotoGP)だった。
クアルタラロとミラーのパフォーマンスについて、土曜の予選を終えたときに「明日は序盤からファビオが抜け出してしまうと、かなり厳しい展開になると思う。ジャックが抜け出すなら、追いついていくことは可能だと思う」と話していたアレックス・リンス(Team SUZUKI ECSTAR)の言葉が、この段階での選手たちの状況と心境をよくあらわしている。
ミラー自身、序盤3戦の噛み合わないレース内容と結果には、おそらく自分でも忸怩たるものを感じていたのであろう。今回のレース後には「ここ数戦は(レース結果に)腹立たしかったり、ストレスが溜まったり、自分を信じられなかったりした」と明かしている。
そして、そんな状況でも精神的に支えてくれた人物として、ルーシー・クラッチローの名を上げた。
「ルーシーが『あんたはクソ速いんだから、できるにきまってるでしょ』って、かなりアグレッシブに激励してくれた。今朝もテキストメッセージを送ってくれた。そういう激励は本当に心強い。一日が終わると、どうしても自分を信じられなくなったりするものだから」
この日のレースは、序盤に独走状態を築き上げたクアルタラロが、中盤以降にいきなりペースを落とし、それまでの勢いがうそのように急速に順位を下げていった。
一方、後方に大きな差を開いて2番手を独走していたミラーは、クアルタラロを抜いてトップに立った後も安定して高水準のラップタイムを刻み続け、独走状態を最後まで維持してレースをコントロールした。最終ラップにはうねるような感情が押し寄せて、まるでジェットコースターのようだったという。
「1コーナーは信じられない気持ちだった。2コーナーでは涙が出てきはじめた。5コーナーになると叫んでいた。そこから先は、最後まで気持ちが入り乱れっぱなしだった」
クールダウンラップを終えてピットレーンのパルクフェルメへ戻る際には、Moto3時代に所属していたチームのマネージャー、アキ・アヨをはじめ大勢の人々が出迎え、拍手喝采と抱擁でミラーの優勝を祝福した。
「皆が喜んで喝采してくれているのを見ると、とても幸せな気分になった。いままでホントに多くの人が支えてきてくれた。皆に心から感謝をしている」
2位に入ったチームメイトのペコことフランチェスコ・バニャイアとドゥカティファクトリーの1-2フィニッシュを達成したことについては、こんなふうにも話した。
「今週はずっとTV(DORNAの公式映像)でスペイン選手権時代の映像が流れていて、それがとてもよかった。自分もペコも、スペイン選手権で初めて一緒に表彰台に上がったんだ。あのときのことは忘れられない。ぼくはいまと同じくらいの身長だったけど、あのとき何歳だったっけ(と、隣にいるバニャイアに訊ねる)。13歳、14歳? ペコはすごくちっこかったんだ。そのときいっしょに走っていたペコと、今はドゥカティファクトリーのチームメイトとして2021年のヘレスで表彰台に並んで立てている。本当にうれしいよ」
一方のバニャイアは、2019年にドゥカティサテライトのPramac Racing時代からチームメイトだが、友人でありライバルでもあるミラーの優勝について、
「明日の事後テストは大切なんだけど、今日のディナー(パーティ)は大変だと思うよ。2019年にジャックがオーストラリアで3位表彰台を獲ったときのパーティでは、彼が僕にテキーラを飲ませようとして、僕が好きじゃないと言ったらすごく怒ったんだ。だから注意しないと」
と、笑いながら祝福の意を示した。自分自身の2位という結果については、
「今回のリザルトはポルティマオよりもうれしい。ポルティマオのときは、バイクの状態がカタールと同じで、とてもよく機能してくれた。今回の場合は、いろいろと(セットアップに)手を加えなければならなかった」
と、長年ドゥカティに不得意とされてきたコースで得た今回の好結果は高い意義を持つ、と述べた。
「ジャックとファビオが良いペースで攻めていたので、自分は自分のペースでジャックとの差を少しずつ詰めていったけれども、終盤にはフロントが限界で、残り2周の7コーナーでフロントが切れてヒヤリとした。その後は、落ち着いてレースを終えることにした。今日はジャックの日。昨日も今日も、ジャックはとても良かった」
自分とミラーの走りの違いについては、「セットアップが全然違う」と述べた。
「自分はブレーキが強く、引き起こしも早いけれども、ジャックのほうが(コーナーの)進入速度は高いかも。乗り方はある種、正反対だと思う」
これに対してミラーは、
「彼は肩で乗って、おいらはケツで乗るタイプ。ミック・ドゥーハンっぽい走り方で、ペコのほうがもっと今風の乗り方かもね」
と、横からじつにわかりやすい補足を加えた。
バニャイアは開幕戦カタールGPと前戦のポルトガルGPでも3位と2位を獲得しており、今回で4戦中3回目の表彰台で、ランキング首位に立った。
「ハッピーだけど、ランキングをリードしているのは、いわば1時間程度のこと。これからまだ16戦もあるので、あまり考えすぎないようにしたい。チャンピオンシップのことを意識すると、きっと速く走れなくなってしまうだろうし。今日はファビオが苦戦したけど、それがなければきっと彼が勝っていたレースだと思う。その意味ではラッキーだけど、チャンピオンシップにはラッキーの要素も必要。とはいえ、シーズンは長いので、ランキングよりもいまは一戦一戦を大事に、集中して戦いたい」
3位はフランコ・モルビデッリ(Petronas Yamaha SRT)。周知のとおり、モルビデッリのマシン環境はヤマハ勢で唯一、最新ファクトリー仕様ではないスペックだが、それだけにヤマハで唯一気を吐いた今回のリザルトには充実した手応えを感じたようだ。
「限界以上でずっと走っていた。リスクをとってがんばった甲斐があった。勝ったのと同じくらいうれしい」
そう言って喜びを露わにするのも当然だろう。序盤に後方を走っていたバニャイアにオーバーテイクされたときの様子は、
「長いこと彼が自分のうしろにいて、ストレートであっさり抜かれたときは、まるで雷に打たれたみたいだった」
と表現した。
「その後は、がんばってついていった。オーバーテイクこそできなかったけど、最後には肉迫していって、ちょっとペッパーを振る(刺激を与える)ことくらいはできたと思う」
と話すと、すかさずミラーが横から、「振りかける程度? こうやってゴリゴリするんじゃなくて?」とグラインダーを捻る仕草でつっこんだ。
月曜の事後テストの内容について、モルビデッリがセットアップをいろいろ試したい、と話して
「新たに試すアイテムは別にないんだけど……」
と言うと、ふたたびミラーが
「そりゃそうだよな。2年落ちだもんな」
とすかさず合いの手を入れる。文字面だけでは茶化しているようにも見えるかもしれないが、これはむしろ、最新スペックではない仕様で大健闘するモルビデッリへの賞賛の意を込めたジョークであることは、彼らの表情からも充分に覗えた。
以上、三者三様の性格がことばの端々ににじむ、じつに和気藹々としたトップスリーのレース後コメントでありました。
さて、序盤にトップを快走していたクアルタラロだが、途中から大きく順位を落として最後は13位でゴールする、という惨憺たる結果に終わった原因は、すでに各所でも既報のとおり、腕上がりだったようだ。クアルタラロは2019年に腕上がりの手術を実施しているため、今回いきなり症状が出たのはまったくの予想外だったようだ。この事態に対してどんな対応を取るのか、レース直後の彼の話では、どうすればいいのかわからない、とのことで、感情と思考の整理がうまく追いついていない様子だった。
前戦ポルティマオで2連勝を達成し、「今シーズンはメンタル面のコントロールがうまく行っている」と話したが、前回の当欄でも記したとおり、それを本当に我がものにできているかどうかが試されるのは、厳しい状況に直面したときだ。次戦はフランスGP・ルマン。クアルタラロのホームGPだ。いまこそ精神的な強さを発揮して、ふたたび速さと強さを発揮してほしいものである。
さて、3位のモルビデッリから0.690秒の僅差で4位のチェッカーフラッグを受けたのが中上貴晶(LCR Honda IDEMITSU)。
金曜の走行初日には、2021年仕様と2020年仕様の車体を比較。土曜からは2020年仕様(中上自身の説明では「古い車体ではなくて、あくまでも2020年最終アップデート仕様」とのことだが、まあ、意味としては同じである)に絞り込んだ。2021年仕様はハンドリングとフロント周りのフィーリングが優れている一方で、開幕以来苦しみ続けてきたリアのグリップをこの2020年仕様で取り戻すことができた、と車体選択を絞り込んだ理由を説明した。これにより、マシン全体のフィーリングも去年の終盤同様の良好な感触を掴めた、と予選を終えた段階で話していたが、その手応えはレース結果が雄弁に物語っている。
表彰台まで僅差の4位でゴールした直後に感極まった表情を見せた中上は、
「満ち足りた気持ちとあともうちょっとという残念さで、ボックスに戻ってきたときは複雑な気持ちでした。少し残念だけど、これもレースなので4位はいい結果だと思います」
と説明した。
「アレイシ(エスパルガロ:Aprilia Racing Team Gresini)の後ろで、どこで抜けるかずっと見ていました。次の周、次の周と思いながら、なかなか抜けないでいると、ファビオのラップタイムが落ちてきて、アレイシもコンマ数秒落ちてきました。4コーナーから5コーナーにかけてアレイシを抜き、その後、ファビオを6コーナーで抜いたのは良い判断だったと思います」
中上の直後につけるジョアン・ミル(Team SUZUKI ECSTAR)とも激しい戦いになり、
「バトルで接触して、レザースーツ右側にジョアンのタイヤのブラックマークがついています」
と笑顔で振り返った。
「今回はフロントもリアも安定して走ることができました。レース終盤も、序盤ほどではないにしてもリアのパフォーマンスが安定していて、セクター3やセクター4でもサイドグリップを使って1分38秒台前半のペースを維持できました。タイヤの状態を維持できるのが去年のアドバンテージで、レース終盤にも強みを発揮できるのが自分の長所だと思うので、この調子でバイクをさらに良くしてレース終盤の走りに磨きをかけていきたいです」
今回のレースで取り戻した良好な走りを次戦以降も継続できれば、昨年に”Mr.Consistency”とも言われた高い安定感を発揮して表彰台を獲得する日はそう遠くないかもしれない。
中上が言及していたディフェンディングチャンピオンのミルは5位。集団内のバトルでなかなか前にでることができず、フロントタイヤの蓄熱で思いどおりの走りを発揮できなかった、とレース後に明かした。
6位の兄エスパルガロは、今季はここまで毎戦トップテン圏内でレースを終えている。今回は金曜午前から好調な走りで、予選もQ2へダイレクトに進出。決勝レースでも最後まで大きく引き離されることなく、優勝したミラーから5.164秒差、と週末を通じてじつに良好なパフォーマンスを発揮し続けた。
「今日はモルビデリたちのトレインにしっかりとついていった。スーパーハッピーとまではいわないにしても、いい結果だと思う」
と振り返った。余談になるが、上位集団のグループを「トレイン」と表現するあたりはさすが自転車乗りである。
「ぼくたちは表彰台と勝利を目指してレースをしている。今日はチャンピオンバイクのスズキに近いところでゴールできた」と手応えを述べ、エンジンパフォーマンスに関しては「ボトムのトルクがもう少しほしい」と注文を出した。アプリリアと兄エスパルガロのパッケージは確実に戦闘力を増しているので、彼らがいつ表彰台を獲得できるかというところにもひきつづき要注目である。
前回のポルトガルで復帰を果たしたマルク・マルケス(Repsol Honda Team)は9位。また、来季のチーム運営や自らの去就などに注目の集まるバレンティーノ・ロッシ(Petronas Yamaha SRT)は17位でゴールしている。
中小排気量クラスに目を向けると、レース数を重ねる度に「これはちょっととんでもない逸材かも……」と世間のざわつきをどんどん大きくさせているのが、Moto3クラスルーキーの16歳ペドロ・アコスタ(Red Bull KTM Ajo)だ。
デビュー戦のカタールGPで2位。以後は第2戦から今回の第4戦まで3連勝。デビュー4戦連続表彰台という新記録もさることながら、あの大混戦のMoto3で巧みな駆け引きのトップ争いを演じるレース運びは、まるで何年も修羅場を経験してきたかのような落ち着きすら感じさせる。
「勝てそうなら勝利を目指そうと思ったけど、そうじゃなければ可能な限りポイントを獲ることを心がけた。シーズン終盤に効いてくるだろうから」
と優勝後に述べるコメントも、まるで何シーズンも戦ってきたベテラン選手のようである。
「レースを楽しめば結果はついてくると思う。今年の唯一のプランは楽しむこと」
ひょっとしたら我々は、とんでもないものが生まれる歴史的瞬間を目撃しつつあるのかもしれない。
というわけで次回はルマン、第5戦フランスGPである。ではごきげんよう。
【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と最新刊「MotoGP 最速ライダーの肖像」は絶賛発売中!
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