ここまで人々の予想を覆し続けるシーズンは、ひょっとしたらグランプリ史上初めてなのではないか。第8戦エミリアロマーニャGPのレース内容とリザルトもさることながら、これほど起伏が激しく先の展開がまったく見とおせないシーズンは、過去を振り返っても、少なくとも自分の知る限りではちょっと思い当たらない。
そもそも、ここまでの7戦で優勝者が6人、という事態が尋常ではない。近年では、たとえば2016年は合計9人の選手が優勝したことが話題になったけれども、そのシーズンの序盤7戦を見てみると、優勝したのはホルヘ・ロレンソ、マルク・マルケス、バレンティーノ・ロッシ、という馴染みの顔ぶれの3選手のみ。しかも、表彰台に登壇したのは彼らを入れて計7選手。と、とくに驚くような数字ではない。
しかし、今年の場合は、第3戦アンダルシアGP以降毎回異なる6名の選手が優勝を達成し、優勝者計7名のうち4名がMotoGP初優勝。表彰台には計12人が登壇し、参戦選手数24名(代役含む)に占める表彰台経験者の割合は50パーセント。つまり、MotoGPに参戦するふたりにひとりが少なくとも1回は表彰台に上っている、という目まぐるしさだ。
前戦に引き続き、ミザノ・ワールドサーキット・マルコ・シモンチェッリで開催された第8戦エミリアロマーニャGPは、〈一寸先は闇か栄光かブラインドカーブ〉という今年の状況を体現し、曜日ごとに入れ替わり立ち替わり主役が交代するウィークになった。
金曜日のヒーローは中上貴晶(LCR Honda IDEMITSU)。
レースに先だつ火曜に行われた公式テストでも総合2番手、と非常に調子がよく、そこで得た成果と勢いを今回のウィーク走り出しにしっかりと繋げた格好になった。一日の走行を終えた際には、「この調子でセットアップを煮詰めて順調にセッションを進めていけば、上位グリッド獲得、そして表彰台も射程圏に入る」、と力強いコメントをした。また、中上のマシンには、前戦のサンマリノGPからようやくホールショットデバイス(スタート時の動力伝達ロスをなくすためにバイク始動時にサスペンションを固定して推進力最大化を図る装置)が装備されるようになり、火曜のテストでも入念にこのデバイスを使ったスタートテストを行っていた。
この段階では、中上は確かに〈激動のびっくり2020年シーズン・今週の注目候補〉の一角に名乗りを上げていた。しかし、決勝のレースペースを確認する重要なセッションである土曜午後のFP4で早々に転倒し、続く予選でも転倒。結局、グリッドは4列目12番手、というぱっとしない位置取りになってしまった。
その中上と入れ替わるように、〈土曜日のハイライト〉としておおいに存在感を発揮したのが、ペコことフランチェスコ・バニャイア(Pramac Racing/Ducati)だ。前週のサンマリノGPで2位表彰台を獲得した際の彼の活躍については、前回のコラムをご参照いただきたい。
今回のペコは、その勢いを駆って土曜午前のFP3で素晴らしい速さを発揮した。さらに午後の予選では、セッション最後に1分30秒の壁を破る新記録、1分30秒973という恐るべきラップタイムを叩き出した……のだが、この周回で最後の最後にトラックリミットを超過していたとしてタイムはキャンセル。2番目の自己ベストタイム1分31秒313が公式記録となり、2列目5番グリッドからのスタートになった。
結局、ポールポジションを獲得したのは前回に引き続き、マーヴェリック・ヴィニャーレス(Monster Energy Yamaha MogoGP)。一週間前にオールタイムラップレコードを更新したタイムを、今回はさらに上回り、1分31秒077で2週連続のトップグリッドについた。
ヴィニャーレスは前週もポールポジションからスタートしたものの、レースが始まるとずるずると順位を落として6位でゴール。その際には、スタート時のフルタンク状態でうまく走ることができなかったことが原因、とレース後に説明をした。が、一部からは、「思いどおりの走りをできなくなると精神的に落ち着きをなくしてしまい、それがひいては順位を落とすことにつながってしまうのではないか」という指摘もあった。だが、これらの口さがない批判は、むしろヴィニャーレスの闘争心に火をつける結果に終わったようだ。
日曜の決勝レースは独走で、後続に大きな差をつけて今季初優勝。ウィニングランでは全身で喜びを爆発させたヴィニャーレスは、レース後に「今日の自分のメンタリティは、先週となにも変わらなかった。フルタンクでうまく走れるセットアップが見つかったことが、なにより今回の勝因」と話した。ただ、その一方で、「土曜午後のFP4でいいペースで走れたことが、決勝に向けて大きな自信になった」と、精神的な落ち着きを増してレースに臨んだという旨のコメントもしていることは、注記しておいてもいいだろう。
と、このようないきさつを経て今シーズン6人目の優勝者が生まれたわけだが、決勝レースでヴィニャーレスと同等かそれ以上に大きな注目を集めたのは、じつはペコ・バニャイアだった。
土曜の予選で見せた勢いは日曜のレースでも健在で、序盤にヴィニャーレスを抜いてトップに立つと、あっという間に独走体勢に持ち込んでしまった。このまま一気にゴールまで駆け抜けて、今年5人目の最高峰初優勝ライダーが誕生するのか、と思いきや、レースが終盤に差し掛かった21周目に転倒。ついに掴んだと見えた初勝利が、ペコの手からするりとこぼれ落ちてしまった瞬間だ。
レースを終えたバニャイアは
「データを見ても、転倒した周とその前のラップはラインも開け具合もリーンアングルもスピードも同じ。路面の汚れか何かを踏んだとしか思えない」
と残念そうに語った。
「マーヴェリックもプッシュしていたけど、自分も彼との差をコントロールしてスマートに走っていた。すごく奇妙なクラッシュだった」
転倒前のバニャイアとヴィニャーレスのタイム差を見てみると、16周目には1.497秒差あった差が、周回ごとに少しずつ確実に詰まってゆき、20周目には1.133秒になっていた。
バニャイアは「コントロールしてスマートに走っていた」と話すものの、後ろからじわじわと追い上げられる緊張感が、はたして彼の平常心にまったく影響を与えなかったのかどうか。これについてはあくまでも推測の域を出ないが、優勝争いを事実上始めて経験するライダーと、そのような戦いを6年間経験してきたライダーの差は、そのようなところに出る場合もあるのかもしれない。
ただし、ヴィニャーレスは「もしもあのままバニャイアが転倒しなかったとして、最後に彼をパスする自信はあったか」と問われた際に、「追いつくことはできたと思うけれども、オーバーテイクできたかどうかまではなんともいえない」、とフェアで紳士的な回答をしている。
バニャイアについてはもうひとつ、他のドゥカティ勢がおしなべて苦労を強いられていたこの2連戦では、彼が唯一、切れ味の鋭い速さをずっと発揮していた。ヤマハが総じて優勢だった今年のミザノで、彼らと互角かそれ以上の走りを見せたバニャイアのライディングは注目に値する。
「他のドゥカティライダーとの違いは、ぼくの場合はブレーキングの初期とコーナーの入りが強いところにあると思う。そこが他のドゥカティ勢よりも強く、旋回性が強いヤマハやスズキとの差を詰めていけるんだ。さらに、エンジンの動力性能を活かしてエッジグリップをあまり使わずに注意深く開けて、リアグリップをうまく使っていく」
と説明。さらに、〈ドゥカティのDNA〉とも長年言われ続けている旋回性の悪さについては、
「旋回では苦労をしていない。そこは問題になっていないし、バイクはとてもよく曲がっている」
とも話している。今後のレースで彼の天才性がさらに爛熟して大きく開花するのか、あるいはどこかで大きな壁につきあたるのかどうかは、注視しておきたいところだ。
ところで、バニャイアのチームメイト、ジャック・ミラーは土曜の予選でも2番グリッドを獲得し、決勝レースの走りにも期待が高まっていた。ところが、2周目に前を走るライダーのティアオフ(ヘルメットバイザーの使い捨てシールド)がインテークからエアダクト内に入り込み、これが原因でエンジンの具合がおかしくなってリタイアを余儀なくされてしまった。いわば、バイクが誤嚥性肺炎を起こしたようなもので、まさに〈奇妙な〉2020年シーズンを象徴するようなアクシデント。
このあまりの不運でミラーの怒りが怒髪天を突いたのか、この日のレース後囲み取材はなぜかキャンセルになってしまった。やり場のない憤懣をぶちまける彼のコメントは、ちょっと聞いてみたかった気もするのだが。
土曜に速くても決勝は遅い、と揶揄された選手がいる一方で、予選はいまいちでも日曜になったら猛烈に追い上げてくる、という評価を固めつつある選手もいる。ジョアン・ミル(Team SUZUKI ECSTAR)だ。
土曜午後のFP4では、バニャイアと並んで卓越した高水準の安定感を見せていた。しかし、予選ではタイムアタックに成功せず11番手。4列目から日曜の決勝を迎えることになってしまった。
決勝は序盤からトップグループに3秒ほどの差をつけられてしまい、厳しい展開になりそうな予感も漂わせた。
「11番手からのスタートは、最初から皆が思いきりプッシュするのでリスキーだった。ペコやマーヴェリックが皆を引き離していったので、自分の走りに集中してうまく走るように心がけた」
その後、ひたひたと前方を追い上げはじめ、終盤になるとポル・エスパルガロ(Red Bull KTM Factory Racing)、ファビオ・クアルタラロ(Petronas Yamaha SRT)の2番手争いに追いついてしまった。そして、クアルタラロとエスパルガロを一台ずつ料理して2位争いのトップに浮上。その勢いのまま最後まで走り抜き、チェッカーフラッグを受けた。
終わってみれば、2戦連続の表彰台である。前戦は8番グリッドからスタートして3位、そして今回は11番グリッドから追い上げて2位。8月以降のレースを振り返っても、ミルはレッドブルリンク、そしてミザノという2会場の4連戦で3表彰台を獲得したことになる。
「オーストリア以降、コンペティティブに走れている。1回表彰台を獲れたから、もっと獲りたい、きっとできる、と思ってがんばってきた。これからのレースでも、高い安定性を発揮していきたい」
ここ4戦のリザルトは2位―4位―3位―2位、と、誰よりも高い水準の好結果を獲得していることを考えれば、現段階では彼が今シーズンのチャンピオン候補最右翼のひとり、といってもいいかもしれない。
そして今回のシーズン第8戦を終えた段階でのチャンピオンシップポイントはというと、ランキング首位のアンドレア・ドヴィツィオーゾ(Ducati Team)が84、2番手のクアルタラロと3番手のヴィニャーレスが83、4番手のミルが80ポイント、という僅差でひしめいている。さらに少し視野を広げれば、彼らの後にはフランコ・モルビデッリ(Petronas Yamaha SRT)、ジャック・ミラー、中上貴晶、と続く。ランキング7番手の中上と首位ドヴィツィオーゾの差にしたところで、差はわずか21ポイントにすぎない。
その中上は、6位でレースを終えた。12番手スタートから着実に順位を上げ、最後の数周でドヴィツィオーゾとアレックス・マルケス(Repsol Honda Team)をオーバーテイク。
「パフォーマンスはパーフェクトではなかったし、まだまだ今後に向けて改善の余地はあるけど、昨日2回転倒してバイクを壊したことを考えると、良い結果でした」
とレースを振り返った。
「レースが終わると、アルベルト(・プーチ)と横山さん(HRCテクニカルマネージャー)がピットへ来て『21ポイント差だ。チャンピオン争いも射程圏内だぞ』と言われたときは、驚きました。そんなことは思ってもいませんでしたから。今年のチャンピオンシップは普通ではないので、あと1~2戦ほどすると、チャンピオン争いに食い込めるかもしれませんね」
同じホンダ陣営では、ルーキーのアレックス・マルケス(Repsol Honda Team)も健闘し、自己ベストリザルトの7位で終えた。
レース後に、今回の結果に対する手応えを訊ねると、かなり満足感をおぼえた様子のことばが返ってきた。
「先週(第7戦)よりも、総レースタイムで17秒速く走れた。改善していかなきゃいけない部分もまだまだあるけど、今日はいい進歩をできたと思う。次のモンメロ(カタルーニャGP)で、今回の進歩がホンモノであることをしっかり確かめたい。今日の7位は、前が転んだりして潰れた結果なので、自分本来の実力ではないと思うけど、前の転倒がなかったとしてもきっとトップテンでは終われていたと思う。今回の予選は17番手だったので、そこを改善していくのが今後の課題。グリッドが低いとレースで厳しくなってしまうし、今回もそのせいでレース序盤にだいぶ損ををしてしまった。でも、それを除けばいいレースだったと思う。チームもとてもがんばってくれたし、自分も進歩できたから」
ところで、チャンピオン争いと言えば、Moto3クラスである。
小椋藍(Honda Team Asia)が今回も2位でチェッカーフラッグを受け、ここまで8戦中6回の表彰台というずば抜けた水準の高さを発揮している。表彰台を逃したのは、トップグループで争っていたアンダルシアGPで他車の転倒に巻き込まれてリタイアとなったときと、オーストリアGPで3番手チェッカーを受けながらトラックリミット超過のペナルティで降格処分を受けた2回のみ。それ以外は毎回3位か2位フィニッシュで、現在はランキング首位までわずか5ポイント差の2番手につけている。
それにしても、日本人選手が毎戦あたりまえのように表彰台へ上がり続けるのは、いったいいつ以来のことだろう。おそらく、小椋のチーム監督、青山博一が250ccのチャンピオンを獲得した2009年以来なのではないか。
ともあれ、シーズンは折り返し地点を過ぎて次回からはいよいよ後半戦である。戦いの舞台は、スペイン・バルセロナ郊外のバルセロナーカタルーニャサーキット。では、また来週。
【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」は絶賛発売中。
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