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レース・イベント

フラミンゴ(flamingo)はアフリカ、南ヨーロッパ、中南米の塩湖や干潟に生息する。塩湖やアルカリ性の湖といった特殊な環境に適応しており、数千羽から百万羽程度の巨大な群れを形成する。フラミンゴという名前はラテン語で炎を意味するflammaに由来しているとされる。

1980年代後半から1990年代初頭、ロードレースが華やかな輝きを放っていた時代を若井伸之は生きた。180cmと長身で手足が長く痩せていた。その身体を折りたたむようにGP125ccマシンに密着させ、激しいコーナリングを見せ、イン側の肘や膝を擦った。その姿が優雅なフラミンゴのようだった。

今も、スペイン・へレスサーキットの1コーナーアウト側に、若井の死を悼み、フラミンゴの像がたっている。

■文:佐藤洋美 ■写真:竹内秀信

第7戦ドイツGP・ホッケンハイム 決勝

 若井伸之はロードレース世界選手権(WGP)GP2へ、エルベ・ポンシャラル監督チームのウィルコ・ズィーレンベルグの代役で参戦することになり、GP2とGP3のダブルエントリーで挑んだ。

 若井は緊張で眠れない夜を過ごし決勝日を迎えた。

 ドイツのホッケンハイム・サーキットは森の中にあり、ゲルマン民族の大移動と揶揄される観客8万人が詰めかけコースサイドやスタンドに陣取った。長いストレートを結ぶようにS字があり、インフィールドを観客席が囲む独特のレイアウトを持つ。最高速は、ここで記録されることが多く、その速さが勝敗を分けるため、非力なマシンを駆るライダーたちにとっては厳しい戦いでもある。

 GP3はドイツ人ライダーのラルフ・ワルドマンがポールポジション(PP)を獲得し大声援を浴びる。上田が10番手、若井伸之は12番手、坂田和人は前戦のケガの影響で上位に顔を出すことが出来なかった。

 決勝はブルーノ・カサノバとアレッサンドロ・グラミーニ、エツィオ・ジャノーラ、ガブリエーレ・デッビア、ダーク・ラウディス、ホルヘ・マルチネス、ファースト・グレッシーニがトップグループを形成し、その争いは最終ラップまで続く激しさとなった。

 カサノバが初優勝、2位グラミーニ、3位ワルドマンが表彰台に登った。若井は日本人最高位となる9位に入りポイントゲット。上田は2周目の最終コーナーで転倒、右手の手首にクラックが入り次戦は欠場し治療に当てることになった。GP1はミック・ドゥーハンが勝利した。

 GP2の決勝レースが始まった。マックス・ビアッジが初PP、2番手はロリス・レジアーニ、3番手には地元ヘルムート・ブラドル、4番手にフランチェスコ・キリとなりフロントロー。2列目グリッドには5番手ルカ・カダローラ、6番手ロリス・カピロッシ、そして7番手若井、8番手カルロス・ラバートが並んだ。清水雅広は10番手だった。

 決勝スタートで飛び出したビアッジをキリ、レジアーニが追った。オープニングラップはレジアーニ、キリ、ビアッジ、清水、カダローラ、ブラドルが続いた。2ラップ目にブラドルが転倒、トップ争いはレジアーニ、キリ、ビアッジが大バトルを展開しながら後続を引き離した。上位はアプリリアを駆るイタリアのライダーたちだ。その後方、カダローラ、清水のホンダ勢が続き、若井はヨッヘン・シュミット、カピロッシ、スズキライダーのエリ・トロンテギと争い、トロンテギを押さえて、スズキ最高位となる7位を獲得した。

 アッという間にGP2を乗りこなした若井の走りには賞賛の声が上がる。WGPを取材するジャーナリストの遠藤 智氏は「GP3に乗っているときも、GP2に近い乗り方をしていたから、違和感なく器用に乗っているな」と印象を語っている。坂田は「初めて乗って、こんな走りが出来るんだぁ~。すごい」と素直に感嘆の声をあげた。GP2はワークスがひしめく激戦区だ。そこで若井はトップライダーと渡り合い存在感を示した。トロンテギは若井に負けて、悔しさからタンクを叩いてスズキスタッフから窘められている。若井はレギュラーライダーのトロンテギに危機感を与える走りをしたということだ。

 若井は「今回は胃が痛くなる経験をした。それでも、GP3でもポイントを取ることが出来て良かった。GP2でも7位になれた。この結果をみんながすごく褒めてくれたけど満足してない。このチームだから出来たことで、自分の力ではなく、勢いだけだったと思う。ワンシーズンの戦いを考えたら、もっと奥が深いはず。だから、もっともっと勉強したい。レースの1周目、2周目のペース配分、組み立て、駆け引き……」と、GP2の魅力に惹きつけられていた。

 ポンシャラル監督は「若井はGP3とGP2の2レースをこなすハードな戦いをよくこなしてくれたと思う。次にも期待したい」と満面の笑みで讃えた。

 約束は、あと1戦、残されていた。だが、次戦のアッセンはズィーレンベルグが復帰することになり、若井のGP2参戦はドイツのみの一戦となった。

第8戦オランダGP・アッセン

 上田はドクター・コスタの勧めもあり、ニースで過ごすことにした。骨を折ったときは塩水につけて日光浴するのが良く、目の前に海が広がるニースは最高の環境だった。ここで1週間を過ごしベルギーの坂田と合流しアッセンへ向かい、ふたりでコスタ氏の治療を受けた。上田は第8戦オランダGP参戦を断念した。

 第8戦オランダGPはアッセンで行われた。「ダッチTT」として親しまれる大会の「TT」はツーリストトロフィーの意味だ。バイク乗りが旅の途中で、その速さを競ったのが始まりとされる。この時すでに62回目を迎えていた。公道コースの名残りを残し、平坦な土地には牧場があり、牛が草を食む姿を近くに見ることも出来た。決勝日にはバイクに負けないほどの自転車が駐輪場に並ぶのもオランダならではだ。

 ダッチウェザーも有名で、猫の目のようにクルクルと変わる天候は、レースの予想を難しくした。だが、この年は天気が崩れることなく進行した。

 GP1はアレックス・クリビーレが優勝、スペイン人として初の最高峰優勝を成し遂げた。GP2は、またしてもイタリア人+アプリリアの大躍進でキリが勝利した。

 GP3はワルドマンがこのシーズン2連勝を含む3勝を挙げているが、トラブルが続き2戦ノーポイント。変わって勢力を増しているのがイタリア勢で、グレッシーニは「ここ数戦、僕たちに運が向いて来た」と牽制している。折り返しとなったアッセンで、PPはジャノーラ、グレッシーニ、グラミーニ、カサノバ、ワルドマン、坂田と続いた。若井は9番手となる。

 ウォームアップを終え、各マシンがグリッドに整列、シグナルが点灯する直前にルイス・アウバロが動いて、グレッシーニの前に飛び出しストップするアクシデントで赤旗。アウバロには1分間のペナルティが課せられ、レースディレイとなる。

 スタートで飛び出したのはジャノーラで、カサノバ、グラミーニ、グレッシーニ、ワルドマン、坂田が続きトップグループを形成する。ジャノーラは3ラップ目には、2位のカサノバとの差を1秒と広げ、独走態勢を築こうとアクセルを開ける。だがタイヤの消耗を懸念しペースを落とすと、セカンドグループに飲み込まれ、カサノバ、グレッシーニ、グラミーニ、ガブリエーレ・デッビアの5台が首位争いの攻防となる。レース終盤になってもバトルの激しさは変らずで勢いを増す。

 カサノバのトップで迎えた最終ラップ、4位につけていたジャノーラがスパート、果敢なブレーキングを駆使し3台をパスしてトップ浮上、その直後にカサノバが転倒し、トップのジャノーラは2位以下との差が広がり4勝目を挙げた。2位にはグレッシーニ、3位にはグラミーニが入った。6位坂田、7位清水隆男。坂田と6位争いを展開していた若井はラスト3ラップ目でチェーンが外れてリタイヤに終わる。

 面倒見の良い若井は、上田や坂田と協力して、アッセンは「シミオ(清水隆男)にポイントを取らせる会」を設立している。シミオはまだ一度も入賞がなく、このままだと終盤への遠征費がIRTAから支給されないのだ。プライベートチームにとっての大ピンチだった。シミオの走りも良くなってきているけど、まだまだ甘くてメカニックの阿部ちゃん(阿部 修)にも、しょっちゅう「オマエはアホか」と怒られている通り、状況判断のミスが多いのだ。ところが、アッセンでは見違えるような鋭い突っ込みでマルチネスや坂田を怒らせながらも7位に入賞して「シミオにポイントを取らせる会」はめでたく解散となった。

NETERLANDS

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第9戦ハンガリーGP・ハンガロリンク

 第9戦のハンガリーGPが開催されたハンガロリンクはタイトなコーナーを中心に構成されており、バンピーで、しかもミューが低い路面とマシンセッティングが難しいコースだ。パッシングポイントは短いストレートからの1コーナー進入と少ないためスタートが重要になる。

 90年に続き2回目の開催だった。前回はコースの安全性が問題となったため、改修を終えて行われた。ヤマハも500のニューエンジン投入、これでホンダ、スズキ、カジバに続き、同爆エンジンの低くて太い独特のエンジン音が響いた。

 ここハンガリーと次戦フランスには全日本ロードを戦う原田哲也がスポット参戦する予定だったが、世界GP参戦の実績がないことから、ヤマハの後押しがあったにもかかわらずにエントリーが受理されなかった。ヤマハ期待のエースライダーである原田でもレギュレーションを変えることは出来ずで、後学のためと原田は観戦に訪れている。

 原田は、すぐに若井のピットを訪ねた。若井は原田の才能を早くから認めており、「GP2参戦でビアッジが1番印象に残っている。今、あいつと勝負できるのは原田しかいない」と語っていた。「世界GPなんて……基本、海外の人苦手だし……」と語っていた原田だが、「自分に自信がついてきたところだから、どれくらい通用するのか走ってみたかった」とヤマハのエースライダーとしての自覚、そして自分の可能性を試したいという思いが芽生えてもいた。

 早速ふたりは、スクーターでコースの下見に出かけている。原田はヤマハのピットにいるより、若井の所にいる時間のほうがずっと長かった。若井の冗談に笑い、リラックスする原田は、GPの魅力を胸いっぱいに吸い込んだ。キャンパーを覗き、ケータリングの食事や、パドックの雰囲気に触れ、若井がオフシーズンに原田に語ったGPを実感していた。

 決勝当日は朝から雨が落ちるが、スタート前には雨が上がりドライコンデションでスタートが切られた。だが再び雨が落ち赤旗中断、再スタート時は雨は上がっていたが、路面はウェット、GP1はタイヤチョイスが勝敗を分け、カジバを駆るローソンが勝利した。250はカダローラが復調し勝利している。

 上田はケガから復帰、ギブスを外したのはフリー走行直前で、右手がまったく動かない状態だった。スロットルを全開に出来ず、シフトアップも、レバーを動かすのとスロットルを閉じるタイミングが噛み合わずミスが続く。さらに午後の予選は雨、細かいアクセルコントロールが出来ずに29番手で走行を終える。2日目に8~9番手でポジションアップしたが、日本から送られてきたタイヤも本数が限られていたこともあり早めに切り上げ、最後にみんながペースアップし14番手まで落ちる。
GP3はグラミーニ、2番手ジャノーラ、若井が3番手、4番手には若井が引っ張った清水で初のフロントローに並んだ。坂田は11番手だが、PPから坂田までが、1分50秒台にひしめく大接戦。上田が14番手、畝本は25番手、和田欣也は28番手だった。

 決勝で飛び出したのはジャノーラ。絶好調のジャノーラは独走態勢を築き快走する。注目を集めたのは2位争いで、グレッシーニ、カサノバ、グラミーニ、デビア、ワルドマン、若井、スパーン、坂田が数珠繋ぎとなり、清水、上田は、その後方で10台に膨れ上がったサード集団で奮闘する。

 トップを独走していたジャノーラが遅れ始め、ワルドマンが猛追しトップを奪う。その後方でデビア、若井、スパーン、坂田が激烈な4番手争いを展開する。17ラップ目、ファーステストラップを叩き出したグレッシーニがワルドマンを捉えトップ浮上。だが、すかさずグラミーニが前に出る。ワルドマンはグレッシーニを捉え2位浮上、グレッシーニは3位へ転落、そのトップ争いに若井が猛追する。24ラップ目にはトップ集団に食い込み、グレッシーニを捉え3位浮上。だがトップスピードに勝るグレッシーニがストレートであっさりと若井を抜き去る。

 優勝はグラミーニで2勝目、2位にはワルドマン、3位グレッシーニで、若井は僅差の4位となり涙を飲む。坂田は7位、上田は8位と健闘。清水は10位、畝本21位、和田はウォームアップランでトラブル、ピットスタートするも14ラップ目にリタイヤとなる。

第10戦フランスGP・マニクール

 フランス中部、ロワール地方にあるマニクール。ヌヴェールという古い街外れにあるサーキットは、F1用に大改修したもので二輪GPは初開催。世界最小といわれるヘアピンを持つ低速主体のサーキットで、ヘアピンと最終コーナーの2ヶ所で1速を使う。

 初開催のためレースウィークの木曜日に1時間のフリー走行が行われることになった。若井はGP2参戦のためテストしていた。予選では2番手にコンマ8秒もの大差をつけるトップタイムを記録する。前回のハンガリーGPからテレメーターシステムを採用したことでスムーズにセッティングを進めることが出来ていた。2コーナーからV字コーナーを若井は前後輪ドリフトで駆け抜けている。サスペンションセッティングが決まった若井の走りは、上田も坂田も認めるもので、面白いようにタイムを削り取っていく。乗りに乗れている若井へPPへの期待が高まった。

FANCE

 だが、最終予選ではバックストレートでワルドマンと接触する不運がありPPを逃す。メカニックの新国 努にとってもPPはどうしても欲しいものだった。最速の証がPPであり、メカニックにとってもマシンセッティングが決まったと実感することが出来る。

 だが、それが泡のように、あっけなく消えた。最終予選でジャノーラがトップタイムをマークし若井は2番手につけ、上位ふたりが1分47秒台、3番手に高速コーナーでの転倒がありながらも上田、4番手グレッシーニ。坂田は7番手。清水は14番手、和田は17番手、畝本は32番手となる。

 PPは逃したものの、若井のコーナリングはすばらしく優勝への期待が膨らんだ。その若井に坂田はセッティングを尋ねた。

「絶対に、俺を抜かないって約束するなら教えてやる」
「絶対に、絶対に抜かない」

 若井は、懇切丁寧に坂田に情報を与えた。坂田のマシンは見違えるようになる。決勝朝のフリーでは坂田は上位に顔を出した。だが若井は、フロントサスのスタッドボルトが折れるというアクシデントに見舞われる。新国は「若井は後に乗るんでフロントが難しい。フロントサスのフィーリングが重要、ここが決まらないと走りがガラリと変わる。自身の手足を使うような感覚にはならない」と言う。深刻なアクシデントだ。グリッドにつくまでに修理するのだが、これまで積み重ねてきたセットアップとは違ってしまう。

 勝利を期待された若井と、もがいていた坂田がグリッドに並んだ。

(続く)

FANCE

(文:佐藤洋美 写真:竹内秀信)

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2024/11/08掲載