東南アジアのレースにはいつも、欧州とは違う独特の昂揚感がある。第17戦タイGPは日本と同様に今回が3年ぶりの開催だったが、初年度の2018年からシーズン随一といっていい大きな盛り上がりで人気を集めてきた。今年の週末も、金曜5万5798人、土曜4万5809人、そして決勝日の日曜は7万6856人、3日間総計では17万8463人の観客を動員した。過去2回の実績と比較すると、5万人程度少ないだろうか。世界的に沈静化傾向にあるとはいえ、パンデミックの影響はまだある程度残っているということなのだろう。しかし、そんなことを思わせないほど、熱狂度はいつもどおり極上のタイGPである。
それにしても、これだけの観客の人々はどこに宿泊しているのだろう、といつも不思議に思う。チャーンインターナショナルサーキットのあるブリラムはさほど大きな規模の街ではなく、宿泊施設も限られている。西洋スタイルのホテルはチームやレース関係者で占められており、取材陣のなかには街はずれの小さな集落の宿を定宿にしている者も少なくない(どこの開催地でもそうですが)。数万人の観客たちは、おそらくよっぽど幸運なごく少数を除いて、大半の人々がサーキットからかなり離れた街や村に宿泊し、一時間程度かもっと長い時間をかけて観戦にくるのだろう。じっさい、それだけの労力をかけてやってくるに値する、印象的なレースが今年も繰り広げられた。
ウェットコンディションのなかで行われたMotoGPは、ミゲル・オリベイラ(Red Bull KTM Factory Racing)が優勝。シーズン序盤の第2戦インドネシアGP以来の今季2勝目で、今回と同じく強い雨に見舞われたマンダリカ同様に、このコンディションでの強さを存分に発揮した。MotoGPクラスは金曜からドライセッションが続いていたため、ウェットは決勝がぶっつけ本番になった。とても長いレースだった、と25周の戦いを振り返ったオリベイラは
「雨が降ってきたときは、マンダリカが脳裏によぎった。でも、落ち着いてミスしないようにスタートをしっかり決めて、最後まで走りつづけた」
と述べた。4列目11番グリッドからのスタートで、序盤にうまくポジションを上げてトップを走行していたジャック・ミラー(Ducati Lenovo Team)に迫るとレース中盤でオーバーテイク。その後は、背後との差を巧みにコントロールして勝ちきった。
「ジャックは、特に1コーナーと3コーナーのブレーキがすごく良かったけれども、7コーナー以降では(その不利を)取り返すことができた。最初にジャックにオーバーテイクを狙って仕掛けたときはうまくいかなかったので、後ろにつけた状態で後方のペコとの差が少し開くのを待ち、再度狙ってうまくパスすることができた」
一方、2位のジャック・ミラーは前戦もてぎの優勝に続き2戦連続表彰台。
「とてもいいレースだった。ミゲルとクリーンなバトルをできた」
と、全力を尽くした雨の戦いを振り返った。
「最後は勝てなかったけど、正直、全力で攻めて差を詰めようとがんばった。後半セクションはミゲルのほうが有利だったので、毎周その区間でタイムをロスしたけれども、前半区間で挽回していった。最終ラップは注意しながらさらに攻めて、最終セクターで前に出るためにいろいろやってみたけど、路面の濡れた部分に乗ってバイクの挙動が大きくなってしまい、それで万事休す、となった」
優勝こそ逃したものの、この勢いで次戦のホームグランプリに乗り込めるのだから、良い流れといえるだろう。
「次はフィリップアイランドで、その前に結婚式があるから、とてもハッピーだよ」
3位はチームメイトのペコこと、フランチェスコ・バニャイア(Ducati Lenovo Team)。前戦のもてぎはノーポイントで終えており、しかも今年は雨のレースで苦労することが多かっただけに、今回の3位表彰台で大きな手応えを得たようだ。ゴール直後のパルクフェルメでは、「レース前にジャックと少しおしゃべりしたおかげで、すごくモチベーションが上がった」と話していたのだが、その内容はというと、ジャック曰く
「べつにたいしたことを話したわけじゃない。ヤツはバイクの乗り方は充分に知り尽くしてる最高のバイク乗りで、自分の実力に自信を持てばいいだけなんだから、そこをちょっとつついただけ」
とのこと。だが、これがペコには大いに己の士気を鼓舞することにつながったようだ。
「去年の僕は、ウェットでいい走りをできていた。表彰台には上れないとしても、トップファイブには入っていた。今日は、日本(で失敗したこと)の怒りが前に迫る原動力になった。ウェットではミゲルとジャックはいつも速く、ヨハン(・ザルコ/ Prima Pramac Racing)も強さを発揮する。だから、できるだけ彼らに近い位置で走るのがいいと考えた。レース終盤はフロントタイヤが厳しかったけれども、きっと皆もそうだったと思う」
ペコの背後で4位のチェッカーフラッグを受けたザルコは、
「4位はいい結果。こういうコンディションのレースはいつも難しいので、まずはレースを完走できたことにホッとした」
と述べ、マルク・マルケス(Repsol Honda Team)をスパッとオーバーテイクした後、その前にいるペコへ勝負を仕掛けず、4番手のポジションを維持して終わった理由については以下のように説明した。
「今日は勝ちたかったけれども、レースは序盤からすごく難しいレースになった。水量が多く、(前にいる)他の選手たちは自分よりもいいペースで走っていた。やがて水量が減ってくると自分のフィーリングは良くなる一方で前の走りが落ちてきたけれども、そういう状況になるのがちょっと遅かった。ラスト5~6周でドライのラインが見えてきたとはいえ、オリベイラまでのポジションを回復していくには手遅れだった。狙いたい気持ちは山々だったしできたかもしれないけど、かなり厳しかったと思う。残り3周では前にペコがいて、その前のジャックとミゲルも捕まえたかったけれども、ドライのラインを外れると挙動も大きくなるし滑るので、マルクを抜くまではリスクも取ったものの、ペコに対してはもうリスクを取りたくなかった。ミスをすると悔やんでも悔やみきれないだろうから、もう勝利を狙えない以上は今日は4位でもよし、と自分に言い聞かせた」
簡単に言ってしまえば、ドゥカティ勢として状況を読んで「いい仕事」をした、ということである。全参戦数の三分の一に及ぶ8台のマシンをグリッドに並べる、というのは要するにこういうことだ。
ザルコに追い抜かれて5位で終えたマルケスは、次のように印象を述べている。
「ザルコが猛烈に追い上げてきてぼくを追い抜き、ペコの背後でレースを終えたのは確かにそのとおり。わからないけど、それがファクトリーのオーダーだったとは思わないし、極めて普通のことだとも思う。ドゥカティは2007年から世界タイトルを獲得していなくて、ドゥカティカップのようにトップを占拠しているのだから、それを利用しない手はない。ドゥカティは今のグリッドではベストのバイクで、全選手が前を走っていてそのパワーを利用できるんだから、チャンピオン獲得でそれを使って勝ちに行くのは当然だと思う」
ともあれ、これで3位に入ったペコは16ポイントを加算した一方、ランキング首位のファビオ・クアルタラロ(Monster Energy Yamaha MotoGP)は17位でノーポイントに終わった。その結果、ランキングの順位こそ変わらないものの、両者のポイント差は2ポイントに縮まった。
「これからがさらに厳しい戦いになる。ここからのラスト3戦は頭を使って、状況に対してスマートに対応していかなければならない。可能性は充分にあると思うけれども、日本やサマーブレイク前に犯したようなミスをしないように、万全を期して備えたい。次のオーストラリアはかなり冷えるコンディションになることが明らかなので、しっかりと順応すれば充分に高い戦闘力を発揮できると思う」
ちなみに、レース序盤からポイント圏外に沈み、ノーポイントで終えたクアルタラロは、決勝後の囲み取材をキャンセルしたために、彼が何に苦しんでこのような結果で終えたのか、具体的なところは現段階では明らかではない。スタートで後方集団に呑み込まれ、水しぶきで視認性が悪い状況のなか、ポジションを上げていくことが非常に難しかったのかもしれないし、往々にして問題視されるフロントタイヤの空気圧が彼にとって適正なものではなく、悪コンディションの中でさらに苦労を強いられたのかもしれない。同じヤマハ陣営のカル・クラッチロー(WithU Yamaha RNF MotoGP Team)はクアルタラロよりもふたつ下の19位でレースを終えているが、今回の彼が苦労を強いられた原因を以下のように説明し、推測している。
「彼はウェットでもとてもうまく走るライダーだし、マンダリカでは表彰台(2位)にも上がっている。うちのバイクは、正直なところドライではベストバイクというわけじゃないけれども、それでもファビオは非常に巧みに乗りこなして、違いを見せつけることができる。雨だと皆(他の陣営)はその実力なりに上手く乗っているけれども、うちのバイクは問題がさらに大きくあらわれてしまうので、そこを改善していかなければならない。
今日はフランキー(・モルビデッリ/Monster Energy Yamaha MotoGP)がいいレースをしていた(13位)けれども、それでも優勝選手から20数秒差だった。
今日のレースでは、自分もファビオもそれなりに力を発揮できたのはブレーキだけ。でも、ハードにブレーキするとフロントの空気圧が上がるので、さらに勝利から遠ざかる。ファビオも自分も今日はうまく旋回できなかったけれども、旋回が遅くなると加速していくときに今度はリアのグリップがなくなってしまう」
クラッチローの話すとおりだとすれば、まさに堂々巡りの悪循環で上位に浮上できなかったことになる。じっさいのところクアルタラロがどんな理由で低位に沈んでしまったのかについては、次戦オーストラリアGPの木曜日事前取材などで明らかになるだろう。
さて、もうひとりのチャンピオン候補、アレイシ・エスパルガロ(Aprilia Racing)は厳しいレースを強いられながらも11位でゴールし、5ポイントを加算した。ランキング首位のクアルタラロとの差は、20ポイントになった。
「クレイジーなレースで、序盤数周は(水しぶきのために)前が見えなかったけれども、順位をいくつもリカバーできた」
クアルタラロに対して前戦からさらに5ポイント差を詰めたことについては、このように語った。
「今日、最も良かったのは、これで3連戦を終えて家族のもとへ帰ることができる、ということ。ふたつめが、ファビオとの点差を詰めたこと。前回と今回は厳しいレースで運もなかったけれども、それでも20ポイント差になった。これから先の2戦は流れるように走れるサーキットとウィンターテストでも良かったマレーシアだから、強さを発揮できる。それでもファビオがまだリードしていて、ドゥカティはチャンピオン獲得圏内に3名の選手がいる(バニャイア、ミラー、エネア・バスティアニーニ)から、マネージが大変だと思う。いつかアプリリアもタイトル圏内に3名がいるような状況になればいいと思うけど、今はファビオが倒すべき目標で、ドゥカティが3名もタイトル圏内にいることもすごいね。同じ陣営で3名のライダーがチャンピオンを争うなんていまだかつてなかったと思う。ドゥカティには脱帽ものだ。自分たちも首位までわずか20ポイントだから、ハッピーだよ」
と、兄エスパルガロのこのことばどおり、残り3戦でタイトル争いはさらに混沌としてきた。次戦オーストラリアGPの開催地フィリップアイランドは天候が不安定で温度条件がシーズン随一といっていいほど低くなることが珍しくなく、そこから連戦のマレーシアGPのセパンサーキットは酷暑で太陽がキンキンに照りつけたかと思うと大粒の雨が降り出す、これまた不安定なコンディションで有名な地である。この状況を最も上手くきりぬけ、自陣へ有利に活用できた者が週末を制する。
中小排気量クラスもこれからの終盤3戦で雌雄が決する。
Moto3クラスは、早ければ次戦でイザン・ゲバラ( Gaviota GASGAS Aspar Team)のチャンピオンが確定する。また、ここ3戦続けて連続表彰台を獲得している佐々木歩夢(Sterilgarda Husqvarna Max Racing)は現在ランキング4番手で、2番手まで22ポイントに迫っており、こちらの追い上げにも注目だ。
Moto2は、今回のレースが雨で中断し、規定周回数の2/3に到達しなかったためにポイント付与は従来の半分になった。そのため、ランキング首位のアウグスト・フェルナンデス(Red Bull KTM Ajo)と2番手小椋藍(IDEMITSU Honda Team Asia)の点差は1.5、とじつに半端なものになっている。このふたりの熾烈な戦いは、おそらく最終戦まで続くことになりそうだ。
さて、次戦のオーストラリアGPは日本より2時間早いタイムゾーンなので、今回のタイGPとは4時間差、ということになる。お間違えなきよう。では、フィリップアイランド名物のフェアリーペンギンとコアラによろしく。あと、当地はカモメがやたらと多いので注意しましょう(by 渡辺真知子)。
【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と最新刊「MotoGP 最速ライダーの肖像」は絶賛発売中!
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