世界遺産とモーターサイクル =富岡製糸場と片倉シルク号=
2014年4月下旬、富岡製糸場が世界遺産に登録されることが決定的になったというニュースが流れました。私の頭の中では、小学校の教科書にあった富国強兵、殖産興業の文字が浮かびました。富岡製糸場は、明治政府によって設営された国営の先進的な製糸場でした。これまで数々の世界遺産登録のニュースを聞きましたが、この時はいつもと違い「絶対見なければならない」と思いました。(自宅のある)埼玉県所沢市から近いという立地条件もあったのだと思います。早速5月4日にホーネットで富岡製糸場に向かいました。
着いた時には、すでに長蛇の列ができていました。入場するのに1時間半かかりましたが、レンガ造りの壮大な建物が目の前に現れた時には、何か懐かしい気がしてきました。製糸業の事は良く分かりませんが、工場の中にはプリンス製の自動織機があり、自動車や二輪車産業と関わりがあることを知りました。トヨタ、スズキも織機製造から自動車や二輪車に業容を変換した企業です。敷地内を散策しながら当時の建築物を見ていますと、富岡製糸場が操業を停止してからも片倉工業が多額の費用を拠出して維持管理していたことへの感謝を込めた案内板がありました。この片倉工業の維持管理活動がなければ世界遺産に登録されないと感じさせるものでした。
この「片倉工業」という社名が気になりだしました。初めて聞く社名ですがなぜか引っ掛かります。片倉…製糸…絹….シルク….そして1台のバイクが頭の中で蘇りました。
そうです、私が山形の田んぼで乗った片倉シルク号です。たぶん、1968年13歳ころに、友人の家にあったものを借用して田んぼのあぜ道を走り回っていました。黒くて実用車のような車体には、片倉とシルク(Silk)号の文字が読めました。エンジンは2サイクル125ccであることを教えてもらいました。稲刈りの終わった田んぼの真ん中をシルク号で走りました。前後のサスペンションが程よくショックを吸収していたことを覚えています。そしてエンジンですが、力強さは感じられませんでしたが、滑らかで粘りのあるもので、マフラーの後端からオイルがにじみ出ていたのを記憶しています。この家で所有していたスーパーカブC100には、10歳の時に乗りました。バイクに乗るのは、片倉シルク号が2台目となります。この乗車体験や中学時代の友人の影響を受けてバイク大好き少年になり、縁あって本田技研工業に入社して二輪車の普及やPR業務に携わることになります。そして本田技研工業を65歳で退社した後も、趣味としてバイクを愛するおっさんになっています。
乗車第1号のスーパーカブC100は、開発から誕生、現在に至るまで様々な文献があります。さすが世界で最も多く生産しているモデルにふさわしい歴史が語られています。私もそのPR活動に25年程携わることが出来ました。
乗車第2号の片倉シルク号は、当時の写真は残っていませんが、私の人生に大きく関わったバイクとして、かねてから調べてみようと思っていました。
書籍を紐解きますと、1952年に製糸業の片倉工業の子会社である片倉自転車がオートバイの製造を開始したと記述されています。
実際に足で調べようと思い立ち、2020年9月5日に熊谷市内にある片倉シルク記念館を訪れました。自宅からスーパーカブで約50キロの距離です。記念館の中は、熊谷工場で使用された織機の展示や製糸の工程などをパネル、映像で紹介してくれます。明治時代から本格的に始まった大量生産の製糸業の経緯が良く分かります。記念館の中にバイクの痕跡を見つけたかったのですが、それは叶いませんでした。片倉自転車が製造した自転車シルク号が3台展示してありましたが、バイクについては触れられていません。片倉のブランドは、バイクよりも自転車のほうがはるかに有名であったようです。シルク記念館ですからバイクを見に来る人はいないのだと思います。
空振りに終わってしまいましたが、自分で直に見たことで納得しました。
さあ次は、片倉自転車の多摩工場があった福生市を訪れて、痕跡を探すことにしましょう。
2020年9月10日、スーパーカブで福生市中央図書館を尋ねました。ここには郷土資料館が併設されていますから、何らかの痕跡があるはずです。郷土資料館には、片倉自転車製の自転車シルク号が展示されており、当時のカタログも展示の一つとしてみることができました。紹介パネルには、バイクを製造していたことも記述されています。そして福生市史では、戦後に片倉自転車で自転車とオートバイを製造していた記述がありました。1960年(昭和35年)には、月産200台のオートバイが製造されていたとのことです。排気量帯は、125ccから200ccです。それ以上の記録を求めて、図書館の相談員に調べてもらうことにしました。30分ほど調べてもらった結果は、市史以上の手掛かりはありませんでした。
図書館を後にして、熊川駅の近くにあったという跡地をスーパーカブで訪ねてみました。当時の住所は熊川724番地ということですが、現在はこの番地は検索しても出てきません。跡地とみられる大きな空き地がありました。市史によりますと、東京都が宇宙に関する学習施設を建設予定とのことですが、開発に関する看板は見当たりませんでした。この跡地の西側は断崖のように落ち込んでいる地形です。バイクを製造していた昭和20年代後半から30年代とは景色が大きく変わっていると思いますが、西側に見える檜原や奥多摩の山々は当時と変わっていないはず。初秋の風を感じながら熊川の跡地を背に家路につきました
私が乗っているスーパーカブ110は、1958年に初代モデルのスーパーカブC100が誕生以来60年以上も生産され続けているスーパーカブシリーズの名車です。スーパーカブC100の誕生によって日本の二輪車産業は変化のスピードをさらに上げました。そして片倉自転車製のバイク製造にも影響を与えたと思われます。
私が片倉シルク号に乗ってから50年以上の歳月が流れました。子供のころのほんのわずかな思い出ですが、消えない思い出というのはあります。人生に大きく関わってきた片倉工業、片倉自転車の足跡を自分の足で辿ることに意義を感じました。
思えば、1981年に本田技研工業が発売した250ccの「シルクロード」の販促・普及活動の一環として、中国甘粛省のシルクロードをシルクロードで走る踏査隊に同行する機会がありました。そして、日本のバイクファンの期待に応えて、シルクロードオートバイツアーの企画担当となり、2回のツーリングも経験しました。小さいころに出会ったシルク号が紡いでくれた縁かもしれません。
これからは、実際に片倉シルク号を見て触れて、2サイクルの排気ガスを嗅いでみたいと思います。まだまだ片倉シルク号探索の旅は続きそうです。