話題満載、といってしまうと語弊があるが、やはりレースは何が起こるかまったく予測がつかない。第9戦カタルーニャGPは、ストーリー展開の王道「序・破・急」を地で行くような展開になった。
土曜の予選を終えて、圧倒的な強さを感じさせていたのは文字どおりこのサーキットの近所出身で、3戦連続3位表彰台という勢いに乗るアレイシ・エスパルガロ(Aprilia Racing)。初日総合トップで土曜のFP3とFP4もトップタイム、予選Q2ではポールポジション獲得、と一発タイムよしレースペースよし全方位的に死角ナシ、という状態に見えた。さらに、チームメイトのマーヴェリック・ヴィニャーレスも上位タイムを記録しており、アプリリアは総じて高水準の安定感と戦闘力を備えていることを感じさせた。
勢いに乗るこの兄エスパルガロに対抗できそうなのは、ドゥカティ陣営のペコことフランチェスコ・バニャイア(Ducati Lenovo Team)とPramac Racingの2台ホルヘ・マルティンとヨハン・ザルコ。さらには、すでにシーズン3勝を挙げているGresini Racingのエネア・バスティアニー も決勝ではしぶとい追い上げを見せるだろうし、同様に安定感の高いディフェンディングチャンピオンのファビオ・クアルタラロ(Monster Energy MotoGP)や、追い上げ大王のりんちゃんことアレックス・リンス(Team SUZUKI ECSTAR)もいい勝負をしそうな予感を漂わせていた。
レースが始まった現地時間午後2時、選手たちがスタートを切って数百メートルほど行った1コーナー手前で、まず最初のできごとが発生した。
4列目12番スタートの中上がスタートを決めて、一気に前へ出た。5番手に浮上して1コーナーへ入るブレーキングで、フロントを切れ込ませて転倒。マシンはすぐ隣のアウト側にいたりんちゃんを押し倒し、グラベルへ滑走していった。また、中上自身は、転倒の際に自身のヘルメットが直前にいたペコの後輪へ足払いのような形で接触し、この影響でペコも転倒した。
中上の転倒に端を発したこのマルチクラッシュでは、タイヤとヘルメットが接触した際に、中上のバイザーが外れてはじけ飛んでいるところが映像にも鮮明に映し出されている。後輪とヘルメットの接触では、ほんのわずかなタイミングでさらに深刻な事態になっていた可能性もある。また、滑走していく際には、転がり方次第ではハダカになったバイザー部分から大量の土砂を巻き込んでしまうこともあり得た。そういった可能性を考えれば、この程度のクラッシュですんでほんとうに幸運だった、というほかない。
とはいえ、無用な転倒に巻き込まれたあげく、レース終了後に左手の痛みを訴えていたりんちゃん(この囲み取材後に病院で診察を受けたところ、手首骨折が判明)にとっては、この程度ですんで幸運、どころの話ではない。
決勝レース直後にチームウェアに着替えた状態で、開口一番、まずはこう述べた。
「医務室で見たところ顔をケガしているようだったので、なによりもまずタカが大丈夫であってほしいと思う」
この段階では、転倒の影響がまだ明らかになっていなかったために上記のような言葉になったが、中上に大きな骨折やケガがないことはほどなく判明した。そしてりんちゃんはこのように付け加えた。
「とはいえ、あんなふうに走るのはあり得ない。明らかに彼は限界を超えていたし、それを最初にハッキリと言っておきたい。そして、処分が何もないのは許しがたい、ということも言っておきたい。(レースを審議するべき)スチュワードが、今回の件の処分として何も対応しないのは、まったく正当性を欠いている」
レース中に発生した出来事などに対してペナルティの可否などを審議するFIMスチュワードパネルは、元グランプリライダーのフレディ・スペンサー氏以下3名の審議委員で構成されている。りんちゃんは、この3人には職務を果たす能力がないので全員を交代させるべき、と強い言葉で批判をした。
彼がここまで激昂するのは、彼にとっては今回が初めての事態ではないからだ。ちょうど一週間前のイタリアGP決勝レースで、りんちゃんは中上と接触して転倒リタイアを喫している。とはいえその際の出来事は、前方の中上にりんちゃんが後方イン側から接近してきて接触し、自滅した恰好だ。これを中上に非がある、とするのはさすがに酷だろう。
じっさいに、このときの一件はレーシングインシデントとして処理されている。だが、りんちゃんにしてみれば、絡んだ相手がまたしても同一人物だっただけに、「先週に続き今週までも……」と憤懣やるかたない心境だったのだろう。
もうひとりの〈被害者〉であるペコは、
「もちろん、怒ってはいない。ただ残念なだけ。大きな転倒だったけれどもタカはケガをしていないとのことなので、それは本当によかった」
そう穏やかに述べたうえで、以下のように続けた。
「もしあそこに僕がいなければ、彼はあのままグラベルに転がっていって、彼のレースは終わっていただろう。あそこのブレーキングで何をしようとしていたのかわからないけれども、彼が復帰してきたときにーできるだけ早く戻ってきてほしいと思うけれどもー、どうするつもりだったのか聞いてみたいと思う」
転倒したことには怒っていないと話す彼も、今回のスチュワードパネルの判断には強い違和感をおぼえているようだ。
「スチュワードたちに対しても怒ってるわけじゃない。ルールに従って決定しているのだろうから。ただ、自分の意見を言わせてもらえば、今日の判断は間違いだったと思う。ムジェロのレース後にリンスが言ったように、あのときも彼はタカと接触を起こしていた。あれはレーシングインシデントだったと思うけれども、その際にリンスはレースディレクションに行って抗議をしたものの、何も申し上げることはない、という返事だったそうだ。そして今日の転倒に対してもまったく処罰がないのは、世界選手権のレースディレクションとして認めがたい。僕は3番手で、彼はかなり後方からやってきてこちらに接触したのだから。タカのデータをわざわざ見なくても、テレビの映像を見ればブレーキングポイントをミスしていることがわかる。こういう(処分なしという)判断に至ったのは、理解に苦しむ」
今回のFIMスチュワードパネル(レースディレクション)の判断について、決勝レースで表彰台を獲得した3名、優勝のファビオ・クアルタラロ、2位のホルヘ・マルティン、3位のヨハン・ザルコたちの見解はそれぞれ以下のとおり。
「たとえば、ポルティマオでのMoto2がいい例だけれども、スリックで走っているときに雨が降ってきたのだから、あれは躊躇なく判断すべきだった。いつも、何かが発生してから(対応の)判断が下される。問題を発生させないためにどうするのか、ということが常に重要なんだと思う」(クアルタラロ)
「たとえば、ポルティマオでのMoto2がいい例だけれども、スリックで走っているときに雨が降ってきたのだから、あれは躊躇なく判断すべきだった。いつも、何かが発生してから(対応の)判断が下される。問題を発生させないためにどうするのか、ということが常に重要なんだと思う」(クアルタラロ)「このライダーには適用されるけれどもこの選手には適用しない、というようなことではなく、彼らはもっと客観的であるべきだと思う。じっさいにぼくはムジェロで、ばかばかしいような事情でペナルティを受けている(FP3の4コーナーで他選手の走行を妨害したことによる3グリッド降格処分)。事情を説明したところ、理解はされたみたいだけれども、結局、処分はそのままだった。今回は、多くの選手を巻き込んで大事故になった可能性のある事態だ。他選手はもちろん、中上選手自身も重大な事態になる可能性があった。状況次第でライダーごとにいろんな適用のされかたをするので、皆に対して公平になるように、もっと客観的な適用へ改善をしてほしい」(マルティン)
「セーフティコミッションではリンスと中上選手のムジェロの一件が話題になって、リンスは皆の意見を知りたがっていた。大半の者は、ムジェロの出来事では中上選手は過失を犯していない、という見方で一致した。ある意味、スチュワードと同じ意見だったわけだ。彼はときにオーバーテイクの際などにアグレッシブなことがある、ということも皆の見方が一致したけれども、何か大きなミスをしたわけじゃない。しかし、今日の彼は、セーフティコミッションで僕たちが付与した信頼を失うことになった。それが本当に残念だ。リンスを転倒させたことで信頼をなくしてしまったのは、彼のためにも本当に残念だと思う」(ザルコ)
また、この3名は、今回の1コーナーでの接触転倒事案は、中上が後方から急激に前方へ迫ってきてブレーキングポイントを見誤ったために発生した事象でレーシングインシデントとはいえない、という見方でも一致している。
中上自身はというと、転倒後にサーキットの医務室で初期検診を受けて大事はないとわかった後に、さらに入念な診察のためにバルセロナ市内の病院を受診しに行った。そのため、彼自身の今回の出来事に対するコメントは取れていない。また、レース翌日の月曜にはMotoGPの全チームがサーキット居残りで事後テストを行うのだが、中上は病院で24時間の経過観察を行うため、不参加が決定している。
転倒に至った経緯を説明するにせよ、巻き込んでしまった両名への謝意を表明するにせよ、近いうちに機会があれば、中上に何らかの形での釈明機会を与えてあげることは大切だと思う。このままでは、本人の釈明がないままに欠席裁判のような形で〈事実認定〉がされてしまうだろうから。
たとえば、上記各選手のコメントの中には、「今回が初めてではない」「アグレッシブになりがち」というような批判的な言葉も散見されるが、中上の名誉のために指摘しておけば、彼はどちらかといえば、レーススタートの際に無理を承知で危険なオーバーテイクを仕掛けていくようなタイプのライダーではない。むしろ、アグレッシブさに欠けるためにスタートで出遅れて、そのまま中段以下の集団に呑み込まれる、という展開のほうが多い。ときには比較的前方からスタートすることもあるが、そんなときに限って(たとえばPPを獲得した2020年テルエルGPのように)チャンスを潰して勝手に自滅してしまう。そのような姿に、なんともいいようがない歯がゆい思いを感じてきた人々も多いだろう。そんな彼が、アグレッシブで危険なライダー、というイメージをつけられてしまうのだから、人の記憶というものは直近の出来事によって容易に印象が上書きされてしまう、ということなのかもしれない。
また、今回の事態では、処罰なしとするスチュワードパネルの判断への批判も多い。これに関しては、過去にオープニングラップ1コーナーで発生したいくつかのマルチクラッシュを比較してみると、処分のあり方が様々であることがわかる。
古い例だが、2003年のパシフィックGP(ツインリンクもてぎ)は今回の例に非常に近似している、スタート直後の1コーナーで、ジョン・ホプキンスがトロイ・ベイリスとカルロス・チェカを巻き込んで転倒した。このとき、ホプキンスは罰金と次戦の出場停止処分を受けている。この処分に対しては、厳しすぎるという声も多かった。
その翌年、同じくツインリンクもてぎで行われた日本GPでも、同様の事態が発生。このときに1周目の1コーナーでブレーキングを誤ったのは、ロリス・カピロッシ。ケニー・ロバーツとジョン・ホプキンス、マックス・ビアッジ、コーリン・エドワーズ、ニッキー・ヘイデンたちを巻き込む大きなクラッシュになった。前年に同様の事態の原因となったホプキンスは、このときは被害者の立場だったが、カピロッシへの対応が決定する前に「去年の自分のような厳しい処分を行うのは妥当ではない」という旨の発言をしている。最終的に、カピロッシに対しては何も処罰が科されなかったが、前年の処分と一貫性を欠くという批判もあった。
2006年には、今回と同じバルセロナ・カタルーニャサーキットで、マルチクラッシュが発生した。セテ・ジベルナウのブレーキレバーが他車と接触して、バイクとライダーが前へつんのめるような恰好で転倒、カピロッシ、マルコ・メランドリ、ジョン・ホプキンス、ダニ・ペドロサ、ランディ・ド・プニエが転倒に巻き込まれる恰好になった。このときは即座にコース外へ待避できなかった負傷選手がいたため、レースは赤旗が提示されて中断。レースは仕切り直しになったが、最初の引き金になった事象が不可抗力だったために処罰対象選手はいなかったと記憶する。
今回の事態に対する選手たちのコメントでは、マルティンがあくまで一般論として、処分に対する一貫性のなさを指摘している。これはあくまで想像の範疇にすぎないが、たとえば同様のアクシデントがもしもMoto3のレースで発生していれば、起因になった選手に対して何らかのペナルティが科されていただろう、ということは容易に想像できる。たとえば前戦ムジェロのMoto3決勝レースで、レーシングインシデントとして皆の見方が一致するであろう事象に対して、鈴木竜生が無責任走行との咎でロングラップペナルティを課された一件を想起されたい。このLLPにより大きくポジションを落とした鈴木は再び追い上げて表彰台を獲得し、その活躍で処分の妥当性に関する議論はうやむやになってしまったが、この例などは、上のコメントでマルティンが指摘する「処分の一貫性のなさ」の典型的な例といっていいかもしれない。
選手たち(さらにいえば世界中のレースファン)がスチュワードパネルの様々な処罰や処分に一貫性のなさをなんとなく感じつづけている理由は、おそらく、その決定に至るまでの〈説明責任〉や、処罰理由の開示等が十分ではない、と皆が感じているからだろう。 この部分のいわゆるアカウンタビリティがもっと明瞭になれば、スチュワードパネルの決定に対する信頼性もさらに向上するようになるのではないかと思う。
さて、レース結果は上述のとおり、ファビオ・クアルタラロが優勝。冒頭でも述べたとおり、今回は土曜予選までを見る限りでは兄エスパルガロが圧倒的に有利な雰囲気だったのだが、終わってみると独走モードで王者が圧勝。路面温度が高く、皆がタイヤのグリップ維持に苦しむなかでも、マネージメント能力と安定感の高さを発揮して決勝の強さを存分に見せつけるところなどはまさに、チャンピオンをチャンピオンたらしめている大きな要因なのだろうなあ、と思わせる。
「決勝レースでは、あそこまで速く安定して走れるとは思っていなかった。ペースは良かったけれども、ずば抜けて速かったわけじゃない。序盤5周くらいに、限界ではないにしろかなり攻めていく作戦を立てていた。タイヤをしっかりと温存できたとは言わないけど、かなり気を配って走った。安定して走ることはとても重要だし、序盤数周でリードを築くことができた」
もう少しバトルになるのではないかとも思っていたがいいレースになった、とも話した。
「ここは(メインストレートが下り勾配なので)直線で抜かれることもないとわかっていて、最初から0.5~1秒の差を開けたので、気持ちよく走れた。ムジェロとここは苦労をしてきたコースだけど、今年は2位と優勝で終われたので良かった」
2位のマルティンと3位のザルコは、それぞれひとつ低かったであろうリザルトから、棚ぼたで繰り上げになった恰好のレースだった。理由は、終盤まで2番手を走行していた兄エスパルガロがラストラップに入る周回をゴールだと勘違いし、ペースを落としてしまったからだ。なんというクールポコ状態。スローダウンしてしまった兄エスパルガロを難なく抜き去るマルティンとザルコ。一方、抜かれて間違いに気づいた兄エスパルガロはふたたびペースアップしたものの、時すでに遅し。まさに悲喜こもごもである。
レース序盤の混乱を切り抜けてから中盤の兄エスパルガロとの攻防までを、マルティンはこう振り返った。
「スタートがバッチリ決まったけど、ホンダもバイクが良くなっていたようで、ポルとタカが1コーナーで一気に上がってきた。自分はヨハンを抜いて一緒に1コーナーへ入っていったら、タカが僕らふたりをオーバーテイクしていった。これはワイドになるだろうなと思っていたらフロントを切れこませたので、転倒を回避し、ポルとのバトルになった。2コーナーでは3番手に上がっていて、ここからはしっかりとマネージして攻めていこう、と自分に言い聞かせた。
アレイシが抑えている様子だったので即座に追い抜くと、ファビオはかなり離れてしまっていた。少しアレイシを引き離そうとしたけれども、また追いつかれて仕掛けられた」
そして、ラストラップの予想外の状況については、こう説明する。
「ラスト3周になって、アレイシはかなり攻めていた。苦労しているようにも見えたので、自分はうまくマネージして追いつき、最終ラップで勝負しようと思った。すると、いきなりアレイシがスローダウンしたので、エンジンが壊れたのかと思った。2020年のヘレスでペコのバイクが壊れたことを思い出したし、とにかく暑い日だったので、『あ、エンジンが壊れたんだな』と思って自分も直線でスロットルを閉じた」
3位のザルコの言葉を聞けば、さらに一部始終の細かい経緯がわかる。
「厳しいレースだった。リンスがスタートを決めて、自分の左に位置していた。彼はこういう勝負に強いので、ブレーキを遅らせて突っ込んできて、少しワイドにはらむだろうなと予測した。すると、ブレーキングでいきなりタカがやってきて、ホルヘが言ったみたいにこれはワイドになるだろうなと思っていると、もっと事態は悪くてフロントが切れていった。後でビデオで確認すると、タカの頭部がペコの後輪に接触して転倒している。この出来事の後に自分のポジションは5番手で、ポルが前にいた。すぐさま5コーナーでポルを抜いて、アレイシとホルヘに追いつこうとがんばった。ファビオはかなり離れてしまっていた。
上位陣の中でリアにハードコンパウンドを履いているのは自分だけだったので、あまりスピンさせないようにして、うまくコントロールするように心がけた。他の選手たちのタイヤが消耗してきても自分は安定して走れるだろうと思っていたら、実際にはそうならなくて、終盤5周くらいでもアレイシとホルヘに加速で追いつけなかった。表彰台は難しそうな感じだったのでストレスも溜まったけど、まあ4位でもいい結果か、と思っていたら、最終ラップがビックリするような結果になった。僕もあれはマシントラブルだと最初に思ったけど、手を振っている姿を見て、ああ、レースが終わって祝福しているつもりなんだな、と。だから自分はしっかり集中して、レースを終えるようにがんばった。タイヤのアドバンテージがあるかと思ったらそうはならなかったけど、最終的に表彰台へ上がれたので良かった。
最終ラップでは、アレイシが即座に巻き返してくるだろうと思ったけど、あとでビデオを見てみると、レースがまだ終わっていないと理解するまでにかなり時間がかかったみたいだ。最終ラップもタイヤで苦労はしていたけれども、アレイシがどれくらい離れているかわからなかったので、彼に差されないようにできるだけラインを締めて走った。レースが終わったのかどうか自分でもよくわからなかったけれども、集中して走っていると、前でホルヘもまだ必死で走っていた。だから、レースが終わっていたとしてもこのまま自分も必死で走り続ければ、もしもファビオがウィニングラップをしているのなら、きっと数コーナーで追いつくだろう、と思った」
兄エスパルガロはこのミスが仇となり、最終的に5位のチェッカーフラッグを受けた。クールダウンラップでも悄然とし、ピットボックスに帰ってくると意気消沈する様子を隠そうともしなかった。そんな彼をチームの皆は温かく受け止めた。最終的に表彰台こそ逃したとはいえ、週末を通して図抜けたハイレベルで走り続けた彼を拍手と抱擁で讃えた。
それにしても、兄エスパルガロはなぜ1周少なく計算間違いをしてしまうという痛恨のミスを犯したのか。その原因はどうやら、1コーナーの先にある電光掲示タワーで周回数を確認していたためであるらしい。最終コーナーを立ち上がって直線に入ると、このタワーは視界の真っ正面に入ってくる。ピットレーンのサインボードやダッシュボードではなく、このタワーに表示される周回数を見て、勘違いしてしまったのだとか。
今回の週末、アプリリアのガレージは最も最終コーナー側に位置していた。ピットウォールでもいちばん手前に陣取ることになり、そこからクルーが差し出すサインボードをバトル中に視認することはなかなか難しく、周回数は電光掲示タワーで確認していたのだ、と明かした。
「その掲示がL1、となっていたので、最終ラップを終えたと思った。ここのサーキットの掲示は、最終ラップはL1ではなくL0と表示されることをすっかり忘れていた。それで、スロットルを閉じてしまった。チームに本当に申し訳ないことをした。今日はファビオに勝つだけのスピードはなかったとはいえ、チャンピオンシップで彼に勝とうと思ったらこんな失策を犯してはいけない。これで9ポイントを損してしまったことになるので、すごく残念だ。レース終盤にマルティンをオーバーテイクしたとき、タイヤはまだ充分残っていて、1分41秒台中盤で走れそうだったのに……」
彼がそう話すとおり、ラスト2周目の兄エスパルガロのラップタイムは、上位陣の誰よりも速い1分41秒541で走っている。参考までに、トップのクアルタラロは41秒663、マルティンは41秒930、ザルコは42秒562である。もしもあそこでスロットルを緩めなければ、6秒の差があったクアルタラロはともかくとして、3番手のマルティンをさらに引き離して力強い最終ラップの締めくくりになっていたことだろう。
兄エスパルガロのミスで、5番手だったところから4位へ繰り上がったのが、ジョアン・ミル(Team SUZUKI ECSTAR)。
「この順位を与えてくれたお返しに、ワインでもプレゼントしないと」
と軽口を叩いた後に
「すごくいい走りをしていたから、本当に悔しいだろう」と気遣いを見せた。「こういうミスをしてきた人は過去にもたくさんいるし、人は誰だって失敗を犯す。ときにはこういうこともあるだろう。でも、今日の目が覚めるような素晴らしい走りは、誇りに思っていいと思う」
とはいえ、こんなエンディングは誰も予想しなかったことは間違いない。今回のレース結果により、ランキング首位のクアルタラロと2番手の兄エスパルガロは、22ポイント差に広がった。シーズンはまだ11戦もあるので、この程度の差はまだ致命的でもなんでもない。だが、今回獲れていたはずの9ポイントがシーズン終盤にどんな形で影響を及ぼしてくるのか。あるいは、そんなものを一気に跳ね飛ばす速さと強さをアプリリア陣営は今後も発揮し続けて、「そういやあんなこともあったよなあ」と笑い話にしてしまうのか。
いずれにせよ、次戦のドイツ・ザクセンリンクでもまた、緊張感のある濃密な戦いが繰り広げられることは間違いないでありましょう。ではでは。
【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と最新刊「MotoGP 最速ライダーの肖像」は絶賛発売中!
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