華のある人は、意図しなくても劇的な瞬間を盛り上げる環境をなぜか作り出してしまう。第15戦タイGPで、2019年チャンピオンを獲得したときのマルク・マルケス(Repsol Honda Team)がまさにその典型例だった。
第14戦終了段階で、ランキング2位のアンドレア・ドヴィツィオーゾ(Ducati Team)に98ポイントの差を築いていたマルケスは、今回の決勝でドヴィツィオーゾに対して2ポイント先行する着順でゴールすればタイトルを確定する、という状態。今季のマルケスは、ここまで第3戦アメリカズGPで転倒リタイアを喫した以外、全レースで優勝もしくは2位表彰台という高水準のリザルト。一方のドヴィツィオーゾは、ランキング2位とはいいながらも14戦中表彰台は7回で獲得率50パーセント。と、このパフォーマンス差を見れば、マルケスがかなり余裕のある状態でマッチポイントのレースを迎えたことは間違いない。
とはいっても、そうは簡単に一筋縄でものごとが運ばず、さらにもうひとふた波瀾の意図せざる演出をつくってしまうのが、マルケスという人のスター性といえようか。
金曜午前のFP1で序盤からいいペースで走り始め、あっさりトップタイムを記録したものの、セッション中にハイサイド。マシンがポッキリ折れる大転倒で、マルケス自身は自力で起き上がったものの、コースマーシャルが両脇を抱えてコース外へ退避。メディカルセンターで検査を受けた後、ブリラム市内の病院へ運ばれることになった。
「え!?」
というのが、このときの周囲の反応である。
これでもしも骨折なんてしていようものなら、今大会でのチャンピオン獲得どころかシーズン終盤のレースそのものに大きな影響を及ぼすこともあり得る。負傷状態が明らかにならないまま、昼過ぎに「5分後の12時40分からアルベルト・プーチがチームのホスピタリティでマルケスの状態について報告を行う」という連絡がチームからあったものだから、さらに脳内は「え!?」の級数と書体がさらに大きくなって「え……」という状態である。
集まったメディアの人垣を前に、プーチの報告は「負傷は大事なく、ブリラム市内の病院での診察でも、打撲程度で午後のFP2は問題なく走行する」という内容だった。
これを日本の諺で、〈泰山鳴動して鼠一匹〉という。
FP2ではファビオ・クアルタラロ(Petronas Yamaha SRT)がトップタイムで、マルケスはそこから0.487秒差の5番手タイム。負傷の影響はまったくない様子で、走行後の取材では「転倒の瞬間は5秒ほど息ができなくて、自分では20秒くらいに感じた」と、転倒時の状況を振り返った。
「メディカルセンターに運ばれたときはもう大丈夫だったけど、体の様子を完璧に把握する必要があったので、スキャンをしてもらうために病院に行った。いちばん痛むのは腰だけど、走っていると集中できたし、膝も痛いけど骨折は何もなくて打撲だけだから大丈夫」
翌日の土曜は、午前に大雨が降ってスケジュールが順延し、FP3はウェットからセッション終盤に路面が乾いてくる微妙なコンディションになった。午後の予選では、マルケスはいつもどおりの圧倒的な速さでトップタイムを争い、惜しくもポールポジションを逃したもののフロントロー3番グリッド。ポールポジションはクアルタラロで、2番手タイムは同じくヤマハのマーヴェリック・ヴィニャーレス(Monster Energy Yamaha MotoGP)。
予選に先だつFP4でもこの3名は、他より抽んでたレースペースを刻んでおり、決勝もこの3台を中心に推移するものと思われた。ドヴィツィオーゾは3列目7番手スタート。予選の一発タイムではポールから0.973差だったが、FP4のレースペースで見ても、マルケスやクアルタラロが1分31秒0~2くらいのリズムを刻んでいた一方で、ドヴィツィオーゾは31秒半ば、というアベレージの差を見ても、これは日曜の決勝も勝負あったか……、というふうにも見えた。
そしてやはり、日曜の決勝レースはマルケスとクアルタラロの一騎打ちで推移していった。
先行するクアルタラロの後方でじっくりと様子を見たマルケスが、最終ラップで一気に前に出て勝負を決する。
第13戦サンマリノGPのカーボンコピー状態だが、今回はクアルタラロがさらにもう一勝負狙って、最終コーナーでマルケスのイン側に突っ込んできた。だが、この激しいストッピー勝負でもきっちりとバイクを停めて旋回し、素早く引き起こしたマルケスがわずかに先行。ゴールライン手前で負けが見えたクアルタラロは、身をよじって悔しがった。
最終コーナーの劇的なバトルを制して最高峰クラス6回目、通算で8回目の世界タイトルを獲得したマルケスは、「今年はMotoGPのベストシーズンだった」とここまでの戦いを振り返った。
「2014年は13勝したけれども、正直なところ、ライバル勢と差があったのも事実。今はレベルが接近していて、4メーカーが優勝争いをしている」
こう話すとおり、今季ここまでの14戦でマルケスは、ヤマハ、ドゥカティ、スズキと緊密な優勝争いを繰り広げている。それぞれマシン特性が異なるなかで、自分たちの持ち味を最大限に活かして戦い続けているのだから、たしかに圧倒的な優勢で進めた2014年シーズンと比べると今年のほうが緊張感の高い戦いになっているといえそうだ。
そしてマルケスは、第13戦同様に今回のレースで最終ラップまで優勝争いを続けたクアルタラロについて、こう評した。
「今シーズンはあらゆることを想定していたけど、ファビオがあのレベルで来ることまでは想定できなかった。今年の決勝レースはドビが安定していると読んでいたし、ヴィニャーレスも速さを発揮するレースがあるだろうし、スズキも来ると思っていた。でも、ファビオについては、シーズン序盤に誰も予想できなかったと思う」
さらにその速さについては、こんなふうにも話した。
「ファビオは、ヤマハのバイクをとてもうまく乗っている。過去の記憶を振り返ると、最高のレベルで乗っているときのホルヘに似ている。コース全体をうまく走って巧みに走らせている。今日の彼は終始すごく速くて、自分たちはエンジンが強みだけど向こうはリアグリップが強みだから、(コーナーが連続する)セクター3とセクター4ではついて行くのが精一杯だった。どんどん強くなっているので、来年はきっと厳しいライバルになると思う」
一方、リンスとの勝負に敗れたマルケスは、劇的な最終コーナーの攻防に至るまでの戦いを以下のように振り返った。
「今日の戦略は、勝つというよりもトップグループを小さく絞っていくことだった。そうすればポイントのロスも少なくなる。先頭集団を小さくするために攻め続けた過程で、タイヤも体力も燃料も消耗してしまった。最後はリンスと一対一になり、彼のほうがフレッシュな状態だった」
前にいるほうが不利になる可能性を知りながら、それでも攻め続けたのは、後方からマーヴェリック・ヴィニャーレス(Monster Energy Yamaha MotoGP)が追い上げてきてさらに混戦になるのを避けるためだったのだとか。
「どこが(リンスの)ウィークポイントかわからなかったので、守りにくかった。レース中盤に後ろについて、タイヤや燃料を温存しながら相手はどこで苦労しているか見ようとしたけど、1周あたり0.1秒くらい遅くなってマーヴェリックも近づいてきた。目先の勝利よりもポイント獲得を優先し、がんばれば20ポイントは取れるだろうと考えて攻め続けた。最後の戦い(チャンピオンシップ)で勝つためには、バトルで負けることもある。今日はすごい接近戦だったけど、こういう結果になった」と述べ、「いずれにせよ、リンスの最終ラップは見事だった」と自分を打ち負かしたライバルにエールを贈った。
優勝争いのバトルに少し引き離され、単独3番手を走行していたヴィニャーレスは、終盤に少しずつペースを上げていった。一時は3秒以上開かれていたところから、最後はなんとか1秒程度まで追い上げたことに、ひとまずは満足、といった様子。
「序盤はリアタイヤのグリップが低くて苦労したけど、辛抱強く走り続けて少しずつリズムを取り戻していった。貴重なデータを得ることができたので、今後に向けてこの部分を改善していきたい」
チームメイトのバレンティーノ・ロッシも、ヴィニャーレスと似た傾向の症状を訴えている。8位で終えたロッシは
「数周もしないうちにリアグリップに苦しむようになったので、ペースを落とさなければならなかった。今日は朝のウォームアップでは調子がよくて、19ラップ走った中古タイヤでもいいペースだったので、決勝ではトップスリーはともかく4位争いをできると思ったけど、うまく走れなかった。この数戦はいつも似たような状態だけど、シーズンはまだ4戦あるので、次の日本でいろいろ試して終盤の戦いに備えたい」
次のもてぎでは、ここら当たりの改善を狙ってヤマハが何かひと工夫を凝らしてくるのかどうか、ツインリンクもてぎでは少し注目してみることにいたしましょう。
マルケスのタイトル獲得を阻止できなかったドヴィツィオーゾは4位でゴール。今季はまたしてもランキング2位か、とも思われるが、金曜の走行後にいかにもこの人らしい冷静で分析的なコメントを述べていたので、それを少し紹介しておこう。今回のレースウィークでは、金曜からヤマハが高い水準の走りを見せていたのだが、良くなって来たヤマハ勢の仕上がりについて質問をされた際に、ドヴィツィオーゾはこんなふうに返答した。
「このバイクがベストだ、あのバイクがいい、とすぐにいう人がいるけど、あまり頭のいい見方だとは思えないね。だって、どれがベストバイクかというのは、一概には言い得ないから」
そして、問題はあくまでもライダーとバイクの組み合わせなのだ、と続けた。
「いい例がマルクだよ。彼は現状でベストライダーだと思う。たぶんね。でも、あのバイクとマルクだからうまく機能しているのであって、他のライダーだとそれほどでもない。でも、他のライダーだって、けっして悪いライダーなんかじゃない。だから、ホンダがベストバイクかどうかはわからない。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ここ数年は、ドゥカティについても似たようなことを言われていたけど、あまり意味がないよね」
当然といえば当然のことなのだが、それをうまく言葉で平易に説明できるのは、さすがドヴィツィオーゾである。
5位はアレックス・リンス(Team SUZUKI ECSTAR)。ランキングではドヴィツィオーゾに次ぐ3番手につけているが、今回はむこうが4位で自分が5位だから、少しポイント面で引き離されてしまった格好になった。だが、レース自体は悪くなかった、とリンちゃんは決勝の内容を振り返った。
「いいレースだったよ。ドビの前で終わりたかったけど、難しかったね。T1とT2は直線で大きく差を開かれたけれども、T3とT4でなんとか詰めて行って、うまくまとめることができた」
昨年のスズキはシーズン終盤に連続表彰台を獲得しているが、今季もそれを再現できそうか、と問われると
「パッケージはいいよ。改善の余地があるのは予選で、そこがよくなればレースももっと前で終われるようになると思う」
チームメイトのルーキー、ジョアン・ミルは7位でゴール。後半戦スタート直後にチェコGP事後テストで転倒し、肺挫傷によりしばらくの欠場を余儀なくされた。復帰戦のサンマリノGPに続き今回もシングルフィニッシュだったが、レース中は東南アジア独特の暑さで体力的に厳しかったのだとか。
「特に最後の10周がキツかったので、少しペースを落とした。100パーセントの体調に戻るにはもうちょっと時間がかかるのかも。でも、それで7位だから良かったと思う。次はスズキの地元、もてぎでのレースだから、表彰台争いに絡むことができればとてもうれしいので、最大限の力でがんばりたい」
日本人選手の中上貴晶(LCR Honda IDEMITSU)は10位。今回から中上はカーボンスイングアームを使用している。「魔法のようなアイテムではない」と話すものの、スロットル操作に対するリアタイヤの反応を、アルミ合金素材のスイングアームよりもリニアに感じ取ることができ、インフォメーションが多いのは大きな利点だと述べた。
「いいモノであることは確かなので、今回の決勝もコンスタントに走れたんだと思います。グリップにはさほどの変化はないけど、スロットルワークに対してリアタイヤのスライド具合が、よりシンクロする形でライダーに伝わってくるので、タイヤをいたわりながら走れていて、それがラップタイムの安定につながっているのだとポジティブに捉えています」
来季の体制は、おそらく次戦日本GPに焦点を合わせる形で発表されることになるのではないか、というのが大方の見方だが、おそらくそれで間違いはないでしょう。
Moto2では、長島哲太(ONEXOX TKKR SAG Team)が金曜から好調で、予選でもフロントロー2番グリッドを獲得。表彰台争いは確実……と思われたが、決勝になって突然タイヤから振動を感じるようになり、充分なフィーリングを得られなくなってしまった。サイティングラップですでに症状が発生していたため、フロントタイヤを交換してレースに臨んだが、どうやら振動はリアから来ていたものらしく、転倒せずにせずに走りきるのが精一杯、という状態で15位、1ポイント獲得で終えた。
「進入ではスライドしてバイクがとまらないし、(スロットルを)開けるとスピニングしてずっと滑っている。今週はこの問題がまったくなかったので、なんで決勝レースになって……」とガックリ肩を落とした。「悔しいけど、今週はある程度力を見せることができたし、速さもついてきていると思う。次のもてぎはホームGPなので、気持ちを切り替えて臨みます」
ちなみに、来週の日本GPを前に長島哲太のロングインタビューを別途たっぷりとお届けする予定なので、そちらもどうぞおたのしみに。
Moto3の日本人最高位は鳥羽海渡(Honda Team Asia)の7位。右肩の負傷を抱えた状態で、土曜の走行から痛み止めを飲んで走行を続けた。2列目4番グリッドからのスタートながら、一時は大きく順位を落とし、そこからふたたび這い上がって得た7位に、本人も納得の様子。
「転倒やノーポイントレースが続いていたし、ケガが完全に治っていない状態を考えると、まだまだ課題はあるけど、今日の結果はうれしいです。タイヤチョイスや、自分がスロースターターなせいもあって出遅れたけど、後半にかけて徐々に順位を上げて行けたのでよかったです」
真崎一輝(BOE Skull Rider Mugen Race)は19位。サンマリノGPで転倒した際にフロントフォークのスプリングが折れており、それが原因で今もフロントへの信頼感を取り戻せずにいるが、今回も不完全燃焼のレースになった。
「ここまで遅いと、自分の問題だとハッキリわかっているので、自分自身を変えて、しっかり自信を持って次の日本に挑みます」
あとの3名は全員が転倒で終わった。
小椋藍(Honda Team Asia)は、最終ラップまでトップグループにつけていたものの、他選手の転倒に巻き込まれてじつに不運なリタイア。小椋を巻き込んでしまった選手は、レース後にピットへ挨拶に来たものの、サンマリノGPで巻き添えを食らわされたときの人物で、しかも今回は無理矢理なオーバーテイクで自滅した結果、小椋が巻き込まれた格好だけに、小椋の釈然としない気持ちは一段と強かったようだ。このフラストレーションを日本GPでいい結果に爆発させてもらいたい。
鈴木竜生(SIC58 Squadra Corse)は、レース中盤に差し掛かるトップ争いのさなか、こちらも、とある選手の挙動に巻き込まれて転倒。しかも、転倒を喫したのは鈴木を含む3台で、その3名をやっつけてしまった本人はライドスルーペナルティながら完走しているのだから、鈴木としては苦笑するしかない。
「バトルで接触があるのはいいけど、今日のようにブレーキングでオーバーテイクして自分だけ転ばなければいいや、みたいな走りは困りますね。いつも彼はそうだから……」
日本GPでは、本来の力強い走りをふたたび見せてくれるはずである。
佐々木歩夢(Petronas Sprinta Racing)は、ほぼ最後尾スタートという厳しい状況だったが、猛烈な追い上げで7番手まで迫ったものの、、16周目の1コーナーでバンプに乗ってしまい転倒。
「転倒は自分のちょっとしたミスなので、次に向けて改善できるようがんばります。でも、レースでは22台を抜けたので、内容は悪くなかったと思います」
うん。よく頑張ったと思います。
では皆さん、次の日本GPではぜひとも実力を存分に発揮してください。というわけで、2週間後に栃木県ツインリンクもてぎでお会いしましょう。
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはMotosprintなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」受賞。