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ヨシムラ、チームカガヤマとの“強固な絆”で全日本フル参戦

東京モーターサイクルショーのヨシムラブースにて、世界耐久選手権(EWC)の継続参戦と、全日本ロードレース選手権JSB1000クラスにヨシムラとTeam KAGAYAMA(株式会社ライドウィン)のタッグによって「YOSHIMURA SUZUKI RIDEWIN」が誕生、ライダーとして渡辺一樹をエントリーさせることが発表された。

その後、スズキのブースで加賀山就臣が現役引退を発表。「チーム監督として渡辺を支えることを自身のセカンドステージとする」と語った。


ヨシムラEWC&全日本ロード

 ヨシムラでは今季も「YOSHIMURA SERT Motul」として、世界耐久選手権に参戦しV2を目指すことが加藤陽平チームディレクター(TD)から発表された。

 加藤TDは「昨年はル・マンとボルドールのふたつの24時間耐久で勝ち、チャンピオンを獲得することが出来ました。今年はそのふたつに加え、スパ・フランコシャン24時間が加わります。3つの24時間耐久を制して、タイトルを取り連覇を目指します」と語った。

 また、EWCのテストライダーでもある渡辺一樹が、全日本ロードレース選手権にヨシムラとTeam KAGAYAMAがタッグを組み誕生した「YOSHIMURA SUZUKI RIDEWIN」から参戦することも合わせて発表された。渡辺は昨シーズン、EWCの開発ライダーとして働き、第4ライダーとして戦ったが、本戦に出ることはなかった。

 渡辺は「自分はまだ、表彰台を見上げるより、そこに立ちたいという気持ちが抑えられなくなりました」とライダー復帰を望み、それを加藤TDと加賀山が叶えた形だ。

 加藤TDは「日本で応援して下さる方のことは忘れたわけではなく、全日本を盛り上げたいという気持ちがありました。渡辺の願いを聞き、加賀山さんに相談したのが始まりでした」とチーム結成の背景を語った。加賀山とは2007年の鈴鹿8時間耐久で共に戦っている。このレースは加藤TDにとって監督デビューであり、加賀山は勝利をもたらした。その後、ヨシムラ入りしてライダーとして戦い、その時のチームメイトが渡辺でもあった。

 加賀山とヨシムラの繋がりは深く、お互いに強い信頼関係を築いて来た。加賀山は「自分の全てを渡辺に注ぐ」と並々ならぬ熱意を込めた。渡辺は「このチャンスを生かし優勝を目指す」と語った。


加賀山「引退」発表

 スズキブースに立った加賀山は「ここ1年~2年くらいは、勝ちに拘る走りが出来ていないと感じるようになった。32年間のスズキでのレース人生は痛い思い出もいい思い出もたくさんありました。最近は朝起きるのが辛く、トレーニングをしようにも中々、思うようにできないこともあり、引退を考えるようになった。これまで、支えてくれたスズキ、ファンの方々に感謝しかない。これで、勝ち負けのレースからは引退するが、楽しい参加型のレースや、イベントレースなどからは離れられないと思う。これからも、自分なりの活動で、バイクの面白さを広めたい」と語ると集まった関係者やファンから盛大な拍手が沸き起こった。

 加賀山は15歳でレース活動を開始。18歳でスズキワークス契約となり全日本ロードに参戦、12戦中24度の転倒でクラッシュキングと呼ばれたが、開発ライダーとして能力を発揮。成長することでロードレース世界選手権にスポット参戦を果たし、スズキを代表するライダーとなった。

 2003年からブリティッシュスーパーバイク選手権(BSB)にフル参戦を開始。キャドウェル・パークのレースで追突され、生死を分けるケガを負いなから奇跡の復帰を果たし鉄人、サイボーグと呼ばれ、屈強なライダーとして人気を不動のものとした。BSBには今も加賀山は尊敬を集めるライダーとして語り継がれている。

 その後スーパーバイク世界選手権で活躍し、2011年に帰国、Team KAGAYAMAを立ち上げJSB1000で活躍し続けた。鈴鹿8時間耐久でもケビン・シュワンツ、芳賀紀行、清成龍一らビッグネームを招集し参戦、2013年から3年連続で表彰台に登っている。その企画力やファンへのサプライズでも人気を高めた。昨年のランキングは4位と、まだまだその実力は高く、引退を惜しむ声も大きい。

 加賀山は「自分のセカンドステージはTeam KAGAYAMAでの経験値を活かして、ライダー渡辺一樹と共に最高のチーム環境を作り、最高のレース結果を目指すべく、ヨシムラスピリッツで全日本ロードレース・JSB1000に挑戦すること」とした。

(レポート:佐藤洋美)







2022/03/28掲載