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MoToGPはいらんかね

●文:西村 章 ●写真:MotoGP.com

 2022年シーズンのMotoGP開幕戦、カタールGPのスケジュールがスタートしたのは、3月3日木曜日。ロシアが独立国家ウクライナへの侵略を開始して一週間が経った日だ。シーズン最初のレースウィークだけに、開幕戦の木曜はMotoGP、Moto2、Moto3の各クラスがグリッドに集合して選手やマシンの写真撮影などを行うため、いつもの木曜以上にせわしなく慌ただしい雰囲気になる。MotoGPクラスの集合写真では、選手たちがマシンに跨がってグリッド上に並ぶ前方に”United for Peace”(平和のために団結しよう)というメッセージを記したボードを置き、事態の早期解決を願う皆の気持ちをアピールした。

#カタールGP
※以下、写真をクリックすると大きく、または違う写真を見ることができます。

 この集合写真撮影に先だち、日本人選手の中上貴晶(LCR Honda IDEMITSU)に週末へ向けた抱負を尋ねた際、「いまこの最中も悪化の一途を辿っている事態に対して、スポーツは、そしてMotoGPはどんなふうにウクライナの人々へ連帯を示すことができると思うか」という質問を投げかけてみた。政治的でセンシティブな問題なので答えたくない、と考えるのであればもちろんコメントしなくても構わない、と断った上での質問だったが、中上はためらわずに以下のような言葉を述べた。

「テレビをつけると、いつもロシアのウクライナ侵攻に関するニュースをやっています。今週末はレースがあるので、最新情報をいつもフォローできるわけではないんですが、良いニュースがないのはとても寂しく思います。どんな形であっても、戦争は見たくありません。ロシアには、テニスをはじめ様々な競技で素晴らしい選手たちがたくさんいるので、とても複雑な気持ちになります。とにかく自分に言えるのは、一刻も早くやめてほしい、ということ。皆が平和を望んでいます。いい解決を見つけてほしいと心から思います」

#30

 2022年シーズンのMotoGPクラスを戦う選手は24名。バレンティーノ・ロッシが昨年末で引退した現在、最も経験が長く年長の選手はアンドレア・ドヴィツィオーゾ(WithU YAMAHA RNF MotoGP Team)だ。そのドヴィツィオーゾに、ウクライナと国境を接するポーランドのジャーナリストが「DORNAやチームがプレスリリース等で何も声明を出さないまま開幕するのは妥当だと思うか?」という問いを投げかけた。ドヴィツィオーゾは真摯な表情で考え込む様子を見せ、言葉を選びながら訥々と、しかし誠実に答えた。

「我々はいま、とても厳しい状況を目の当たりにしている。現在進行しているのはとてもひどいことで、何らかの意思表示はできるだろう。しっかりと状況を見極めたうえで最良の判断ができると思う。ただ、自分は何かを決めることができるポジションにいるわけじゃない。だから、あなたの質問に対しては答えを持ち合わせていない。申し訳ない」

「いや、その言葉が充分に回答になっています。ありがとう」

 質問をしたジャーナリストもそう述べて、ドヴィツィオーゾに謝意を示した。

#ドヴィツィオーゾ
#93

 彼はまた、MotoGP最強のライダーと誰もが認めるマルク・マルケス(Repsol Honda Team)にも、現在ウクライナで起こっていることをどう思うか、と問いかけた。

「個人的な印象を言えば、2022年にどうしてこんなことが起こってしまうのか理解できない」

 マルケスは率直にそう述べた。

「MotoGPの全関係者、この部屋にいる全員が戦争に反対している。なぜこれを止めることができないのか、と思う。自分に言えるのは、戦争の被害を受けているすべての人々にここから手を差し伸べたい、ということ。でも、それじゃ全然足りない。僕たちよりも、(侵略行為の被害を受けている)彼らのほうがはるかに大切。あんなことはすぐにやめなきゃいけない。支援をしたい。でも、僕にはそれしか言えない」

 3月4日に走行がスタートした。開幕戦は毎年恒例のナイトレースとして行われるため、金曜の各セッションも午後からの走り出しになる。フリープラクティス(FP)1回目はまだ陽が高い真昼のセッションだが、FP2の開始時刻は陽が沈む午後6時。真昼と日没後では気温や路面などの温度条件が大きく異なるため、タイヤ選択やセットアップは日没後に焦点を合わせることになる。つまり、金曜のFP1と翌土曜真昼のFP3はレース時刻を想定したセッションにはならないので、金曜夜のFP2が予選Q2へダイレクト進出できるかQ1に振り分けられてしまうかを分ける重要な時間になる、というわけだ。

 この日、ロシアはウクライナ南東部にあるヨーロッパ最大規模の原子力発電所、ザポリージャ原発を攻撃して占拠するという挙に出た。一方、中国の北京ではパラリンピックが開幕。開会式で、IPC会長は「今夜は、まず平和のメッセージから始めたい、いや、そこから始めなければなりません」という言葉でスピーチを始めた。簡潔な数分間のメッセージは「謝々! Thank you very much! Muito obrigado!ピース!」という言葉で締めくられたが、中央電視台の中国語同時通訳は十数秒沈黙し、いくつかの言葉を訳さなかった。

 カタールGPのパドックには、バレンティーノ・ロッシに娘が誕生した、というニュースが届いた。そのロッシがオーナーを務めるVR46はMoto3、Moto2、MotoGPの3クラスにチームを擁している。そのVR46の第一期生とも言うべき存在で、ヤマハファクトリーの Monster Energy YamahaMotoGPに所属するフランコ・モルビデッリたちは、アルド・ドゥルディのデザインした”Give Peace a Chance”のステッカーをヘルメットに貼って走行した。

#21
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 この金曜に大きな話題になったのが、VR46出身のドゥカティファクトリー選手、フランチェスコ・バニャイア(Ducati Lenovo Team)たちが、エンジンスペックを最新仕様から少し前の型に戻した、という一件だ。今シーズンのドゥカティは総勢8台という大所帯だが、ファクトリーのバニャイアとジャック・ミラーは昨年最終戦後のヘレステストで試したエンジンと2022年車体のハイブリッドスペック、プラマックレーシングの2台とVR46のルカ・マリーニが2022最新スペック、グレシーニレーシングのエネア・バスティアニーニとファビオ・ディ・ジャンアントニオ、及びVR46のマルコ・ベツェッキが2021仕様、という振り分けになっていると推測された。

#63
#42

 さらに、プレシーズンから仕上がりの良さに注目が集まっていたTeam SUZUKI ECSTARのジョアン・ミルとアレックス・リンスが、ともに高いポテンシャルを発揮していることも大きな話題で、ライバル陣営の選手たちは揃って彼らの戦闘力向上を指摘して警戒感を露わにした。この日の最速タイムはリンス、2番手がマルケス、3番手がミル、という順位だった。

 走行2日目の土曜日、3月5日にFIMがロシアとベラルーシに対する処分を発表した。発表された文章では、ウクライナに対して連帯を表明するとともに、ロシアの行為を「侵略」と明言して非難。IOC等の対応を参考に、ロシアとベラルーシのFIM資格停止処分などを決定した。

 予選でポールポジションを獲得したのはホルヘ・マルティン(Pramac Racing)。昨年のドーハGPで、当時最高峰クラス2戦目ながらポールポジションを獲得し、その勢いを決勝レースでも維持して優勝を達成している。2年連続のポール獲得だけに、今回も優勝候補最右翼のひとり、と見なされるのは当然だっただろう。

 2番グリッドは同じくドゥカティ陣営のバスティアニーニ。上記のとおり、マルティンが最新の2022年スペックであるのに対してバスティアニーニは2021年仕様。いわゆる〈型落ち〉ということになる。だが、昨シーズンにバニャイアが、特にシーズン後半に圧倒的なパフォーマンスを見せたデスモセデチGP21は、各陣営の最新仕様と比較しても遜色ない性能を発揮していることが、バスティアニーニのパフォーマンスから伺える。3番グリッドにはホンダのマルケスが入った。

#89

 
 3月6日。中国の北京では、パラリンピックの出場を拒否されたRPC(ロシア)選手団が帰国の途についた。中東カタールでは、MotoGP開幕戦の決勝レースが行われる。真昼の午後1時40分から行う20分間のウォームアップセッションで、ポールポジションを獲得したマルティンのバイクのフロントカウルには、ウクライナ国旗のカラーリングを施したハートマークのステッカーが貼付されていた。

 決勝は最小排気量のMoto3クラスからスタートした。

 全18周で争われたMoto3のレースでは、ポールポジションの佐々木歩夢(Sterilgarda Max Racing Team)が後続をあっさりと引き離して3秒以上の独走態勢を築き上げ、そのまま優勝するかとも見えた。だが、11周目にカウル左側が緩んでしまうアクシデントが発生、走行に支障を来したためにピットへ戻ってリタイアを余儀なくされる不運な結果になった。

 佐々木が消えたことで、第2集団だったグループがトップ争いとなり、レースは混迷の様相を呈しはじめた。その中で激しい争いを繰り広げていた鳥羽海渡(CIP Green Power)が、3位でゴール。優勝経験もある相性の良いサーキットで、幸先の良い開幕結果になった。

「去年はどのセッションでも、とにかくタイムを出すことに躍起になってしていたのですが、今年はFP1からFP3まで、まず安定してレースペースを刻むことを優先して考えるようにしました。ここは大好きなコースでいい思い出もあるので、11番グリッドからのスタートで直線では厳しかったのですが、(スリップストリームを利用して)後ろについてコーナーでひとりひとり落ち着いて抜くように心がけ、しっかりと戦うことができました」

 と18周の戦いを振り返った。

#moto3
#moto3

 Moto2では、クラス2年目の小椋藍(IDEITSU Honda Team Asia)が熾烈な3位争いを繰り広げた。最終ラップ20周目の最終コーナー手前までグループをリードして走り続けたが、最終コーナーでフロントを切れこませた。その際にバトル相手と接触したため、結果的に転倒は回避できた格好だったが、接触されたバトル相手は4位、オーバーランした小椋は6位でゴールする結果になった。

 小排気量と中排気量の2クラスを経て、MotoGPの決勝は18時にスタートする。今年から、スタート前進行のセレモニーではグリッド前方に”Racing Together”のサインが掲げられ、歴代チャンピオンのプラークを積み重ねたトロフィー「タワーオブチャンピオンズ」を展示することになった。勇壮な音楽を吹奏するカタールの軍楽隊マーチングバンド、グリッドにつく選手たち、そしてグリッド前に配された”Racing Together”の大きなロゴを公式映像が映し出すなか、DORNAのレースコメンテーターはこのような言葉を述べた。

「”Racing together”、いま、この言葉以上に相応しいものがあるでしょうか。世界で多くの人が生命の危機に脅かされている現在、画面の隅には”United for Peace”(平和のために団結しよう)というロゴが配されています。レース統括団体は、ウクライナで非道な残虐行為を行っている国家に対して、断固とした措置を執ることを発表しました。わたしたちは平和の側に立ちます。わたしたちは、平和のためにレースをします。そしてわたしたちは、平和のために団結します」

#MotoGPの決勝

仕事柄、日本のテレビ放送を見ていないので、そこで果たしてどのような実況がなされていたのかは知らないのだが、きっと日本の放送局からもレースファンに向けて何らかの気骨のあるコメントが行われていたと思いたい。

 18時スタートした22周のレースは、3番グリッドのマルケスがホールショット。チームメイトのポル・エスパルガロが3コーナーでマルケスの前を奪うと、以後は17周目まで先頭を走行し続けた。終盤になると、バスティアニーニがエスパルガロからトップの座を奪い、一気に1秒以上の差を開いた。ラスト5周を優位に進めたバスティアニーニはトップでチェッカー。最高峰クラス2年目の開幕戦で初優勝を達成した。

 バスティアニーニが所属するグレシーニレーシングは、昨年までアプリリアのファクトリーチームを運営していたが、今年からはインディペンデントチームとしてドゥカティ陣営の一翼を占めることになった。所属選手のバスティアニーニとファビオ・ディ・ジャンアントニオは、グレシーニレーシングが中小排気量クラスも運営していた2016年のMoto3クラスチームメイトでもある。長い歴史を持つこのチームの所属選手がMotoGPクラスで優勝を飾るのは、2006年ポルトガルGP(トニ・エリアス)以来14年ぶり、レース数にして249戦目の快挙だ。チームを率いてきたファウスト・グレシーニ氏は、新型コロナウイルス感染症に罹患して昨年2月に逝去したため、今年からは夫人のナディア・パドバーニ氏がチームマネージャーの座を継承している。

#23
#バスティアニーニ

「今日の最終ラップは、今までの人生で最も長く感じた周回のひとつだった」

「うちはファクトリーチームではないし、最新パーツが投入されるわけではないけれども、最高のバイクだし、スタッフもチームも最高だと思う」

 そう語るバスティアニーニにとっても、新マネージャーのナディア・パドバーニ・グレシーニ氏率いるチームにとっても、そしてMotoGPにとっても、2022年の開幕戦は長く記憶に残る、記念すべき象徴的な一戦になった。

 ーー地には、平和を。

#カタールGP

【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と最新刊「MotoGP 最速ライダーの肖像」は絶賛発売中!


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2022/03/08掲載