第16回 こだわりの塊、CB1100を語ろう -生産終了にあたって思う事-
2021年10月8日、CB1100 EXとRSのファイナルエディションがリリースされました。車名のとおり、このモデルで国内生産は終了です。2010年2月デビューから11年に渡り空冷4発ファンを魅了してきました。短期間ですが、CB1100のPRに携わった者として”こだわりの思い”を語ることで、はなむけの言葉にしたいと思います。
【CB Fourが東京モーターショーに出展された】
空冷・4ストローク・4気筒と言えば、1969年発売の「CB750FOUR」がホンダの市販車のルーツですが、その30年後にあたる1999年の東京モーターショーに突如として「CB Four」が参考出品としてお披露目されました。排気量は公表されませんでしたが、ボリューム感から750cc~1000ccくらいと想像できます。
この時は広報担当として、会場で報道関係者の意見に耳を傾けていました。
CB750FOURの再来として歓喜する方もいれば、あまりにもルーツにこだわりすぎて
新しさを感じない、という方もいました。私個人の感想としては、スタイリングに難があると思いました。あまりにも偉大で伝説になっているCB750FOURの面影を色濃く残していますから、それを超えるモデルにはなりえないと。
賛否両論でしたが、このモデルを出品したことで、二輪ファンが求める空冷4発のイメージを収集することができたと思います。
「ホンダ伝統の空冷直列4気筒エンジンを継承しながら、独自のエモーショナルな味わいと機能美を徹底的に追求した大人のネイキッドモデルです。(途中省略) 直4CB誕生30周年を飾るにふさわしいモーターサイクルの普遍的な魅力を提案するモデルです」
市販を視野に入れたモデルではなく、お客様が求めるネイキッドモデルについて考察するために開発したといっても過言ではないでしょう。では、1990年代後半のホンダがラインアップしていたネイキッドモデルを参考までに紹介します。
代表格は、空冷4ストローク4気筒「CB750」です。このモデルは1992年に登場し、
二輪教習所のニーズにも応えたナナハンです。地味な存在ながら、2004年にカラーリングを一新すると人気が高まり、2007年のマイナーチェンジまで15年以上にわたるロングセラーとなりました。
一方、400ccクラスでは、安定した人気を誇るCB400スーパーフォアの水冷4気筒エンジンを流用した「CB400 FOUR」が新たにラインアップされました。
水冷エンジンではあるものの、4本出しマフラーの採用で、CB750FOURのリアビューをイメージさせたものでした。カタログには「4発が、聞こえる」というコピーがありました。実際に真後ろで排気音を聞きますと、4本マフラーが奏でる音は、集合管のCB400スーパーフォアのものとは全く違うものでした。
1998年には、CB1300スーパーフォアが登場しました。1992年にデビューしたCB1000スーパーフォアをルーツとする水冷4ストローク4気筒エンジンを搭載した、ネイキッドモデルのフラッグシップです。
このモデルのPR担当として箱根のホテルで報道向けの試乗会を開催しました。1300ccにふさわしい堂々とした体躯ですから、撮影車両を押し引きするときの重さも別次元でした。この当時の水冷エンジンのネイキッドモデルのエンジンには、空冷エンジン風のフィンをあしらっていました。冷却性能にはさほど寄与していないのですが、ネイキッドには空冷が似合うという固定観念が強かったのかもしれません。
この頃には、すでにバイク愛好者の高齢化が進んでいましたので、大排気量モデルでも取り回しの良い車体サイズや足着き性なども重要視されるようになりました。このCB1300スーパーフォアは、軽量化を図りながらスーパーボルドールのタイプ追加や熟成を重ねて現在も人気のロングセラーモデルに成長しています。
【2007年の東京モーターショーで2台のCB1100を出展】
2000年代に入ると、250ccのビッグスクーターの隆盛やFTRなどでカスタマイズを楽しむ若者が増加しました。スポーツバイクでは、2002年にCBR954RRが発売されるなど、スーパースポーツ系モデルが各メーカーから発売され活況を呈しました。
2007年、東京モーターショーに待ちに待った2台の参考出品車がお披露目されました「CB1100F」と「CB1100R」です。どちらもホンダの伝統を大事にしながら、その時代に自然に溶け込むかのようなスタイリングにまとめられています。空冷4発の参考出品としては、1999年のCB Fourから8年が経過していました。実物を見る限り、CB1100Fの方が実現性は高そうでした。小柄な私でも簡単に取り回しできそうなコンパクト設計です。スピードを求めない大人のためのCBとでも言いましょうか、古いフレーズでは「静かなる男のためのCB」という感じでした。
広報担当といっても、好き嫌いはありますから、CB1100Fの説明には力が入りました。発売は未定でしたが、報道の方々に市販化への後押しの記事をお願いしていました。報道と一般来場者の反応は、CB1100Rの方が断然人気は高かったものの、かつてのCB1100Rと比べるとレーシングイメージが少ないようで、少し物足りなさを感じていたのも事実でした。
両モデルは、市販のシナリオが全く決まっていなかったので、あまり期待を持たれるような積極的なPRはできませんでした。しかし、開発陣にとって大きな手ごたえはあったようです。
【CB誕生50周年とCB1100の動向】
2009年は、「CB」の名を冠した初の市販車「ベンリイCB92 スーパースポーツ」が誕生してから50周年を迎えました。年初から専門誌を中心にCB50周年の特集を展開していただきました。それと呼応するかのように、この年の東京モーターショーでは「市販予定車」として「CB1100」が出展されました。
2007年の出展モデルと比べると、フレームが太くなりエンジンの外形サイズや車体も少し大きくなった感じです。開発を進めていく中で、さまざまな見直しがあったようです。ようやく市販が決まりましたので、広報担当としては期待感を高める企画をスタートしなければなりません。この段階では市販時期は明言できませんでしたが、正式発表まで4か月ほどの準備期間がありました。
まずは、東京モーターショーの場を有効に活用することから始めました。開発責任者の福永さんへの取材をビデオ撮影して、HMJから全国の販売店にDVDを提供してCB1100のコンセプトや開発者の想いを伝えるものです。販売店店頭で放映してもらい、潜在ユーザーに見ていただくことで期待感を高めてもらう狙いでした。
そして、研究所で開発メンバーを含めて試乗会の時期や場所の設定の打ち合わせです。これまでのスポーツバイクのように、気持ちよく走れるワインディングは必要ない。試乗のコースに希望はないが、空いている田舎道をのんびり走ることができればいい。それよりも、試乗会場は、「日本の伝統美」を感じられる事。CB1100の背景にも使えること。そして、説明会場も統一感のある場を設定して欲しい。という、私の経験がまったく活かされない要求でした。これまでは、大型ホテルやツインリンクもてぎなどのホンダの施設を利用することがほとんどでしたから、想像もつきません。
【鷹揚とたたずまいを表現できる会場を探せ】
開発陣が大切にしたいことは、CB1100のコンセプトである「鷹揚(おうよう)」と「たたずまい」でした。どちらも頭では理解できるのですが、具体的なイメージが湧かない。準備期間はどんどん過ぎていきました。
広報活動をサポートしてくれるPR会社の方が「小さいころに良く遊びに行った酒蔵があり、時期によっては施設を地域の方々のコンサート会場などに貸しているようです。老舗の蔵元ですが、伝統を守るだけでなく地域に開放しているなど、新しい取り組みをしているようですから、一度下見をしませんか」と提案してくれました。
そこは、千葉県の酒々井町(しすいまち)にある「飯沼本家」という「甲子(きのえね)正宗」ブランドの日本酒などを製造する老舗の蔵元です。その頃は、発表を1か月後に控えていましたので、飯沼本家に断られると時間的に万策尽きることになります。1月22日に尋ねた飯沼本家は、新潟から移築した「まがり家」と呼ばれる重厚な建物や、道路沿いの塀にも日本の伝統と風格を感じました。創業は300年を超えるとのことで、創業60年少しのホンダとは比較にならない歴史の重みがありました。
私たちの訪問には、当主ご本人が接してくれました。「蔵元」と「スポーツバイク」という異なる世界で心配しながら、CB1100について説明を始めました。当主は、伝統を重んじながら、先進のエミッション技術を投入した趣味性の高い大人のためのバイクというコンセプトに共感していただき、施設の利用をOKしてくださいました。伝統の継承と先進性へのチャレンジが、飯沼本家としても重要視していましたので、両者の考えが一致したものでした。PR会社の事前調整のおかげです。
後は、社内の根回しが残っていました。バイクや四輪とアルコールは、飲酒運転のイメージが付きまといますので、誤解されないように説明しないとなりません。このような経緯で、3月4日、5日にCB1100の報道向け製品説明会・試乗会を、「飯沼本家 酒々井まがり家」で開催することができました。
この時、飯沼本家では酒粕つくりが行われており、建物の中でも外でも淡く香ってきます。まさに、五感で日本の伝統を感じることができた時でした。
CB1100には、2007年の参考出品から2010年のデビューまで3年間どっぷりと関わってきました。正式なデビュー前から関わることができたことは、貴重な体験でした。今では、”日本発” “日本専用”のスポーツモデルは無に等しい状況ですが、日本の伝統美やものの考え方を日本から発信できたことは、ものづくりや広報活動でも有意義な経験でした。
CB1100は、モーターサイクルを相棒と考えている方に末永く愛用されていくモデルだと思います。生産は終了しますが、このモデルに込められた思いは終わることがありません。今日も何処かで空冷4発のサウンドとともに、所有することの喜びを与えていると思います。
1955年山形県庄内地方生まれ。1974年本田技研工業入社。狭山工場で四輪車組立に従事した後、本社のモーターレクリエーション推進本部ではトライアルの普及活動などに携わる。1994年から2020年の退職まで二輪車広報活動に従事。中でもスーパーカブやモータースポーツの歴史をPRする業務は25年間に及ぶ。二輪業界でお世話になった人は数知れず。現在は趣味の高山農園で汗を流し、文筆活動もいそしむ晴耕雨読の日々。愛車はホーネット250とスーパーカブ110、リードのホンダ党。