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バイク承前啓後

バイクと出会って半世紀。子供の頃、バイクのカタログ集めに夢中になった山形の少年は、学校を卒業すると念願だったホンダに入社。1994年からは二輪広報を担当し、2020年定年退職するまで四半世紀、一貫して広報活動に従事した。バイクブームのあの時代からの裏も表も知り尽くした高山さんの視点でふりかえる、バイク温故知新の四方山話。それが「バイク・承前啓後(しょうぜんけいご)」。

第13回 カタログに見る「スクランブラーモデル」の誕生と変遷 -スズキ編- 
スクランブラーからモトクロスタイプに進化したスズキのオフロードモデル

 1967年、スズキにとって初のスクランブラーモデル「TC200」と「TC250」が誕生しました。ともに、ロードスポーツモデルをベースとしたストリートスクランブラーでした。当時の250ccクラスは、カワサキがA1-SSを発売。ホンダはCL72を生産中止し、次期後継モデル「CL250」がスタンバイしていました。

1967年 TC200
1967年TC200。
1967年 TC250
1967年TC250。

 スクランブラーの基本ともいえる、アップマフラーにブリッジ付アップハンドル、ブロックパターンのタイヤに可倒式のステップを備えていました。カタログには、「荒地を噛んでダイナミックに突っ走る超タフガイ車」の記述も見られますが、スタイリングはおとなしいイメージです。

 1968年、スクランブラーシリーズとして、「AC50」「AC90」を発売。想定されるライバル車は、ホンダのCL50、CL90でした。

※カタログは個人所有のため、汚れなどはご容赦ください。

1968年 AC50
1968年 AC50
1968年AC50。スクランブラーを前面に押出しています。

1968年 AC90
1968年 AC90
1968年AC90。当時は、高校生など10代の若者に90ccモデルは人気の的でした。「若者のスクランブラー」がそれを表しています。二人乗りにも対応したモデルです。

1968年 AS50
1968年 AS50
1968年AS50。AC50のベースとなったロードスポーツモデル。当時は、小排気量のロードスポーツの多くにアップマフラーが採用されていました。

【ロードレース世界選手権への挑戦と成功による飛躍】

 少し時代が前後してしまいますが、1960年代に国内メーカーが歩んだモータースポーツへの挑戦について触れたいと思います。
 ホンダ、スズキ、ヤマハは相次いでロードレース世界選手権(WGP)に挑みました。挑戦によって培った技術でマシン性能を高めていき、量産車にもその技術を投入して飛躍的に発展しました。
 スズキは、1960年にWGP 125ccに挑戦を開始しました。そして1962年、WGPに新たに組み入れられた50ccクラスにも挑戦し、見事初代世界チャンピオンを獲得。翌1963年には念願の125ccクラスのチャンピオンと50ccクラスの連覇を果たし、スズキ2ストロークエンジンの優秀性を世界に示したのです。

世界チャンピオン獲得の広告
1963年に鈴鹿サーキットで開催されたWGP日本グランプリの公式プログラムに掲載された世界チャンピオン獲得の広告。

 1967年にWGP活動から撤退した後には、今後の成長が見込まれるモトクロスレースに挑みます。日本国内では、カワサキとヤマハが優位に立っていましたが、スズキはいち早くモトクロス世界選手権(WMX)に挑戦しました。
 1968年、250ccクラスにRH68で本格参戦を開始。翌1969年には、ペテルソン選手がランキング3位、メーカーランキングは2位を獲得。そして1970年、250ccクラスに於いて、ロベール選手が世界チャンピオンを獲得し、同時にスズキにメーカーチャンピオンをもたらしました。もちろん、WMXでは、日本メーカー初の快挙です。さらに1971年には、250ccクラスで連覇するとともに、新たに500ccクラスにも挑戦。ロジャー・デコスタ選手によってデビューイヤーで世界チャンピオンを獲得し、スズキの黄金時代が到来します。このような華々しいモトクロスでの活躍は、量産オフロードマシンにも大きな影響を与えました。

【スズキの自信作 ハスラー250が誕生】

 1969年、モトクロスレースで得たノウハウを注ぎ込んだ「ハスラー250」を発売。同時に、モトクロスレースに出場できるように、豊富なキットパーツも用意されていました。そして、全国各地に「スズキオートランド」を設置して、オフロード走行を楽しめる環境を整える活動にも取り組んでいきました。

1969年 ハスラー250
1969年 ハスラー250
1969年ハスラー250の簡易カタログ。「栄光のスクランブルマシン」のコピーが見られます。スズキのエースライダー、矢島金次郎氏の華麗なライディング写真をあしらっています。ハスラーの存在感を高めた鮮やかなグリーンの車体色です。

1969年 ハスラー250
1969年 ハスラー250
1969年ハスラー250。簡易カタログと比べると、グリーンの濃さが違います。車体色については、「印刷インキの性質上、実際の車体色と異なってみえます」と注意書きが見られます。当時のカタログなど印刷物には、よく見られた注意書きです。

1969年ハスラー250
高く引き上げられたフロント・アップフェンダーが本物志向のオフロードマシンであることを強調しています。ちなみに、一足早く発売されたヤマハのDT1は、ダウンタイプのフロントフェンダーでした。
1969年ハスラー250
メカニズムの詳細がぎっしり書かれた中面。技術に対する自信が表れています。

 1969年は、スズキにとってハスラー250が一番の話題であったと思います。その陰に隠れるような存在になりましたが、同年発売の「TC120」は忘れてはならない意欲的なモデルでした。

1969年 TC120
1969年 TC120
1969年TC120。スクランブラーを車名に採用。現代のトレッキングマシンの性格が与えられていました。

1969年 TC120
レース用タイヤに近いノビータイヤを採用し、フロントフォークには悪路でスタックしたときに使うであろうスタックバーも備えています。そして何といっても「スズキ・ポジセレクト」と名付けられた副変速機を備え、3+3段ミッションでどんなところでも走破できそうな仕様です。
1969年 TC120
自慢の装備を解説したページ。マフラーにはスパークアレスターを採用しています。

 もう一台、隠れた存在としてT250アップマフラーが1970年に発売されました。このモデルは、スズキ初のスクランブラーTC250の後継モデルの位置づけでした。

1970年 T250(アップマフラータイプ)
1970年 T250(アップマフラータイプ)
1970年T250(アップマフラータイプ) 。

 ロードスポーツのT250をベースとしたモデル。 “ラフ・ロード・マシン”のキャッチコピーですが、タイヤはオン・ロードタイプそのままですから、ラフロード走行は結構きつかったと思われます。250ccクラスのオフロードモデルは、ハスラー250の登場により、T250アップマフラータイプは短命に終わってしまいました。

1970年 T250(ダウンマフラータイプ)
1970年T250(ダウンマフラータイプ) 。車名はともに「T250」で、タイプ名で区別していました。

【ハスラーシリーズのラインアップ強化】

 1970年、ヤングライダー向けの「ハスラー90」が発売されました。ホンダSL90、ヤマハHT1、カワサキ90TRと、4メーカーが最新のオフロードモデルを投入して90ccクラスは活況を呈します。翌1971年には、「ハスラー50」「ハスラー125」をラインアップに加え充実化を図ります。

1971年 ハスラー50.90.125のカタログ
1971年 ハスラー50.90.125のカタログ
1971年ハスラー50、90、125のカタログには、1970年にスズキが日本メーカーとして初めてWMX250ccクラスで世界チャンピオンを獲得したことを紹介しています。全国展開していた「スズキオートランド」の紹介と合わせ、モトクロスの普及に取り組んでいく姿勢をPRしていました(私は中学生の時に、近くに開設されたオートランドに行き、通学用の自転車でジャンプに挑戦。フロントフォークを曲げてしまったことがありました)。

1971年 ハスラー50.90.125のカタログ
ハスラー3車種を一堂に紹介しているページ。ワークスモトクロスマシンがイエローだったため、そのイメージを反映した車体色としています。

1971年 ハスラー50.90.125のカタログ
ハスラーシリーズの末弟として登場。カタログには「プロ級50ccスクランブラー」のコピーがあるように、スクランブラーの位置づけでした。
1971年 ハスラー50.90.125のカタログ
ハスラー90のハスラー250に似たアップマフラーはスタイリングも良く人気を博しました。私にとって初めての愛車でした。兄のおさがりでしたが、5万キロも走ってくれた青春時代の相棒です。

1971年 ハスラー50.90.125のカタログ
ハスラー125。世界チャンピオンマシン「RH70」を彷彿とさせるダイナミックなスタイリングが特徴です。”本格派スクランブラー”のキャッチコピーも見られます。

1971年 ハスラー50.90.125のカタログ
ハスラーシリーズに用意されたキットパーツの紹介ページ。エンジン関係から車体関係まで、充実したパーツが用意されています。製品カタログで紹介するのは珍しいケースです。

【製品総合カタログにみるカテゴリー分類】

1969年の総合カタログ
1969年の総合カタログ

 1969年の総合カタログでは、オンロードもオフロードも「スポーツタイプ」として紹介されています。まだカテゴリーの区分けはされていませんでした。1971年の総合カタログでは、スポーツと「スクランブラー」のカテゴリーに分類されました。

 GT750が近日発売となっていますから、1971年の9月以前に発行されたものです。スクランブラーには、ハスラーシリーズと市販モトクロスマシンTM400も仲間入りしています。このようにスクランブラーをカテゴリーとして明確に打ち出したのは、1年に満たない短期間と思われます。1972年の製品総合カタログでは、新たなカテゴリーに分類されました。

1972年 総合カタログ
1972年総合カタログの表紙は、2ストローク3気筒の「GT550ディスク」です。

1972年 総合カタログ
スポーツ、モトクロス、ビジネスの3タイプに分類されています。

1972年 総合カタログ
世界モトクロスの舞台で勝ち得た栄光を背景に、「モトクロスタイプ」というカテゴリーを明確にしました。50から400までシリーズ化されたハスラーに加え、市販モトクロスマシンのTM250/400もラインアップしています。ハスラー50と125には、「スクランブラー」のコピーもまだ見られます。
1972年 総合カタログ
スポーツタイプのカテゴリーで興味深いのは、スクランブラーのAC50、そしてツーリング仕様としてタイプ設定されたTS90T(ハスラー90がベース)とTS125T(ハスラー125がベース)の存在です。この当時のスズキは、ロードスポーツのAS50、ウルフ90と125がラインアップから無くなり、50、90、125のロードスポーツ(ツーリング)モデルが不在でした。他社に対抗するには、この3車種が必要だったと思います。

 1975年当時の総合カタログでは、スポーツタイプは「GTシリーズ」に。モトクロスタイプは「ハスラーシリーズ」と市販モトクロスマシン「RM/RHシリーズ」に2分化されています。

1975年ハスラーシリーズ
1975年ハスラーシリーズのカタログより抜粋。

 ハスラーシリーズのカタログには、まだスクランブラーの記述がみられます。モトクロスのイメージは大切にしつつ、オンからオフロードまで自由に駆け巡るスクランブラーのイメージを大切にしたのだと思います。


高山正之
高山正之(たかやま まさゆき)
1955年山形県庄内地方生まれ。1974年本田技研工業入社。狭山工場で四輪車組立に従事した後、本社のモーターレクリエーション推進本部ではトライアルの普及活動などに携わる。1994年から2020年の退職まで二輪車広報活動に従事。中でもスーパーカブやモータースポーツの歴史をPRする業務は25年間に及ぶ。二輪業界でお世話になった人は数知れず。現在は趣味の高山農園で汗を流し、文筆活動もいそしむ晴耕雨読の日々。愛車はホーネット250とスーパーカブ110、リードのホンダ党。


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2021/09/30掲載