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MBアーカイブス





ミスター・バイク アーカイブス第2回 1976年5月号(創刊号)


1976年(昭和51年)4月(月号では5月号)に創刊し、2010年(平成22年)7月号で休刊(書籍コード=ミスター・バイクの場合は08489が生きている限り廃刊とはいわないらしいので)して、現在はWEBでなんとか生き延びているミスター・バイク。長いようで短いのか、短いようで長いのか、35年間で420冊(増刊号は含まず)を発行しました。これも多いのか少ないのよく分かりません。創刊号から最終号まで、おもしろうそうな内容をピックアップして、一部ではございますがご紹介させていただきます。しかし改めて420冊となると量が多い……不定期更新になりそうですが、気長にお付き合いください。

意外と? 真面目な内容

 前回をアップしたところ、多くのみなさまに読んで頂けましたようで、ミスター・バイクの読者さんをはじめとして、業界関連の方々にBOSS・渡辺靖彰のご子息まで多方面から叱咤激励をいただきました。改めてミスター・バイクとBOSSの求心力を思い知らされました。どうもありがとうございました。その中に「いったい誰が書いているのか?」というご質問もございました。末端構成員であった私が「実は○○でございます」と名乗ったところで、「おまえ誰?」となるのがオチでございます。ま、そんな些細なことはおいといて、さっそく創刊号を開きましょう。

 記念すべき創刊号の表紙を飾ったのは、プリンスと呼ばれた生沢徹氏とミスター・バイクのロゴ入りのカスタムバイク。生沢氏は私には雲の上の方で、お話ししたことなどありません。が、その昔、ふらっと編集部にいらっしゃいました。私に「これ見られる?」とCD-ROMを差し出しました。弊社は鉛筆と紙は支給してくれましたがパソコンは自前。Macの一番安いLC630(内蔵メモリ4MB HDDは250MB)を使っていましたから重い画像を開くのに時間はかかるし、爆弾マークが出てフリーズするかもしれないのです。案の定、画像が立ち上がるまで5分くらいかかりました。すると生沢氏に「遅い!」と一喝されました。以上,私の唯一の生沢氏との思い出でした。

 ところでこのバイク、車種はなんでしょうか? なんとなくRD350だと思い込んでいましたが、ブレーキがまったく違います。うしろにある赤いヨンフォアは、生沢さんが颯爽と乗ってきたと、書いてありましたが、メイン車両については記述が一切ありません。「みんなでわいわいと推測して投稿しましょう」ということなのかと推測したりしますが、実は表紙担当がバイク本体にそれほど頓着がなかった、いや知識もなかったというのが真相のような気もします。どちらにしても、これぞミスター・バイクらしいというところでしょうか。

#1976年5月号
#1976年5月号
1976年(昭和51年)5月号。ここからミスター・バイクの歴史が始まりました。

 巻頭カラー特集は550万円のハーレーサイドカー。カラーページは前半4ページ、センター(ちょうど真ん中)に12ページ、後半4ページの計20ページ。そのうち15ページが広告です。いくらなんでもカラーグラビア記事が少な過ぎと思われるかも知れませんが、カラーページの製作コストは活版(わらばんしみたいなページ)の100倍くらい高かった(たぶん)でしょうし、広告収入がなければ雑誌は成り立ちませんから、これくらいの比率は普通でした。そもそも当時の雑誌でカラーページそのものが珍しかったのです。

 モノクログラビアは前半16ページ、センターはカラーを挟んで16ページ、後半16ページの計48ページ。前半特集は新車試乗に上野バイク街ルポ、そしてそのものズバリ「女」という、今でははばかられるようなタイトルの女性ライダーの紹介。センターには後に人気定番コーナーとなる「俺たちゃ街のミスター・バイク」と写真付きの個人売買。貴重なグラビアページを個人売買コーナーにするなんて、ミスター・バイクの読者に対する姿勢の表れではないでしょうか。後半は「オンナのコはこんなこと言ってるぞ!」という街頭インタビュー(ほんと女性好きですね……)。ガレージ拝見や魅惑の400ccロードスポーツCB400FOUR-Ⅰ/Ⅱ、RD400、Z400、GT380、KH400の比較試乗と、手堅い企画が続きます。

#ミスター・バイク 1976年5月号
巻頭モノクログラビアの新車紹介。お洒落な海外ロケみたいな場所で撮影していますが、これは編集部の裏庭と道路際の壁の前です。こんな環境の編集部はなかなかないのでは。※写真の状態がよくないのですがごかんべんください。
#ミスター・バイク 1976年5月号
ど真ん中には創刊号特別付録のとじこみステッカー。これは50年近く経過した今でも貼れそうでしたから、ちゃんとコストかけて製作しています。ちなみに最末期のMBステッカーは、コストダウンのおかげで、バイクやメットに貼るとすぐに色褪せました……ごめんなさい。

 活版の特集記事は「キミの買う50cc~250ccバイクはこれだ!」とか「キミはバイクパッキングを知っているか?」「2輪の出てくるTVCFを裏から見れば」といったハウツーものと小説やメカ解説など。ネットも携帯電話もまだまだSF小説に出てくる未来の機器のローテク時代ですから、情報ページは新製品、ツーリング、メカ、歴史、音楽、映画、書籍、海外など広いジャンルにわたって充実しています。
 もちろん読者ページもあります。創刊号なのに読者さんからのおたよりが掲載されているのは、よくよく考えてみればおかしなことです。が、実は私も読者兼アルバイトとして編集部に出入りしていた学生時代、某誌創刊号用におたよりをせっせと投稿させられた(もちろん無償で)記憶があります。

#ミスター・バイク 1976年5月号
ミスター・バイクのもうひとつの顔といえるのが読者ページ。投稿者の氏名を見れば謎解きの答えが(笑)。住所は町名まで掲載されてるのが昭和です。一応モザイクかけておきます。
#ミスター・バイク 1976年5月号
すごく真面目なメカ解説。このコーナーは人気となったようで、この後も長い間続きます。今読んでもためになります。

 創刊号には過激な記事も奇抜な特集も社会派のすっぱ抜き記事も特にありません。過激な時代のミスター・バイクを知る多くのみなさんにとっては、別の雑誌に思えるほど真っ当な? バイク雑誌にみえてしまいそうですが、 ミスター・バイクの基本的なページ構成やスタイル自体は、創刊号からすでに確立されていたのがわかります。
 ちなみに、本誌でインプレを連載している毛野ブースカさんがバーグマンストリート125EX実走実験で訪れた、伊香保おもちゃと人形自動車博物館には創刊号の表紙が展示されていたそうです。博物館に展示されるほどですから、当時の若者に与えたインパクトはそれなりに大きかったということでしょう。
 最後になぜか私が知っているデータを発表しちゃいますか。創刊号の発行部数は約15万5千部。返本率は約31%。創刊号としては、まずまずの数字ではないでしょうか。あ! これ社外秘ですか? これが原因でこのコーナーが消滅しなければ、また次回お会いしましょう。


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2025/08/20掲載