●文:西村 章 ●写真:MotoGP.com/Pirelli
2024年10月27日、第18戦タイGPの開催地ブリラムのチャーンインターナショナルサーキットで小椋藍(MT Helmets-MSI)がMoto2クラス世界チャンピオンを確定させた。
前戦オーストラリアGPを終えた段階で、小椋はランキング2番手の選手に対して65ポイントを開いており、今回のレース終了時に50ポイント差があれば最後の2レースを残してタイトルが確定する、という状況だった。ライバル選手のリザルトにかかわらず、自身が5位以上の成績であればよいという条件で、直近5レースの優勝―4位―2位―2位―4位という成績を見れば、ここで決める可能性はいかにもかなり高そうだった。
週末の走行が始まってみると金曜午前から上々の様子で、土曜午後の予選ではポールポジションを獲得。日曜の決勝レースは雨模様の微妙な天候でスタートし、小椋は1周目に7番手まで順位を下げたものの、そこから着実にポジションを上げていった。
こういうレースだと、チャンピオン確定がなににもまして大切なターゲットになるので、目標とする順位まで上げれば、あとは前や後ろとの差をうまくコントロールしながら最後まで凌ぎきって無事にチェッカーフラッグを受ける、という戦いかたをするのが常道だ。
しかし、小椋の場合は、7番手から6番手、5番手、4番手、と順位を上げていってもその位置に安住せず、さらに最速ラップタイムを連発して前との差をぐいぐい詰めていった。この静かでありながらもひたむきで熱い走りが、いかにも小椋らしい。
2番手まで順位を上げた勢いそのままに後続を引き離し続け、レースはあと残り2周、となったところで、なんと天候の悪化により赤旗中断。これで小椋のチャンピオンが決定した。15年ぶりに日本人チャンピオンが誕生した瞬間である。
250cc時代の掉尾を飾る2009年に、青山博一が2ストローク時代最後の王者となり、2010年から4ストローク600ccのMoto2クラスがスタートして15年(現在は765cc)。青山が2009年11月8日にスペイン・バレンシアサーキットでタイトルを決めた日から数えれば、5476日目の快挙達成だ。
この15年は、新たなチャンピオンが誕生した現在から振り返れば、あっという間だったような気もする。だが、そこにたどり着くまでの期間は、はてしなく長く遠く感じる時間だったようにも思う。
レースが終了した直後の小椋は、クールダウンラップでやや感極まった様子も見せたものの、その流れからチャンピオン決定のパフォーマンスを行う際に、涙はまったくなかった。むしろ落ち着いた穏やかな笑みをうかべながら、コースサイドで将棋盤を前に座って待つクルーチーフのノーマン・ランク氏と向かいあい、小椋が8二金打で王手。ランク氏が参りましたと「GAME WINNER」の札を出し、小椋が将棋盤をひっくり返すと「Moto2 World Champion 79」というパネルになっている、という仕掛け。
この手のチャンピオン決定セレブレーション(要は小芝居)は、全盛期のバレンティーノ・ロッシ氏がはじめたといっていいだろうが、その愉しい雰囲気を日本風の演出でやってのけるところが、いかにも現代風の若者、という印象もある。たしか、青山氏がチャンピオンを獲得した際は、そんな演出など誰も考えておらず、青山氏はクールダウンラップからまっすぐパルクフェルメに戻ってきて、涙でぐしゃぐしゃになりながら皆と抱き合っていたような記憶がある。
この将棋パフォーマンスと前後して、MotoGPを運営するDORNAのTwitter(X)は、”Ai came, Ai saw Ai conquered!”と記した投稿をポストした。このネタ、おわかりの方も多いと思うが、一応、補足説明をしておく。
これは、共和政ローマ時代のユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、戦に勝ったことをローマに報せる際、「来た、見た、勝った」(Veni, Vedi, Veci)と簡潔な通知を送った有名な史実が原典になっている。この、「来た、見た、勝った」は、英語では”We came, We saw, We conquered.”と表現される。 そのWe(我々)をI(私)に読みかえたうえで、さらに同音のAiにおきかえて「藍が来た、藍が見た、藍が勝った」と表現した、という、ちょっとした古典と歴史の教養に基づいた駄洒落になっている、というわけです。 もうひとつ、これらのポストに使用されたハッシュタグ#GoldenAiは、おそらくGolden Eyeの地口のようなものだと思われるが、そういえばそういう映画とか、ありましたよね。
で、この日の展開について、小椋はレース後に以下のように振り返っている。
「雨が降り始めるまではアロン(・カネット:優勝ライダー)がいいペースで走っていたけれども、ひょっとしたら終盤に追いついて優勝争いをできるかもしれないと思いました。でも、雨が降り始めたので、つまらないミスを犯してもしかたないと考え、気持ちを切り替えました。いい判断だったと思います。
必死になって追っていたわけではないのですが、自分のペースで走っていてアロンが近づいてくるので、これは無理をしなくても追いつけるかも、と考えました。でも、雨が降ってきたのでやめました」
シーズン展開全体については、
「スタートはあまりよくありませんでした。7位や6位という成績で、(チームメイトで数レース前までランキング首位につけていたセルジオ・)ガルシアが自分よりもたくさんポイントを稼いでいました。自分にとってはあまりいい状況ではありませんでしたが、その段階ではチャンピオンシップのこともあまり考えてはいませんでした。ただ、6位や7位で終わっていても、適切な方向へ積み上げてゆけば、自分たちには優勝や表彰台を争えるポテンシャルがあると感じていました。
それをカタルーニャGPで実証し、優勝できました。万事うまく進み始めたと思っていた矢先にオーストリアで右手を骨折して、今年も終わったかなとも思ったのですが、その後、(サンマリノGPで)勝つことができたのが大きかったです。まだ痛みは残っていたものの、これが自分とチームにとって大きなモチベーションと希望になりました。そしてシーズン終盤に、何度も表彰台に上がることができました。完璧な一年だったとは言えないにしても、とてもうまく運んだシーズンだったと思います」
と述べている。
さらに、15年ぶりに日本人の世界チャンピオンとなったことが今後の日本レース界に与える影響については、こんなふうに話す。
「何年か前、パドックの日本人ライダー仲間たちと食事をしていたときに、『もしも自分たちの時代に負けが続けばもう次の世代は続いてこないかもしれないから、とにかく自分たちが結果を出さなければいけない』といったことを話したことがありました。そして今、こうやって結果を出すことができたので、とてもよかったと思います。日本にはいい選手がたくさんいるし、これからも上がってきますよ」
この言葉にあるとおり、2025年シーズンは國井勇輝がIDEMITSU Honda Team AsiaからMoto2クラスに参戦し、パドックに返り咲くことがつい先ごろ発表された。また、小椋自身は周知のとおり、来季はTrackhouse Racingから最高峰クラスのMotoGPへステップアップを果たす。
この小椋のチャンピオン獲得に関していくつかの関連事項を挙げておくと、まずは、アジアタレントカップ(ATC)の出身ライダーとして初の世界チャンピオンに就いた事実は、この育成カップのキャッチフレーズでもある”Road to MotoGP”をついに実践する選手があらわれた、という意味で、後身の若年選手たちにとって大きな励みになるだろう。ちなみにATCの初代王者(2014年)は鳥羽海渡、2015年は佐々木歩夢が制し、2016年にはソムキアット・チャントラが王座に就いている。チャントラは昨年までの小椋のチームメイトで、来シーズンからIDEMITSU Honda LCRのライダーとして最高峰に昇格するのは、皆さまご存じのとおり。
さらに、小椋が今シーズン所属しているMT Helmets-MSIはBoscoscuro製の車体を使用しているが、Kalex以外のライダーがMoto2で王座に就くのは、2012年のマルク・マルケス(Suter)以来。また、MT Helmets-MSIは、今回の結果によりMoto2クラスでチームチャンピオンシップのタイトルを確定させた。
というわけで、今回は以上……、と締めくくってしまいたいところだが、MotoGPにまったく言及しておりませんでした。「もうええでしょう」という気もしないではないけれども、さすがにそうはいかないだろうから、以下、簡潔に。
土曜のスプリントは、エネア・バスティアニーニ(Ducati Lenovo Team)が1等賞。ランキング首位のホルヘ・マルティン(Prima Pramac Racing/Ducati)は2等賞で、ディフェンディングチャンピオンのペコ・バニャイア(Ducati Lenovo Team)は3等賞。これでマルティンとバニャイアのポイント差は2点広がったのだが、それよりもなによりも、このスプリントでは4位以下8位までドゥカティ勢が独占する、というものすごい結果になった(4位―M・マルケス、5位―A・マルケス、6位―F・モルビデッリ、7位―M・ベツェッキ、8位―F・ディ・ジャンアントニオ)。
はたしてこのような事態は過去にもあったのだろうか……、と思って調べてみたら、ありましたありました。泣く子も黙るホンダ最強時代、1996年のカタルーニャGPで、C・チェカが優勝。2位以下は、M・ドゥーハン、A・クリビーレ、L・カダローラ、岡田忠之、伊藤真一、A・プーチ、A・バロス、という顔ぶれ。ことほど左様に当時のホンダは強かった、ということである。そして、ことほど左様に現在のドゥカティは圧倒的に強い、ということでもある。先週も同じようなことを書いたような気がするけれども。
ウェットコンディションで争われた日曜の決勝レースは、バニャイアが優勝。マルティンが2位で、ふたりのポイント差は5点縮まり、これで差し引き17となった。残り2戦でこのポイント差はじつに微妙。こういう状態になってくると、土曜スプリントの1等賞12ポイントの重みがぐっと増してくる。
3位はペドロ・アコスタ(Red Bull GASGAS Tech3)。やはりこの選手、北島マヤ的な「おそろしい子」である。
で、今回の結果により、Ducati Lenovo Teamがチームチャンピオンシップを獲得。はい、そうですね、みたいな。
というわけで今回はひとまず以上。今週末は、アジア環太平洋のフライアウェイを締めくくるマレーシア・セパンで第19戦。いわゆるラス前、である。英語でも、penultimateという比較的ポピュラーな言葉があって、便利に使われていますね。ちなみにそのもう一つ前、つまり最後からみっつ目を意味する単語として、antepenultimateという単語もあるのですが、これは普段はあまり見聞きしないようにも思います。南場3局はラス前というけれども、では南場2局をラスふたつ前というかというと、いわないですもんね、たぶん。ではナシチャンプルとコピ、もしくはヨントーフによろしく。
(●文:西村 章 ●写真:MotoGP.com/Pirelli)
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と「MotoGP 最速ライダーの肖像」、レーサーズ ノンフィクション第3巻となるインタビュー集「MotoGPでメシを喰う」、そして最新刊「スポーツウォッシング なぜ<勇気と感動>は利用されるのか」(集英社)は絶賛発売中!
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