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●文:西村 章 ●写真:MotoGP.com/Aprilia/Gresini Racing/Pramac Racing/Ducati

 バルセロナ-カタルーニャサーキットのレースでは、過去を振り返ると数々の印象的な出来事やいくつもの名勝負があった。たとえば2009年。ヤマハファクトリー対決となったバレンティーノ・ロッシvsホルヘ・ロレンソの血湧き肉躍る激闘は、いまも語り草になっている(ご覧になったことのない方は、公式サイトやYouTubeなどで検索をしてみてください。とくにオススメは名物レースコメンテーター、グイド・メダ氏によるイタリア語実況)。2013年には、レース活動を休止していたスズキが、復活の第一歩として決勝翌日の月曜に欧州で初めてテストを実施する、という出来事もあった(そのときの詳細は拙著『再起せよ』などをご参照いただければ幸甚です)。

 近年では、2022年にアレイシ・エスパルガロ(Aprilia Racing)が周回数を間違えて表彰台を取りこぼしてしまう、というなんとももったいない大ポカがあった。それが結果的に長い伏線として効いてくるのだけれども、翌2023年のカタルーニャGPではエスパルガロが独走で優勝する、というじつにドラマチックな展開になった。

 そして今年のカタルーニャGPも、話題の中心になったのはエスパルガロだった。

 現在のライダーラインアップでも最年長のひとりである彼は、おそらく今年かぎりで現役活動から退くだろう、と開幕前から言われていた。今回のウィークが始まる前日の木曜日、レースを運営するDORNAから、15時15分にアレイシ・エスパルガロの特別会見を実施する、という旨の告知が行われたが、その際に発表内容をいぶかしがるものはおそらくひとりもいなかっただろう。

 会見では皆が予想していたとおり、エスパルガロ自らの口から、今年いっぱいで現役活動終了を終了する、との発表があった。

#アレイシ・エスパルガロ

#アレイシ・エスパルガロ
#アレイシ・エスパルガロ
※以下、写真をクリックすると大きく、または違う写真を見ることができます。

 彼の経歴を簡単におさらいしておこう。グランプリデビューは2004年の最終戦バレンシア125ccクラス。2005年から同クラスでフル参戦を開始し、2006年のシーズン途中から250ccへスイッチ。2009年の途中からMotoGPクラスで代役参戦し、2010年は最高峰フル参戦を果たす。だが、そのシートをうしなって翌2011年はいちどMoto2へ戻ることを余儀なくされる。2012年と13年はCRTでMotoGPクラスへ復帰し、14年はCRTの後継となるオープンカテゴリーのフォワードヤマハへ移籍。そして2015年には、復帰を果たしたスズキのファクトリーライダーとして2シーズンを過ごし、17年からアプリリアへ移って現在へ至る。

 と、この経歴をざっと概括すればわかるとおり、けっして順風満帆の競技生活を送ってきたわけではなく、かなりの苦労人でもある。そんな彼が、日本のファンの間で広く親しまれるようになったのは、おそらく2015年のスズキ時代以降ではないかと思われる。

 彼にまつわる個人的な印象を少し述べさせてもらえば、125ccクラスでデビューした当時は、車格と釣り合わないほど骨太で体格が大きいライダーだなという印象が強かった。ほどなく250ccクラスへステップアップしたのは予想どおりで、たしかこの時代に、2007年のトルコGPかどこかだったと思うのだが、後方から追い上げていく際に、青山博一、青山周平、高橋裕紀、関口太郎、と日本人選手をことごとくやっつけてしまったレースがあったように記憶している。

 決勝後に青山博一のもとを訪れて転倒の経緯を訊ねていたら、ちょうどそこにエスパルガロが謝罪に来た。青山とエスパルガロの間で

「意図的にやったわけじゃないんだ。本当に申し訳ない」(エ)

「……レースだからしようがないけど、次からは充分に気をつけてくれよな」(青)

 というような会話があり、それを傍らで聞きながら(謝りに来るのは誠実な証拠だろうけれども、まだ乗り方に少し粗いところがあるのかな……)と思ったことを憶えている。

 次に高橋裕紀のところでレースの様子を訊ねていると、エスパルガロが謝罪にやってきて、その後に関口太郎のところで話を聞いていたときも、またエスパルガロがやってきた。

 そんなこともあって、彼の顔と名前はよく記憶していたのだが、フォワードヤマハに移った2014年は、開幕戦のカタールから4位に入る快走を見せ、後半戦のアラゴンで初表彰台の2位を獲得したときは、ノンファクトリー勢の快挙達成に大いに注目を集めた。このシーズンの走りが評価されて2015年にスズキへ抜擢され、2017年以降は現在に至るまでアプリリアの屋台骨を支えるエースとして戦闘力の礎を築いてきたのは、皆様ご存じのとおり。

#アレイシ・エスパルガロ
#アレイシ・エスパルガロ

#アレイシ・エスパルガロ
#アレイシ・エスパルガロ

 エスパルガロの出身地はバルセロナ-カタルーニャサーキットから指呼の距離で、文字どおり地元の庭といっても差し支えない会場である。引退を発表したタイミングでもあり、気合いが入るのも当然……とはいえ、金曜午後の計時プラクティスでトップタイム。土曜午前の予選Q2でも、オールタイムラップレコードを更新してポールポジションを獲得(このときの走りは、ちょっと鬼気迫るものを感じましたよね)。

 そして午後のスプリントがまた、少年ジャンプでもあり得ないようなドラマチックな展開になった。

 レース序盤にトップに躍り出て独走態勢を作りかけていたラウル・フェルナンデス(Trackhouse Racing/Aprilia)が、バックストレートエンドの10コーナーで転倒。次に先頭に出たブラッド・ビンダー(Red Bull KTM Factory Racing)は、5コーナーで転倒。そして、その次にトップに立ったペコ・バニャイア(Ducati Lenovo Team)は、王者の安定感で徐々に後続を引き離しはじめてこのまま逃げ切るかと思いきや、最終ラップにこちらも5コーナーで転倒。

 これでトップに立ったのがエスパルガロ。まさに「ラストマン・スタンディング」ではないけれども、なんとも劇的なスプリント今季初勝利を達成したわけである。

#4
#4

「まるで夢のよう。言葉がない。これ以上の結果は考えられない。グランドスタンドの皆が喝采を送ってくれた。最後のホームGPで、最高の木曜、金曜、土曜を過ごすことができた」

 感無量な様子でそう語るのも当然だろう。

「ペースを維持してオーバーテイクをしないように心がけた。レース前に皆のペースをチェックすると、39秒5以下で数周連続して走れているのは自分だけだった。スプリントで他のライダーたちがそのペースで走っていたのは、つまり限界を超えていたということだ。自分はペースを守って走っていたけれども、前をオーバーテイクしようとしたらきっと限界を超えていただろう。

 だから、『5周待とう。グリップが落ちてきたら、攻めるチャンスも出てくる』と自分に言い聞かせた。5周経過してからホルヘ・マルティン(Prima Pramac Racing/Duati)を追い抜いて、次にペドロ(アコスタ、Red Bull GASGAS Tech3/KTM)をオーバーテイクした。やがて皆が転倒していった。スプリントレースは短くないけれども、予選でもない。だから、ときには経験がものを言うこともある、というわけだよ」

 引退を発表した週末に(スプリントとはいえ)優勝を達成、というドラマチックな出来事は、1992年ドニントンのワイン・ガードナーを髣髴させる(といいながら、この当時のはまだ自分が現場取材を始める遙か以前なので、伝聞でしか知らないのですけれども)。

 さて、ちなみにこのスプリントの2等賞はマルク・マルケス(Gresini Racing MotoGP/Ducati)、3位がアコスタ。

 エスパルガロのエモーショナルな1等賞もさることながら、5列目14番グリッドスタートのマルケスが2位までポジションを上げているのはさすがというほかないし、この土曜日が20歳の誕生日というアコスタが、もはや表彰台の常連のような顔をして平然とトップスリーに入っているところなども、なんとも恐るべき北島マヤっぷりである。

 この20歳になりたてのアコスタ青年がどれほどの才能の持ち主なのかということについて、マルケスの評を少し紹介しておこう。

「彼の乗り方はかなり特徴的だ。アレイシが片方の極端とすれば、ペドロはその対極で、自分がそのちょうど中間あたり。ペドロの進入からのコーナースピードはとても速くて本当にスゴい。どれくらいリスクを取っているのかはわからないけれども、進入から旋回の区間がとても速くて、体をかなり使っている。何周か彼の走りをマネしようとしてみたけれども、あまりにリスクが高いので自分の走り方に戻ることにした」

 きっとマルケスは心中で、月影千草先生のように(おそろしい子……)と呟いていたのではないだろうか。それにしても、これぞまさに21世紀版〈新旧天才対決〉である。おそらく、20世紀の〈新旧天才対決〉がそうだったように、ガチンコ真っ向勝負の戦いがこれから何度も繰り広げられるのだろう。

#93
#93

 というわけで、日曜日。

 こちらもじつに見どころ満載、おなかいっぱいの素晴らしいレースでありました(ですよね、みなさん!?)。

 結果から言えば、優勝はバニャイア、2位がマルティン、3位がマルケス。エスパルガロは最後までマルケスを僅差で追ったものの、0.052秒及ばず4位でチェッカーフラッグを受けた。

 この決勝は、バニャイアの勝ちっぷりがとにかく見事だった。

 一時はマルティンに独走を許すかとも見えたものの、1秒ほど開いた差を着々と詰めて勝負どころで一気に抜くと、グイッと引き離して最後は1.740秒差。これぞ王者の風格、というやつである。

「スタートはうまくいった。自分のペースを刻もうと思ったけれども、ホルヘとペドロがかなり攻めていた。1周ほど彼らの後についてみたところ、自分のタイヤには厳しそうだったので少し様子を見ることにした。10周ほどしてから、ホルヘに追いつくためにペースを上げることにした。リアをマネージできたのはいいとしても、フロント(のパフォーマンス)も落ちてくるのでなかなか難しかった。レース終盤になると、安定した高いタイムで走ることができて、コーナーにも速く入っていけた。ホルヘは進入で少し苦労していたようなので、これが勝負の大きなポイントになった。(転倒で終わった)昨日はガッカリするやら腹立たしいやらという気持ちだったので、勝てて本当にうれしい。

 昨日の転倒を吹っ切るためにも、5コーナーでホルヘに仕掛けることはとても大きな意味があった。あそこはオーバーテイクに最高の場所だった、というのも4コーナーは力強く走れていたから。コーナーの進入と旋回速度でかなりタイムを稼ぐことができていた。だから、あそこでインを刺そうと思った。フロントが切れ込みませんようにと祈ったけど、さいわいうまくいった」

#1
#1

 この結果、チャンピオンシップポイントは首位のマルティン155に対し、ランキング2番手のバニャイアが116。シーズンの先はまだまだ長いので、39ポイント差などあってないようなものだが、バニャイアはヘレス-ルマン-カタルーニャ、と3戦連続してスプリントがノーポイントで終わっているために、この点差が開いている。なぜスプリントで結果を出せないのか、ということについて、自身は以下のように語っている。

「そこはたしかに改善しなければならない。僕たちはいつも高い戦闘力を発揮している。ここ3戦のスプリントでも高い力を出していたけれども、2戦で転倒して1回はバイクに問題があった。これでだいぶポイントを損している。昨日は勝てるレースだったのに、最終ラップで転んでしまった。そこは自分の改善点。

 チームは全力でがんばってくれている。今までなら苦労することも多かったけれども、今年のスプリントはいつも快適に走れている。だから、あとはきっちりと走り終えてポイントを獲得すること。去年、(スプリントで)苦労していたのは事実だけれども、全てのスプリントで完走している。少ない獲得ポイントではあっても、チャンピオンシップでは5点や6点、12点、9点と毎回しっかり点数を稼いでいくことが大切。だから、日曜はいつも高い戦闘力を発揮できているのはいいとして、土曜にポイントを取り損ねるのはいいかげんうんざりしている」

 ところで、今回のレースではバニャイアのチームメイト、エネア・バスティアニーニが「2コーナーのショートカット」により、ロングラップペナルティを科された。だが、その指示に従わなかったため、2回目のロングラップペナルティを科され、それにも従う様子がないため、今度はライドスルーを通告された。それにも従わず、結局、決勝後に32秒のタイム加算を受けることになり、9番手でゴールしたものの正式結果はポイント圏外の18位、というリザルトになった。

#23
#23

 レース後にバスティアニーニは、ロングラップペナルティという指示に納得できなかったので従わなかった、と釈明している。彼の視点による状況説明は、おおむね以下のとおり。

「アレイシを直線で抜いて(1コーナーの)ブレーキ競争になった。自分は深く入っていったけれどもさらにアレイシが深く突っ込んできて行き場がなくなり、シケインをショートカットせざるを得なかった。ポジションドロップのペナルティが来るかと思って待っていたけれども、LLPの指示がダッシュボードに出た。スチュワードの決定に従わないのはよくないとわかっていたけれども、彼らの決定は正しくないと思ったので最後まで従わなかった。ピットに戻った後、ダビデ(・タルドッツィ/チームマネージャー)に事情を説明し、映像でも確認した。ダビデたちも『(ペナルティの)決定は間違っている』と言っていた」

 バスティアニーニの説明によれば、コースを外れた際には皮肉にもLLPの指定ラインを走らざるを得ず、コースへ復帰した際にはすでにエスパルガロは200メートルほど前方に離れていたという。つまり、この「ショートカット」でタイムやポジションをトクしたわけではない、というのだが、最初のペナルティに従っていれば、おそらく数ポイントは確実に獲れていただろう。結果的には32秒のタイムペナルティでノーポイントとなり、レースディレクションの裁定が覆ることもなく、なんとも後味が悪く苦い結末になってしまった。これはあくまで私見だけれども、今回のペナルティ無視という彼の態度は、ファクトリー側にとって、来季シートの残留判断に何らかの影響を及ぼしそうな気がしないでもない。バスティアニーニ自身は、アプリリアファクトリーという選択肢もあり、その他にもオプションがある、というのだけれども……。

 さて、この第6戦終了段階で、コンストラクターズランキングを見てみると、ドゥカティ(204)、アプリリア(125)、KTM(122)、ヤマハ(35)、ホンダ(19)、という順位になっている。ちなみに昨年の第6戦終了段階を比較対象として並べてみると、ドゥカティ(211)、KTM(118)、アプリリア(92)、ホンダ(79)、ヤマハ(64)という順位と獲得ポイント。

 ドゥカティとKTMは昨年のポイント状況と大差なく、安定した水準にあることがわかるが、アプリリアが92ポイントから125ポイントと、さらにワンステップ進歩を見せていることが数字にもあらわれている。日本勢については……、いまはなにも言いますまい。

 話題を変えて、明るい話で締めくくりましょう。

 Moto2では小椋藍(MT Helmets – MSI)が優勝。10番グリッドからひたひたと追い上げ、先頭に肉薄したかと思うとスパッと抜いてグイッと引き離す、というじつに鮮やかな勝利。昨年はケガに泣かされたこともあり、優勝を飾るのは2022年日本GP以来。チェッカーの瞬間は、日本じゅうのMotoGPファン4700万人が歓喜に沸いたことでありましょう。この優勝で25ポイント獲得したことにより、小椋はランキング首位に21ポイント差の3番手。なかなかよい位置につけているのではないでしょうか。

#79
#79

 次戦第7戦は今週末、イタリアGPのムジェロサーキット。文字どおりドゥカティの庭ではありますけれども、さて、どんな戦いになりますやら。目に青葉、山トスカーナ初パスタ。ではでは。

(●文:西村 章 ●写真:MotoGP.com/Aprilia/Gresini Racing/Pramac Racing/Ducati)

#カタルーニャGP


#MotoGPでメシを喰う
【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と「MotoGP 最速ライダーの肖像」、レーサーズ ノンフィクション第3巻となるインタビュー集「MotoGPでメシを喰う」、そして最新刊「スポーツウォッシング なぜ<勇気と感動>は利用されるのか」(集英社)は絶賛発売中!


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2024/05/27掲載