2021年シーズンのヤマハは強かった。MotoGPではファビオ・クアルタラロがフランス初の最高峰タイトルを獲得。SBKでも、波瀾万丈の最終戦インドネシア・マンダリカでトプラック・ラズガットリオグルがトルコ初のSBK王者に就いた。しかも、全日本ロードレース、BSB、MotoAmerica、と各国選手権タイトルも総舐めにした。このようにヤマハ陣営は各カテゴリーで圧倒的な強さを見せる一方、MotoGPではドゥカティの強力な布陣という脅威にも直面している。今季の勝因、そして来シーズンに繰り広げられること必至の激闘に対する準備と覚悟について、鷲見崇宏氏(ヤマハ発動機MS統括部MS開発部モトGPグループリーダー)から、タップリと話を訊いてきた。インタビューを行ったのは、最終戦バレンシアGPの走行が始まる前日、木曜の夕刻18時過ぎのパドックだ。バレンティーノ・ロッシ現役最後のウィークが始まる直前、というタイミングである。では、じっくりお愉しみください。
―2021年のヤマハはMotoGPでファビオ・クアルタラロ選手がチャンピオン獲得。SBKでも最終戦を前にチャンピオン争いを有利に展開しています。さらに各国のロードレース選手権でも全日本、BSB、MotoAmericaを制覇しました。今年のヤマハはどうしてこんなに強いんですか。
「そこはまったく答えを持ち合わせていないです(笑)。正直なところをいえば、去年はずっと日本を離れていて、出社できたのは12月と1月だけなんですよね。その後、またすぐこっち(欧州)に来ちゃってるんで、なかなか私自身もそこを把握する余裕がなくて、わかっていないんです。ただ、中須賀選手については、バイクが熟成してライダーもあれだけの選手なので、すべてが整えばああいうことも起こりうるんだろうとは思います。それだけすごいライダーだし、バイクも長年かけて作り上げてきた安定感がありますから」
―では、MotoGPでクアルタラロ選手がチャンピオンを獲れた要因はどこにあると考えていますか。
「ハードウェアやオペレーション、そしてライダーというふたつの大きな要素があると思っています。2020年も勝ってはいたんですが、ヤマハ全体として安定感が足りませんでした。それはなぜだろう、バイクのどこが足りかったのだろう、ということを一所懸命考えました。
その原因の、まずひとつめはシャシーです。いろんなコンディションに対してライダーが安定した信頼感を得るには足りないところがあったのだろう、と考えました。冬の間に新しいシャシーを作り、2021年のレースが進むにつれて『2019年に速かったときの感覚が戻ってきた』といってくれるようになりました。ポイントは、フロントのフィーリングです。ファビオは自分の限界まで攻めたいライダーで、フィーリングがあれば限界まで行けるんですが、それがないといけない。その限界がわかる、というのが今年のバイクです。ライダーの限界にバイクが応えてくれる。今年バージョンのシャシーが彼のフィーリングによく合った、ということが大きなポイントだったと思っています。
もうひとつは、去年の終盤ですね。このまま行けるかなと思っていたら、ガタガタっと調子を崩してしまい、シーズン中盤までの走りをできない状態で迷わせてしまいました。2年目のシーズンはどうしても迷いが出ていて、それまで無意識に速く走れていたのと同じことを、セッティングを変えたり様々なトライをしたりしてみても、なかなかフィーリングが取り戻せなかったんですね。それだけいろいろ変えても取り戻せなかったのは、バイクとライダーの信頼関係が戻るまでに時間がかかっているのかもしれない、と考えました。
『なにをやっても変わらない。あんなに簡単にできていたことが、いまはなぜできないんだろう……』という状況を経験したことで、感覚を取り戻すために難しい状況をどうマネージしてどれだけ辛抱強くがんばれるか、と一所懸命取り組んできた経験が、ライダーのマインドとチームの引き出しを増やすことにつながり、その結果、今年は多少の山や谷があってもそれをコントロールする術を手に入れた、ということなのだと思います。
つまり、マシンがライダーの走りに応えてくれたこと、そして、ライダーとチームの成長が大きい要素になったのでしょうね」
―シャシーとフロントの信頼感というお話がありましたが、彼はブレーキングが独特だと鷲見さんは2019年シーズンからおっしゃっていたと思います。車体から得るインフォメーションと本人の合わせこみが噛み合ってきた、ということでしょうか?
「デビューイヤーの一昨年には無意識にできていたことが、2020年はシャシーの剛性がちょっと変わったことで、おそらくフィーリングを見失ってしまったのでしょう。どこまでフロントを攻めることができるのか、できないのか。それが昨年はわからなったけれども、今年はわかる。ということは、去年はこれがなかったことがひとつの原因だったのかな、というのが我々にもわかってきた、ということです」
―それはプレシーズンテストの段階からハッキリと摑めていたのですか。
「最初のテストの時から、こっちのほうがいいね、ということは言ってくれました。ただ、なにがいいのかということはなかなかハッキリしなかったのですが、序盤数戦を戦ってきたなかで、そこがキーだね、ということを語ってくれるようになっていましたね」
―つまり、クアルタラロ選手はブレーキングから1次旋回までのあたりが独特、ということでしょうか?
「ストレートのブレーキングは昔も今も強いんですが、さらに〈トレールブレーキング〉という倒し込みからエッジにかけの部分が非常にスムーズなんですね。ストレートが強くてさらに倒し込みもスムーズ、という、アグレッシブに見えるけど繊細なコントロールをできる、その両面を持つのが彼の強みです。その繊細な操作をなにか阻害していた要素があったけれども、今年はその走りと感覚が戻ってきた、ということでしょうね」
―開幕2連戦のカタールから、その走りがかなり戻っていましたか?
「今年のプレシーズンテストはカタールだけでしたが、1戦目も悪くなくて2戦目で勝ってくれたので、悪くないのかな、とは感じていました。それでも『これがチャンピオンを獲れるバイクです』なんて自信があったわけではけっしてありません。ただ、『ここ(倒し込み)だけはぜったいに大事なところだから、それを意識しながらセッティングを進めていこう』と常に意識していましたね」
―この方向で行けそうだな、チャンピオンを獲れそうだな、という手応えを感じはじめたのはいつごろですか?
「チャンピオンについてはまったく考えていませんでした。そこを意識しはじめたのは、ホントに終盤戦になってからですよ。私たちも考えないようにしたし、なるべくそこを考えずに進めてきました。マシンのベースはいいから慌てずに戦っていこう、という自信が見えてきたのは……、そうですねえ。3戦目のポルトガルGPあたりから手応えは感じはじめていました」」
―たしかに、あの第3戦目は力強い勝ちかたでしたね。
「そうですね。去年まではスタートで逃げ切らないかぎり、1回落ちてしまうとなかなかそこから上がってゆくことができませんでした。ところが、カタールもそうでしたし、ポルティマオもそうだったんですが、スタートでポジションを落としてしまっても『今日はもう終わりだな……』ということがなくて、いったん下の順位に落ちてもそこから粘り強く勝ち上がってくることができる。それがファビオの自信にもなったし、ヤマハとしても今年のバイクは戦えるぞ、という手応えを感じましたね」
―その彼の強さは、チャンピオンを獲ったエミリアロマーニャGPでも典型的にあらわれていました。
「そうですね。でもじつは、あのレースが始まった時点では、『15番グリッドのスタートだから今日は(チャンピオン決定は)ないだろうな』と我々誰もが思っていました(笑)」
―あのレースは象徴的だったし、ヘレス(第4戦スペインGP)の腕上がりのあとも、次のル・マン(第5戦フランスGP)できっちりと結果を出しました。従来の彼なら一度調子を乱すとその後もガタガタと崩れていたところですが、今年はしっかり持ち直すところに、精神的な成長も窺えたように思います。
「そのとおりですね。難しい状況をどうやってマネージしていくかということについて、ライダー自身のメンタルも変わったし、チームとしても難しい状態で自信を取り戻し、落ち着かせていくことができました。ライダーもチームも落ち着いて対処し、日曜には仕上げることができる、というお互いの信頼感が上がってきた結果です。第17戦(アルガルベGP)はちょっと残念な結果でしたけれども、そこまで一度もノーポイントレースがなかったのは、マシンとしてもライダー・チームとしても大きな成長だったと思っています」
―今年のクアルタラロ選手は非常に安定していましたが、このパンデミック下で開発面や、人的管理、欧州―日本間のロジスティクス等々、大変なことも多かったのではないですか?
「はい、大変でした(笑)。マシン開発に関しては、いまはITツールが揃ってきているので、我々もそれを急速に使えるようになってきました。ほとんど顔を合わすことができない状態でも、頻繁に日本に帰れていた頃と遜色ないコミュニケーションを取れるようになっているので、『現場ではこういう部分で困っているよ、こういうモノがほしいよ』という話をきちんと本社に伝えることができて、ライダーの好感触を得られるモノが仕上がってきました。結果的に、去年は安定性を欠いていた部分に対しても、今年は足りないところを補って、バランスのいいマシンを作り上げることができました。
物流の制約もたしかにあったんですが、通常のモノの送付はクリティカルな状況になることなく供給でき、シーズン中のテストも今年はきちんとできていました。あと、人については、『ちょっとこっちまで来てよ』と簡単に言えない状況なので、情報を受け取って現場サイドでなんとか限られた人数で運用する、という形で進めていました」
―シーズン中は何度くらい日本に帰ったのですか。
「7月は長い休みがあったので、そこはきちんと帰らせてもらいました。あとは短い時間で一度帰ったくらいですかね」
―それ以外はずっとヨーロッパ。EUのシェンゲン協定(滞在日数制限)は、アンドラに行ったりすることで回避していたのですよね?
「去年の4ヶ月5ヶ月といった長期滞在よりもずっとましですけどね、だいたいそんなかんじです。最近ではアンドラが居心地よくなっちゃいましたよ(笑)」
―2021年のヤマハファクトリーは、もうひとつのシートがちょっとごたごたしました。言いにくいこともあるとは思いますが、開幕戦で優勝して非常によい形でシーズンを滑り出したと思ったら、その後は低迷することになりました。
「去年なんてすごく難しい状況に陥らせてしまったのですが、そんななかでもなんとかポジティブなところを探して、自分とチームへのお互いの気遣いを持ちながら最後までがんばってくれました。ファビオとはキャラクターの違いはあるのですが、うまくいかないときに落ち込んでしまうことはやはり、ありますね」
―シーズン途中に契約を解除し、その後、アプリリアからの参戦など、急激に事態が動いていったことはどう思いましたか。
「正直、驚きました。ザクセン(第8戦ドイツGP)のように、予選でしくじって最後尾から決勝をスタートするのは、彼に合わせたセッティングを見いだせなかったという点で技術者として率直に反省しなければいけないと考えていました。今年は予選の際にソフトタイヤのタイムアタックでセッティング面の苦労をしていて、それが決勝に影響してしまう、という傾向がありました。あれだけ速いライダーが十何番手という場所を走るのは、やはり受け入れがたいものがあったと思います。
そういったことが積み重なり、エンジニアサイドとしては純粋に技術的になんとかしようとしていたのですが、ライダーの心としては打ちのめされてしまったのかもしれません。そして、それが限界を迎えて自信を喪失したときがありました。たとえどんなに速いライダーでも、〈チーム・ライダー・バイク〉の信頼関係がなければ本来の実力を発揮できません。非常に難しい決断だったのですが、新しい将来を探すことがお互いにとって幸せだろう、契約を途中で終えることがお互いにとってベストだろう、という結論になりました。レッドブルリンクのあの終わりかたまでは想像していませんでしたが、お互いに前向きな判断をした、ということです」
―その後任にフランコ・モルビデッリ選手が入りました。とはいえ、膝の手術のあと、体調がまだ完璧ではないようで。彼は彼で苦労をしていますね。
「そうです。シーズン後半戦でときおりスピードは見せてくれています。それでも、まだ完璧ではなく、バイクもその体調にあわせたセッティングになっていて、彼のフルパフォーマンスはまだ発揮できていません。来年がファクトリーライダーの本番だから、いまはそのベースを作ることに集中しよう、ということで進めています」
―モルビデッリ選手のいたシートには、アンドレア・ドヴィツィオーゾ選手が起用されました。ドゥカティの経験豊富なライダーの加入は、ヤマハにとっても貴重なのではないかと思います。
「だからといって、ドゥカティと同じバイクを作るわけではないのですが、ライダーの感じたことを知ることができるのは、我々にも発見があります。彼があのバイクを走らせるために何をどう感じて、どういうところが大事だったのか、ということは興味深くはあります。しかし、我々のバイクはそうではないので、現在はその適合にちょっと苦労している段階です」
―そして、いよいよバレンティーノ・ロッシ選手の最後のレースになりました。
「彼は、まさにレジェンドですよね。ヤマハのライダーですが、パドック、そして世界じゅうの宝です。じっさいに、彼らがキラリとした走りを見せるとサーキットじゅうの空気が変わるんですよ。レッドブルリンクのレースで雨が降ってきた際に、一瞬だけ3番手を走ったときもそうでした。観客席の空気がガラッと変わるんです。あれを味わうのはけっこう久しぶりのことで、『やはりすごいな、この人は。ものすごいパワーを持っているな……』と痛感しました。あの瞬間は、私自身もワクワクしました。だから、最終戦は皆が注目している彼の最後のレースを最高の形で終えることに集中して、世界の人々のために最高の舞台を整えたい、と思っています。個人的なことをいえば、私がMotoGPの仕事に初めて関わったのは2004年なんです」
―古沢政生さんが社内でMotoGPの技術者を公募したときに手を挙げた、ということでしたよね。
「そうです。現場に初めて行ったのは、バレンティーノが2回目にヤマハに乗った2回目のセパンテストです。何もわからないまま私もそこにいて、そこではじめて目の前にいるすごい人と緊張しながら話をしていたことを、いまでも鮮明に思い出すことができます。それが自分のMotoGPの出発点になっているので、最後にこういう形で彼の近くで支えることができるのは非常に光栄なことだと思っています」
―エンジニア人生の多くを彼と過ごした、ということになりますね。
「途中、私もレースの仕事を離れた時期もあったのですが、結果的にはそういうことになりますね。日本で設計をしていたときも、バレンティーノのためのフレームやパーツを作る、ということをしていましたから、仕事のパートナーでありながらそれ以上の感情がある、複雑な気持ちですね。
彼と仕事をしてきた皆がそうだと思うんですが、バレンティーノと働けること、あのレジェンドライダーの手伝いをできることが、自分の喜びであり、誇りにもなっていました。どういえばいいんでしょう……。皆が彼の力になりたいと思っていて、それが自分自身の喜びになるという……、きっとそれが、〈カリスマ〉ということなんでしょうね」
―去年の彼は表彰台にも登壇し、調子が良いときは予選で2列目などにも入っていました。しかし、今年は非常に厳しいシーズンになっています。技術者の目から見て、なにかアスリートとしての衰えというか、分岐点のようなものは感じましたか?
「ファクトリーチームにいたときから、ピークは年々越えていることは周囲も自分もわかっていました。しかし、今年の彼のパフォーマンスはあの順位どおりではない、とも思っています。今年は、ホントにタイトなんですよ。(タイムアタックで)コンマ数秒離れたら(予選の)10番手に入れないんです。だから、ほんのちょっとの遅れでもかなり下に行ってしまう。じっさいに、日曜日になると彼の走りは強いんです。でも、どうしてもプラクティスや予選の一発タイムでは以前のようなキレた走りをできず、去年のタイムを上回れないこともありました。だから、若いライダーたちに囲まれたなかで、どうしても予選の一発が難しくなってしまい、決勝では力強くいい戦いをしてくれるのですが、あのポジションからのスタートとなると実際以上の大きな落差に見えてしまうので、我々技術者としても力不足を感じています」
―鷲見さんにとって、ヤマハにとって、バレンティーノ・ロッシ選手はどういう存在だったのでしょうか。
「自分自身よりも、ヤマハ発動機にとって、というほうが先に来ますね。私が現場に来るようになったのは最近ですが、本社で仕事をしていたときも、バレンティーノ・ロッシがヤマハを好きでいてくれることがうれしい。だから、彼にヤマハのバイクYZR-M1を好きになってもらうためにがんばって図面を引いていた、というかんじですね。
彼はオートバイを”she”と表現しますが、そういう視線でM1を観てくれているのは、それを作っている人間としては特別な喜びを感じます。ホルヘ(・ロレンソ)も速かったしファビオも速いんですが、バイクとライダーのあの関係性は特別に見えるし、バレンティーノがM1を見る目はちょっと独特だと思います。好きでいてほしい、ということがモチベーションになっているので、どういう存在かといわれれば……なんでしょう……。いいことばが浮かびませんが、やはり、彼にとって特別な存在であれた事がうれしい。なんだか恋愛のようで気持ち悪いんですが(笑)、彼は人とオートバイの関係が特別な感じがします」
―来年に向けたことも伺いたいのですが、今のヤマハの弱点はどこだと思いますか?
「誰に聞いても同じだと思うんですが、ここまで17戦のレースが象徴していますよ。一騎打ちになるとうちのバイクは戦えるんですが、特にドゥカティのようなストレートで速いバイクと戦うときには、ライダーが難しいところでがんばらないといけない。来年はドゥカティが8台になるので、我々のバイクがストレートで速くならなければ、ライダーにさらに負担をかけてエネルギーを消耗させてしまいます。ストレートを速いバイクにしてライダーが自分の強みを発揮して戦えるようにならなければ、ライダーもフラストレーションになってしまいます。だから、スピードを上げて戦いやすいバイクにしたいと思っています」
―来年は、クアルタラロ選手が開発を牽引することになるのでしょうか。
「我々は全ライダーから話を聞いているので、方向性を決めるときもひとりに従うということは、いままでもこれからもありません。ファビオの場合は、慎重にモノを選んでくれるし迷いもないので、充分に開発ライダーとしての信頼性はあります。なので、優先度が高いのは間違いないです。フランコもきちんとスマートに乗るライダーなので、頼りにしています。ドゥカティ8名に対してひとりでは戦えないし、ホンダ勢も皆速いので、そこにたくさん食い込んでいくことを考えると、ひとりのライダーに集中することはけっしてないですね」
―数年前までは、ホンダvsヤマハ、そこにときどきドゥカティが食い込む、という勢力構図でした。しかし、去年はスズキがチャンピオンで、KTMも速くなっていて、現在は6メーカーの実力がかなり拮抗しています。
「ライダーも誰かが飛び抜けているわけではなく、若手も含めてかなり接近した争いになっています。だから、全体としてヤマハが前にいるとライダーたちも戦いやすくなるので、誰かひとりの選手に依存することはこれからも考えていないですね。今年はライダーの入れ替わりやケガもあってファビオ一本に見えちゃっていますが、あれはけっしてヤマハの臨む姿ではないので、全体の底上げはしっかりしていかなければいけないと考えています」
―来年は21レースになります。このレース数は、技術者としてはどうですか?
「キツいですよ。18戦くらいがちょうどいいと思うんですけどね(笑)」
【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と最新刊「MotoGP 最速ライダーの肖像」は絶賛発売中!
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