ミスター・バイク アーカイブス第6回 1976年9月号(第5号)
1976年(昭和51年)4月(月号では5月号)に創刊し、2010年(平成22年)7月号で休刊(書籍コード=ミスター・バイクの場合は08489が生きている限り廃刊とはいわないらしいので)して、現在はWEBでなんとか生き延びているミスター・バイク。長いようで短いのか、短いようで長いのか、35年間で420冊(増刊号は含まず)を発行しました。これも多いのか少ないのかさえ分かりません。創刊号から最終号まで、おもしろそうな内容をピックアップして、一部ではございますがご紹介させていただきます。改めて415冊となると量が多いので、不定期更新になりますが、お気に召すまま気長にお付き合いくださればとおたのみもうします。
安定期に入るその前が明暗の分岐点(特に意味はなし)
ラビット125 スーパーフローで乗り付けたお兄さん、なにがあったのか双発の軽飛行機に「なにとぞひらにご容赦を」と土下座している(裸の王様がきちんと裸の王様に見えるまっとうなみなさまにはそう見えないと思いますが)9月号の表紙。モデルはクマテンさんことイラストレーターの熊沢俊彦氏。「いつもは自分の作品が表紙になるのに撮られるなんて初めてだなぁ」とコメントがありますように、かつて週刊ザ・モーターの表紙や四輪誌に多くの作品を提供した自動車イラストの巨匠です。そんな巨匠がどうして軽飛行機の機嫌を損ねたのか……のはずもなく、軽飛行機下部のディティールを確認しているという構図です。二輪四輪界のイラストレーターや漫画家の先生は、バイク、車そして飛行機好きが多いのです(電車好きはあまり聞いたことがありません)。ちなみにこのラビットは通りすがりのくず屋さんから千円で購入してレストアしたもの。昭和世代には釈迦に説法ですが、くず屋さんとは廃品回収業のことで、昭和50年代くらいまでは安いけど、当たり外れも大きい廃車を売ってたりしました。私の初めての愛車になるゴリラは、くず屋さんから5千円で買いました。くず屋でバイクデビューした方も多いんじゃないでしょうか。
巻頭カラーとモノクログラビア、活版の特集はイタリア最新情報。先月号の予告通り、BOSSの取材による現地レポートです。モノクログラビアのアリタリア航空の営業本部長のインタビューはタイアップ記事でしょう。とはいえベタベタなお手盛り記事ではなく、CB750FⅡ(1975年型)というマニアックなバイクで通勤しているほんもののバイク乗り記事なのでご安心を(何に?)。おなじみ「女」はハタチの営業ウーマン。営業ウーマンって何? と思われる平成キッズのみなさん、あらぬ想像してはいけません! 当時女性の総合職や営業職はまだまだ稀少でした。さらに大型二輪車に乗っているとなれば、かなり珍しかったのです。
続いてはミスター・バイクの名物企画に成長する編集部員によるアタック企画。今回は流行の兆しを見せ始めていたミニバイクレースに、読者の井上さんと、現在東京エディターズの代表取締役社長の中尾祥司氏(当時は編集アシスタント)がDAXで挑戦しています。ぐだぐだの結果かと思えば、80台が参戦した中で中尾氏はなんと10インチ以下クラス3位入賞、敢闘賞を受賞しています。この20年くらい後「ボクはね〜海外でしかバイクに乗らないんだよね〜」と暴言を吐くとは、誰が想像したことでしょう!? このレースについて訊ねてみると「懐かしいです\(^O^)/ 初めてのDAXで、ミニバイクといえども初めてのレース。めっちゃくちゃ緊張したのを覚えてます。いざ走ってみると、周回毎にライディングが上手くなっているのが分かって、それで3位。ボクったら天才じゃないか、と思った瞬間でした\(^O^)/」と純真無垢、毛の生える前の小学生のような心が洗われるコメントいただきました。
活版の第二特集は「この猛暑でキミのバイクはダウンする」です。昭和おじさんがしたり顔で「昔の夏はこんなに暑くなかった」といいますが、記事冒頭に「北海道でさえ37.4度という異常ぶり」とあるように、昔は昔で暑かったんです。一般家庭にクーラーなんてありません。編集部は、石井さんの実家が空調屋さんだったからか、当時すでにクーラーが設置されていたそうです。ちなみに気象庁のホームページで調べてみると、1976年東京の最高気温は35.4度でした。
記事の内容は、オーバーヒート、バッテリー上がり、海岸沿いの塩害、パンクから、アスファルトが熱でやわらかくなって停めていたバイクがゴロン、ガソリンが漏れて、そこにタバコのポイ捨てで引火し、戻ってみたらバイクは全焼していたという事例まで、様々なトラブルと対処法が列挙されております。タバコのポイ捨てが原因とどうして解ったんでしょうか?
夏休み連動企画は先月に続いて「バイク・パッキングの夢を追う」です。今回はバイクへの積載ではなく、サイドカーやリアカーで。先月号で謎だったキャンピングカーの製作記事が出ています。記事の最後に「さっそく材料集めてゴー! ゴー!」なんて締めていますが、実際に造った人はさすがにいない?
さらに読み進んでいくと「ロンサム・ジョッキー」という連載小説の第5回目が。あれ、こんなコーナーあったのかと著者を確認すると、かかか、片岡義男とあるじゃないですか! 「スローなブギにしてくれ」「彼のオートバイ、彼女の島」など映画化もされたバイクが出てくる名著をしたためたあの片岡様ですよ。と、今発見したような雰囲気を醸し出していますが、すみません嘘です。そこまでバカではないので第1回から気が付いていましたが、ネタが尽きたときのために温存しておりました。読者ページのねつ造(じゃないけど)をえらそうに推測しておきながら、めんぼくない。しかし、あちこちに大物がぞろぞろ出てきます。「すごいなミスター・バイク! BO〜SS!」(「ビズリ~チ♪」の口調で復唱していただければ、気分も盛り上がります)。
最後に歴史的な記事を発見しました。後半モノクログラビアのレース関連です。前半は伝説のスズキモトクロスライダー、ガストン・ライエ(記事ではガストン・ライヤーと表記)の2年連続チャンピオン獲得を伝える記事。その後のとってつけたような、おそらくネタが足りなくて付け足したような記事は、スペインで開催された“ヨーロッパ耐久選手権第2戦”モンテフュイッチ24時間耐久の結果報告。“RCB750”のS・ウッズ、“C・ウイリアムズ”が優勝! とありました。ん? その昔RCB特集でかなり調べて、掘り起こしたホンダトピックスという公式発表によれば、ヨーロッパ耐久選手権第2戦はル・マン24時間(1976年5月23日)で、モンテフュイッチは第4戦(7月3日開催)、優勝ライダーはS・ウッズ、T・ルッターと記録されております(自分の知っていることになると、ここぞとばかりひけらかすのは悪いクセ)。それよりも最大の発見は“RCB750”。RCB480A(941cc)ではなく、750のRCBが優勝?? RCB史上の大発見です。誤植でなければ。ねえ、おそらくレース担当だった空の上の石井編集長(私がそちらに行った時、苦笑いされているか、でっかい目玉でぎろっとにらまれるのか、楽しみにしております)。
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