第二次世界大戦に敗戦後、1950年代半ばから急速な経済成長を遂げた日本。1960年代になると力を付けた国内二輪メーカーは世界市場、特に巨大なマーケットである北米への輸出を本格化すべく試行を重ねた。今日では押しも押されぬ大排気量メーカーのカワサキだが、北米において初めてシカゴに駐在事務所を開設したのは1965年7月。この年の10月、待望の大排気量車W1が完成、いよいよ北米輸出に本腰を入れ始めた。これは、そんなカワサキの海外展開黎明期に単身渡米したサムライ、種子島 経氏の若き4年間の日の奮闘の物語である。この経験が、後にマッハやZの誕生に大きく関わるのだが、それはまた後の物語である。
※本連載は『モーターサイクルサム アメリカを行く』（種子島 経著 ダイヤモンド・タイムス社刊・1976年6月25日発行）を原文転載しています。今日では不適切とされる語句や表現がありますが、作品が書かれた時代背景を考慮し、オリジナリティを尊重してそのまま掲載します。
スタブ事件
八月に入り、販売が激減するとともに、スキップはめっきり神経質になった。昼食のサンドイッチも、残すことが多くなった。
セールスマンをクビにし、入れ替えることもふえた。セールスマンたちは、自分の家を起点に販売店の新設、指導をやっており、スキップ親分の指示は電話で受けるため、会社に来ることはめったになかった。私は、たまに顔を見せる彼らから、販売店の状況を聞くのが楽しみで、彼らを見かけると、自分の事務所に引っ張り込んだり、近所のバーで一杯飲んだりした。
暫くして、私は奇妙なことに気づいた。私と二人で話したセールスマンは、きまってクビになるのである。スキップは、いずれの場合についても、ちゃんとした理由を用意していた。議論しても水掛け論になるのは知れているし、セールスマンの任免はセールスマネジャーの権限に属するのだから、私としてはものを言いにくいのは事実であった。
私との通話係をもって任ずるスキップにしてみれば、部下のセールスマンが、直接私と話をするというのは許し難い大罪であり、また「自分の告げ口をされたのでは??」という疑心暗鬼もあるにちがいなかった。しかし、いずれにせよ、私にしてみれば不明朗、不愉快極まることで、スキップへの不信感はつのる一方であった。
スキップはあせっていた。B社在庫の旧型車は元より、A1、A7などの新機種も、バッタリ動きが止まった。旧東部代理店の売掛が残っている店は、たとえボロでも、切るわけにいかなかった。一方、西部では、ド素人のアラン青年が、早くもスズキに肉迫し、抜き去ろうとする勢いを示していた。販売実績で、玄人の強みを示すことだけが、カワサキ内での自分の地位確保につながることを百も承知のスキップとしては、イライラせざるを得なかったのである。
八月下旬のある夜、売上台帳を見ていた私は、販売店のスタブ社に対して、四万五千ドルもの売掛金が、二週間も決済されないまま残っているのを発見した。B社在庫の旧型車ではなく、大型新機種ばかり、合わせて七十台の大口である。B社在庫に関しては、七月から、同社の了解の下に掛け売りを認めていたが、新会社が仕入れる新機種に関しては現金売りしか認めていないので、これは重大な方針違反であった。
「バル、これは一体、どうしたわけだい」
「相手はジェリー・スタブだ。間違いないよ」
スタブは、テキサス最大のモーターサイクル販売店で、五月以来、カワサキも数多く売っていた。
「間違いのあるなしじゃなく、新機種を掛け売りしたのなら、方針違反だ」
「だって、スキップが大丈夫だと……」
「支払い条件の管理は、スキップじゃなく、君の責任だろう」
「待ってくれ。スキップを呼んでくる」
「ついでに、この販売に対する請求書のコピーを持ってきてくれ」
私は冷静であらねばならなかった。四万五千ドル倒されたら、資本金十万ドルのこの会社は破産である。西部のサイクル・ランド騒動の場合は、アランとの一枚岩の協力関係があり、サイクル・ランド自身どうしてもカワサキを必要としていたのだが、今度は、スキップがどうも頼りないし、スズキ、トライアンフを大量に売っているスタブにとって、カワサキの向背は大したことないのかもしれなかった。なによりも、事実関係のはっきりしないことがもどかしかった。
請求書の支払い条件は「net 30 days」──すなわち三十日以内の支払いを許容しており、これは明らかに方針違反である。
スキップは低姿勢だった。
「手違いでこんなことになったが、必ず全額現金で取る。三十日なんか待たない。ジェリーとは二十年来の友人だし、店にはセールスマンのラリー・ビールを張りつけている。ラリーがどんな男か、知っているだろう」
ラリーは、ヤマハ以来のスキップの子分で、古いモーターサイクル屋の典型であった。テキサスではかなり名の売れたロードレーサーで、女に目がなく、喧嘩っ早い男だった。ねばり抜いての回収作業に向いているとは思われなかった。
「いつ全額回収できるか、今日中にはっきりしてほしい。店頭在庫車の引き上げも考慮すべきだ」と私は強く言った。
スキップは、自分の事務所から、あちこち電話をかけ始めた。私は、台帳を隅から隅まで見て、このようなケースはほかにないことを確認、一安心した。しかし、売りたい一念の勇み足とはいえ許し難い方針違反であり、なんとしてでも全額回収しなければならなかった。
スキップがバルを連れてやってきた。
「二つのことを報告する。七十台中、二十台がまだ売れ残っており、ジェリーは、明日、ラリーがこれをうちの倉庫に持ち帰ることをOKした。この金額が一万五千ドルだから、残額は三万ドルになる」
「待てよ、すると五十台はもう売れたのか」
「そうだ。ジェリーの販売力はすごいから」
「販売力がすごいのは結構だが、その分の代金はどうなる」
「その件で、ジェリーは明日の夜、ここに来ることもOKした。私たちと直接話したい、と言ってる」
先方から出向いて来るのは、誠意のある証拠、とみるべきだろう。私たち三人は、晩飯を食いながら、対策を協議した。
テキサス州は、カリフォルニア州などと違って、車の登録に原産地証明書を要しないから、この点での保護はなかった。ジェリーは、日本の販売店のように、自分のリスクでお客に掛け売りすることをかなりやっているようなので、五十台売れても、差し当たりは、頭金程度しか入金していないはずであった。
スキップは、「残念だが、全部現金とか、三十日以内の回収ということはできそうにない。三万ドルを、ジェリーの支払い能力に応じて複数の先日付小切手にし、ジェリーにサインさせて、当方で預かるしかないと思う。九月一日、十月一日、十一月一日、それぞれ一万ドルというようにね」と言った。
「ジェリーは、先日付小切手にサインするだろうか」
「私がサインさせる。そして、小切手を振り出した以上、それを不渡りにすれば一切のビジネスができなくなるわけだから、必ず払うよ」
私にもバルにも代案はなく、ひとまずそれでいくことにした。私は、帰宅後、顧問弁護士であるジョーの自宅に電話した。
「ジェリーが、小切手を不渡りにしたら、どうなる?」
「ヤツを刑務所にぶち込むことも、破産させることもできる。だが、ヤツに金がない限り、金は取れない」
「刑務所か」
「サム、先日付小切手のアイディアは悪くない。だが、九月一日の第一回目を落とせないようなら、本当に問題だ。その場合は、君と私と二人でテキサスに乗り込んで、決着をつけるべきだぞ」
「そうならないことを望むが、その節は頼むぜ」
翌朝、売れ残りの二十台は倉庫に返され、倉庫会社からのエンジン番号、車体番号明示のテレックスが入り、確認された。
夕刻、スキップがジェリーを連れてきた。ジェリーは、日焼けした顔、太い眉、頑丈な身体と、西部劇のテキサンのイメージそのままの偉丈夫で、私は、「この男、信頼できそうだな」と直感した。スキップは、「ジェリーとバルと私の三人で、話をまとめた上で持ってきたい」と言い、彼の事務室に引き籠った。
二時間を過ぎ、従業員がすべて帰っても彼らは来ず、「難行しとるな」と心配するうち、三人がかなり興奮の色を残したままやってきた。スキップが言った。「ほれ、このとおり」三枚の小切手は、いずれも額面一万ドル。一枚目の日付は九月五日で、これは請求書の日付から三十日目、二枚目と三枚目は、それからそれぞれ三十日、六十日ずらしていた。
ジェリーが、ごっつい身体を椅子ごと乗り出した。
「サム、いきさつについて言いたいこともあるが、省略する。こまかなことも一切言わぬ。だが、次の点だけは、はっきりしておきたい」
なまりのきついテキサス英語だった。
「私の資金繰りは苦しい。スズキにもトライアンフにも、暫くの間支払いを待ってもらっている。だが、カワサキとは、最初から現金一本の取り引きだったし、本件も、三十日以内支払いの請求書をもらって、表立った文句を言わなかったのは事実だ。だから、スキップの言うとおり、三枚の小切手にサインした。サインした以上、不渡りにせぬよう全力を上げる。だが、どうにも金繰りがつかない場合は君に電話するので、小切手を銀行にまわすのはやめてほしい。不渡りを出したんでは、私のビジネスはもうおしまいだし、それではカワサキも困るだろう」
なにか持ってまわった言い方であった。
「じゃあ小切手を落とせない場合は、どうするんだい」
「そうならないよう努力する。だが、どうしても第一回目を落とせない場合は、相談しようじゃないか」
「わかった」
「借金を奇麗に済ましてからまた言わせてもらうが、カワサキの組織はおかしいぞ。各段階で言うことがみな違う。それに、今日、二十台のモーターサイクルが私の店から引き揚げられたのは、全く侮辱的なことで、スキップへの友情だけのために承知したようなものだ。引き揚げをスキップに命じたのは君かね」
「そうだ」
「ともかく、借金を済ませてからゆっくり言わせてもらうからな」
もう夜もふけており、夕食を共にして翌朝帰るようすすめたが、「まだ航空便はある。小切手を不渡りにしないためにも働かねば」と、立ち去っていった。
いやな報告はしにくいものだ。しかし、これはボスに知らすべき事項であった。
「三万ドルか。スキップを追い詰めるなよ。彼に全額取らすのが第一だからな。ほかの用事も溜っとるし、明日そちらに行こう」
私はスキップに対しても、「明日、スタブ事件についての報告と対策を聞きたい」と告げた。翌日、スキャブは、彼としては精一杯に整理された報告をした後、「ジェリーと私との関係からしても、彼が払わぬことはあり得ない。私が必ず取り立てるので、まかせていただきたい」と言った。
「それはまかせるけれども、もう少しくわしい情報が必要だ。彼の販売と資金の状況、スズキ、トライアンフとの債務関係、抵当権を設定できるものはないのかなどの点を明らかにし、第一回目の小切手が間違いなく金になるのを確認するために、君自身テキサスに行きたまえ」
スキップは、セールスマンにしては出無精で、四月以来五ヵ月間、一回も出張せず、部下への指示はすべて電話でやっていた。この時も、「ラリーがいるから、私自身が行く必要はない」とひとゴネしたが、結局ボスの命令とあって承知、後に登場するヨシを連れて、日帰りで出かけることになった。
私は改めてボスに「申しわけありません」とあやまった。
「そういうことは、一件落着の後だ。スキップとバルのチェック・アンド・バランスの関係ができておらず、バルがスキップのいいなりになる組織にしたのは、君の責任だ。支払い条件に関する方針に反して「net 30 days」の請求書を立てたのは、バルの責任だ。しかし、なんといっても、組織をメチャメチャにし、売りたい一心で支払い条件を曲げさせたスキップの責任が大きい。ただ、この責任追及は、スキップが全額取り立てるか、スキップでは取れんか、のメドがはっきりしてからだぞ。とにかく、ゼニを取ることだ。
それにしても、こんなことまでやるんなら、スキップ整理を急がにゃならんなあ。今シーズンは終わったし、B社在庫の販売と東部代理店の売掛金回収は予想以上に進んだんだから……」
翌日、夜おそく、スキップの報告を聞いた。
ジェリーは、昨年、今年と続くモーターサイクル不況を、ヒューストン界隈の五店の店を二店に整理して、切り抜けようとしている。スズキ、トライアンフからの買掛は相当額に上るようだが、彼の今までの実績と信用から、両社とも問題にしていない。
資金圧迫の直接原因は、昨年から、お客への月賦販売を始めたことである。消費者金融が発達している米国では、モーターサイクルも銀行や金融会社のローンの対象となっており、大多数の客がこれらのローンを利用して購入、販売店は、銀行や金融会社から支払いを受ける。したがって、日本のように、販売店自身がリスクを負って月賦をやることはなかったのだが、ジェリー氏、販売を伸ばすための窮余の一策としてこの方法に手を出し、そしてもたつかせたらしい。
「一人一人の消費者から取り立て、きちんと債権管理しておく手間が大変で、ジェリーも、もうやめている。だが、すでに掛け売りした分の金は、寝たままなのだ」
「それだけ手広く商売してるのなら、一万ドルぐらい、銀行から借り入れて決済するのは簡単だろう」
「ジェリーは、『銀行とは一切取り引きしない』と言っている。銀行と、なにかゴタゴタがあったらしい」
「で、第一回目の小切手は?」
「こいつは間違いない。私が責任をもって取り立てる。ラリーは、スタブの店に張りつき切りで、販売・入金状況を見ている」
だが、九月四日午後、ジェリーから電話があった。
「駄目なんだ。恥ずかしい話だが、金が揃わない。小切手をまわさないでほしいんだが……」
「約束だからそうしよう。だが、この始末はどうつけるんだい」
「四千ドルは今すぐ払える。今後も、できる限り払いたいが、あと二ヵ月で全額というのは、どう考えても無理だ」
「よし、では明日、私がテキサスに行こう。到着時刻などはあとで知らせる。四千ドルは、銀行振出小切手にしといてくれるな」
「私の小切手を信用してもらえないのは残念だが、君の言う意味はわかる。そうしよう」
弁護士のジョーは、「明日の約束は、みなキャンセルできる。よろこんでお供しよう。テキサスには空軍時代の友人が残っているから、ついでに数日バケーションとしゃれこむか」と、これは呑気な話をしている。
次いでボスに電話した。
「君に出てもらう以外にないな。スズキやトライアンフも必ず騒ぎ始めるから、この話、長びくぞ。ねばり強く、全額取ることだ。
それから、スキップを刺激するなよ。今、下手に動かれると、この話だけじゃなくて、あちこち混乱する。彼を整理するのはオレの仕事で、その時期はまかしてもらおう」
スキップは、ジェリーが、彼にではなく私に電話したことで、まず感情的になり、「ガッデム、ジェリー」を連発した。
「スキップ、君ができるだけのことをやったのはわかっている。しかし、ここまで来れば私の出番だ。ジョーと二人でなんとか始末して来るよ」
「このことを、ボスに話したか?」
「話した。彼も、そうするよう命令した」
「私のことはなにも言わなかったか?」
「別に……」
ジョーとの打ち合わせは飛行機の中で済ませた。
ジェリーは、残された二つの店の一つで待っていた。それは、大きさはサイクル・ランドに匹敵、さらに部品庫や修理工場の充実ぶりは、これまで私が見た販売店中最高の部類に属し、スズキ、トライアンフの新車を、ざっと二百台並べていた。
「ジェリー、この前から気になっていたのだが、君ともあろうビジネスマンが、こんなイザコザを起こすについては、君の側にも、いろいろ言いたいことがあるだろう。それをまずぶちまけてくれないか」
「ありがとうサム。私は言い訳は嫌いだが、いきさつは大いにあったんだ。
最初、君んとこのラリーが言うには、『販売不振でスキップが困っている。日本人は彼をクビにするかもしれぬ。ひとつスキップを助けると思って、ドンと買ってくれ。なに、支払いはいつでもいいんだ』だった。カワサキとは現金取引きばっかりだったので、その点、何回も確認したんだが、『大丈夫。事務所からの請求書はnet 30 daysとかなんとか言うだろうが都合のいい時払ってくれればいいんだ。ともかく、この際は販売を上げることがスキップのために必要なんで、決済の点はスキップも了解している』と言うんで、お望み通りドンと発注したわけだ。こんなうまい話、逃がす手はないもんな」
「なるほど」
「だから、八月末、スキップが電話で『四万五千ドル耳を揃えてすぐ払え』ときたのには、驚いたなあ。私の方は、ラリーとのいきさつを主張してどなるし、スキップはnet 30 daysを盾に取るし、結局のところスキップの『オレを助けてくれ』という泣き落としにつき合ったようなもんさ。セールスマンのラリーがなんと言おうが、正規の請求書はnet 30 daysになっていたんだからな」
「なるほど」
「次にもめたのが、車を引き揚げる一件さ。こんな不名誉極まりないことを承知した理由はただ一つ、私はもうカワサキの車を売りたくないんだ。こういうゴタゴタする会社との取引きは、もう一切お断わりだね。だが、買った物の代金は、間違いなく払う」
「ありがとう」
「ラリーはいい男だが、セールスマンとしては駄目だな。店に来ても、私の所には顔も出さず、修理工場の若い連中と、レースと女の話ばっかりやってる。スズキのセールスマンは、毎週必ず来て、私とビジネスの話をしていく。えらい違いだよ」
「なるほど」
「二十台の車を引き揚げて以来、私の前には一度も顔を見せてないな。スキップへの報告がどうなっているか、知らないがね」
ともかく、私は、四千ドルの銀行振出小切手を受け取った。ジェリーは、残額について、六ヵ月以内には間違いなく払えるというので、二万六千ドルを六で割った支払い計画を立てた。ここからジョー弁護士が割って入り、これを六枚の手形にすること、手形条項の一つに、期日に支払わない場合の強制執行認容文言を入れること、を提案、若干の議論の後、ジェリーはこれを受け入れた。われわれは、ただちにジョーの仲間の法律事務所に行って、手形を作成し、ジェリーにサインさせて、私が預かった。これと引き替えに、三枚の先日付小切手は、ジェリーに返した。
かくして、ジョーは空軍時代の友人の所に遊びに行き、私はニュージャージーに帰ったのであるが、スタブ事件は、これで終わりを告げることにはならなかった。われわれの動きは、ジェリーの取引先の知るところとなり、スズキ、トライアンフ、それにアクセサリー部品の各社までがジェリーに即時支払いを求め、引き揚げうる商品は引き揚げてしまった。ふつうならば、当然、破産手続きに入って責任を免れるケースである。しかしジェリーは、テキサンの本領を発揮して、破産申請への忠告には、絶対耳を貸さなかった。各社に支払い猶予を訴え続けながら、現金仕入れ一本やりの苦しい商売を続け、とうとう三年間で、すべての借金を片づけてしまったのである。
カワサキの売掛金も、一九七〇年に完済された。そして今日では再び全米一のスズキ販売店となり、テキサス州でスズキの占拠率が高いのも、このジェリーの奮闘に負うところが大きい。
私はジェリーの完済をみる以前の一九六九年十二月に帰国したので、このスタブ事件の未決着は心残りの一つであった。そこで、一九七〇年のある夜、たまたま来日したボスと雑談していた時、この快報を聞かされ、まことにうれしい思いをしたことを覚えている。
スキップの最後
一方、スキップについては、彼が、カワサキの一員としてよりは「スキップ一座」の座長としての意識をより強烈に持ち、「裏組織」を解散する気がない以上、またカワサキのエースたるアランと一緒にやる気が毛頭ない以上、シーズンが終わり、B商社と東部代理店の関係が片づいた今日、はっきり決着をつけるべきであり、スタブ事件は、その時期を若干繰り上げたに過ぎなかった。彼も、やられることを覚悟しており、つまらぬ連鎖反応を避けるためにも、早いほうがよかった。
スタブ事件が、スズキ、トライアンフなどの介入によって、はっきり暗礁に乗り上げた十月末のある日、ボスは、私も交えず、スキップと二人だけで話し、スキップは退職を承諾した。苦難のシーズンを乗り切ったことに対するボーナスのほかに、スキップは、ボスの手紙を要求した。カワサキでの一生懸命の働きに感謝すること、退職は彼の申し出によるものでありカワサキとしては残念至極だが認めざるを得ないこと、カワサキと彼とは今後ともよき友人であること、などを記し、ボスにサインしてほしいというもので、ヤマハをやめる際にも、同じ手紙をもらったのだそうである。
承知すると、ヤマハで同じ手紙をタイプしたイブが、涙を流しながら、カワサキのレターへッドに向かった。
これは、彼のモーターサイクル屋一代の誇りの表われ、とでもみるべきであろうか。ヤマハのミスター・エグチにサインさせた手紙は、肌身離さず持ち歩いているのに、なにかの際私に一度見せただけで、それを就職や昇給のネタに使う気は、さらさらなかったようである。
ボーナスの小切手とこの手紙を内ポケットに収めた彼は、私に、丁重に別れのあいさつをし、ロサンゼルスに来たら必ず電話してほしいこと、一緒に日本料理を食べたいこと、を述べた。次いで、バルの事務室に入って、約三十分間を過ごした。最後に、イブを従えて、事務所の一人一人と入念な握手をかわして回った。ここ数カ月のイライラは全く影をひそめ、少なくとも表面上は、まことに落ち着き払った風情であった。
イブは泣いていた。単なる感傷ではなかったであろう。スキップについてカリフォルニアに帰るしかないのだが、そこには、スキップの何人目かの妻がいる。スキップとの間柄も、ただでは済むまい。
二人は、みんなに見送られて、スキップの愛車ビュイック・ワイルドキャットで去っていった。
「しばらくロサンゼルスで販売店主として、のんびり暮らしたい。ついては、この機会に、西海岸までゆっくりドライブし、途中の町々で友人と旧交を温めながら帰りたい」ということなので、社用車であるワイルドキャットは、ガーデナに返すことになっていたのである。
ニューアーク───ロサンゼルス二千五百マイル(四千キロ)を、スキップとイブのお二人は、一ヵ月ほどかけての道行きとしゃれこんだらしい。町々で友人たちに語ったことや、あちこちの友人に、行く先々の町からばらまいた早い目のクリスマスカードから、お二人の大陸横断旅行は、業界の話題となった。それはまた、彼の若妻の知るところとなり、何回目かの離婚訴訟になっていくのである。
ロサンゼルスに帰ったスキップは、ヤマハ販売店主として成績を挙げつつ、モーターサイクル遊園地の経営などでも成功を収めているが、女癖はいっこうに衰えをみせていないという。(続く)
種子島経(たねがしま おさむ)
昭和10（1935）年福岡に生まれる。33年東京大学教育学部卒業。昭和35（1960）年同大学法学部卒業、同年川崎航空機工業(現川崎重工)入社、今日に至る。その間39年よりモーターサイクルに関係し、国内営業、輸出を担当した後、昭和41年〜44（1966〜1969）年米国駐在。帰国後はモーターサイクルの製品企画、販売企画等を担当。昭和48（1973）年に発売を開始したZ1に大きく関わった。
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