戦後、国産バイク勃興の時代には、比較的簡易に生産可能な2ストロークエンジンが幅を効かせていた。まだまだ主流は小排気量であり、250ccクラスを超える大型車(当時はせいぜい500ccほど)は海外モデルをお手本(コピーともいう)とした4ストロークであった。
世界的に見ても2ストロークの大排気量市販車は、「250クラスの2気筒が限界」とさえ言われており、1910〜30年代年に生産されたイギリスのスコット33/4(水冷2気筒532cc)、ドイツのDKW ZSW500(水冷2気筒500cc)、チェコのヤワCZ350(空冷2気筒344cc)や、1960年代ドイツで作られたモトクロッサーのマイコMC350(空冷単気筒352cc)など少数派であった。
我が国で250ccを超える小型二輪枠の2ストローク車はいつ頃誕生したのだろうか。手持ちの資料がほとんどなく断定できないが、1956年に戦前から続く2ストメーカーの昌和製作所が試作したマリーンあたりになろうか。空冷2気筒350ccエンジンをモノコックボディーに搭載し、変速は手元のボタンで行う電磁式という斬新なバイクであったが、市販には至らなかった。
市販車では翌年、東京荒川区のヘルス自動車工業が発売したエムロELか。250cc単気筒エムロEFのエンジンを合体させたような2気筒494ccで、2ストの空冷2気筒500ccクラスとしては世界初の市販車にあたるらしい。荒川の町工場のような小さな会社から、終戦後世界初の2ストビッグマシンが登場していたことはほとんど知られていない。最高出力はわずか25ps。しかし、当時の4ストローク車は500〜600クラスでも25〜30psであり、十分な高性能車だったようで、白バイとしても採用されたとか。
排気量に恥じない性能で、価格的にも当時の人気車メグロやホスクより安いくらいであったが、他メーカーが追従しなかったところをみると、はやり大排気量2ストローク車(以下BIG2スト)は、排出ガスやオイル消費量、耐久性など抱える問題が多かったのだろう。
1958年ヤマハからはYD-1のボアを1mmアップし、軽二輪の枠を越え256ccとしたYE-1が誕生した。この手法は手堅く比較的簡単にパワーアップが可能であり、初期のBIG2ストは、250スポーツモデルをベースにしたボアアップ版が定番化していった。
BIG2ストが本格的に始動したのは1960年代も終盤になってから。WGP参戦で培った技術とノウハウを生かし、1967年の東京モーターショーにスズキから空冷2気筒500ccのスズキファイブ(後のT500のプロトタイプ。ホイールベースなど異なるが、ぱっと見た目は市販車のT500とほぼ同じ)が参考出品され、ヤマハからはボアアップから脱皮した350専用設計のスポーツ350R1が登場し、新たなる時代の到来を予感させた。
YD-1をベースにボアを1mm拡大して256cc化したヤマハ初の小型二輪車(オーバー250cc)となったのがYE-1。最高速度は115km/h。以後この手法は定番となり、翌年には後継モデルであるYDS-1のボアアップ版のYES1、1962年はYDS-2ベースのYES-2と、ベースとなる250と対になって登場した。
●エンジン:空冷2ストローク2気筒●総排気量(内径×行程):256cc(55×54mm)●最高出力:14.3ps/6000rpm●最大トルク:1.85kg-m/5500rpm●変速機:4段リターン●全長×全幅×全高:1935×705×935mm●軸距離:1270mm●車両重量:140kg●タイヤ前・後︰3.25-16・3.25-16●発売当時価格:190000円
ヤマハ初のオーバー300ccは、オートルーブが付いたYDS-3のボアを60mmに拡大して1965年に登場したYM1(305cc)。最高速度はYDS-3の147km/hから157km/hへとアップし、来たるべき高速道路時代に対応した。1967年にはDS5Eベースの305M2(305cc)も誕生。
●エンジン:空冷2ストローク2気筒●総排気量(内径×行程):305cc(60×54mm)●最高出力:25.5ps/7000rpm●最大トルク:2.7kg-m/6000rpm●変速機:5段リターン●全長×全幅×全高:1975×780×1050mm●軸距離:1295mm●車両重量:163kg●タイヤ前・後︰3.00-18・3.00-18●発売当時価格:192,000円
翌年には日本車を世界へ大きく躍進させたCB750FOURが登場、4ストマルチ大排気量エンジンの幕開けを迎えるが、BIG2ストも高い加速性をウリにしたマッハシリーズや、水冷化によってCB750FOURに真っ向勝負を挑んだGT750が登場、さらにミドルクラスと呼ばれた350クラスで新たな需要を形成して黄金時代を迎えた。
しかし4ストマルチエンジンのビッグバイクの躍進はすさまじく、また1970年代中盤からのオイルショックや厳しくなる排出ガス規制の逆風も強くなりつつあった。1971年の東京モーターショーに水冷4気筒のGL750が参考出品され、期待が膨らんだがBIG2ストバイクの衰退はあっという間に進行した。1970年代後半はすでに絶滅に近い状況で、マッハの末裔であるKHが独特の3気筒サウンドと白煙で一部から根強い人気があったが、消滅は時間の問題と思われていた。
BIG2ストどころか、250クラスさえもこのまま静かに(走行サウンドは静かとはいえないが)消え去るかに思われたが、RZ250に端を発したレーサーレプリカブームによって、2ストの250は再び大きな脚光を浴び最前線に帰り咲いた。その恩恵? で再びBIG2ストにも目が向けられたのである。後に思い起こせば、後継モデルも誕生することはなく、わずか一代限りの復活ではあったがあったが、スーパーレーサーレプリカともいうべきRZV500R、RG400/500Γ、NS400Rが登場し、これらがBIG2ストの有終の美を飾った。
1971年の東京モーターショーに参考出品され大きな話題を集めた水冷4気筒車。燃料供給はインジェクションという先進モデルであったが、BIG2ストに厳しい社会情勢を前に市販化はされなかった。社内呼称はYZ401で、足周りはTX750、エンジンは市販レーサーTZ750で日の目を見た。
●エンジン:水冷2ストローク4気筒●総排気量(内径×行程):743cc(65×56mm)●最高出力:70ps/7000rpm●最大トルク:7.5kg-m/6500rpm●変速機:5段リターン●全長×全幅×全高:2190×920×1170mm●軸距離:1450mm●車両重量:205kg●タイヤ前・後︰3.25-19・4.00-18●発売当時価格:試作車
マッハの後継車として1972年に開発がスタートした水冷スクエア4エンジンの試作車。開発コード0280、開発ネームはタルタルステーキ。ピストンバルブの750ccで、最高出力75ps、最高速度200km/hを目標に開発されたが、やはり時代背景により試作段階で開発は中断された。足周りはマッハ系のようだがリアブレーキは珍しい油圧式のドラムでマスターシリンダーは大きなサイドカバー内に収納されている。
●エンジン:水冷2ストロークスクエア4気筒●総排気量(内径×行程):748cc(63×60mm)●最高出力:75ps/7500rpm●最大トルク:-kg-m/-rpm●変速機:5段リターン●全長×全幅×全高:-×-×-mm●軸距離:1460mm●車両重量:200kg●タイヤ前・後︰-・-●発売当時価格:試作車
BIG2ストを振り返るとおもしろいことに、あらゆるエンジンを開発し、発売してきたホンダが1985年まで一切関わっていないこと。出せるものはすべて出せ。出ていないものもすべて出せと叱咤激励したといわれるHY戦争当時も発売されなかった。もちろん開発研究はされていたはずだが、市販されたのは結局NS400Rのみだった。
※今回の対象は国産4メーカーの300cc以上の国内販売モデルを基本に一部輸出専用モデルも加えました。年度は基本的に発売年で表記しましたが、一部イヤーモデル(発売の翌年の場合が多い)もあります。表記の年度は概略としてご覧ください。
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