高山さんのバイク承前啓後 第53回 ブリヂストン イノベーション ギャラリー見学記=BSの歴史を知り未来に想いを馳せる=
2024年12月、ブリヂストンタイヤの活動の歴史と、未来への挑戦を知ることができる「ブリヂストン イノベーション ギャラリー」を見学しました。このギャラリーは、2020年11月に東京都小平市にオープン。そして、2024年12月にリニューアルオープンし、モータースポーツギャラリーを新設しました。
では、モータースポーツギャラリーを中心に紹介いたします。オートバイファンにとって、そして日本の二輪車産業にとっても貴重なレーシングマシンが、広いフロア―の中に佇んでいました。
このブリヂストンEJR2は、1965年のWGP日本グランプリでデビューしました(レースの書籍では、森下薫選手らが3台のEJRで出走したと紹介されている)。
そして、1966年のマン島TTレースへの出場を目指しましたが、港湾ストライキによってレースの開催が6月から9月へと延期になり、出場することは叶いませんでした。しかしながら、6月25日にオランダで開催されたダッチTTレースに出場。このレースで森下薫選手のライディングにより、見事6位入賞を果たし、貴重なポイント1点を獲得したのです(当時は、6位までがポイントを獲得できるという厳しいものでした)。ブリヂストンにとっては、初めてのWGPでポイントを獲得するという快挙でした。このレースでは、世界チャンピオンを狙うホンダが1-2フィニッシュ。スズキが3位から5位までを占めるという激戦でした。
ブリヂストンがオートバイの販売と製造を手掛けた歴史を辿ると、1952年に発売した自転車用補助エンジンを搭載した製品がルーツになるようです。モペッドを得意としていましたが、1960年には50ccの本格的なオートバイ「BSチャンピオン2」を発売して、競争が厳しい二輪車市場に挑戦しました。技術や製品で先行していたホンダ、スズキ、ヤマハに追いつくために、ブリヂストンもWGPへの挑戦を決めたのだと思います。
しかしながら、二輪車の業績は好転せず、WGPで入賞を果たした同年に国内での販売を終了したのです。ブリヂストンのオートバイで育ったライダーも多いと思いますので、ギャラリーにはもう少し二輪車の展示を増やしていただければ嬉しい限りです。
モータースポーツギャラリーは、四輪レースの展示が多いのですが、二輪レース関係の展示もあります。これは、2003年のMotoGPで戦った玉田誠選手のライディングギアですMotoGPクラスは、2002年にスタートすると、ホンダRC211Vのバレンティーノ・ロッシ選手が圧倒的な強さで初代チャンピオンを獲得しました。MotoGPクラスでは、ミシュランタイヤ装着マシンがすべて優勝するという圧倒的な強さでした。玉田選手は、翌2003年からホンダRC211VでMotoGPに挑戦しました。タイヤは、MotoGP参戦2年目のブリヂストンでした。玉田選手は、第12戦ブラジルGPで3位表彰台を獲得。ブリヂストンタイヤにとってMotoGPクラス初の表彰台となりました。
そして、玉田選手の勢いは2004年に開花しました。MotoGP第7戦のブラジルGPで自身としてブリヂストンにとっても初優勝を飾りました。この年の日本GP(もてぎ)では、日本のファンの前でシーズン2勝目を挙げて、ランキング6位を獲得しました。タイヤはもちろんブリヂストンでした。玉田選手は、MotoGPクラスでブリヂストンに初表彰台と初優勝をプレゼントしたライダーとなったのです。
MotoGPでのブリヂストンは、2007年にケーシー・ストーナー選手がドゥカティマシンにより、念願の世界チャンピオンを獲得しました。
ブリヂストンタイヤ装着マシンは、2008年にバレンティーノ・ロッシ選手がヤマハYZR-M1によってチャンピオンに輝き、名実ともにナンバーワンのタイヤメーカーになりました。
2009年シーズンは、ミシュランタイヤが撤退したため、ブリヂストンタイヤのワンメイクレースに移行しました。これまでの戦いから、全チームに品質の優れたタイヤを公平に提供するという新たな挑戦となりました。ブリヂストンタイヤのワンメイクは2015年まで続き、2016年からはミシュランタイヤのワンメイクになっています。
【タイヤの歴史を知る】
見学順路の最初に現れるのが、博物館のような展示内容です。
https://www.bridgestone.co.jp/corporate/innovation_gallery/
場所 東京都小平市小川東町3-1-1
開館 月曜日~土曜日 10:00~16:00 (祝日は休館になる場合があります)
交通 西武国分寺線 小川駅東口より徒歩5分
駐車場が完備されています
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