大きさや重ささえも魅力に変えた「男、カワサキ、FX」
1975年に行われた免許制度の改正によって主戦場となった中型クラスであったが、CB400FOURが生産を終了した後は2気筒車と2スト車が覇権を争っていた。そんな1979年4月15日に発売されたのが4気筒エンジンを搭載したZ400FXであった。同時開発された輸出仕様Z500と共通のボディはワンクラス上の車格であったが、走行性能をスポイルしかねない大きさや重ささえ、Z1000MKⅡ、Z750FXのいわゆる角Z系の雰囲気を醸し、大排気量車に憧れる中免少年達の心をがっちりと掴んだ。クラス初のDOHC4気筒エンジンは、当時当たり前の手法であった輸出仕様のボアダウン仕様ではなく、Z1とZ2の関係のように400専用のボア、ストロークで新規開発されたことからも、いかに力の入った新型車であったことが解ろう。
初代となるE1は、グラフィックのない単色のファイアクラッカーレッドと3本のラインが入ったエボニーとシルバーの3色で登場した。ライン入りカラーのエボニーとシルバーは人気薄だったのか、早くも6月10日にタンクを縁取る細いラインの入った新グラフィックのエボニーと交代、継続色のファイアクラッカーレッドと2色のラインアップとなった。
クラス唯一のDOHC4気筒車であるZ400FXは、発売翌年の1980年と、1981年に2年連続でクラストップの登録台数を記録する大ヒット作となり、400クラスに4気筒車のブームを開花させた。それは同時に4気筒戦争への序章でもあり、ライバル勢の猛追を受けることになる。1982年、後継車のZ400GPが登場し主役の座を譲ったが、その後に最終仕様が復刻販売されるほどFXの人気は根強かった。Z400FXが先鞭を付けたカワサキ空冷444の系譜はその後Z400GP、GPz400、GPz400F、GPz400F-Ⅱと進化を続け、平成の世になった後も、ゼファーが一大ブームを巻き起こすのだが、その礎を作ったのは間違いなくZ400FXであった。
車体色:ファイアクラッカーレッド、エボニー、シルバー 発売当時価格:385000円
グラフィックを変更したFXのイメージカラー登場
ヘッドライト下にKawasakiのロゴ入りカバーが新たに追加されE2となった。車体色はファイアクラッカーレッドも好評の細い縁取りが入った新グラフィックとなり、6月に登場した縁取りの入ったエボニーは、同様の改良を受けて継続。主要諸元に変更はないが価格は398000円とややアップ。
グラフィックを一新
リフレクターが廃止され、太いラインの新グラフィックとなったE3。車体色はムーンダストシルバーとエボニーの2色。主要諸元に変更はないが価格は405000円にアップ。
足周りを強化
XJ400、GSX400Fとライバル車が登場する中、エア加圧式のセミエアフロントフォーク、小型ブレーキキャリパーとディスク、軽量化されたホイールにチューブレスタイヤ、ハザードランプ、グラブバーの新設、ハロゲンヘッドランプ、トランジスタ点火などが新たに採用されたE4へと進化。グラディーションラインの新グラフィックとなった車体色はギャラクシーシルバー、ルミナスガンブルーの2色。
500台の限定仕様
E4をベースにカワサキ系販売店で500台限定で発売されたのが、グランプリ仕様。派手なカラーリングのみの変更で価格は470000円。
復活の最終型
Z400GPにバトンを渡してカタログ落ちに見えたが、根強いラブコールに応えて12月1日に再販されたエボニー×ファイアクラッカーレッドの最終型。435000円。
短命に終わってしまったFXの正統進化系
一見するとFXのフォルムを踏襲しているが、エンジン以外はすべて新設計といえる内容で、フレームの軽量化、4段階可変ダンパーと無段階プリロードアジャスタを備えたガス封入式の1本サスのユニトラックシステム、フロントダブルディスク、ジュラ鍛のセパハン、角型ハロゲンヘッドライト、2灯式テールライト、ワンパネル化され液晶式の燃料計にバッテリーフルードとオイルレベルチェックメーターや電圧計兼用回転計内蔵のメーター等を新たに装備した。エンジンもFXをベースとしながらも各部の改良や見直しによって5馬力アップの48馬力となり、179kgと軽くなった車体と相まって戦闘力がアップしている。
兄貴分のZ1100GP、Z750GPはd.f.iというフューエルインジェクションシステムを採用したが、400はキャブ仕様のままであった。しかしまだまだ電子制御技術は発展途上であり、汎用性のあるキャブの実用性が勝っていたことも事実で、実質的には見劣りするほどの差はなかった。
1982年3月15日の発売開始時、車体色はファイアクラッカーレッドのみだったが、4月にエボニーが追加された。1982年7月10日には人気色のライムグリーンを追加。カラー変更だけでなく、シートもローソンレプリカ風の段付きシートとなり、ミニカウルもオプションで設置された。主要諸元、価格に変更はない。
なお、1982年の鈴鹿4耐では、社内チームのチーム38からほぼストック状態で出場したZ400GPが見事優勝していることからも、ポテンシャルの高さをうかがい知ることが出来る。だが、バイクブームはさらに急激な加速を続け、先鋭化を続ける444のなかにあって、ノンカウルの444第一世代は、あっという間に時代の波間に消えていく。
流れるようなニューフォルムにフルモデルチェンジ
完成度は高かったが、激しい高性能化競争の波間に消えてしまったZ400GPの後を受けて登場したGPz400は、FX系のデザインと決別し、時代の最先端を行くターボチャージャーを装着した750turboや空冷最強と言われたGPz1100系の流れを汲むフロントカウルからタンク、サイドカバー、テールカウルへと流れるようなGPzシリーズ共通のニューデザインで登場した。
エンジンはZ400GPベースの2バルブのままであったが、ボア、ストローク共に変更されクランクやコンロッドは新設計、ヘッド形状なども異なる、言わば似て非なる別物となり、最高出力は51馬力と当時の空冷444では最強を誇った。フロントフォークにはイコライズドエアシステム、アンチノーズダイブシステムも装備、角型スイングアームやタコメーターは電圧計にもなる異形二眼メーター、タンク上に設置されたマイコン制御で液晶で表示される燃料計、オイル警告灯、サイドスタンド収納警告灯など、最先端装備も豪華絢爛となった。
早くもパワーアップ版のFにモデルチェンジ
好評のデザインはそのままに、登場からわずか8ヶ月にして吸排気系の改良により54馬力へとパワーアップしたGPz400Fへとモデルチェンジ。今では想像も出来ないが、それだけ444戦線が激化する一方で、当時のバイク市場に勢いがあったか象徴的な出来事であった。
グラフィックを小変更
フロントカウルとテールカウルのグラフィックを小変更。スターライトブラック×ファイアクラッカーレッドのみの設定となった。価格はわずかにアップして530000円に。
最終型は再び2色ラインアップに
1985年に水冷のGPZ400Rが登場したが、カタログ落ちすることもなく2月にギャラクシーシルバーが追加され再び2色ラインアップが復活。GPZ400FもまたFX同様根強い人気があった。1986年には再びエボニー×ファイアクラッカーレッド(A5 車体色表記は異なるが見た目はA3のスターライトブラック×ファイアクラッカーレッドと同じ)となり、以後はカラーチェンジを受けることもなく1980年代の終盤まで販売されるという、たいへん息の長いモデルであった。
ノンカウルのバリエーションモデル
GPZ400Fをベースにカウルを外し、メーターも異径二眼式からZ400GPと同タイプの一体型となり、タンク上にあった液晶式のモニターは小物収納ボックスに変更されたノンカウルのバリエーションモデルが1984年1月10日誕生。マフラーはクロームメッキとなっている。今の目で見ればネイキッドモデルだが、当時はそんな言葉もジャンルも存在せず、レーサーレプリカへとまっしぐらに突き進む最中であり、あえてカウルを外したFⅡはある意味、時代を先取りしすぎた異端児でもあった。
車体色を変更
カラー変更を受けラインアップは1色となり、ゼファーが誕生する1989年頃まで販売された。
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