2023年に河内健氏がスズキを去ってHRCへ移籍したことは、レース関係者のみならず世界中のMotoGPファンからも大きな注目を集めた。だが、この年のホンダは前年以上の苦戦を強いられ、かつて見なかったほどの低成績に沈むシーズンになった。2024年の彼らは、この低迷から脱するためにコンセッション(優遇措置)が適用される。マレーシア・セパンのプレシーズンテストでは公式日程の3日間に先だち、テストライダーやルーキー用にシェイクダウンテストが行われたが、コンセッション対象のホンダ陣営はこれにもフル体制で参加した。そのシェイクダウンテストを終えた翌日のパドックで、河内氏から2023年の振り返りと2024年の展望について話を訊いた。
●インタビュー・文・写真:西村 章 ●写真:MotoGP.com
―スズキからホンダへ移った1年目の去年、HRC初シーズンはどういう一年でしたか?
「同じ日本企業とはいえ違うメーカーに行って、そもそも一緒に仕事をするスタッフがまず違いますし、いろいろなやり方も規模も違うので、自分もたくさん勉強しなければいけないことがありました。その中でなかなか成績を上げることができず、正直に言ってとても苦しいシーズンでした」
―レース現場を担当するテクニカルマネージャーとして、テストも含めて全戦帯同してきた河内さんの目から見て、その苦戦はどこに原因があったと思いますか?
「そこは簡単ではないですよね。もちろん他社に比べて我々のマシンが劣っていた部分もあるでしょうし、やり方の部分でもっと改善できた部分もあったでしょうし、そういったいろんな要素が合わさってあの結果だったのだろうと思います」
―1月に桒田さんと佐藤辰さんに話を伺ったとき、2022年の問題点だったバイクのスイートスポットの狭さが2023年にある程度改善されたのかどうか訊ねたのですが、桒田さんの回答は「大きく改善されず、スイートスポットの狭さは2023年も大きな課題だった」という話でした。この点について、河内さんの印象はどうでしたか?
「そうですね……、たとえばインドGPでは比較的うまく走ってくれましたし(M・マルケス:スプリント3位、J・ミル:決勝5位)、アメリカズGPではアレックス(・リンス)が優勝してくれて、コースによっては悪くない結果だったので、そういったところではある程度バイクのスイートスポットに合っていたのかもしれないですね。とはいっても、それ以外のサーキットはやはり苦戦していたので、そういう意味ではスイートスポットの狭さは去年のバイクでも大きな課題だった、という理解だと思います」
―桒田さんの話では、スイートスポットが小さいために苦戦するコースで部分最適化をして、その結果、バイクのトータルバランスの見直しにまで踏み込めなかった、という話でした。
「現場で可能なことは色々とやってみたつもりなんですが、特に去年からはレース現場で大きな変更を試みることがなかなか難しいスケジュールになりました。土曜午後にスプリントが入った影響で、金曜の午後からタイムアタックになります。だからといって、金曜午前のFP1は路面もまだいいコンディションではない。タイヤの本数制限があるので、フロントタイヤも好きなものは使えない。その後にはあまり使わないようなコンパウンドでも使って回していかなければ、その後のセッションで使いたいタイヤが足りなくなってしまう、というような状況です。そのような状況でベストのセッティングを確認できるのか、そこで何かの変更を加えたとしても本当にしっかりと見極めることができるのか、ということが難しかったです。午後になると、翌日の予選に行くための準備でタイムアタック、という流れになりますから。だから、バイクのベースに対してレースウィークで何かをしようというのは、特に去年からのスケジュールでは非常に難しくなっている印象があります。ということは、やはり桒田が言うとおり、最初からスイートスポットの広いバイク、どこに行っても80点で走れるオートバイが求められているのだと思います」
―スズキ時代、パンデミックで難しいシーズンだった2020年にあれだけの好パフォーマンスでタイトルを獲得できたのは、スイートスポットが広いバイクだったことも要因なんでしょうね。
「そうですね。たしか以前にインタビューをされたとき、そういう答えをしたような記憶があります(笑)」
―河内さんがスズキからホンダに移ったのと同じタイミングで、ライダーふたりもホンダへ移籍しました。しかし、ミル選手もリンス選手も、レースキャリアで最大といっていいくらいの苦労を強いられました。河内さんはふたりが最高峰に上がってからずっと近いところで見てきたと思うのですが、なぜ彼らはあそこまで苦戦するシーズンになってしまったんでしょう?
「バイクのキャラクターがそれまでとはだいぶ違ったということもありますし、彼らが本当に欲しかったモノをすぐには準備できなかった、ということもあったかもしれません。そこで、こういう方向ではないかと開発陣と一年かけて話をしてきて、それを徐々に具現化しているのが今回のセパンテストだと考えています」
―一年を通じて戦っていきながら、少しずつ方向性が見えてきたのでしょうか。
「それが合っているかどうかはわからないですけれどもね。ただ、こう思うよ、という話は常に開発陣としていますし、それに対して『そうだね』『そこは違うと思う』という議論がもちろんあるんですけれども、その議論の末に持って来たものが今のバイクだと考えています」
―去年の開幕戦ポルティマオで話を伺った際には、「2023年のバイクはHRCの人たちが一所懸命作ってきたもので、どうやって性能を上げていくかを一緒に考え始めたところ。それが形になってゆくのはもっと先になると思う」という話でした。いまおっしゃった一年間のやり取りを経て、今回のセパンに持ってきたバイクには河内さんの知見や意見も盛り込まれている、ということですか。
「そこまでいうのはおこがましいですけれども(笑)。ただ、現場で起こったことやこうではないかと思ったことは一年通して現場から開発側に伝えてきました。それが、現場にいる僕の仕事でもありますから。そういったことも加味して出来上がってきたバイクが今のものなので、そういう意味では去年のバイクよりは自分の意見も入ってるのかな、というふうには思っています」
―河内さんはずっとレース現場で仕事をしてきて、スズキ時代に技術監督として浜松の開発陣とやり取りしてきたのと、HRCに入って現在、テクニカルマネージャーとして朝霞とやりとりしてきたのは、同じ日本の企業でもやはりいろいろと違うものですか?
「一番簡単にいうと、規模が全然違うんですね。開発するために動いている人数と、開発のスピード。とにかく良くして上位に追いつくためにどんなタイムスケジュールでモノを持ってくるかという早さが、桁違いですね」
―それは予算という面でも、ヒューマンリソースという面でも?
「両方ですね。スズキはご存知のとおり小さな規模でやっていたので、失敗できないんですよ。だからかなり慎重なんですが、そのかわり何かひとつ変更するときでも、改善のステップはすごく小さくても、一度換えたらもう以前には戻らなくていいように、本当に大丈夫かということを何回も比較検証する。それが小規模で予算が少ないメーカーのやり方でした。
今は、ホンダの使命としていつまでもこのポジションにいるわけにはいかない。一刻も早く上位に戻ることを考えると、とにかく開発スピードを上げていく。どちらの手法が良いとか優れているということではなく、その違いは感じましたね」
―上位に追いつく、というのは、ドゥカティに追いついて追い越さなければいけないわけですよね。
「そうですね、はい」
―そのためには何をしなければいけないのでしょうか?
「ひとことでは言えないですね。とにかくいろんなエリアをやっています。空力にせよ馬力にせよ、その他のいろんなデバイスにせよ。とにかくすべてのエリアで改善を目指しています」
―日本のメーカーで走るヨーロッパのライダーたちは「ヨーロッパ的なアプローチを取り入れてほしい」ということを特に去年はとてもよく指摘していました。我々は日本人なので、彼らのいう「ヨーロッパ的なアプローチ」というものは想像するしかないのかもしれませんが、それはどういうことだと河内さんは考えていますか?
「とにかく結果を待たず、プロセスも気にせず、どんどん新しいものを現場に投入してほしい、という意味なのかなと思っています。とはいえ、闇雲にそんなことをすればオートバイがまとまらなくなってしまいます。だから、ある程度しっかりコントロールをしながらも、できるだけプロセスを迅速化して早く進化させていかなければいけない。その按配が重要なんだろうな、と思います。ヨーロッパのやり方、というものの理解がそれで正しいのかどうかはわからないのですが、とにかくどんどん新しいものを投入する。一方で、日本的とは、しっかり確認をしながら着実なステップで進歩していくことだと私は理解をしています。そのふたつのちょうどいいところを探るのが重要なのだろうと思います」
―とはいえ、ヨーロッパ的なアプローチを追い求めても、それはしょせん模倣の域を出ないかもしれません。ならば、考え方のひとつとして、真似をして追いかけるよりも、むしろ日本的アプローチで武器となるものを徹底して磨き上げていくことで対抗する、という考え方もあるかもしれません。
「まあ、ヨーロッパ的といわれるもののいいところは取り入れていきたいですよね。それは、既成の概念にとらわれず新しいものにチャレンジするということでもあるでしょうから。開発のスパンを短くしてとにかく早く投入していこう、ということについては、ホンダは充分にその気概があるし、新しいものにチャレンジする姿勢も、『こんなにホントにできるのか……』と私が心配になるくらいどんどん新しいものを開発しているので、そういう意味では充分にヨーロッパ的とも言えると思います。あとは、それをいかに上手く組み合わせてバランスさせるか、というところだと思うんですよね」
―今年はミル選手のチームメイトとして、新たにルカ・マリーニ選手が加わりました。テクニカルマネージャーとして、彼らにはどういうことを期待しますか。
「ライダーとしてしっかりバイクを評価してもらい、それを次の開発に繋げていきたいと思っています。もちろんテストライダーもいますが、現場のライダーの意見は尊重したいので、そこをしっかりやってくれることに期待しています。開発陣を信じてもらえば、しっかりといいバイクを持ってくるので、結果を出していきたいと思っています」
―今年はホンダ勢4名のうちふたりのライダーが代わり、そのふたりはいずれもドゥカティから来る選手です。ドゥカティから来ることの意味は、やはり大きいですか?
「そうですね。今はドゥカティがナンバーワンバイクと言われているので、そこから来たライダーたちの意見は非常に貴重ですし、有難いですね」
―ライダーたちの話を聞いて、目を開かれる思いをすることはありましたか?
「具体的に何とは言えないですけれども、結構ありますよ。『なるほど、そういう考えもあるのか』と感心します」
―それはやはり、日本的ではないことだったりするのですか?
「そこは、日本やヨーロッパと関係のないことだと思います。単に技術的アプローチの違いで、その分野についてあるメーカーが長けていたということだと思うので、ヨーロッパだからとか日本だから、というふうには捉えていません。『ドゥカティはこういう考えでやっていたのか』というようなことを、ライダーと話をしていて改めて感じたりもします」
―今年のホンダはコンセッションが適用さますが、河内さんはおそらく今のホンダで唯一コンセッションを経験している現場スタッフですよね。コンセッションの経験者として、ライバル陣営に追いついていくために何か考えていることや活かせそうなことはありますか?
「いや、そこはとくにコツや何かがあるわけではなくて、レギュレーションのとおりですよ。『コンセッションではエンジンのシールはどうなるんだっけ』と聞かれた時に『スズキのときはこうでした』という話ができたりするくらいで(笑)」
―コンセッションを活用しながら、今年中にチャンピオン争いをするところまで戻せると思いますか? あるいは、もう少し時間をかけて長い目で見ていくのでしょうか。
「会社の使命として、今年の前半戦である程度見極めて、今年中にチャンピオン争いのところまで戻れないとまずいと思っています。コンセッションは、それを有効に利用して上位に追いつくためのレギュレーションだと思うので、しっかり使って早く追いつくことをしないとまずいと思います」
―サマーブレイクまでの成績で、適用が一度見直されますね。
「そこでコンセッションのランクが上がれば適用が変わるものもあるし、シーズンの最後まで続くものもあります」
―今のポジションを脱することが当面の目標になりますか。
「そこはマストになります。とはいっても、一足飛びに一気に追い抜くことはできないんですよ。だから、まずは尻尾をつかんで同じ土俵に上がり、追い抜くのはその次の作業ですから」
―尻尾をつかめそうですか?
「と思っています」
―そのために今回もいろいろなテストをしているのだと思いますが、このテストで一番重要視しているのはどういうことですか?
「いろんな方向性のバイクを模索してきて、こっちがいいのではないかというものを昨年のバレンシア事後テストに持っていきました。今回のセパンでは、そこからさらに進化させたものを持ってきています。その方向で大丈夫かどうか、これで戦えるかということを、4名のライダーに確認してもらうことが、一番大事な内容です」
―シェイクダウンの3日間を終えて、現在の感触はどうですか。
「おおよそ、思ったとおりに来ています。もちろんまだ足りない部分もあるので、しっかりと進化させていかなければならないのですが、『目指す方向はこっちだよね』ということは、我々が用意したものとライダーが考えているところは合致しているという感触をつかんでいます」
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と「MotoGP 最速ライダーの肖像」、レーサーズ ノンフィクション第3巻となるインタビュー集「MotoGPでメシを喰う」、そして最新刊「スポーツウォッシング なぜ<勇気と感動>は利用されるのか」(集英社)は絶賛発売中!
[行った年来た年 MotoGP Honda篇アレックス・リンスに訊いたへ]