真夏の祭典「鈴鹿8時間耐久」(鈴鹿8耐)の天気予報はウィークを通して晴天、予報図を見ると日本列島が真っ赤に燃えているようで、酷暑が予想されていた。だが、台風が発生して、その動きで予報が雨へと傾いていった。決勝日は雨になるのかも知れないという状況の中でスケジュールが進んだ。
#33 Team HRC with 日本郵便(Honda CBR1000RR-R FIREBLADE SP/BS)は、開発ライダーの長島哲太が正式にラインアップに加わり、全日本ST1000の高橋 巧、スーパーバイク世界選手権(WSBK)のチャビ・ビエルゲで挑んだ。初参戦のビエルゲは「HRCで走る以上勝つのは使命」だと語った。高橋や長島もその思いは同じで、ただ勝つだけではなく、ファクトリーチームとしての威厳を示す勝ち方を求めた。
長島は4月に負ったケガからの回復度は「60~70%」ながら、予選1回目で唯一の2分5秒台を叩き出す。それも「120%の安全マージンを取っての走行」と語り、2年連続のポールポジション(PP)に意欲を示す。
TeamHRCに対抗したのは、世界耐久選手権(EWC)のレギュラーチームである、#7 YART YAMAHA OFFICIAL TEAM EWC/BS(YAMAHA YZF-R1)だ。ニッコロ・カネパ、マーヴィン・フリッツ、カレル・ハニカが存在感を示した。ハニカは長島に次ぐ2番手タイムを記録し肉薄した。予選2回目には3人揃って2分5秒台に入れる速さを示す。この3人が変わらないタイムを叩き出せることが、このチームの強みであり、耐久レースにとって重要なことだった。どのセッションでも高いアベレージを築けることは最大の武器だ。
EWCの予選は、予選1回目、2回目で記録したチーム内の速いタイムを記録した2名の平均タイムで決まるため、YARTヤマハは2分5秒858で1番手を獲得する。Team HRCは、2分5秒922で2番手になる。鈴鹿オリジナルの最終予選グリッドを決めるトップ10トライアルは、計時予選の10番手までに入ったチームが参加できる。20名のライダーが、たった1周のタイムアタックに挑むもので、鈴鹿8耐名物であり、6年ぶりの開催となった。
長島は俊足を示し2分5秒329を記録し、昨年に続く2年連続PPを獲得する。ビエルゲも5秒台にタイムアップして仕上がりの良さを示す。高橋はトップ10に登場することなく、ふたりの走りを見つめていた。全日本の鈴鹿のレコードは高橋が2分3秒592を2019年に記録しており、未だ破られてはいない。だが、鈴鹿最速である高橋が登場することはなかった。
「タイムを出せというオーダーがあれば行きますが、タイムを出すのはテツ(長島)に任せました。自分には自分の仕事があり、それをしっかりこなします」
高橋は、淡々と語った。
高橋は決勝に向けての最終調整のためのタイヤテストをこなすなど、勝利に向けての準備に費やし、フリー走行、予選は一度もアタックすることがなかった。
決勝前日、予報は雨だったが、雲の動きが早く、いつ雨が降り出すことになるのか、それともこのままなのか、変化する予報から予想はつかなかった。
長島は「雨なら巧君が速いので、巧君に任せ、彼の走りを真似します」と本気とも冗談とも言えない感じで話していた。ビエルゲも「鈴鹿8耐の経験があるふたりに従う」と語った。高橋は「雨は好きじゃないし、この8耐バイクでの雨の経験がたくさんあるわけじゃないから、頼られても困るけど、ふたりとも実力のあるライダーだから、自分に頼らなくても大丈夫」と語っていた。パドックの話題は天気で、天気図を見て空を見上げながら、なるようになると腹を括るしかなかった。
酷暑が続いていたが、決勝日が一番気温が下がった。時より冷たい風が吹いて、雨が来るかもしれないという予感を煽った。
スタート前には太陽が顔を出し強い日差しがライダーたちを照らしていた。カウントダウンが始まり、伝統的なル・マン式スタートで戦いの火蓋が切られた。スタートライダーは高橋で、上位陣の激しいトップ争いから一歩引いていたが、状況を見極めトップに出ると2番手以下を引き離し、長島へのライダー交代では8秒ものアドバンテージを付け、さらに長島は、その差をグングン広げた。22秒後方にいた2番手を走るYARTヤマハのハニカがトラブルでスロー走行となり、ライバルが脱落して行く。長島からビエルゲに交代する時は1分以上もの差をつける。ビエルゲは、無理することなく安定したペースで周回を重ねた。
5時間経過後、ビエルゲの走行中にクラッシュがあり、セーフティカーが入った。ビエルゲは「初めての体験だったから、どうしたら良いかわからなかったけど、失敗するわけにはいかない」と走り切りバトンをつないだ。
残り1時間半、1コーナーに雨が落ち、レッドクロスが降られる。空には黒い雲が広がり始めた。各ピットではレインタイヤを用意するスタッフの動きがあわただしくなる。土砂降りの雨が落ちて、路面は一瞬でウェットへと変わる。ピットに向かうライダーも多くいた。この時点で2番手を走行していたYoshimura SERT Motulのグレッグ・ブラッグはレインタイヤに履き替え、コース復帰した直後に転倒している。高橋はタイムを落とし走り続けた。すでに2番手には2周以上の差を付けていたこともあり、ピットに入らずに、慎重な走りを貫き周回を重ねた。
最後のライダー交代。ピットにはスリックとレインの両方のタイヤが用意されていた。高橋は長島に「どっち?」と聞かれ「スリック」と答えた。長島はスリックタイヤでコースイン。この時点で雨は降り続いていたが、その後、路面は乾き始め高橋の判断の正しさが証明された。長島はタイムアップして、給油のみのピットインアウトで勝利のチェッカーへと飛び出していく。
スタンドには色とりどりのライトが灯り、歓声の中で長島がトップでコントロールラインを通過した。表彰台の真ん中で3人の笑顔が弾けた。高橋は鈴鹿8耐5勝目を挙げ、最多優勝記録に並んだ。長島は2勝目、ビエルゲは初優勝を飾った。シャンパンファイトで喜びを爆発させ、ファンやチーム、チームメイトへの感謝を語った。盛大に打ち上げられた花火が、暑く厳しい戦いを彩った。
後に失格となってしまうのだが(名誉のため、決して意図的な不正ではなかったことを記す)、この時点で2位は全日本JSB1000の清成龍一、ST1000の國峰啄磨、榎戸育寛による#104 TOHO Racing、3位に#73 SDG Honda Racingの全日本JSB1000の名越哲平、スペインスーパーバイク選手権の浦本修充、アジアロードレース選手権ASB1000の埜口遥希が表彰台に上がり、これからのレース界を担ってくれるであろうにライダーたちが大躍進した。
清成は鈴鹿8耐4勝のレジェンドライダーであり、高橋と最多優勝記録タイを争っていた。若手ライダーからの尊敬を集める人物だ。この2位獲得も清成の雨での激走が要因だった。高橋は「あの激しい雨の中で見せた清成さんの走りは、ものすごく速かった。頭のネジが飛んでいるとしか思えない。そんな走りが出来る清成さんは、自分にとって、いつまでも、尊敬する人」と語っている。
高橋が鈴鹿8耐で初優勝した2010年のチームメイトが清成だった。高橋は全日本JSB1000参戦2年目の20歳、清成は英国スーパーバイク選手権(BSB)参戦中で3度目のタイトルを狙っていた。清成は助っ人ライダーとして呼ばれ高橋と組み、高橋に鈴鹿8耐優勝を与え、チームを牽引して勝利に導いた。あまり感情を表に出さない高橋がこの時、泣いていた。
「すべて清成さんのおかげで勝てたレースでした。自分は何もできなかった。そんな自分が悔しかった。いつか清成さんに恩返しがしたいと思った。強いライダーになって、今度は、自分が清成さんに優勝をプレゼント出来るようになりたい」と誓ったのだ。この思いが高橋を高みへと連れて行った。だから高橋は「一番印象に残る鈴鹿8耐勝利は?」の問いに「2010年」と答えるのだ。
高橋にとって2度目の鈴鹿8耐勝利は2013年、レオン・ハスラム、マイケル・ファン・デル・マークと組んだ。ハスラムはケガをしていて、ファン・デル・マークは初参戦で、腕上がりで1回しか走行せず、スタートライダーを務めた高橋は序盤から首位に出て、ラスト30分で降り出した雨中でも安定した走行を見せ、4度の走行をこなして圧巻の勝利を飾る。レジェンド企画で来日していたケニー・ロバーツやケビン・シュワンツが祝福に訪れるサプライズもあり、高橋は「自分の力を出し切った充実感があった」と語った。
3度目の2014年鈴鹿8耐も前年同様のラインアップで戦い、豪雨から晴れという激動の戦いを制している。4度のセーフティカーが導入され、ファン・デル・マークは2回、ハスラムは1回、高橋は4回の走行をこなして勝利を引き寄せた。その後は、常に優勝候補の筆頭として戦い続けた。結果が残っていない年は、チームメイトの転倒やトラブルなどで、高橋のミスはない。
初参戦の2008年に3位で表彰台に登り、2009年も3位を獲得、2010年に初優勝と、2011年3位と実に4年連続で表彰台に登り続けた。常に優勝候補として戦い続け、昨年の8耐で4勝を挙げ、今年遂に宇川 徹が持つ最多勝の5勝に並んだのだ。
「何度もチャンスがあったと思うが、届かず、やっとという気持ち。単独1位を目指したい」
高橋にとって、今年の鈴鹿8耐勝利は、最多優勝記録1位に並んだ記念すべき勝利だが、それだけでなく、勝利へと導く強さを持った日本を代表するトップライダーであることを昨年に続き示した戦いでもあった。
2017年全日本JSB1000で絶対王者の中須賀克行を破りタイトルを獲得、2019年には鈴鹿でコースレコードを更新し、その速さを示した。2020年に念願のWSBKに挑戦するが、環境が整わず結果を残すことが出来なかった。2021年~2022年とBSBへと参戦するが、ここでも思うような走りが出来なかった。高橋は「BSBで結果を残したい」と続投を願ったが、与えられた仕事はHRC開発ライダーだった。
「開発ライダーとして現役でいることは必要なこと」として自らチームを探し、今季はJAPAN POST Honda Dream TPから全日本ST1000に挑んでいる。本来なら、中須賀に対抗するライダーとして戦うべきライダーであることを、鈴鹿8耐連覇が示している。
世界のモータースポーツシーンを牽引して来たホンダが、MotoGPでもWSBKでも精彩を欠き、多くのファンを心配させている。その中で鈴鹿8耐勝利は、大きな勲章となるはずだ。過酷な鈴鹿8耐を戦い、表彰台へと駆け上がったライダーたちの能力を正しく評価し、登用してくれることを多くのファンが願っている。
(文:佐藤洋美、写真:赤松 孝)
※埜口遥希選手が、アジアロードレース選手権ASB1000でのレース中、多重クラッシュに巻き込まれる事故により、8月16日(水)に亡くなった。享年22歳。心よりご冥福をお祈りします。