できればBGMでザ・ハイロウズの『日曜日よりの使者』をずっとエンドレスで流してほしい気分になる、そんなレースだった。2000年代初頭に「Do you have a Honda?」キャンペーンのCMソングだったこの曲の雰囲気がまさにピッタリの、じつに爽快な勝ちっぷりを見せたアレックス・リンス(LCR Honda Castrol)のためにあったような週末、といっていい、そんな2023年第3戦のアメリカズGPである。
リンスはもともと、このアメリカズGPの舞台、サーキット・オブ・ジ・アメリカズ(COTA)とは非常に相性がよい。スズキ時代の2019年には、バレンティーノ・ロッシと1対1のバトルを制して最高峰クラス初優勝を飾っている。そのレースを14時間時差のある日本で、未明の時間帯にもかかわらずライブ観戦していた鈴木俊宏社長が喜びのあまりレース現場へかけてきた電話に出たリンスは
「やったぜ、トシヒロ! 勝った!! ホントにありがとう、トシヒロ!!」
と社長の名前を連呼し、感情を爆発させて応答した。最高峰クラスの初優勝を、しかも子供時代から憧れていたヒーローを破ることで達成したライダーの歓喜と、その勝利を支えた企業社長のレース愛がともによく伝わってくる、じつに微笑ましいエピソードだ。そして、そんなふたりの電話越しのやりとりを横で聞いていた日本人スズキ社員の現場担当者が「トシヒロ、じゃなくて、そこはトシヒロサン、だろ」と小声で苦笑するひと幕もあった。この現場担当者というのが、当時のスズキ技術監督で今年からホンダへ移籍してテクニカルマネージャーを務めている河内健氏だ。この挿話もまた、当時のスズキチームの結束の強さや雰囲気の良さを感じさせる。
リンスは昨年のアメリカズGPでも2位に入っているが、ホンダへ移籍した今年のレースウィークでも、金曜の走行開始から好調な走りを見せていた。
金曜午前と午後のプラクティスでは総合3番手。上位タイムで難なく土曜の予選Q2へ進出を果たした。この金曜のセッションでは、前戦アルゼンチンGP同様に、欠場中のマルケス用車体と自分用の車体を比較し、午後の走行で自分用の車体に絞り込んだ。
「スズキとは(バイクが)だいぶ異なっている。まだ改善の余地はあるので厳しい面もあるけれども、アルゼンチンでは前進できてトップライダーたちに一歩近づくことができた」
と話し、午後の成果についても以下のように説明した。
「今年は自由に走れる時間が少なくなっているのであれこれ試す充分な時間がなく、プラクティス2では自分の車体に絞り込んで集中し、ペースを上げて走れるようにがんばった。まだ苦労しているセクションもあるけど、(P2終盤に)ソフトタイヤを入れて一発を狙いに行くとタイムが出た」
アルゼンチンで前進できた述べた内容は、どうやら自分自身がホンダのバイクに習熟してきた、ということのようだ。
「6年間同じバイクに乗ってきて、いきなりガラリと違うバイクに替えるのだから慣れるのには多少の時間がかかる。少しずつ乗り方も慣れてきて、ブレーキのリリースもうまくできるようになってきた」
とはいえ、バイクにはそのブレーキングの安定性やリアグリップ等に課題を残していることは、他のホンダ勢と同様の指摘をしている。
ホンダのライダーたちが揃って指摘するように、マシン面についていえば、ライバル、特にドゥカティと互角の勝負をするためにはまだかなりの改善の余地があるのだろう。それでもリンスはホンダ勢で唯一気を吐いて、土曜の予選Q2に進出。しかもそのQ2ではあわやトップタイムという走りも見せたものの、やはりドゥカティの安定性と現王者のフランチェスコ・バニャイア(Ducati Lenovo Team)に一日の長があるようで、ポールポジションはバニャイアに譲り、自身は予選2番手で終えた。それでも、2番グリッドを獲得したのだから、たいしたものである。
午後のスプリントでも2位に入り、銀メダルを獲得。ちなみにこのスプリントは、〈ドゥカティ+ペコ〉パッケージの強さと速さと安定性が際立った内容だったことも付け加えておくべきだろう。
ちなみにこのスプリントの他のホンダ勢リザルトはというと、昨年までのリンスのチームメイトでファクトリーライダーのジョアン・ミル(Repsol Honda Team)が優勝タイムから約15秒差の12位でポイント圏外。中上貴晶(LCR Honda IDEMITSU)は13位で、負傷欠場中のマルク・マルケス(Repsol Honda Team)の代役で参戦しているテストライダー、ステファン・ブラドルは18位だった。
このスプリントを終えた土曜午後、中上はチームメイトのリンスが見せている速さの理由について
「彼の乗り方は僕たちと真逆で、Moto2のような走り方をしています」
と述べて、以下のような推測をしている。
「このコースはグリップが低いことを理解したうえで、そういう走り方をしているみたいです。旋回速度を上げる走りで、立ち上がりですぐに引き起こさないためにスピンも少なく、それでタイムを稼いでいるのだと思います。僕やジョアンはバイクを一気に止めて曲げ、すぐに引き起こしてスロットルを速く開けていく走り方なので、スピンも激しくなってしまいます」
「(リンスのような)スムーズな走りに変えるためにはセットアップも変更していく必要があるのですが、10分間でほんの数周しかできしかない日曜のウォームアップでセットアップや制御を変えるのは、かなり厳しいでしょうね」
中上のこの指摘はなかなかに示唆的で、リンスはスズキ時代からバイクを丁寧に乗るライディングには定評があった。タイヤにも優しい走りで、レース終盤までしっかりと温存してじわじわと上位を追いつめていくレース運びは彼の得意技といってもいい。その繊細で丁寧な乗り方が、現状のホンダの、総じて苦労しがちと言われる特性でもうまく戦闘力を引き出すことにつながっているのかもしれない。
そしていよいよ、日曜のメインレースである。
全20周のレース序盤から安定した速さを見せていたバニャイアに、少し距離を開かれて2番手のリンスが続く、という展開でしばらくは推移した。しかし、安定した強さを発揮しているかに見えたバニャイアが8周目に転倒。これでリンスが独走状態の首位になった。
25ポイントを取りこぼしたバニャイアは、理由がよくわからない不可解な転倒だったとレース後に話している。
「この週末を通して80周から100周くらいを走ったと思うけれども、攻めているときでも上手くコントロールして(バイクや状況について)理解をできていた。レースでも完璧にコントロールできていたけれども、転倒してしまった。だから余計に腹立たしい。アルゼンチンでは限界ギリギリだったけれども、今回は違う。100パーセント自分の過失じゃない。タイヤが冷えていたせいでもなければ、風の影響でもない。バイクに何が起こっていたのかをしっかりと理解しなきゃいけない。自分たちのバイクは全グリッドのなかでもベストであることは間違いない。なのに転倒してしまったのだから」
「自分は無敵だと思える状態だった。けっして無茶なことをしたわけでもないし、リスクを冒さずに速く走れていた。2コーナーは滑りやすいから落ち着いて進入していったのに、それでも転倒してしまった。GP23のポテンシャルとパフォーマンスは素晴らしく、今まで自分が乗ってきた中でも最高のバイクであることはハッキリしている。だから、チームとともに、何が起こったのかをしっかりと究明したい」
ともあれ、このバニャイアの転倒で単独トップに立ったリンスは2番手以下を大きく引き離し、以後の周回もまったく危なげない走りで、2位に3秒以上の差をつけてチェッカーフラッグを受けた。
移籍後3戦目で優勝を達成するとは、おそらく誰も事前には予想できなかっただろう。ホンダがプレシーズンテストからマシン面で苦戦傾向にあったことは傍目にも明らかだったし、じっさいにこのアメリカズGP決勝レースでも、ミル、中上、ブラドルの3名は中段以降のグループに揉まれて走行しているときに転倒リタイアを喫している。今回の勝利は、まさにリンスの実力で引き出された至宝のような勝利といっていいだろう。しかも、LCRのチーム100勝目という大きな節目を飾ったところも、今回の優勝にひときわドラマチックな華を添えた。
では、次戦以降にホンダ勢が復活してリンスがタイトルを争う主軸のひとりになっていくのかというと、そこはまだかなりの未知数、と考えておいたほうが妥当なように思える。
昨年までリンスの電子制御をずっと担当していたスズキ時代の技術者は、彼のある特徴について、こんなふうに苦笑交じりで話していたことがあった。
「アレックスと長年仕事をしているとわかるんですけど、あいつ、ポカミスをするんですよ。0.2秒くらいのちょっとしたミスとか。でも、それが5回あると1秒になる。それで何回もポディウムを落としているんですよ。だから余計にもったいない」
この〈ポカミス〉については、スズキ時代のプロジェクトリーダー佐原伸一氏も、2021年の年末にシーズンを振り返った際、以下のように述べている。
「アレックスの転倒が多かったですね。カタールでは表彰台に乗らなかったけど、いいところを走っていたんですよ。ポルトガルでもトップ争いの最中に転んだり、その後も怪我をしたり、といったことが続いた。そういったことがなくて毎戦しっかりゴールしていれば、いまごろダントツでポイントトップだぜ、という状況だったんですよ、とくに前半戦は。それが、転倒や怪我でチャンピオン争いから脱落してしまった感がありましたね」
そのようなミスやもったいない取りこぼしが出てしまうところは、普通なら欠点や短所というべきなのだが、アレックス・リンスの場合はそれもまたちょっとした愛嬌のようにも見えてしまう。そこがまた、彼独特の不思議な魅力でもあるのだろう。
ところで、今回のレースで2位に入ったのはルカ・マリーニ(Mooney VR46 Racing Team)。チームメイトのベズことマルコ・ベツェッキが前戦で優勝しているので、少し遅れた格好での表彰台になったが、マリーニは最高峰クラスに昇格してきた2021年から安定感のある走りに定評があり、遠からず表彰台にたどり着くだろうとは予想できたし、今季の開幕前から見せていた快調な走りで、それはもはや時間の問題にも見えた。
バレンティーノ・ロッシの弟、という、ある意味で十字架のようなものも背負わされているライダーだが、自らの実力でその鎖を振り払ってMotoGPの実力者であることを満天下に証明したレース、といえそうだ。
3位はファビオ・クアルタラロ(Monster Energy Yamaha MotoGP)。ホンダ同様にヤマハもマシン開発面ではまだ多くの課題含みである感は否めないが、比較的に自由なラインを取れる走り方をすれば速さを発揮できることは今回の結果でもよくわかる。ライダーが高い能力の持ち主であることもしかり。昨年中盤以降、ヤマハは総じて苦戦傾向が続いてきただけに、今回の表彰台をバネに本来の持ち味を発揮する強さを一刻も早く取り戻してほしいものである。ホントにね。
というわけで、今回はひとまず以上。開幕戦を経て第2戦第3戦の南北アメリカ大陸行脚を終えたグランプリは、次回からは欧州ラウンド。ここから戦いはいよいよ本格的な激しさと厳しさを増してゆく。果たしてどんな闘いが繰り広げられることになっていくのでしょうか。刮目して待て、みたいなね。ではでは。
(●文:西村 章 ●写真:Honda/VR46/Yamaha)
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」優秀賞受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」と「MotoGP 最速ライダーの肖像」、そして最新刊のインタビュー集、レーサーズ ノンフィクション 第3巻「MotoGPでメシを喰う」は絶賛発売中!
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