2年間、不断の準備。
2年に一度開催される、2008年から始まったインターナショナルGS トロフィー。2022年、その舞台に選ばれたのは南東ヨーロッパに位置するアルバニアだった。
興味深いほどダート率が高いことも、アルバニアが開催地として選ばれた理由と無縁ではない。その首都、ティラーナにある国際空港へと高度を下げる飛行機の窓から見え始めた山脈がどこまでも続く。そこにはつづら折れを繰り返し、山を登り、峰を越えると谷に向かって消えてゆく道が見えた。湖も多い。印象的だったのは、上空から見ても岩盤質な地勢で森林が少なく、まるでサハラ砂漠へと至る山脈を見ているようだ。
あんな道を走るのか。思わず生唾を飲む。表玄関である空港で荷物を受け取り、そこからタクシーに揺られ小一時間ほど移動した距離にある海岸線沿いのリゾートが今回のスタート地点だった。空からの風景とは違い、のどかでゆったりしたいかにも休暇を楽しむような時が流れていた。
アルバニアの国土面積は日本の四国の約1.5倍だという。人口は2021年の統計で284万人というから、四国4県の人口よりもグッと少ない。
このアルバニアに、インターナショナルGSトロフィーに参加する各国の代表選手がやってくる。参加を表明した国々で行われた予選で選ばれた3名の代表選手だ。今回は、ブラジル、中国、フランス、ドイツ、インド、日本、ラテンアメリカ、メキシコ、オランダ、南アフリカ、韓国、タイ、UK、USAという国と地域から参加があった。
トピックとして、大きな点が一つ。2016年、タイで行われた大会からインターナショナルフィメールチームとして世界選抜の女性GSライダー代表チームが参加をしていたが、今回から参加国で女性の予選が行われ上位2名が選考された。参加国で予選が終了すると、直ちに各国での結果が集計され、2名のポイントで上位だった6チームがナショナルチーム、エリアチームとして参加することになった。その栄えあるチームは、ブラジル、メキシコ、ドイツ、ラテンアメリカ、メキシコ、南アフリカの6チーム、12名の女性が参加した。
また、前回2020年2月にニュージーランドで行われた前回大会にCOVID19感染拡大の影響で参加出来なかった中国の代表チームが今回、ワイルドカードで参加。中国チームは、2020と2022の2チームの代表が集まった。
男性が15チーム、女性が6チーム、合計で21チームが参加する。
そもそも、インターナショナルGSトロフィーとは、こうした代表ライダー達が寝食を共にしながら7日間に渡る最高のアドベンチャーツーリングを共有し、日々行われるスペシャルステージで技を競うというもの。
そのスペシャルステージは、ダカールラリーなどのように一日の半分以上をレーシングスピードで移動するというものではない。バイクを使うコンテンツは、ダート上に敷設された1~2分程度で走りきれる距離のコースで行われる。その場所に合わせてチームメンバーがリレーするスピード系だったり、転倒、足着きがペナルティーポイント加算となるものだったり、あるいはチームの3名(女性チームは2名)が同時スタートの遅乗りタイムバトル(もちろん、足を着いたらその時点で終了)というのもある。
スピード系コンテンツでも、転倒したらタイムが遅くなるのはもちろん、7日間を通じてライダーは走らせるバイクにダメージを与えればそれもチームへのペナルティーとなる。レバーが折れるなどの小さなペナルティーから、エンジン交換やホイール交換などのダメージには大きなペナルティーポイントが加算される。だから短時間ながら緊張感あるゲームとなる。
走行コンテンツは個人戦ではなくチーム戦。最初のライダーがスタートしてからチーム全員がゴールするまでの時間を計測する。だからインターナショナルGSトロフィーは、レースではなくチームによるコンペティション、と言う哲学がある。
代表の到着
9月2日。ティラーナ空港に三々五々降り立った各国の代表がシャトルバスに乗ってスタート地点の海岸線へとやってくる。イベントで使うテント、シュラフや支給されるウエア、プロテクター類など一式が詰まった大きなダッフルバッグと旅をしてきたのだ。
ドイツ経由のフライトだったエントラントの中には、乗務員のストライキとバッティングしたため、フライト変更などの措置をしても到着が半日以上遅れるメンバーもいた。
日本代表の3名、舟橋理人、藪田真吾、中澤 聡の各氏も元気に到着した。先に到着した参加者に倣って到着時の記念撮影をし、まだ空きスペースが多いサイトにテントを設営してようやく一息。その後、到着後のペーパーワークや医師の問診、そして期間中使うモバイルバッテリーやコミュニケーションシステムの受け取りなどのためサイト内のあちこちを回ることに。参加者達にとって何もかもが初めての体験はこうして始まった。
トロフィーバイク
インターナショナルGSトロフィー2022用で参加者、プレス、運営、そしてスポンサーやBMW モトラッドの重役達が走らせるバイクは、R1250GS STYLE RALLYをベースに造られた。オプションパーツなどを用いてオフロードユースに向けたモディファイが行われている。
ショートスクリーン、アクラポビッチ製スリップオンサイレンサー、タイヤはメッツラーのカルー4に交換されている。
20リットルのガソリンを満たすと車重は265㎏ほど。出力は100kW(136HP)、143N.mを生み出す。これだけ大きなバイクがオフロードなんて走れるの? と聞かれるコトもあるが、ダート路(林道のような道)だったら慣れてしまえば250㏄よりも速いペースで走れるほど。そして快適に舗装路、高速道路の移動ができるパッケージのバイクだけに舗装路/未舗装路を意味するGSという名前にも頷ける。
BMWモトラッドの凄いところは、GSというバイクの世界観をユーザーにしっかりと伝えていること。実はインターナショナルGSトロフィーもそのために用意した最高の舞台装置であり、参加者である代表選手はその舞台監督から出演を許された演者でもある。
そのためにBMWモトラッドの中にはトロフィー選任のプロジェクトチームがあって、2年の歳月をかけて準備を進め、そして開催している。“Make Life a Ride”というスローガンを掲げる彼らにとって、バイクというプロダクトと同等にこのイベントも大切な作品なのだ。
GSトロフィーが始まった。
その直後、ポジティブな予感。
9月4日。スタート地点のビバークは、これから始まるインターナショナルGSトロフィーの日々に向けた期待と興奮、そして参加者個々の内にある静かな緊張に包まれていた。二カ国の代表チーム、その国をフォローするプレスを一人のマーシャルが先導する(私も日本チームをフォローするプレスとして参加した)。5分間隔でスタートをしてゆく仕組みで、先頭スタートと最後尾スタートでは1時間ちかく時間差がある。初日、日本チームは1番目のグループでスタートを切った。
舟橋、藪田、中澤の代表選手3名は、2021年9月に行われた日本代表選考会で選ばれてから、毎月のように練習会を重ねてきた。すでにチームワークや互いのキャラクター、得手不得手も周知している。全員が装着するSENAのヘッドセットから聞こえてくる会話からもそれがうかがえた。プレスとしてこのイベントを追いかけるには代表選手同様にライディングスキルが求められるのは言うまでもない。スペシャルステージなどはプレスには関係ないが、移動区間は自分でR1250GSを走らせるからだ。
実は私達プレスは選手達より数日早く現地に入り、トレーニングを受けている。そこでのメニューはこれから走る場所を想像するには充分。包み隠さずにこれから通るだろう荒れ地をイメージさせてくれた。自走はちょっと無理、と判断した2名のプレスがバイク移動を諦め、今回のオフィシャルスポンサーであるイネオス・グレネーダーという4WDに乗り取材することを決めたほどだ。
スタートから程なくしてプレスがトレーニングを受けた場所で最初のスペシャルステージが行われた。スタート地点からゴールまで荒野にシングルトラックのようなトレールが描かれ、そのアップダウン、砂地、岩などがあるルートを回り、ゴール地点にある四角いボックス内にバイクを入れたら停止させ両手を挙げる。それが次のライダーのスタートの合図になる。転倒、足着き、そして両サイドにひかれた白線を越えればペナルティーポイントが付く。コースの設定は絶妙。タイムレースだからアクセルを開けたくなる。しかし、ライダーは下見さえ許されていない。ギャップの深さ、砂の柔らかさにも見た目と経験値から判断して走るほかない。
チームジャパンの走りを一望出来る小さい丘の上に陣取った。初日、走り出してまだ10分ほど。気持ちも体もエンジンが掛かったとは言えないタイミングで、ゲームのルールを短いブリーフィングで理解し、スタート地点にバイクを着ける。一番手は舟橋が担当。印象では3名の中で安定感とスピードを持つ彼のライディングスキルから他の2名はコースの状況をヘルメットで聞き取り、注意ポイントを整理してスタートする戦略だ。
ヘルメットに取り付けたBMW モトラッドのコミュニケーションシステム(前回も使用したSENA 50Sと同等でメッシュコミュニケーションが使えるヘルメット用Bluetoothヘッドセット)を使い舟橋からスタート地点で待ち構える藪田、中澤に伝えられている。とはいえ、視覚ではなく音声情報のみ。3名の合計タイムが成績になる。落ち着いて! と言われても無理な話だ。その中、ミス無く(これが実はすごく大切)リレーしてゆく3名の日本代表。
スタックなどを想定して制限時間も切られているこのコンテンツ、スムーズに走行して完走した姿に始まったばかりだが、ファイナルリザルトに期待が高まったのは言うまでもない!
アルバニア、想像以上。
一つ目のステージを終え、マーシャルは山頂部分を結ぶリッジラインから海を見下ろしながらダートを軽快に駆け下り始めた。時折乾いた珪藻土のような路面があり、先行車が盛大にタイヤから埃を上げる。路面すら見えないほど褐色の霧が行く手を覆う。
クルマ一台が通れる程度の幅。右は山側の斜面、左には海へと続く荒れ地の裾野が広がる。その道は波打ち際まで降りきり、そこで先導マーシャルは躊躇無く海岸へとR1250GSを進めた。ラインを選べ、そうは長くない、目標はあそこに見える小屋だ、先に走るからルートを見ておいてくれ。そう言うとマーシャルは後輪で砂を巻き上げ小屋までバイクを進めた。
この日、一番手スタートだったチームジャパンは、ここも難なくクリア。海岸の砂と河原の丸石がいりまじったような浜で細い川の流れ込みを越えればすぐに小屋だった。
硬いダート路をそこから進む。生活道なのだろうか。家もところどころに点在する。しかし道は再び海に迫る山へと上がり始める。1時間も走っていないが、そのオフロードライディングスキルを駆使する場面が多くある。硬い、柔らかい路面が点在すること、岩、砂、珪藻土が入り組むように現れ、突如埃が舞い上がる場面もある。
この土は濡れれば粘りのあるマッドになり、乾いた状態で車輪で砕かれればフェシフェシと呼ばれるベビーパウダーの池のようになる。ここはヨーロッパだが、道はアフリカのよう。インターナショナルGSトロフィーのルート設定をしたスタッフはそんなふうにアルバニアを表現していたがその通りだ。悪路バリエーションの多彩さはまるで世界の悪路の縮図だ。
あえて選んでいる、というよりもどうやら地形に合わせて道を通したらこうなった、という造りのようで、その後もあちこちで「こう来たか!」という場面に出くわす。
岩盤質の山を登り始める道。切り開いた時に砕いた岩をそのまま路面に並べたかのような道も現れる。上り、緩いカーブを描くそこはガレ場の難所、という表現が当て嵌まる。走るのに充分なだけのトルクを後輪に伝える必要とその駆動力を正確に路面に伝える柔軟さがライダーに求められる。前後のサスペンションの動きを活かし、無駄に跳ねないようにタイヤをおちつかせながら……。
マーシャルのペースに着いていった舟橋はその場をスムーズにクリアした。後続の2人の背中から緊張が伝わる。ペースが落ちた一瞬、前輪がはじかれ、アクセルを閉じる、バランスが悪くなりアクセルを開け直した瞬間、オーバートルクでR1250GSの後輪が横にスライド、2人とも似たように転倒してしまう。再発進は難しくスタック状態になったのだ。
足元もグズグズと崩れるガレ場。転倒した2人を助け、バイクを起こし、息の上がっている1人のバイクを難所から比較的平坦で再スタートしやすい場所まで動かした。残る1人は自力で上がってきたが、これから先、いったいどうなるのか……。
初日2本目は河原に設定された
その名もエンデューロテスト。
ルート全体を知るマーシャルは休憩の時に「今日、明日、3日目、4日目とルートは次第にハードになる」と言った。日本代表もまだ現地で3日目。到着から興奮でぐっすりは休めていないし、日本からマイナス7時間のアルバニアではスタート時間が体内時計では午後2時から3時。そこから10時間は移動するから、到着したころは深夜。そこからテントを設営し、シャワーを浴び、夕食をとり、その日のステージ順位の発表があるのが現地午後9時だから、テントに入り寝袋のファスナーを閉める頃には日本時間は夜明けを迎え、たいてい、4時間も寝れば目が覚めてしまう。目覚ましをかけた朝5時、6時にはまだまだだが、目がさえることも。文句なしの時差ぼけだ。
時差ぼけにたいする代表は三者三様のリアクションだが、彼らより3日前に入ったプレスの自分はまだ少しマシになったとはいえ、完全に調子が良いか、と言われればやはり変な時間にだるくなる。
そんな中だから、日本での実力がそのまま出ているとは思えないのがガレ場でのスタックだ。あれ、おかしいな、と思う走りのキレの悪さもそんなところから来ているのは間違いなさそうだ。
その後も山岳路は続いた。次第に眼下に広い河原をもつ河川が広がり、そこに向かって道が続く。まもなくランチだ。でもその前に二つのスペシャルがある。そうマーシャルは告げた。本流ではなさそうだが、丸石の河原に描かれたコースは2度流れを渡る。ルールは制限時間6分、3人の合計タイム(これは午前中と同じ)で計測。ここでは足着きはペナルティーにはならない。さ、走る順番を決め、バイクを並べるように。1人がスタート&ゴールラインを横切ったら次のライダーがスタートできる。スタートの合図はマーシャルが行う……。
左右を仕切るコーステープが風になびくが、そのコースが川を渡るとどのようになっているのか正確にはつかめない。どうしようか、とストラテジーを考えていると、早くバイクを並べるよう促される。急かしパターンは今回の特徴だった。
このリレーも微妙なミスはあったものの上手くまとめたチームジャパン。アルバニアの太陽が暑い。ステージのすぐそばにあるレストランがランチポイントだった。冷たい水、ソーダ類が体にしみてゆく。1時間ほどのランチブレークを経て再び山岳路へ。
そして13世紀の岩砦があるベラティ城がその日のビバークだった。石畳の一直線の急な道を駆け上り、その上にある城壁の中、もっとも高い場所にある芝右エリアが我々のキャンプ地として使われた。
その城下町へと歩いて降りると分散してホテルのシャワーを使えるようにアレンジしてあり、夕食は教会前の広場のようなスペースに建てた巨大なホール様式のテントで採ることに。この日、二つのステージを終えてチームジャパンは総合5位。素晴らしい滑り出しだ。
この日、夕食後の巨大ホールテントでチームプレゼンテーションが行われた。全体の中でも長い移動距離だった初日を終え、だれもが疲れた顔を見せず人生に一度だけ参加が許されたこのイベントに酔い始めていた。(続く)
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