この日、チーム・ジャパンは午前7時35分、チーム・オーストラリアの面々とともに走り出す。しばし朝の冷気の中を進むことになる。グリップヒーターを入れるほどではないが、気温計が14度〜15度だと教える。
風景は今日も雄大だ。牧場の間を縫うようにフラットで直線基調の道を走って行くと、そこにDAY7のスペシャルステージ1の会場があった。長方形に作られた窪地にパイロンで造られたコースを3名のライダーがリレーするものだ。リレーと言っても、これまで同様、走り出したライダーがゴール地点に入ると次のライダーがスタートする、というシンプルなもの。コースが造られた場所は路面が柔らかく終盤にある大きく360度を回る場所をスムーズに抜けるのがキーポイントになりそうだ。
純正オプションのマフラーにGSトロフィーの刻印をしたスペシャルモデルを装着するトロフィーバイク。それにちなんでこのステージはアクラポビッチ・チャレンジと名付けられている。ワイドオープンを誘うネーミングだ。土手の上からスタートして、下にある長方形エリアの中をジグザグに走りながら、土手でキャンバーターンを決める場所もある。もちろんぶっつけ本番なので路面は走ってみないと解らない。
毎朝7時から始まるスタートで、2チームずつ5分のインターバルでスタートする。この日、チーム・ジャパンは8組目のスタートだった。他のチームを観察すると、激しくスライド、ホイールスピンをしているライダーと、コーナリングを丁寧に進むライダーではあまりタイム差がない。特に正方形に置かれたパイロンの周りを360度回る部分では、タイトでぐるっと回るターンではないので、ついつい攻めたくなる。が、攻めすぎればフロントが切れ込むし、アクセルを開けすぎると見た目は派手だが、掻いた分がタイムロスになる路面だ。ソフトな路面だけに、バイクの向きを変える必要にして十分なアクセルワークやアクションが、タイムロスを最小限に抑えるポイントのようだ。
チーム・ジャパンは転倒などリスクを抑えた走りで手堅くこのステージを纏めた。具体的なタイム差は発表されないが、粒ぞろいのトロフィーライダーの中ではiPhoneで手元計測してみても意外とタイム差が少なく、無転倒のチームは数秒差がリーダーボードに並んだのではないだろうか。
この日も素晴らしい風景だった。山地にある牧場を眺めながら走る道は適度にツイスティ。ニュージーランドの人口分布の多くが北島で、今いる南島の人口が少ない、そうは聞いていたが、牧場という人工のものなのに人の姿がまったくない。道幅は日本の林道程度だが、風景は開け、その美しさに圧倒される。コーナリングの連続で、F850GSをコントロールすることを満喫しながらその風景を見るとまったく飽きないのだ。
今日の移動は350㎞、その半分がダート路だという。それでも毎日が楽しめるってどれだけすごいんだ、ニュージーランド! この地を選んだ主催者に感謝するしかない。
BMWモトラッドにはインターナショナルGSトロフィーの企画、運営をするための専任のプロジェクトチームがある。開催地を選び、地元とネゴシエーションし、ルートを選ぶ。今回も150台近いバイクをドイツから南半球へと運び、必要と思われるスペアパーツ、メカニックの手配、大会で使うアイテムをスポンサーとして選択して交渉する……。
ドクターの手配や緊急時の対応をマニュアル化。マーシャルを組織しイベント中のリハーサルも行う。もちろん、代表になった各国のGS乗り達とのコミュニケーションも数ヶ月前から始まる。2年に一度のイベントだが、1日も無駄にできないほど準備 期間は忙殺されたに違いない。まさにGJである。
これは2年に一度ニューモデルを造るのに等しい仕事量だと思う。だからこそGSトロフィーというイベントがBMWらしさ、独自性を持ち、イベント中のルールやモラルを多様な国から集まったライダーたちでしっかりと共有できるのだと思う。これは間違いなくイベント界のワークスマシンだ。しかも皆が憧れる……。
絶景の中を進み、尾根道を上りながらたどり着いた場所は峠だった。そこでこの日のステージ2が行われる。ゲームのルールを聞いてみよう。
「今日のステージ2はプッシュ・スタート・チャレンジだ。ここにあるF850GSのエンジンをかけてもらう。スタートはこのライン。そして先に見える赤いラインまでに始動させること。制限時間は1分。このステージはタイムではなく、スタートラインからバイクを押し、エンジン始動後、バイクを停止させた地点までの距離を計測する。跨がるライダーはヘルメット着用のこと」
つまり、押しがけしてエンジンが始動したら即止めることで距離短縮が図れるというもの。あとは、何速をチョイスするか、押しがけに必要な速度を短時間で出すか、そして下りのダート路面で後輪を巧くシンクロさせるか。
チーム・ジャパンは硬い路面に砂利が浮くいかにも滑りやすそうな路面に対処し、ライダーを2名にして後輪への荷重を増やす作戦とした。上田がライダー、君島がリアシート(というか、リアキャリアあたりに座り)、そして寺尾が一人で押す作戦に。下りだけに程なくバイクに速度が乗り、一発目、クラッチを繋げるが、不発。二度目に始動。見事規定範囲内で始動してみせた。15メートルほどの距離しかないエリア内だ。プレッシャーも掛かる。
多くはなかったが始動できなかったチームもいたから首尾良くこなしたことになる。それにしてもダート路面で押しがけ、しかも距離勝負とはゲーム内容もシンプルの極みながら運営側もあっぱれ。見ていても面白かった。
先日の夜の成績発表に先立ち、イベントのジュリー(審査員)からあった「相手がアブナイと思う運転をしないように」という注意について発表があった。
今日はにこやかに「ありがとう。みんなのおかげで今日クレームはなかった。感謝します。明日もよろしく」というそんなコメントだった。
そしていつものように盛り上がる成績発表が始まる。成績は各ステージの順位でポイントを加算する方法で、22チームの最上位から最下位までポイントは割り振られる。MotoGPのポイント制同様、上位は多く、下位は少なく、というもの。この日、チームジャパンは前日の13位から総合15位へと後退することに。
「明日、GSトロフィー2020 NZオセアニア・ニュージーランドはいよいよ最終日を迎える。明日もスペシャルステージを2つ行う。明日のポイントはダブルポイントだからみんな頑張ってくれ!」
一気に会場が沸いた。上位を争うチームも、下位にいるチームも逆転、大どんでん返しの図が頭の中を巡り始める。さあ、明日はどうなる! ワナカのキャンプ地の夜はこうして更けてゆく。
2月16日、スタートから数えて8日目。振り返ればあっという間だった。この冒険旅行も今日の夜には終わるのかと思うと感慨深い。いつものように暗いうちにテントを這い出し、冷たい空気の中、朝食を詰め込む。1日の中に四季がある、というニュージーランドの夏。凍えながら食べる朝食ともお別れなのだ。なんとなくみんな静かだ。最終日を迎えたさみしさ、というより知らぬ間に蓄積した疲れが朝の時間を静かにしているのだろう。
この日、チーム・ジャパンはキャンプ地を7時10分にスタートした。行動を共にしたのはインターナショナル・フィメール・チーム2(IFT2=国際女性チーム2)。
彼女たちは国内の予選会で選ばれた2名がスペインで行われた国際予選会に参加、その中から最終選考会で上位6名2チーム(IFT1とIFT2)が今ニュージーランドを一緒に走っている。女性チームだからといってスペシャルステージや走るルートに違いはなく、その点で平等な展開となっている。
アイルランド、USA、そしてオーストラリアの混成チームとなるIFT2。他の選手同様F850GSを操っている。その中の一人、アイルランドの選手と話をしたが、彼女はトライアルも嗜み、オフロードのことの多くはトライアルから習得したという。走りを見ていてもさすがに巧い。残る2名も勿論巧い。だって、このIFT2として走っているライダーは、いわば世界選抜なのだから。
最終日の移動は280㎞になるという。そう聞くと「あ、今日は短いな」と感じるが、実は今日は27もの渡河セクションがあるという。そう、最後まで緩くないのだ。
最初、4つ目くらいまでは渡河回数を勘定していたが、その後はそれどころではなくなった。序盤は細い川が道を横切るものだった。そのほとんどは幅2〜3メートルだったが、中には5メートル以上の川幅を横切ることもある。先行車の様子を見れば川底の感じは解るが、時に濁りまったく川床の様子が解らない場合もあった。
途中、4WDでエクスペディションドライブを楽しむグループに追いついた。一台、また一台とクルマをパスし、先に進むのだが、大自然を楽しむカタチに違いはあっても、旅仲間だね、と思う。老練なカップルがそれを楽しんでいるのが印象的だった。人生、冒険なのね、と思わず口を突く。自分で言って可笑しくなったけど。
道を行く場面から次第にルートは広いリバーベッド(河床)を進むような感じになってきた。轍はあるのだが、道と言えば道、道じゃないと言えばそうじゃない的な場所もある。ただ、進む方角を見る限り、下流方向に向かう感じだ。
途中、4WDがスタックしたと思われる轍に先導のマーシャルのバイクがずっぽりはまってしまった。その一帯は泥沼と化した場所で歩くだけで滑る。間違いなく言えるのは、この方向に進むとスタックは避けられない、ということ。
いったんF850GSを停め、歩いて確実に進めそうな道を探すことに。草むらを一つ右側にかわした方向に綺麗な流れがあり、ブーツで歩く限り柔らかいがスタックせず進めそうだ。チーム・ジャパンの男達がマーシャルのバイクを引き出し、そして向きを変えてそのルートを進むコトに。
幸い、その先は再び硬い路面が現れ無事に進めたが、そのエリアだけはややこしかった。
そんな道を延々走りたどり着いた場所も草に覆われた広場だった。その中にS字の轍が一本走り、どうやら牧草地のようだ。広場の隣には河原があり、そこにも赤いパイロンが見える。
「これからジェリカン(赤いポリタン)を運んでもらう。チームでライダー1名を決めてくれ。そしてリアシートに乗ったライダーが二つのジェリカンを持ち、向こうに見えるバイクのところまで運び、バイクの周りをぐるっと回って停めてジェリカンを持つメンバーを降ろし、ライダーは、スタート地点にバイクを戻す。3人目のメンバーはスタート地点からバイクのところまで自分の足で移動する。ライダー以外はそこから河原に置かれたパイロンの間を通り、スタート地点までジェリカンを持ち帰る。チームがバイク、ジェリカンを持ち帰った時点でゴール。バイクで移動する途中、転倒したらゲーム終了だ」
スタート地点から走り出すと、牧草地に伸びる轍へと90度右ターンをすることになる。そのエリアはオフキャンバーになっていて砂利と草で路面グリップはちょっと怪しい。
ゲームが始まった。数組がゲームを開始。ジェリカンの半分ちょっと水が入っている。スタート地点で持ってみたがズシリと重たい。バイクのリアシートに乗るライダーは両手にジェリカンを持っているから座っているだけでグラブバーなどを掴めない。カーブを曲がるとふわーとジェリカンが外に振れる。その重みが遅れてライダーに伝わる。2人乗りだし、重りがブラブラするし走りにはかなり違和感があるはずだ。
そんな中、現状総合トップを守っているチーム・サウスアフリカが轍のS字のところでスリップダウン、転倒。素早くバイクを起こし、ゲームを続けたが、ライダーはスタート地点に戻り、自責の念からか悔しさを爆発させている。最終日、ダブルポイント。ここでノーポイント(実質は最下位ポイント)はきつい。
さあ、チーム・ジャパンだ。撮影をするため、折り返し地点、ジェリカンを持って二人が人力で走り出す場所に先回りして待っていた。ライダーは上田、リアシートでジェリカンを運ぶのが君島、そして折り返しまで走ってくるのが寺尾という作戦だ。
スタート! さあ、イケ! という最初のターンでまさかの転倒! 再スタートを切り、その後は順調に進める。バイクを降りてジェリカンを持ってぐいぐい走る二人。再スタート後は完璧だった。ゲームは完遂したが残念ながらポイントは最下位タイ。悔しい結果となる。
ランチを摂り、その後も残っていた渡河地帯を抜けるとアスファルトの移動が待っていた。トリップメーターはゴールが遠くないことを教えてくれる。先導のマーシャルが山岳ワインディングルートへと導いた。ぐんぐん標高があがり、景色が広がりはじめる。たどり着いたのはコロネットパークスキーリゾートだった。
その大きなダートの駐車場に造られた特設コースがGSトロフィーNZのファイナルステージだ。前日のアクラポビッチ ・チャレンジにも似たルート設定になっている。途中にはジグザグに通過するスラロームがあり、フルロックターンを駆使しないと曲がれない。スタート地点でゲームの説明を受ける。
「ここではパイロンスラロームをしてもらう。パイロン、路面に書いた矢印が進む方向を指示している。前走者がゴールに着いたら次のメンバーがスタートする。3名のトータルタイムがフィニッシュタイムだ。パイロンタッチ、転倒、足着きはペナルティータイムを加算する」
シンプルなルールだ。しかし、パイロンスラロームのコースをスタート地点から見ると矢印はあるのだろうが、解り難い。今朝、3組目にスタートしたチーム・ジャパン+IFT2はこの場所に最初に到着した。つまり、最初にゲームに挑むことになる。
路面が荒れていないし、スプレーで書かれた矢印もしっかりある。複数のチームが走れば荒れることにもなるからそこはポジティブに考えてこの有利さを享受しよう。
途中にある高さ6メートルほどの土手の途中にもパイロンがある。キャンバーターンだ。そこを下ると90度左に曲がってジグザグのタイトターンエリアに入る。
土手の上に陣取ってチーム・ジャパンがスタートするのを待った。土手の頂上で振り返ると、ステージのコースに渦巻く緊張感とは別世界の景色が広がっている。ライダー達は走行しながらこの絶景を見る余裕はない。
チームジャパンの走行後、プレスとして何チームか走るのを見ているとジグザグゾーンを切り抜けるラインが見えてくるが、これもぶっつけ本番、最初のスタートで見いだすのは難しい。足着き、転倒、ミスコースもあったが、轍のないなか、平面の砂利駐車場に置かれたパイロンは矢印があってもなかなか進む方向が見分けにくい。そんな反省点があるものの、GSトロフィーの代表は人生に一度、というルールがある。そのスペシャルステージも終わった時点でノーサイド。
再び麓に下り、建物のバックヤードにバイクを置いた。そこが2650㎞を走ったF850GSとお別れする場所だった。メカニックが手早くスクリーンを外し始める。ああ、もう梱包準備に入るのか。愛おしくバイクを眺める時間もそこそこにそこからキャンプ地となる場所まで送迎車に転がり込んだ。
クイーンズランド郊外のスキーリゾートで最後のキャンプを張る。そして夕食時も盛り上がった。参加者達は互いに記念写真を撮り、それを交換した。アワードプレゼンテーションの冒頭、BMWモトラッドの社長が挨拶をした。彼もここまで同じ道をGSに乗ってきた仲間だ。GSトロフィーの運営チームの労をねぎらい、NZの美しさを讃えた。運営チームのジュリーは「明日からGSトロフィー2022の準備に入る!」と宣言をした。
また、新型コロナウイルス感染症拡大を懸念して参加を直前でキャンセルしたチーム・チャイナについて、現地のマーケティング代表が発言をした。次回は必ずやみなさんのライバルになると。「今日はコロナビールを沢山呑んでウイルスをやっつけてやりましょう」とジョークを飛ばしたが、参加を取りやめたライダーのことを思うと心からは笑えなかった。
2月16日、GSトロフィーは終わった。今思えばこのスケジューリングは奇跡だった。あと1週間以上会期が遅かったら世界の事態は深刻化していたし、渡航も難しい局面になっていたかもしれない。幸運なタイミングを感謝するしかない。
夜8時30分から始まったパーティは深夜まで及んだ。だれもが歌い、踊り、素晴らしかったGSトロフィーの仲間達と寝るのを忘れて楽しんだ。その場で参加の盾として渡されたのは、さっきメカニックがそそくさと外していたF850GSのスクリーンだった。自分のゼッケンがついたまさに世界に一つだけの宝物を授かったのだ。
BMWモトラッドにとって2020年はGSの発売から40周年を迎える年だ。そして2018年秋に発表され日本にも2019年に届いたF850GSがトロフィーバイクを務めた最初のイベントだった。フロント21インチ、リア17インチ、倒立フォークとリンクレスサスをリアに持つ車体は、オン、オフを走るのに素晴らしい性能を持っていた。それは、毎日毎日、オンロード/オフロード半々の350㎞を走り、テントで寝て、暗いうちに起きまた走る、という生活を8日間以上続けても人がへこたれない移動快適性と操る楽しさを保有しているからに他ならない。
トロフィーバイクとして特別な仕様だった部分もわずか。いわばショールームストックに純正オプションを追加したレベルの仕様でこれだけのエクスペディションツアーがこなせるわけだ。バイクだけではない。アンダーウエアからアウターまでも自社製品で用意するBMWは、ユニフォームとしてトロフィーライダーにそのライディングウエアーを支給した。その旅性能がまたスゴイ。
社長を始めデザイン部門のトップなど今回のルートを一緒に走ることで、ここは改良したい、という部分があったとするなら、次作には必ず改善が行われる。BMWのプロダクト、GSの進化を見てもそれは間違いない。人生のあがりバイクとか、ツーリングバイクと評されることの多いBMW。実はその所以たる物には心血が注がれている。
40年売っているからブランドになったのではなく、本気で使っている人が造っているからユーザーが他のモデルに乗るとやっぱりGSはスゴイ、と気が付くのだろう。
最後に8日間を走ったその日に聞いたチーム・ジャパン、君島真一、寺尾義明、上田 直各氏のコメントを紹介します。
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