第10回 50年前のカタログに込められたメッセージを紐解く -1971年発売 カワサキ350SSのカタログから-
私にとって1971年は、16歳になって念願の二輪免許が取得できる青春真っ只中でした。免許を取得する前に、すでに愛車が自宅にありました。兄がCB750FOURを購入したので、お下がりのスズキ ハスラー90をもらうことができたのです。毎日ワックスを掛けては公道デビューを夢見ていました。
そんな中、高校のすぐ近くにカワサキの販売店がオープンしたのです。カタログ収集癖の私ですから、真っ先に駆けつけました。その時にいただいた中に、350SSのカタログがありました。片面のみですから、チラシに近いものです。
後ろが跳ね上がった独特のスタイリングに目を奪われました。
そして、「40年間お待たせしました」のコピーに不思議さを感じたまま、50年が過ぎ去りました。
カタログを改めて見ると不思議さが倍増していきます。どこにも40年前の事柄について書かれていないのです。何をもって、40年も待たせたというのか? 何か約束でもしたのか? 大げさですが、1971年からさらに40年も遡る発掘調査に取り掛かりました。
以下は、私の乏しい知識ですが、少ない情報から導いた想像の世界です。
「40年間お待たせしました。はじめてウシロまで気を配ったクルマ。テールアップGT」のコピーと、車名だけのシンプルな内容です。
2ストローク3気筒エンジンを搭載し、右に2本、左に1本のマフラー構成で、非対称スタイリングが個性的なバイクでした。
このカタログのコピーには、「ウシロ」「クルマ」とわざわざカタカナで強調した箇所があります。
では、本カタログというべき資料を見ていきましょう。
解説には、流体力学的設計が生みだすエアロダイナミカデザインとあります。タンクからシート、リアまで流れるようなラインをエアロダイナミカラインと称し、最も進んだボディラインであることを強調していますが、肝心の40年前の事情については一言も触れていないのです。すでに、CB750FOURや、500SSマッハⅢなどの斬新なスポーツバイクが発売されていますから、「40年間、オートバイはかたくなに同じかたちだった。」とは思えないのです。
まずは、川崎重工業のホームページで歴史を掘り下げていくのが近道のようです。
川崎重工業は、140年以上も前の1878年に、東京・築地に川崎築地造船所を開設したのが起源と紹介されています。その後1896年(明治29年)に、株式会社川崎造船所(神戸)を創立したときから、川崎重工業の歴史が始まりました。造船業に加え、蒸気機関車や航空機の製造も手掛けるなど、日本の重工業をリードしていきます。
1918年(大正7年)には、兵庫工場でトラックの生産を開始しています。
その後、生産は一時中断されましたが、1928年(昭和3年)、兵庫工場を分離して川崎車輛を設立しました。ここから、本格的な自動車製造への歩みがはじまります。そして翌年1929年にトラックの生産が再開されます。
気になる記述が出てきました(ホームページの記述の一部を引用させていただきます)。
「1931年(昭和6年)にはアメリカの高級トラックをモデルにした1.5トントラックの試作車を完成、翌年から“六甲号”の名称で、トラック・バスの生産を開始しました。1933年(昭和8年)からは“六甲号”乗用車の製造も始め、高級乗用車として宮家などに納入しました。」
350SSが誕生した40年前の1931年に「六甲号」の試作車が完成したとあります。
「六甲号」は、後の高級乗用車ブランドの位置づけでもあります。
この記述から想像しますと、1931年には高級乗用車の「六甲号」の開発がスタートして、おおよそのデザインが固まっていたのではないでしょうか。
この六甲号のスタイリングを起源として、「40年間お待たせしました」というコピーが誕生したものと勝手に推測しました。カワサキにとって350SSは、六甲号の誕生に匹敵するような斬新で先進的なスタイリングにできたという自信の表れなのだと思います。
残念ながら、川崎重工業のホームページには、高級乗用車「六甲号」の姿はありません。
自動車や二輪車の歴史的な書籍を多く出版している「三樹書房」のホームページ「M-BASE(エムベース)」に、興味深い記述がありました。小関和夫氏が執筆された「カワサキWの誕生から終焉まで」に川崎重工業の歴史が詳しく紹介されているのです。その中に、高級乗用車「六甲号」の記事がありました。博学の小関氏に手掛かりを求めたのですが、350SSの「40年間……」のコピーについては取材されたことが無いとのことでした。すでに90年前の事ですから、確証を得ることは不可能かもしれません。
これが、川崎車輛が製造した「六甲号」のスタイリングです。いかにもエアロダイナミクスを駆使したような流麗なデザインだと思います。
350SSのテールアップデザインと六甲号のデザインの関連性は不明ですが、50年前のカタログの疑問がほんの少し解けたように思えます。
私の自己満足のために、アドバイスをいただきました小関和夫様、三樹書房の小林謙一様に感謝申し上げます。
私にとっての350SSの謎は、この辺で終止符を打ちたいと思います。
今回参考にさせていただいた三樹書房様の「M-BASE」 二輪・四輪車の歴史の宝庫です。
http://www.mikipress.com/m-base/2017/05/post-89.html
1955年山形県庄内地方生まれ。1974年本田技研工業入社。狭山工場で四輪車組立に従事した後、本社のモーターレクリエーション推進本部ではトライアルの普及活動などに携わる。1994年から2020年の退職まで二輪車広報活動に従事。中でもスーパーカブやモータースポーツの歴史をPRする業務は25年間に及ぶ。二輪業界でお世話になった人は数知れず。現在は趣味の高山農園で汗を流し、文筆活動もいそしむ晴耕雨読の日々。愛車はホーネット250とスーパーカブ110、リードのホンダ党。