11月19日、カワサキプラザ東京等々力店でメグロK3の発表会が開催された。目黒製作所は数々の名車を生み出し、カワサキと手を組み、その後吸収されたが、その存在はカワサキ製オートバイの礎となった。その往年のメグロブランドが復活したのである。発表会で公にされた、時を経て誕生した新型のメグロについてレポートしよう。
その昔、メグロと言われるオートバイがあったことを知っているライダーは多くいると思う。しかし、カワサキと統合されてそのブランド名が消えたのは1964年であり、それまでに実際に乗っていた人は高齢なので、ほとんどの人がどういうオートバイなのかを体験したことがないだろう。そんなオートバイメーカーとオートバイがあったことをまったく知らなかった人がいてもおかしくない古い話になる。
目黒製作所によって生み出された数々のメグロブランドの二輪車の歴史をかいつまんで説明すると、創業は戦前の1924年。東京府荏原郡大崎町桐ケ谷、いまの西五反田4丁目あたりで歴史がはじまった。
まだ世界のマーケットで大きな市場を持つ日本のメーカーが存在しない時代。三輪トラックや輸入二輪車用の高品質な補修部品などで台頭し、1937年に4ストロークOHV単気筒498ccのメグロ第1号モデルとなるZ97を発売。それからオートバイメーカーとして確固たる地位を確立していった。メグロは実用車ではなく、パフォーマンスを追求したより高性能車にこだわった。
会場に展示されていた1954年に発売した、メグロジュニアS2。4ストローク空冷OHV単気筒248cc。
そんな中でカワサキWシリーズのルーツとなるバーチカルツインエンジンのメグロKスタミナが1960年に誕生した。このメグロKスタミナが発売された年から川崎航空機工業(現在の川崎重工業)との提携がはじまり、その後その傘下となり、社名をカワサキメグロ製作所と改名。そして1964年、カワサキに吸収されメーカーとして消えた。けれども、メグロの血統はカワサキにも継承され、バーチカルツインのメグロKスタミナをベースに改良を重ねたカワサキ500メグロK2を吸収された翌年に出した。その車両の燃料タンクにはカワサキのリバーマークとメグロ従来の広げたウイングと“MEGURO”の文字が合体したエンブレムを装着していた。これがカワサキがメグロというブランドの新型車両を登場させた理由だ。そのK2から、長い月日が流れながらも復活したメグロブロンドのバーチカルツインモデルだから、車名をMEGURO K3とした。止まっていた時がまた流れ出したのである。
発表の日にカワサキプラザ東京等々力に飾られていたカワサキ500メグロK2。新型MEGURO K3にはこのK2から継承したたたずまいがある。
メグロの復活について
MEGURO K3のPRを担当した、川崎重工業株式会社 モーターサイクル&エンジンカンパニー 営業本部 マーケティング部 マーケティング課の奥村和磨(オクムラカズマ)氏は、冒頭の挨拶でカワサからメグロブランドが復活する意義をこう語った。
奥村:「メグロは大排気量で高性能、高品質をもって日本のライダーたちから愛されてきた日本最古のモーターサイクルブランドです。日本初のスポーツバイクブランドということで公道だけでなくレースでもトップを走ってきたブランドでした。」
奥村:「メグロは1960年に当社カワサキと提携しました。カワサキモーターサイクルのルーツは川崎航空機工業です。古くは1922年、乙式一型偵察機にはじまり三式戦闘機“飛燕”など高性能な航空機を生みました。戦後、その経験と技術をいかしてモーターサイクル製造にのりだしたのがルーツです。ここには大空を自由に飛ぶ究極の信頼性と、手足のように機体を操れる極限の操縦性、そして最高速度への限りない追求がありました。そのカワサキが日本最古のモーターサイクルメーカー、メグロと手をとり大排気量でのアドバンテージを強めながら進化させてきました。その血統はW1、そしてZ1、GPZ、 ZZ Ninjaシリーズへと続きました。カワサキモーターサイクルの中には航空機の持つ究極と日本最古のモーターサイクルメーカーの伝統を引き継いでいるのです。」
奥村:「今回、メグロK3をカワサキからリリースすることは、日本のモーターサイクルの歴史、伝統を再認識して継承し、血脈を受け継いでいくというカワサキの決意をあらわしています。同時にカワサキモーターサイクルのルーツが航空機であり、我々は世界でも類を見ない性能への強いこだわりがあるという意思表示であります。この巨大な看板はカワサキとメグロの強固な絆、空の覇者と陸の伝統と結びつきを象徴するものです。」
PRのために制作された巨大で強い印象を与える手書きの看板。横幅4mで縦が3mという大きさだ。
デザインをまとめたのは川崎重工業株式会社モーターサイクル&エンジンカンパニー 技術本部 デザイン部 CMF課 猪野精一(イノセイイチ)氏。
猪野:「日本のモーターサイクルの歴史に輝くカワサキモーターサイクルの血縁のひとつであるメグロをお披露目できる大変な喜びを感じています。MEGURO K3は単なるモーターサイクルではありません。メグロそのものを体現する新しいアイコンであります。今回この車両を作り上げるにあたり、カワサキにある多数の資料、実車を目にして、いかにメグロを表現するか考えました。車両はメグロの血統を今に残すWの最新モデルであるW800をベースにしています。」
猪野さんは、ゼファー1100やZZR400/600のスタイリングを手掛けたデザイナー。1999年に発売した復活第一弾のカワサキWであるW650も担当している。(今から約20年前にMr.Bikeで猪野さんを含めたW650を開発したスタッフに筆者がインタビューした記事が
ここにあるのでぜひ合わせて読んでほしい )
猪野:「デザインの核となるのはカワサキ独自の塗装技術を使ったフューエルタンク。目黒製作所時代に多くのモデルがフューエルタンクにクロームメッキを採用していたのに対し、K3では精緻な表現が可能な銀鏡塗装にしました。これによって品位の高さをアピールできたと思います。銀鏡塗装は光の反射率が高く、強い光が差し込むと鏡のように周りの景色をくっきりと映し出し、曇天時や日陰のなかでは深みのある発色。光のあたりかたによって見え方がかわるため、高級感のある独特な質感になります。」
銀鏡塗装といえばスーパーチャージド4気筒エンジンを積んだNinja H2が先だった。このNinja H2の銀鏡塗装も猪野さんが手掛けたものだった。下地にブラックを塗って、その上に2液性の銀幕をかける。それから水のようなもので流して、クリアで銀幕を固定させて、最終的にはUVクリアを塗る。鏡面だからすこしでもホコリがついてしまうとNG。だから生産の品質管理は難しく厳しい。気になる耐候性はカワサキ社内の基準をクリアしているとのこと。
5色を使い鮮やかなMEGUROエンブレム。K2は中央がカワサキのリバーマークになっているが、K3ではメグロ本来のデザインを踏襲。MとWのアルファベットと組み合わせたもので、Mはメグロ、Wはワークスの頭文字。メグロワークス=目黒製作所ということ。
猪野:「メグロを象徴するエンブレムはアルミのプレス成形で熟練の職人がひとつひとつ手作業による5色に塗り分ける手間のかかるものになっております。目黒製作所時代の繊細な質感を表現しました。まっさきにライダーの目に入るメーターリングは黒色酸化皮膜処理を採用し、一般的なステンレス色との差別化をはかるとともに金属の質感を強調しました。」
輝きがありながら落ち着いた表情をみせるメーターリング。速度計は、赤く“メグロ”の文字が入る。
黒く塗られたシックな装い。ヘッドライトレンズの凸面具合がわかる。ここまで仕上げたらETCアンテナがメーター前の目立つところにあるのが少し気になってしまう。
猪野:「車体色は深みのあるエボニーの艶あり塗装を採用しました。またクロームメッキを各部に採用し、黒塗装とメッキのコントラストがメグロならではの落ち着いたカラーリングに仕上げております。スピードメーターパネルとサイドカバーのメグロの文字と、W800ゆずりの空冷バーチカルツインエンジンを特徴づけるベベルギアカバーにはワンポイントの赤を採用しています。シートは外周に白いパイピングを施してクラシカルな雰囲気に。シート表皮の質感の高いなめらかなものを採用して後部にはカワサキロゴをプリント。独特の存在感を出せたと思います。」
ベベルギアカバーや、“メグロ”文字の赤を差し色として使い、表情を豊かにしている。リアショックにはカバーが取り付けられている。
シートはホワイトパイピングがほどこされトラディショナルな雰囲気。ご覧のようにシートエンド部にはメグロではなく“Kawasaki”の文字が入っている。ホワイトパイピングがほどこされトラディショナルな雰囲気。
フロンのリム径はW800 STREETやCAFÉの18インチではなく昨年発売されたW800の19インチ。
ハンドルはゆったりとしたライディングポジションになる幅広タイプ。
発表会の最後には、奥村和磨氏、猪野精一氏に加え、プロモーションビデオに出演した株式会社カドヤの服飾デザイナー、市島慎司(イチジマシンジ)氏を加えた開発裏話をまじえたトークショーも開催された。
右から、市島慎司氏、猪野精一氏、奥村和磨氏、司会進行のモーターサイクルジャーナリスト、河野正士(コウノタダシ)氏。
河野:「奥村さんにとって猪野さんはあこがれの存在だったと聞きましたが。」
奥村:「そうなんですね。私が会社に入った頃には猪野さんって新型車のインタビューとかで雑誌に登場していました。私は2003年からマーケティングの担当になりましたが、それまではご面識がなく、これで初めてお会いして、『あ〜雑誌の人や〜』って思いましたね。」
猪野:「かなり昔のことですよ。今回久しぶりにこういった取材の場に出てきました。」
奥村:「市島さんとは昨年、W800の
プロモーションビデオでもご一緒してます。おかげさまで評判がよく、W800版は53万再生に伸びています。ありがたいことです。」
河野:「まずはこの大きな看板についてお聞きしたいですね。手掛けたのは日本のサインペインティングアーティスト、いわゆる看板のアーティストであるNUTS ART WORKSさんが手掛けました。NUTSさんはサインペインターとして20年以上のキャリアをもっており、ラルフローレンとかネイバーフッドさんとかショップデザインおよび看板デザイン、飲食店とか多種多様の仕事を手がけられてきました。ニューモデルのプロモーションでアーティストにお願いしたのに驚きました。」
奥村:「私はNUTSさんを存じ上げていませんでした。他の方からこういう人がいると教えていただいたんです。最初はピンとこなかったんですが、いろいろな作品を見ているうちに、一緒にやってみたいという気持ちが芽生えたんです。川崎重工業ではなく、川崎航空機工業としたのはルーツを伝えたかったからです。飛行機を作っていた会社がオートバイを作った。メグロと一緒に歴史の長さを訴えたかったんです。」
猪野:「奥村からメールでこの看板の画像が送られてきたんですが、僕のイメージと違っていました。それでも文字の持つ力が強くて、これもありかな、と思ったんです。」
河野:「オフィシャルで使われている写真が、車種の説明的なものよりイメージが多いのも新鮮でした。」
奥村:「私は写真に関しては素人ですが、やっぱりメグロの世界観はカラー写真だけだと表現しきれないと感じていて、モノクロを入れたかったんです。最初にあがってきたのを見てびっくりしましたね、かっこよかった。今風にいえばエモい写真がいっぱい。」
河野:「最初にメグロを復活させるという話を聞き、担当することが決まってからの感想を聞かせてください。」
猪野:「メグロだったら黒にメッキかとすぐに思ったんです。けれど、そこから『はたしてそれでいいのか?』と悩みましたね、正直。というのは黒塗装にメッキはかつてW650でやっているんですね。同じようなものだとまったく面白くない。昔と同じことをやってメグロブランドを継承していけるのかと考え込みました。そこで大きなポイントになったのが我々は銀鏡塗装というスペシャルな技術を持っているということです。生産の手間がかかるものですが、やってみたところ非常に良かった。見ていただいたように、クラシックなんですけど、おっさんくさくない、ジジ臭さを感じさせないんですね。それでいて昔のメグロのテイストも失っていない。」
猪野「メグロというオートバイを知っていたし、見たこともあるし、知人が乗っていたことがあるから知っていると言えるのですが、あらためてみたら過去のメグロってすごいんですね。細かいディテールまで手が込んでいる。感動しましたね。今の生産システムで作るととんでもなくお金がかかりそうな作り。そのメグロを今に復活させるというところで、これは本当に作り込まないといけないなと。そのひとつがタンクのエンブレム部分です。アルミで本体を作って、この中に注射器で塗料を入れていくんです。これをタンクの形状にあわせてプレスして貼り付けたのが完成品です。材質はかわっていますけど昔の七宝焼エンブレムと手間はかわらないですよ。」
猪野氏が、今回とても苦労し、こだわったMEGUROのロゴ。
猪野「昔の七宝焼エンブレをいろいろとみたんですが、それぞれ“MEGURO”のロゴが微妙に違うんですね。はっきりいって個々の文字ばらつきがあってデザイン的に良くなかった。それでいろいろなのをみて平均化したロゴを今回作りました。そこは苦労しましたね。当時はプレスや七宝のガラス質釉薬のはみ出しとかでロゴがひとつひとつ違っていたんじゃないですかね。」
奥村:「MEGURO K3を私がやることになって正直なところ、????って感じでした。嫌とかではなく、なんというか担当は私でいいのかと。名車を生み出してきた猪野さんと違って、そんな経験がないものですから、自分のなかでメグロという神格化されたブランドをやることにとまどいを感じました。W800のときには前年にストリートとカフェが出ていて他の方がPRを担当していたので、それを横目に、違うことをしようと考えることができたんですが。そのときも市島さんと一緒でしたが、今回も計画段階からさんざんつきあってもらって、あれこれ案をねりましたね、どうやっていいか。」
河野:「プロモーションビデオは目黒製作所の創業者のひとり村田延治の故郷、栃木県の那須烏山市で撮影したそうですね。大戦中はメグロの工場もこちらに疎開していたいたということですが。」
市島:「未発表の車両なのでロケもひと目にふれないようにやってたんですが、那須烏山の方々は鋭くて、すぐにバレたんですね。周りには工場で勤務されていた方々もいらっしゃる。隠しきれなくなってしまって、それなら協力してもらおうということに。シナリオがだいぶ変わりました。現地でメグロといったらこの人と言われている住職さんがいらっしゃって、その方にお話をうかがいにいったりしました。」
奥村:「コロナの影響で私が撮影にいけなかったんです。本当はものすごくいきたかったんですがだめでした。そうしたら電話がかかってきて『大変です車両が人に囲まれちゃいちゃいました』って。えええってなって。あとで写真が送られてきたら集まった人たちと記念撮影まで。未発表の車両で記念撮影だなんて(笑) ご高齢のかたが多くてSNSをやられていなかったのかバレずに助かりました。」
市島:「さきほどのメグロに詳しい住職さんのところへ車両を持っていきトランポからおろすと、『ものすごくキレイにしているメグロだね』って言われたんです。それを聞いて私は、古いメグロと見間違ってくれたと思ったんです。そのときにメグロを知り尽くしている人がそういう反応ならこの機種は大丈夫だと思いました。集まってこられたのはそうそうたるメンバーなわけです。数台所有されているメグロコレクターだったり、工場で働いていた方だったり。そこでプロモーションビデオのシナリオ変更があって、ちょっと演技をやることになったんですね。ストーリーとしては、この車両に乗った僕が久しぶりに故郷に帰ったら、おじいちゃんたちが待ってたよって出迎えてくれって、そこでこのMEGURO K3について僕が自慢するように語るってなったんです。メグロを知り尽くした人たちの前で演技でもメグロについて僕が語るのがおこがましいという気になって、うまく言えなかった。個人的に撮影の中でいちばん大変なシーンでした。」
そうして撮影されてプロモーションビデオがこちら。
かつてメグロからW1が誕生した逆で、こんどはW(800)からメグロが誕生した。発表会で何度か“メグロブランドの復活”という言い回しを耳にした。2輪メーカーでは少ないが、4輪メーカーでよくある、同じ会社の中に別ブランドを作る計画が進行しているのでは、と勘ぐった。もちろん裏はとれないただの印象と想像だ。クラシック風モデルの市場が確立した現代なら面白い話である。そうなるとカタログから消えてしまったカワサキメグロ250SGのDNAがあったエストレヤの復活とか夢想してしまう。一般的なバッジエンジニアリング以上の違いをMEGURO K3から感じることができた。