2020年のMotoシーズン再開まで一ヶ月を切った。日本人選手も三々五々、欧州へ向かいはじめ、あるいは渡航準備を進めているようである。とはいえ、世界中のCovid-19(新型コロナウイルス感染症)を巡る状況はまだ予断を許さず、緊迫した状況が継続している地域も多い。そのため、欧州へ渡る選手たちも、万全を期した状態での渡航を心がけているようだ。本稿をお読みの皆様も、どうかくれぐれもご自愛のほどを。というわけで、今回のRevisitedで訪れる地はオランダ。ダッチTTことオランダGPの開催地、TTサーキットアッセンである。
二輪ロードレースの歴史と伝統が深く根付くアッセンは、首都アムステルダムからだと、高速道路をクルマで走って約2時間程度の距離である。あるいは、ドイツ北方の都市デュッセルドルフから北上する格好で走っても、時間・距離ともにアムステルダムから向かうのと大差ない。アムステルダムとデュッセルドルフは、ともに日本からの直行便が飛んでいるので、そのときどきの利便性や運賃の比較などで選択できる。アッセンはドイツGPと2週連続開催になることが多く、レンタカー返却などの利便性を考えればドイツGP終了後にアムステルダムまで大返しのルートを取るよりは、両会場のあいだに位置するデュッセルドルフを起点にしたほうがなにかと行動がラクである。というのはまあ、あくまで経験則にもとづく個人的な知見であります。
さて、当地で最初にロードレースが開催されたのは1925年。以来、第二次大戦の影響で休止された1940年から45年を除き、毎年連綿とレースが開催されてきた。一方、二輪ロードレース世界選手権が1年間のシリーズ戦としてスタートしたのは1949年。アッセンは、その最初の年からカレンダーに組み込まれ、毎年レースを開催してきたグランプリ史上唯一の会場だった。だが、今年はCovid-19の世界的蔓延により中止が決定。このような事態がなければ、今年は90回目のダッチTTになるはずだった。記念大会はひとまず来年に持ち越しになったわけだが、とはいえ、人々の生活文化とも密接に関わるレースだけに、来年の再開時には、ふたたびおおいに盛り上がることだろう。
TT、という名称が示すとおり、そもそものはじまりは公道レースで、当初は1周28.4kmで三角形上のコースレイアウトだったようだ。その後、微妙に場所やコースを変えながらクローズドサーキットでレースが行われるようになっても、路面の形状やレイアウト(とくに前半区間)などに公道レースの風合いは色濃く残っていた。そんな独特の雰囲気を持つアッセンは、多くのライダーが「大好きなコース」と表明することがお約束のようになっていたのだが、そんな風潮に反して「爆破したいくらい大嫌い」と公言していたのが玉田誠だ。けっして得意コースではなかったようで、当地ではあまり好成績を残していない。一方、同時期にMotoGPに参戦していた中野真矢は、このアッセンで最高峰クラスの自己ベストリザルトとなる2位を2006年に記録している。
この2006年は、コースレイアウトに大改修が施されたシーズンである。公道レースの名残を唯一残すと言われていた序盤区間が大幅にカットされて、小さくタイトに回るレイアウトになった。約6kmあったコース全長も4.5kmと短くなり、近代的なサーキットに姿を変えたが、この大幅な〈改革〉は、当初は「〈ロードレースの大聖堂〉を穢す行為」として多くの選手から反発を食らう憂き目にあった。だが、やがて年月の変遷とともに、時代に即した変化として受け入れられていくようになった。
2006年に話を戻すと、この年にポールポジションを獲得したのがジョン・ホプキンスだ。この当時、大会の冠スポンサーはA-Styleというカジュアルブランドで、ホプキンスはポールポジション公式会見の場で「A-style is my style!」と叫んで、会場を爆笑の渦に包んだ。意味は、まあ、ロゴを見てお察しください。
翌2007年はクリス・バーミューレンがポールを獲り、スズキが2年連続でトップグリッドについた。優勝したのはフィアット500とのコラボレーションによるスペシャルカラーで臨んだバレンティーノ・ロッシ。ロッシとアッセンの相性は非常に良く、2009年にはグランプリ通算100勝をこの地で達成。ドゥカティからヤマハへ復帰した2013年には、復帰後初勝利をここで挙げた。また、2017年にも勝っているが、このときの優勝がいまのところロッシのもっとも最近の勝利になっている。
近年のアッセンで―といってもすでに7年も前の話なのだが―、もっとも印象深い出来事といえば、2013年のホルヘ・ロレンソだろう。初日木曜のFP1(この当時のダッチTTは長年の伝統にのっとって土曜に決勝レースを行っていたため、走行は木曜から始まっていた)にはトップタイムを記録したロレンソだったが、午後のFP2で転倒し左鎖骨を骨折。
転倒直後は以後のセッションはすべてキャンセルするかとも思われたが、なんとロレンソはその日のうちにバルセロナへ取って返して鎖骨のプレート挿入手術を実施。翌日金曜の予選が行われていた午後三時頃には、バルセロナからオランダへ取って返す機中の人となっていた。そして決勝日の土曜午前にはサーキットのメディカルチェックを受け、医師から参戦OKの許可が出た。そのような超過激な強行軍にもかかわらず、決勝レースは5位でゴール。これはまさに〈鋼の意志〉で勝ち取ったリザルトといっていいだろう。決勝後には、やるだけのことはやりきったといいたげな清々しい笑顔も見せたが、その反面では「人生でもっとも厳しいレースだった」とも語った。この選手はいろんな局面で「人生でもっとも{うれしい/すごい/辛い/悲しい/(などなど)}といった言い回しをよく使い、ある種の口癖のようになっている感もあるのだが、すくなくともこのときのレースに関するかぎりは、彼のライダー人生のなかでももっとも苛酷で、そしてもっとも誇らしい結果であったことは間違いないだろう。
そのアッセンの地で、ロレンソは2019年にも大きな転倒を喫した。背中にケガを負い、それが原因となって年末に現役活動からの引退を発表するに至る。偶然とはいえ、そのようないろいろな出来事が彼の身に発生したサーキットであったことを思い起こせば、アッセンはホルヘ・ロレンソという選手にとって、なにか運命めいた地であったのかもしれない。
そしてサーキットはそれらのできごとをひとつまたひとつと積み重ねることで、歴史と伝統の重みはさらに増してゆく。来年、2021年に行われる90回目のダッチTTでも、その歴史にあらたななにかが刻まれることになるのだろう。
【西村 章】
web Sportivaやmotorsport.com日本版、さらにはSLICK、motomatters.comなど海外誌にもMotoGP関連記事を寄稿する他、書籍やDVD字幕などの訳も手掛けるジャーナリスト。「第17回 小学館ノンフィクション大賞優秀賞」「2011年ミズノスポーツライター賞」受賞。書き下ろしノンフィクション「再起せよースズキMotoGPの一七五二日」は絶賛発売中。
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