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國井勇輝は2024年度の全日本ロードレース選手権(全日本)ST1000とアジアロードレース選手権(ARRC)ASB1000のダブルチャンピオンを獲得。その称号を引っ提げて2025年は4年前に所属していたIDEMITSU Honda Team Asiaからロードレース世界選手権(WGP)Moto2参戦している。
IDEMITSU Honda Team Asiaに所属していたタイ人のソムキャット・チャントラはIDEMITSU Honda LCRからのMotoGPクラスへ昇格。ライダーはMoto3からMoto2へ昇格したインドネシア人ライダーのマリオ・アジとなり、そこへ國井が加わった。IDEMITSU Honda Team Asiaは、世界で活躍するアジア人ライダーを発掘・育成する取り組みの一環としてホンダが2013年に発足。2018年から青山博一が監督を務めている。
文:佐藤洋美 ■写真:赤松 孝
■写真提供:IDEMITSU Honda Team Asia

 國井勇輝は3~4歳の時に父親に連れられて千葉北サーキットでポケバイに乗るはずだったが、その日は怖くて乗れなかった。なのに家に戻ると「バイクに乘りたい、乗りたい」とせがんでポケバイを買ってもらう。そして7歳でMotoGPを初観戦し「いつかここを走る」と誓った。

 2015年12歳でロードレースへとステップアップし、スカラシップでWGP125チャンピオンの坂田和人に師事する。IDEMITSU ASIAタレントカップのセレクションに合格、その後レッドブルルーキーズカップにも参戦、FIM CEV Moto3ジュニア世界選手権(CEV)に参戦と順調な歩みを見せる。
 恩師ともいえる坂田は言う。
「國井はルーキーズでもCEVでもチャンピオンになり、ダブルチャンピオンを獲得すると思っていた。でも、その流れをケガが断ち切ってしまった。だから、國井に会うといつも“ケガするなよ”と声をかける。言うことはそれだけ」
 坂田は速さに加えするどい観察眼と分析力を持ち、世界の頂点に昇り詰めたライダーだ。その目の確かさでは定評があり才能あふれるライダーの指導にあたってきた。その坂田が國井を「チャンピオンになれる」と言い切った。

#國井勇輝
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※写真をクリックすると別の写真を見ることが出来ます。

 國井はホンダスカラシップ生として海外参戦を開始し2018年ルーキーズカップはランキング9位、2019年はランキング7位。この年チームメイトの埜口遥希はランキング3位だった。國井は2017年CEVランキング11位、2018年同ランキング6位。2019年はケガもあったが、2勝を挙げランキング7位となる。チームメイトの埜口はケガが響きランキング15位で、翌年は全日本で走り始める。

 2018年のCEVチャンピオンはラウル・フェルナンデス、國井の先輩・小椋 藍はランキング5位となる。2019年はジェレミー・アルコバがタイトルを獲得した。未来のWGPライダーがひしめくCEVは激戦で知られる。そこで國井は勝利を挙げた。

#國井勇輝
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2020年からMoto3に参戦する。チームメイトは小椋だ。國井はランキング27位。参戦2年目の小椋はタイトル争いを繰り広げてランキング3位となる。2021年、小椋はMoto2に参戦を開始。國井はMoto3ランキング25位となり、来季のシートを失う。
「CEVは勝てましたが勢いだけでよく転んでいました。2019年Moto3第10戦チェコGPにスポット参戦した時、スタート直後にスロー走行していたライダーがいて接触転倒し右手を骨折、脱臼のケガをしてしまいました。翌年からフル参戦させてもらいましたが、ケガの影響もあり上手く走れずに結果を残したいという重圧や焦りで自分を追い込んでしまって、結局何もできずに2シーズンが終わってしまいました」
 20戦近くあるWGPシリーズは、精神的にも体力的にもきつく、一度、逃してしまったリズムを取り戻すことは難しかった。

 全てを賭けて14歳で世界に飛び出した國井は言う。
「レースしかない自分に何が出来るんだろう。違う道を考えてみても答えは出なかった。自分にはレースしかなくてバイクに乗る事しかできないと思った。真剣に自分で考えて自分で切り開いていかなければと思ったのはこの時だったと思います」

 國井の元には名門チームのハルク・プロから全日本参戦の誘いが来る。「話をもらえたことに感謝しました。決して望まれていたわけではない。無理やり入れてもらったのだと思います。恩返しできる結果を残したい」と國井は思った。
 國井の才能をこのままで終わらせてはいけないと願う人々がいたということだ。
ハルク・プロは、数々の全日本チャンピオンを輩出している。青山博一、周平はWGPに参戦し、青山博一は世界チャンピオンにまでなった。中上貴晶もここでタイトルを獲得して世界に飛び出した。中上はWGPのシートを失い全日本に戻り、再び参戦してMotoGPライダーになった。埜口も同様に世界への再起を目指していた。

#國井勇輝
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 2022年全日本ST600参戦を開始するが最終戦鈴鹿で3位となりランキング8位。同い年の荒川晃大がチャンピオンとなる。全日本を経験することなく世界に飛び出した國井にとって初めてのシーズンは学習の年でもあった。鈴鹿8時間耐久にも初参戦して経験を積む。
 2023年にはST1000へとステップアップする。開幕戦でポールタイムを叩き出した國井は力を示し始めた。開幕戦は2位で表彰台に登り、第2戦4位となるがトレーニング中のケガで、参戦予定の鈴鹿8時間耐久もキャンセル。ARRCでタイトル争いをしていた埜口が代役で参戦して2位となる。全日本後半戦は同じくST1000にステップアップした荒川が活躍し2勝を挙げてランキング2位に浮上する。國井は懸命にケガと戦い全日本はランキング10位となり、ARRCの最終戦で復帰してシーズンを終えた。

#國井勇輝

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 2024年、チームは國井の全日本とARRCのダブル参戦を決めた。実績として残っている結果はなかったが、そのスピードが並外れていることは2023年開幕戦で示し、ケガさえなければ國井の活躍が予想できたのだろう。國井にとってダブル参戦はチャンスではあるが高いハードルでもあった。
「全日本では同い年の荒川選手と絶対に比べられると思っていたので、彼よりは前に行きたい、ホンダ車では1番でいたいと思っていました」
 その思いをぶつけるように快進撃を見せ全日本開幕2連勝を飾る。3戦目のオートポリスのレース1は初のコースでうまくセッティングを出せずに4位となるが、レース2ではセットを変更して優勝を飾った。岡山国際、最終戦鈴鹿も勝ち、6戦中5戦で勝利して文句なしのチャンピオンとなる。

#國井勇輝
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 ARRC ASB1000クラスは、ポイントリーダーとして最終戦を迎えていたが、ランキング2番手のアンディ・ファリド・イズディハールには2ポイント差という緊迫した戦いとなった。レース1は追い上げて3位に入るが、アンディが優勝し逆に7ポイントのアドバンテージを許した。國井が優勝してもアンディが2位になればタイトル獲得はない。
「チャンピオンよりレース1の悔しさを晴らしたかった。だから勝つことだけを考えました」
 勝負となったレース2で國井は序盤の混戦を抜け出して独走優勝を飾る。2位に代役参戦の長島哲太が入り、3位にアンディとなり國井のチャンピオン獲得が決まった。
 國井は勝利者インタビューで、この勝利を埜口に捧げている。

 埜口は2022年のARRC ASB1000に初のフル参戦で挑み4勝を挙げチャンピオン獲得目前だったがスポット参戦した全日本で追突された時のケガで最終戦を欠場しタイトルをフイにした。2023年再度挑むが第4戦インドネシアで多重事故に巻き込まれて亡くなった。埜口はARRCチャンピオンとなり2024年はMoto2参戦がほぼ決まっていた。國井にとってはタレントカップ、全日本とチームメイトで同じ時を切磋琢磨した仲間だった。

#國井勇輝

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 國井は全日本とARRCのダブル参戦、鈴鹿8耐参戦と忙しい2024年シーズンを駆け抜け、世界へと飛び出す。
 ハルク・プロの本田重樹会長は「チームに迎えたのは、もちろん魅力的なライダーだったから。ふたつのチャンピオンは國井の努力と周りのサポートといろいろな要素が噛み合って出来たことだと思う。國井には、もう2度と戻ってくるな、一方通行だと伝えたい」とエールを贈った。

 Moto3参戦では力を発揮することが出来なかった國井だが、全日本、ARRCで鍛えられ本来の力を発揮する術を磨いた。2024年の全日本オートポリスのレース1での4位からレース2での独走優勝。ARRC最終戦のレース1の3位からレース2優勝の姿から進化した強さを感じる。
「考えるようになりました。何が足りないのか、どうしたら流れを変えることができるのか、昔は、それが上手く出来なかったのかなと思います。少しは成長して自信も持つことが出来るようになった」

 國井はふたつのチャンピオンを誇りに世界に挑みたいと言う。
「実は全日本なんて簡単だと思っていたところがありました。自分は世界を走って来た。全日本よりも上の世界にいたんだから勝てると思っていた部分があった。でも、実はそんなことは全然なくて、全日本の厳しさを知りました。全日本ではチームの名越哲平先輩から多くを学び影響を受けました。ARRCも簡単ではなかった。だから、そこのチャンピオンとして恥ずかしくない走りがしたいと思います。自分がダメだと全日本やARRCのレベルが低いと思われてしまう。それは、絶対に嫌だと思っています」

#國井勇輝

 今季、國井は初めてMoto2マシンを駆る。
「マシンもタイヤも初めての挑戦です。Moto2は見ている限り難しいクラスだと感じています。でも、そこで小椋選手がチャンピオンになった。可能性を示してくれたように思うので励みに戦いたい」
 國井はあくまで前向きだ。

 WGPに憧れ、参戦を願うライダーたちの中で、そこを走る幸運を得るのは一握りのライダーだ。そのチャンスを2度も掴んだ國井が、その才能で、どんな戦いを見せるのか注目が集まった。史上最多となる22戦が予定されているWGPの戦いは3月2日タイから始まった。
 開幕戦タイGPは19位。第2戦アルゼンチンGPは23位。第3戦アメリカGPは17位。第4戦カタールGPは24位となった。
「正直苦戦しています。考えていた以上の厳しさの中で戦っています。開幕戦のタイは、ARRCでの経験があり、レースが出来たと言う感覚がありましたが、それ以外はマシンセッティングを考えているうちにレースウィークが始まり、終わると言う状況で、自分の走りが出来ていると実感することがないままにスケジュールが過ぎています。結果を残さなければという思いが強くありますが、それが難しい。でも落ち込んでいる訳には行いかないので立て直したい」
 そう語る22歳は、世界の厳しさのただ中にいる。

#國井勇輝

 そしてロードレース世界選手権第5戦Moto2クラスの決勝が、スペイン・ヘレス・サーキット‐アンヘル・ニエトで開催された。
 このレースで、Honda Team Asiaからはマリオ・アジが負傷欠場し、國井勇輝のみの出場となった。予選では22番手と後方からのスタートとなったが、本人は順位以上の手応えを感じつつグリッドに着いた。

 決勝ではスタート直後にミスをして最後尾まで順位を落とすが順位を挽回。最終的には16位でチェッカーを受けた。
 青山博一監督は、「レースペースはとても良かっただけに、スタートのミスが悔やまれるが、成長が見られた」と評価した。
 國井は「スタートで焦ってミスしてしまいましたが、自分を落ち着かせて毎周集中して走り、今季一番の結果を残せました。改善すべき課題はありますが、次戦のル・マンではレースウィークの最初から良い流れを作れるよう挑んでいきます」と語った。
 ヨーロッパラウンドの開幕戦となったスペインで、自身のポテンシャルを示すレースを見せた國井。次戦以降、さらなる飛躍に期待がかかる。

#國井勇輝
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 シーズン前に憧れのライダーは? と國井に聞いた。
「野球の大谷翔平選手がワールドベースボールクラッシックで、『憧れるのは辞めましょう。やっぱり憧れてしまったら超えられない。僕らは今日超えるために、トップになるために来たので、彼らへの憧れを捨てて勝つことだけを考えていきましょう』の言葉がカッコ良くて心に残りました。だから、憧れではなく、超えるように頑張りたい。レース界の大谷翔平を目指したい」
 はにかみながら語った。

 世界GPは強豪が集う最高峰の戦いだ。簡単なわけはない、そんなことは國井も承知している。そして、そこに挑める幸運も知っている。今は、自分を見失ってしまったような迷いの中にいるが、國井なら、その出口をきっと見つけるはずだ。

追記:國井を初めて取材したのは14歳、CEVを走るというのでコメントがほしいとラインを交換してコメントを送ってもらっていた。YoutubeでCEVを観戦、勝利した時、思いっきりジャンプしてチームスタッフが待ちかまえる輪に飛び込んだ國井を見て、これまでのシャイな日本人とは違うのねと感心した。もちろん、走りも勢いがあって坂田氏が言うように存在感は半端なかった。絶対WGPで活躍すると思っていたけどダメで全日本を走り始めた。きっと、たくさん傷ついていただろうと思ったけど、笑顔は変らなくて、ハルク・プロにもすぐに溶け込んだ。この年、桜井ホンダから鈴鹿8耐に参戦したが、この時も、あれ、以前からチーム員だった?と思うくらいの馴染み方で、走りだけではない魅力を持つ子なのだと再確認。忙しいシーズンの中で、自分を見失うことなく、坂田氏の言うようにケガには気を付けて、今度こそ本来の力を見せつけてほしい。そして世界中のファンを虜にしてレース界の大谷翔平になってほしい、なって下さいと懇願している。
(文:佐藤洋美、写真:赤松 孝、写真提供:IDEMITSU Honda Team Asia)


2025/05/09掲載