ヤマハRZV500R、およびRD500LC、RZ500のオーナーによるRZV500Rオーナーズクラブ(1991年設立)主催の『RZV500R デビュー40周年記念イベント』が、2024年5月25日(土)にヤマハコミュニケーションプラザで開催された。
『RZV500R デビュー40周年記念イベント』にはオーナーズクラブ会員はもちろん、それ以外にも数多くのオーナーが集まった。自走できず積車で持ち込む者がいれば、同じく自走できずオーナーが身ひとつでやってきたり、さらには手放してしまった元オーナーなど見学だけ来る者まで多くの来場者がこの場に顔を出した。
イベントは13時スタート、受付も正午からというアナウンスだったものの、ヤマハコミュニケーションプラザ開場時間の午前10時にはすでに参加者が続々集結し、最終的には50台のRZV500らが集まった。10年おきに開催をしているが、10年前とほぼ同数がそろったことからも、残存数の高さ、そしてオーナーの所有期間の長さも見ることができる。
YAMAHA RZV500Rは、バイクブーム華やかなりし1984年5月15日に登場した。前年の東京モーターショーで衝撃的なデビューを果たしていたが、市販車はほぼその形のままで登場したのだ。限定解除免許所有者しか乗れない上に、その販売価格も84万5000円と当時の市販ヤマハ車の中で最も高額な一台となったこともあり、モデル期間は1年強、モデルチェンジは1回のみと短命であった。
YZR500のレプリカであるRZV500R。その心臓部は挟角50度のV型水冷4気筒エンジン。バランサーを備えた2軸クランク形式を持ち、前バンクはクランクケースリードバルブ、後バンクはピストンリードバルブと異なる吸気方式を採用する。国内仕様のRZVは自主規制から最高出力64PSとなる。輸出仕様のRDおよびRZ500は88PSを発揮するが、RZVよりも細い鉄フレームを採用。輸出仕様のこれらは、各仕向け地の法規に合わせミラーやウインカー、リフレクターといったパーツが異なっている。またグラブバーを装着したモデルも存在する。国内仕様のRZVはホワイト×チャピイレッドのストロボカラーモデルしか存在しないが、車体色はシルキーホワイト×ストーミーレッドのほか、ストーミーレッド×ヤマハブラックなどのカラーリングもラインナップしていた。
角アルミのダブルクレードルフレームを採用し、後バンクの排気はシート下でクロスし、シートカウル内を這っていく。リアショックはボディ下部に水平にレイアウトし、1375mmとショートホイールベース化も実現。タイヤサイズはフロント16インチ(120/80-16)、リア18インチ(130/80-18)でフロントにはアンチノーズダイブ機構も備え、ベンチレーテッド式のディスクブレーキを採用している。
登場から約半年後となる1984年12月にマイナーチェンジが行われた。この後期型(通称1GG)では、シート下にグラスウールの耐熱シートが追加され、オイルタンクにサブタンクが設けられ容量アップとなった。上バンクのテールエンドが延ばされ、スピードメーターのレッドゾーン表記と警告灯の除去。さらにCDIの変更も行われた。
「デビュー40周年を記念し、RZVオーナーが生まれ故郷である磐田の地に集まり、交流を深め、情報交換を通し、今後もRZVライフを楽しむ」という目的で開催されたこのイベント。北は山形から南は長崎まで全50台のRZVが集結。ヤマハコミュニケーションプラザの小会議室を使用して、RZV30周年記念イベント開催時の映像放映やRZVグッズの展示なども行われたが、イベント自体は無料で、基本的に集まってダベるだけ。それでも多くの参加者がこの半日の時間を大いに楽しんだ。
50周年記念イベントはできないんじゃないかなぁと主催者は語るが10年後も元気な姿で多くが集まることに期待したい。
(レポート・写真:青山義明)