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レース・イベント

DUCATI Team KAGAYAMA インサイドストーリーVol. 1 黒船襲来
■文・写真:楠堂亜希 ■協力:ドゥカティ・チームカガヤマ https://www.ducati.com/jp/ja/racing/team-kagayama




2024年、チームカガヤマが大きく動いた。長年のスズキのサポートに区切りをつけ、国内メーカーでなく、ドゥカティで全日本選手権を戦うことを発表。そのニュースは「黒船襲来」として瞬く間にレース界を駆け巡った。しかもドゥカティ・コルセとの直接契約。日本のプライベートチームが本国の主要部門と契約を交わすという異例中の異例の出来事だ。極秘裏に進められていた計画の第一報は海外からのリークだったが、加賀山就臣はそれすらも楽しんでいた。

 2024年1月、チームカガヤマのファクトリーの分厚いカーテンで仕切られた奥に、まだ走り出す前のパニガーレV4Rが置かれていた。塗装前のカーボン剥き出しのカウルに包まれたマシンを見て「面白いことやっちゃうよ!」と加賀山就臣が笑みを見せた。

 加賀山就臣は30年に及ぶそのレース人生のほとんどをスズキと過ごしてきた、生粋のスズキ育ちといっていい。チームカガヤマはずっとスズキのマシンで戦ってきたのだが、スズキのレース部門自体が無くなることになり、レースで勝つために選んだのがドゥカティだった。加賀山は旧知の仲だったドゥカティ・コルセのゼネラルマネジャー、パオロ・チャバッティと直接交渉に臨んだ(※1)。チャバッティも加賀山のこれまでの経歴と様々なレーシング活動について調べ上げていた。
「どうせ戦うなら勝ちに行け、バウティスタのチャンピオン号を出してやる」
 ドゥカティからの驚きの逆提案となった。そこからは極秘行動で怒涛の毎日、寝られない日を過ごしながら着々と準備が進められた。
 

チームカガヤマのガレージにパニガーレV4Rが到着した日。イタリアに渡ったスタッフがドゥカティ・コルセのファクトリー内でレクチャーを受けてバラシ組みして梱包された正真正銘のチャンピオンマシン(車検のステッカーが貼ってあります)。※写真をクリックすると別カットを見ることが出来ます。

 
 ライダーの水野 涼が加賀山からオファーを受けたのは2023年シーズン最終戦の鈴鹿。2年間のBSB(ブリティッシュスーパーバイク選手権)での戦いのち帰国、昨年は伊藤真一監督率いるチームで全日本に参戦し、最終戦の鈴鹿では2レースとも優勝を飾った水野には他からもオファーがあったという。
「全日本でチャンピオンをとってもう一度世界に行きたい、世界でチャンピオンになりたい」
 水野はその想いから、ドゥカティ・チームカガヤマを選んだのだ。

 1月に、加賀山とチームスタッフ、ライダーの水野はイタリアのボローニャに渡り、ファクトリーマシンのレクチャーを受け梱包作業を済ませて帰国する(※2)。実はこのとき水野は、スペインまでスーパーバイクのテストにも赴き、運が良ければ走行のチャンスがあるかもしれないと装具一式を持っていっていたが、残念ながらそのチャンスはなかった。
 帰国した一行は、鈴鹿の公式テストの前にもテスト走行を計画していた。しかしパーツが届かないなどの事情により、水野が初めてパニガーレV4Rに乗ったのは2月末の合同テストとなった。
 

塗装から上がってきたマシンと対面するのはこの日が初の水野 涼。

 
 実走行に先駆けて、イタリア大使館でチーム体制発表を行った。格式の高い公的機関でのレセプションは全日本チームでは前例がなく、MFJの鈴木哲夫会長ですら加賀山に「どうやって開催にこぎつけたのか?」と問うほどだった。
「せっかくなら派手に発表したい」「イタリア大使館だ!」
 加賀山とコーディネーターの塚本肇美は直接大使館に行き、交渉した。長年MotoGPのスズキスタッフとしての経験を持つ塚本は、語学が堪能な上にコミュニケーション能力がすば抜けており、イタリア大使館のスタッフと一気に打ち解け、それが当日の和やかな雰囲気につながった。
 スピーチの最後に加賀山は言った。それは宣言ともいえるだろう。
「モータースポーツのチームが公的な場所で発表できることを伝えたい。我々の目指すところは二輪モータースポーツの社会的地位向上!」
 ドゥカティを駆ることが単に一チームの活動としてだけではなく、全日本ロードレース全体の盛り上げと意識向上につながるのだという熱い想いなのだ(※3)。
 

ナンバーワンのサインはベネデッティ大使(写真右から2番目)が率先して行ってくれました。
イタリア大使館での発表会、塚本肇美の細かい気配り。

 
 いよいよ初走行の日、まだ走り出す準備ができていないファクトリーマシン。まず全てが機能するかどうか、本来なら公式テストの前に確認が済んでいてよいものだが、パーツ不足などによりテストまでに走行のチャンスが得られなかったため、この日が真の初走行。チームは朝イチの走行を見送り、2回目の走行でようやくピットアウト。昨年のスーパーバイク世界選手権のチャンピオンマシンが鈴鹿を駆ける光景に加賀山も思わず息を呑んだ。1回目の走行を終えて戻ってきた水野が「速いですね!」と漏らした。トップの中須賀が2分6秒後半、水野はまだ2分13秒しか出せていないのに、加賀山から「306キロ」と告げられ思わず「ヤバっ!」と言ってしまう。加速が良く、最高速に到達するまでが速く、高速域で安定しているのだという。
「何か違和感あったらすぐ戻ってこいよ」
 水野を送り出す加賀山。初日はホイールが1セットしか使えなかったため走行時間が限られたが、2日間の公式テストでは総合4番手のタイムまで到達した。
 

加賀山と水野、バイクのことは大先輩の加賀山。それまで親しい間でもなく彼の姿勢をみての大抜擢だった。

 
 3月9日~10日の開幕戦は通常より1ヶ月早く、例年より寒い時期での開催。スーパーフォーミュラとの併催となる鈴鹿2&4なのでドゥカティ・チームカガヤマのピット前には四輪関係者達も多く詰めかけ、加賀山はチームのコントロールに加えて来客の対応にも多忙を極めた。
 チームにはパニガーレV4Rを動かすためにドゥカティ・コルセからトレーニングを受けたエンジニアのエイドリアン・モンティが今シーズン全戦帯同することになっていて、これまでのデータの蓄積からセットを導き出してくれるのだ。だが加賀山監督のスズキ車のやり方とドゥカティ・コルセのやり方、それにホンダで育ってきた水野とセッティングの方向で意見がぶつかることもあった。エイドリアンが「ドゥカティはこう乗れ」というのに対して「ピレリとブリヂストンは違う!」と真っ向から主張。誰もが同じ方向を向いていることに違いはなく、ピットでは遅くまでイタリアとのWEBミーティングを重ねるエイドリアンの姿があった。
 

要になるエンジニアのエイドリアンは本国でレクチャーを受けたエキスパート。レースの度に来日し、全戦に帯同する。
コーディネーターの塚本はドゥカティ・コルセとの交渉にとても重要な役割を担った。チーム内ではエイドリアンとライダーの間にはいって細かいニュアンスなどを伝える。

 
 土曜の予選のために重要な金曜日午後のART公式走行。水野は3ラップ目に総合トップのタイムに躍り出たが、セッションの最後の最後に長島哲太(DUNLOP Racing Team with YAHAGI)がニュータイヤに履き替えて記録を塗り替えることになった。そして翌日の予選が雪と低温による悪天候のためキャンセルになり、この時の結果が採用され、チームカガヤマは2番グリッドからのスタート。
 

練習走行での1枚。水野の背後にピタリとついて研究熱心な中須賀克行。中須賀は加賀山の話を聞き、身体を絞るなど普段より厳しいトレーニングで開幕に挑んだという。

 
 決勝は14ラップ。水野はスタートを成功させホールショットを奪取し、トップで後続を牽引するが、3ラップもしないうちに転倒車により赤旗、レースはフルラップで仕切り直し。そして再スタートが切られ、水野は4番手ポジションから裏ストレートで前を行く岡本裕生(YAMAHA FACTORY RACING TEAM)、中須賀克行(YAMAHA FACTORY RACING TEAM)、長島の3台を一気に抜き去りトップで戻ってくる。外国車がトップで周回すること自体これまでに前例がなく、サーキットには異様な歓声が上がる。真後ろに中須賀を従え7ラップに及びトップを走行していたが、ほんの少しの挙動の変化を見逃さなかった中須賀に前を許してしまう。水野は中須賀と離れることなく、レース後半の巻き返しにかかろうという時だった。転倒車によりセーフティーカーが介入。再スタートを期待したがSC走行中にさらに転倒車が出てしまいレースは赤旗で終了。ドゥカティ・チームカガヤマは初レースで2位表彰台を獲得した。
 

 
 レース終了直後、ピットの中で加賀山は涙を見せたという。周囲のメディアに対して今回の出来を「100点!」とした加賀山。
「勝ってないのになにが100点だよ!」
 水野は悔しさをにじませたが「ここまでチーム全体の取り組みとして頑張ってきたことは100点であり、チームにとって今日の2位という結果はとても重要なことだ」と、その言葉を飲み込んだ。
「いろんなことがあって、トラブルもあり(※4)水野にストレスを与えてしまったことは申し訳なく思う」
 そして「レース後は嬉しさよりも悔しさが勝ってしまった」と加賀山自らもライダーだった故にライダー寄りのコメントも出している。
 

 5日足らずの間で戦闘力のあるマシンに仕上げられたことでパニガーレV4Rのポテンシャルの高さと可能性を見出し、開幕戦で感じた手応えを胸に頂点を獲るべく黒船は舵を切っている。
 海外メーカーであるドゥカティの上位入賞は、既存のファクトリーチームやトップチームにとって脅威となった。
 全日本は、開国を迫られている。

■DUCATI team KAGAYAMA
監督:加賀山就臣
ライダー#3 水野涼
JSB1000開幕戦 鈴鹿サーキット
予選 2位 2,06.072
決勝 2位

※1:加賀山がワールドスーパーバイク時代に、トロイ・ベイリスを訪ねてファクトリーに行ったとき、当時の監督でコーディネーターだったのがパオロ・チャバッティ。その時代から友人付き合いだった。チャバッティは加賀山のこれまでの個人のレース活動以外にも、8耐に海外ライダーを招聘したこと、地元のパレードや旧車のレースなどモータースポーツへの貢献を全て調べ上げていた。
※2:ドゥカティファクトリーでの作業は部外者立入禁止の聖域であるが、ファクトリーマシンが作り上げられている隣で、レクチャーを受け作業をした。これも加賀山とチャバッティの仲だからできることでドゥカティファクトリーとして大変めずらしいこと。
※3:加賀山の熱意はその場にいた各ドゥカティ販売店のオーナー達に伝わり、開幕戦のドゥカティ応援シートやレース後のドゥカティパレードランが実現した。
※4:午前のARTの走行ではS字でマシンがストップ。水野はサービスロードからマシンを押してピットまで戻った。このマシンは土曜の朝のフリー走行でチェックされ、スタッフ一同胸をなでおろした。

 





2024/04/12掲載